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その一

『RETROACTIVE 1990』 第1章のあらすじ:

2027年、末期癌で余命宣告された私、62歳、男性、独身、大学教授。いきなり現れた未来人に“今の君の人生は、世界の覇権を握ろうと過去改変を繰り返す某国の陰謀に巻き込まれ、狂ってしまった人生なのだと告げられる。某国の陰謀から未来を救い、人生を本来あるべき形に戻すため、時間を37年ほど巻き戻して、1990年にやってきた私。予期せぬ怪獣だらけの展開に戸惑いながらも、美少女助けて決死の脱出行!

そんな展開を何とか無事に生き延びた私。

本編では次なる展開が始まるわけですが、こちらは番外編です。

幕間のお話として、少ししんみりした主人公の想い出話をいたします。


本編では、間もなく第2章が始まります。

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何卒よろしくお願いいたします!

 年も押し迫った師走の10日、月曜日、正午を少し過ぎた頃。

 私は東京メトロ千代田線を千駄木駅で降り、不忍通りを徒歩で南に下っていた。


 前日、東京都心部を濡らした冷たい雨も朝にはすっかりあがっていて、街は12月とは思えないほどの暖かで明るい陽気に包まれている。

 朝、八王子の自宅を出た時の天気は曇り、幾分肌寒さを感じるほどの気温だったので、ダウン入りのジャケットを着て出掛けてきたが、日中の都心は軽装で十分だったようである。

 地下鉄を降りてホンの数分歩いただけなのに、首筋や背中がじっとりと汗ばんでいた。

 途中で街頭温度計を見たら摂氏20度丁度。


 (失敗だったな。都心と八王子の気温差を忘れてたよ。)


 ジャケットを脱げば荷物になるし、着ていれば汗だくになる。

 ヤレヤレと溜息しながらハンカチを取り出して首筋の汗を拭い、何気にその手元に目をやった。


 (あぁ、アキラのハンカチか。)


 私がアイスピックで刺されて左腕に傷を負った際に、アキラが応急処置で巻いてくれたハンカチだった。

 すっかり汚れてしまっていたので、そのまま返すのが憚られて、そのうちに会うことがあったら返そうと洗濯して、漂白して、仕舞っておいたはずなのだが、自分のハンカチと一緒くたになっていたらしい。

 ろくに確かめもせずに持ってきてしまったが、白地にイチゴの模様が並んだハンカチなど、うっかり知り合いの前なんかで取り出したら、「そのハンカチどうした? 」から始まって、面白半分に弄られるに違いない。


 (早めに気付いて良かったわ。)


 私が1990年に遡行してきた最初の日、11月27日の “害獣事件” については、警察、マスコミ、職場、大学、両親や一部の身内、それと研究者っぽい人々、求められるたびに全く同じ話を何度も繰り返し説明させられ、そんな状況が今も続いているので、いい加減にくたびれて、頭にきてしまっていた。

 そんなんでハンカチの説明をしたら、また11月27日の話をしなければならない。

 それが嫌だからと言って、適当な作り話で誤魔化すのも面倒臭い。


 (仕舞っとくのが一番。)


 人目に付かないようにしておこうと、ディバックの奥に押し込んだ。



          ◇



 さて、不忍通りを千駄木2丁目の交差点で右折し、根津裏門坂の狭い歩道を西へ進むと、目的地である医大病院が見えてきた。

 この病院には1年ほど前から、母方の叔父が入院していたので、今日はその見舞いに訪れたのである。

 末期の癌で闘病生活を続けていた叔父が亡くなったのは、1991年1月10日前後だったと記憶している。

 今から約1か月後のことである。

 確か享年は49歳だったか、まだまだ働き盛りで、同い年の叔母と大学生になったばかりの従妹を残しての早すぎる死だった。

 今、私の中で共存している二つの時間、そのどちらに於いても伯父には幼い子どもの頃から随分と世話になった記憶が残っている。

 親戚付き合いなど滅多にしない私が、唯一気の置けない関係を保ち、気軽に親しく話せていた特別な身内だったといえる。

 だから、私が1990年に遡行して、害獣事件後のゴタゴタが一旦収まってから、まず最初に思ったのは、叔父に会いに行くことであった。


 この当時の私は、アルバイト身分にも関わらず広告代理店の制作業務で日中殆どの時間を拘束されており、年末は土日も含めて見舞いに訪れる余裕は殆ど無かった。

 伯父の命が長くないのは知っていたが、「そのうちに」、「時間ができたなら」、「次の休みの日には絶対」などと、日々を忙しく過ごしているうちに、年が明けてから暫くして、叔父が亡くなったことをアルバイトから帰宅して、留守電を聞いて知ったのである。

