第1コース 目が覚めたら天才トレーナー
「は~い♪ 牛太郎さん。検温で~す」
そういって看護師が牛太郎の体温を測定していく。
「それにしても大したことなくてよかったですね。あんな高い階段から転げ落ちたっていうのに、多少の脳震盪と打撲で済んで」
「はあ……」
牛太郎は芯のない返事をする。あれから、目を覚ますと病院のベットだった。
あの出来事のことは夢ではなかったのかと思ったがそれはすぐに淡い希望だと思い知らされた。
まず、入院した理由が衝突事故ではなく20段以上ある野外の階段からの転落だったこと。
そして次に、意識を取り戻したので、数日前に職場の上司という人が面会に来た時のこと。
来たのは、面接や事前講習あった中年の男性ではなく、真っ赤なレディスーツを着た小学生くらいの女性(巨乳)だったこと。
当然面識など全くないのに、向こうはこちらを知っているではなく、昔からの知り合いというように話しかけてきた。
「主治医から聞いたが、命に別状がなくてよかった! 念のため入院するらしいが有休があるから安心して休め! あんなことがあったからちょうどいい!」
と、自分の言いたいことだけ言って帰って行ってしまった為、よけいに困惑が増えてしまった。
そして、あの夢が現実だという一番の確証。
「牛太郎さん。検診です。お加減はいかがですか?」
カーテンを開けて、主治医が入ってくる。その姿を何度見てもなれない。
なぜならその主治医は人ではなく牛なのだ。正確には牛男。ゲームでよく見たミノタウロスそのもなのだ。
その牛男が白衣を着て聴診器を当ててる姿はなんともいえない。
ただ顔は牛なのだが、手足は5本指の人間の手で、足にはシューズを履いている。
それだけではない。後ろについている看護師。ぱっと見は清楚で胸の大きい女性だが、頭に牛の角と耳、腰からは牛の尻尾が出ていた。
女の人が牛のコスプレグッズをつけているように見えるが、その尻尾が不規則に動いている。作り物ではない。
本当の尻尾だ。
そう、この世界が別世界だという最大の理由。自分の世界にはいなかった存在。
人と牛が欠け合わさった種。男なら牛男。女なら牛乙女というものがいることだった。
もちろん、周りには牛一郎と同じ人間もいる。だが、一定の割合でそういう人もいる。
しかも、そういう外見をしても、周りは一向に気にしていない。まるでそういう存在がいることが当然のように。
「脈や脳波も異常なし。今週には退院できるでしょう。それにしても、こんな時に入院して大変でしょうに。私も、貴方と彼女には大変楽しませてもらいましたからね」
ミノタウロスの医者の言葉に牛太郎は愛想笑いするしかなかった。どうやら、こっちの世界の牛太郎は有名人らしい。
「(彼女ってだれだよ! くそ! こっちは何も覚えていないんだぞ。こっちの牛太郎が何をしてきたか! 後を頼むっていうなら引き継ぎくらいきちんとしろ!!)」
心の中で叫んでも、こっちの世界の牛太郎が何をしてきたか思い出すことはできない。
今までは病院という隔離された空間だから何とかなったが、退院するとなると話は別だ。
牛太郎は検診が終わって一人になると、すぐさま行動を開始した。
「まずやることは……情報収集だ! 向こうの世界と文明レベルは一緒だから……スマホ! ……は階段から落ちた時に壊れたって聞いたから……次はテレビだ!」
牛太郎はすぐさま備え付けのテレビをつけチャンネルを変える。
将棋中継、料理番組切り替えていくと、ある会見を中継しているチャンネルで止まった。
そこには「日本最強の牛乙女『ヤマトクイーン』電撃引退!!」と大きくテロップが出ていた。
そこには数日前、会った上司となる女性と、セーラー服だが、胸にカウベルのようなエンブレムをつけた女の子が座っていた。
『ヤマトクイーンさん! 今回、引退するということですがそれは本当なのでしょうか?』
会見に詰め掛けた報道陣の一人が問いかけると、セーラー服の女の子が立ち上がった。あの子がヤマトクイーンなのだろう。
『はい。私自身の心身を理由に引退させていただくことをは事実です。急な話になり関係者各位、また応援していただいたファンの皆様には申し訳なく思っています』
見た目は女子高生なのに、受け答えが大人びている。それが牛太郎が受けた第一印象だ。
『しかし、出雲カップ、3種神器祭、12天賞……ほかにも名だたるレースを勝ち抜抜き、文字通り日本一の牛乙女の称号を得た矢先に引退とは……』
『今年は世界に挑戦との話があったはずです。また世間もいよいよと期待していた矢先にこの引退は……』
記者たちの問いかけに、ヤマトクイーンは只々、頭を下げて謝罪している。
「なんだこれ……ふつうもっと引退会見ってこう……これじゃあ謝罪会見じゃないか……」
会見の違和感を感じたが、全体的に記者たちの思想は『なぜ?』だ。
非難ではない。よくわからないが推測するに、このヤマトクイーンって子はスポーツ選手か何かだ。それも、大会などでも活躍していた一流の人気選手。
まだまだ活躍するはずなのにいきなり引退宣言をして騒ぎになっているのだろう。
『あなたの引退には、元トレーナーの花輪牛太郎氏がかかわっているとの情報がありますが……』
あるアナウンサーの言葉に、牛太郎は目を見開いた。
「(え?!? 今、俺の名前を言った? いやいや……同姓同名だろ?)」
こんな、記者が大勢集まるほどの彼女と自分がかかわるはずがないと考えたが、すぐに首を振る。
「(いや……それはあっちの世界での話だ。こっちの牛太郎が何していたか俺は知らない…それに……)」
ヤマトクイーンの隣に座っている女。あれは間違いなくここに訪ねてきた自分の上司という女だ。
画面では、今までしっかりと答えていたヤマトクイーンが黙り、上司という女が会見を打ち切り、彼女と一緒に会場から立ち去ろうとしていた。
当然、記者たちからは声が上がり、たくさんのフラッシュがたかれている。
「(ここで悩んでもしょうがない……。会見が中継されるくらいだ。売店で雑誌か新聞を探せば関係する記事くらいあるだろ……しかし、こっちの俺……あの子に何かしたのか……?)」
会見でのあの態度。記者でなくても何かあったとしか思えないと考えてしまう反応だ。
もし、言い訳できないくらいひどいことをしたならどう対応すればいいのか?
勝手に死んで押し付けたこっちの世界の自分にもっと文句を言ってやればよかったと思う牛太郎だった。