大きなあとがき(めいたもの)
改めまして、八十島そらと申します。『空満大学日本文学国語学科共同研究室事務助手席日記』略して「おだまき日記」いかがでしたか。最後までお付き合いくださった読者さん、ちょっとだけでも目を通してくださった読者さん、様々だと思いますが、1年間ありがとうございました。
さて「おだまき日記」なのですが、大学の学生手帳に書き綴っていた『こちら日文共同研究室助手席』を下敷きにした作品でございます。週に1回を1年続けて、それらしい長さになっていたのを覚えております。私は、学生手帳の予定欄に「今日の○○さん」というものをしょっちゅう書いておりまして、その日、おもにキャンパスで会った人をひとり決めて、その人の行動や1日の予定を、想像を交えて「掌篇」としてつらつら鉛筆を動かしておりました。さすがに尾行、私生活にお邪魔、は公共の福祉に反しますので (縄にかけられてしまいます) 、可能な限り近くにいて、直接話してみるなどして、その人を詳しく書こうとしました。メガネ野郎にからまれた方々、この場を借りてお詫びします。
拙作について、よくある質問が「倭文野さんは、八十島自身なのですか」でした。残念ながら、倭文野さんと八十島は無関係です。倭文野さんは倭文野さん、八十島は八十島です。あまり思い入れが深すぎると、日記ではなく私小説になりますし、冷静に筋を進められなくなります。そういう意味では、私は情熱的ではないのだと思っています。職業病です。
読み返してみると、土御門隆彬先生がいいおだしをしみしみさせていて、ほくそ笑んでしまいました。土御門先生には (口酸っぱく申し上げておりますけれども)モデルが確実にいます。ご自身を「貴い身分の者」と名乗れる人は、書かないでいられますか (いや、そうではない) 。モデルの先生が講義で日記文学を説明されていた際、「子どもは親よりも長く生きなければならない。親にとって一番悲しいことは、子が先に世を去ることだから」と仰っていて、今は八十島、つらいことばかりだが生きてやろう、愚直に。八十島、あの言葉で踏みとどまりました。言葉で人は生きてゆけるし、逆に、ころりと逝けるものなのですよ。
「おだまき日記」は、同じく拙作『スーパーヒロインズ!』の本編・番外編と、微妙に連動している部分がございます。神無月から弥生あたりに注目していただけると幸いです。『スーパーヒロインズ!』のスピンオフが、本編の先に始まって、本編が完結する前に終わった……普通ではありえないことですよね。八十島の不手際をどうか、お許しください。
最後に。倭文野さんの日記は「連載完結」にはなっていますが、倭文野さんは日記をつけることをやめないでしょう。家族が増えても、隠居になっても、です。三日坊主から卒業できた倭文野さんを、祝ってあげてください。それでは、ごきげんよう。
あとがきのあとがき (ほとんどひとりごとです)
年度末ですね、八十島そらです。年度末といえば、異動の季節。新しい部署に荷物を持っていく時、お伴の人数が、異動してきた者の値打ちを表わすという古い言い伝えをそろそろ終わりにしてもらいたいです。この時代に大名行列は、あまりにも滑稽ですから。
パペット番組の最終回を見ていたのですが、なんとなく予想がついていた面々でした。4代目で終了なのでしょうか。パロディ満載な番組がまたひとつ幕が閉じられて、センチな気分の八十島でございます。