 そして、私は叔父と最後の一目会うことも叶わず、お別れをする機会さえも永遠に失ってしまったことに気付き、愕然とした記憶が残っている。

 そのこと、62歳まで生きた私が、心の片隅にいつまでも忘れられずに残していた一つの後悔であった。

 だから、叔父が亡くなる直前の時期に遡行してきたことに運命的なモノを感じていた私は、その後悔の一部でも晴らしたい、最後に叔父と話す機会が欲しいと、心底から願っていたのである。

 幸い、今ならばアルバイト先の上司も、害獣事件後の諸々で私が心身ともに疲弊していると言えば、あっさりと信じてくれる状況にあり、半月ぐらいは休養していても構わないとの許可をいただいている。

 よって、叔父のお見舞いに行くならば今しかなかった。

 


          ◇



 医大病院を目の前にして、私は少し躊躇っていた。

 叔父と会うのは、私の時間を物差しにしたなら約40年ぶりのこと。

 向こうにとっては3年かそこらのご無沙汰だと思うが、私にとっては遠い過去の記憶の中にいる存在であり、その声や表情や仕草などもボンヤリとしか思い出せない。

 そもそも、たいへん親しくしていた者が相手であっても、40年という長いブランクを経た後、普通に顔を合わせて話せるものだろうか?

 親しくしていた当時と同じ接し方ができるのだろうか?

 そんな不安に駆られていたのである。

 しかも、闘病生活で窶れ弱り切った叔父の姿を見て、残り一か月という余命を知る私が果たして平静を装っていられるのだろうか?

 そういう心配もある。

 この時期も含めて、叔父には最後まで余命告知はされていなかったはずである。

 おそらく、薄々は感付いていたと思うが、だからと言ってハッキリとした告知を受けていない以上、家族のため、自分のため、生きる望みを完全に放棄してはいないだろう。

 そんなところへ、ぎこちなく不自然な接し方をする私がやってきたら、叔父はどう思うだろうか?

 長年親しくしていたはずの甥が、普段通りに話をすることができずに、他人行儀で、挙動不審な態度を見せたなら、叔父はさぞ悲しむだろうし、余計な憶測を抱かせてしまうかもしれない。


 (少し、寄り道して心を落ち着けてから見舞いに行った方が良いな。)


 そう感じた私は、来た道を少し後戻りすると、医大病院のはす向かいにある根津神社、北参道の赤い鳥居を潜った。



          ◇



 春になればツツジの名所として多くの人々の目を楽しませている根津神社も、12月の今は一部の常緑樹以外、多くの木々が葉を落としており、2,000坪以上もあるという敷地の中にはモノクロームな風景が広がっていた。

 長居をする気はなかったが、せっかく神社に来たんだしと一応は拝殿に手を合わせ、その後は特に何を見るでもするでもなし、境内を適当にブラブラしながら楼門の傍らにある池の柵に腰を掛けて一休みした。

 車が行き来するアスファルトの道を歩くよりは、土の上を歩く方が幾分涼しく感じるかと思ったが、大して差は無くて、散歩しているうちにすっかり身体が温まってしまった私は、ダウンジャケットを脱いで手に持ち、上半身は厚めの生地のシャツ1枚という軽装になっていた。

 長くそのままでいたら、汗が乾いて身体が冷えてしまいそうだが、少しの間なら問題無いだろう。


 そう言えば、私の中にある叔父との一番古い想い出では神社でのことだった。

 私が5歳の頃なので、叔父は28歳、未だ独身だったはず。

 何処にあった何という名の神社だか忘れてしまったが、両親と私、それと叔父の4人で初詣に行った時のことだった。

 叔父は自分で白状していたが、所謂 “ネェチャン子” 、“シスコン” だったらしく、良い年をして何かにつけ私の母親を慕って訪ねて来ては、泊り掛けで父親と飲み明かしていたり、私の遊び相手になってくれたりしていた。

 この時も、年明け早々から遊びに来ていて、せっかくだから皆で初詣にでも行きましょうか、という流れになったのだと思われる。

 その前後の経緯は全く憶えていないのだが、私の記憶は参詣後、たまたま知り合いと出会った両親が長々と立ち話に興じていたおかげで、何もすることの無い子どもの私は退屈を持て余していたというところから始まる。

 子どもにとって、大人同士の世間話に付き合わされることほど辛いことは無い。

 しかし、多くの大人にとっては、その間を耐え切るのが正しい子どもの有り様だと思っている節がある。

 だから、少しでも子供が不満を見せようものなら昭和の親は、人前でも容赦の無い拳骨を落としてくる。

 私は、拳骨の痛みを何度も経験しているうちに、不満を表に出すようなことはしないようになっていたが、やはり暇なものは暇なのである。

 この当時、私の両親は放っておけば30分や1時間ぐらいは立ったまま道端での世間話を続けられるような猛者だったが、この日は私が我慢できる限界を軽く超えてしまっていたようだった。

 暇な時間に耐え兼ねてしまった私は、両親の目と手が離れた隙に一人で境内を探検しに出掛けてしまったらしい。

 ちなみに、この日訪れた神社だが、随分と境内が広く、大勢の初詣客で賑わっていたので、それなりに有名な由緒ある立派な神社だったのかも知れない。

 どう考えても5歳の子どもが一人で歩けるような規模ではなく、両親から離れた時点で迷子になることは間違いなく、実際にそうなってしまった。

 境内を探検中に何を見たのか、何処をどう歩いたのかも一切記憶に無いが、人の壁を縫って歩いているうちに自分が来た方向が分からなくなり、両親を見失ってしまったことに気付き、そして心細くなって、無性に悲しくなり、人の流れから弾き出され、参道の脇にポツンと一人立ったままで泣きじゃくっていた。

 迷子センターのお世話にはならなかったし、係員や親切な大人に声を掛けられたりもしなかったので、たぶん、そんなに長い時間迷子になっていたわけではなかったと思う。


 「お! 泣き虫だ! カッコ悪リィ! 」


 そう言って、叔父が私を見つけてくれるまで、せいぜい10分程度、長くても20分というところだったのではないだろうか?

 但し、勝手に手元を離れて探検に出掛けた私に対する両親の怒りは、時間の長短など関係無かった。

 その気持ちは大人になった今なら十分に理解できる。

 愛する我が子が一刻でも行方不明になったのだから、まずは大パニック、次には怒りが込み上げてきて爆発するのである。

 だが、これが愛情故だと理解するのは子どもには無理な話で、初詣から帰る途中の車の中で、荒れ狂う暴風のような説教に竦み上がり、ただ只管「ごめんなさい」、「もうしません」と、泣きながら呪文のように唱え続けるしかなかった。

 そんな時、


 「姉さんも、兄さんも、ちょっと待ちなよ。」


 運転席で私が叱られるのを聞いていた叔父が口を挟んできた。


 「ちょっと、子どもに大事なお説教してるんだから、あんたは余計な口を挟まないで黙って運転してなさい! 」


 母親の一括で、普段の叔父なら直ぐに引っ込むのだが、この時は違った。


 「ミノルがいなくなったって気づいた時にさ、義兄さんは姉さんが手を離したことを怒ってたし、姉さんは義兄さんが目を話したのが悪いって、喧嘩始めてたよね? で、見つかった今は揃って一人でウロウロしてたミノルが全部悪いみたいに怒ってるけどさ、それって変じゃない? 

 そもそもさ、ミノルを放ったらかしにして、二人は何10分立ち話していたと思う?

 時々話振られてた俺でさえ辛かったのに、全く蚊帳の外で、何もすることが無くて立たされたまま大人しくしてなきゃならないミノルのこと考えてみた? 

 “もう帰ろう” とか口を出したら絶対に怒られるから、黙って我慢してなきゃならないし、でも子どもだって我慢には限界があるし、ちょっとだけ冒険してみようって気持ちになったって、しょうがないよ。

 確かに一人で勝手にウロウロしたのは悪いけどさ、ミノルに一方的に謝らせるんじゃなくて、二人も謝るべきだと思うんだけど。」


 チャイルドシートなんて無かったし、シートベルトの義務化もされていなかった時代、後部シートの運転席側で “座ったまま気をつけ!” の姿勢で、両親のお説教を聞かされていた私だったが、この時の叔父が語った両親への反論は忘れられない記憶として残っている。

 結局、その直後、叔父に向かって落とされた、


 「「子供の躾に口を出すんじゃない! 」」


 という、義兄と姉二人掛かりのカミナリで、叔父の反論は敢え無く捻じ伏せられてしまったのだが、私の中では、子どもには怖くて難しくて口に出せない、でも本当は言いたかった心の声を、代わって言葉にしてくれたことに対する叔父への感謝の念が生まれていた。


 そして、その日から私にとっての叔父は信頼すべき大人の代表格的な存在となった。

次話は月曜の夕方に投稿予定です。

本編が日、火、木で投稿やってますので、その隙間に挟んでいく感じでいきます。



最初は本編第1章に続けようと書いてたのですが

あまりに雰囲気が違うので、

別にしといた方が良いかなと思い

番外編として扱わせていただきました。


お気が向きましたら

本編ともども、ブックマーク、評価の方

何卒、よろしくお願いします。

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