弥生の巻(三)
弥生十七日 事務助手から見た、日文の先生 七、土御門隆彬先生
午前のやるべき仕事が、思いのほか早くできたので、休憩スペースで足を伸ばしていました。昼休みまであと十分くらい。半端なこの時間、どうしようかと考えていましたら、誰かが入ってきました。
「暇なんかいな、倭文野や」
インスタントラーメンを片手にした土御門隆彬先生に声をかけられました。
「奥さんのお弁当は?」
あ……今日は無いです。
「わたしのコレクションをあげるさかい、待ちなはれ」
のんびり共同研究室を出られ、またのんびりと再び入室されました。
「そちは、これや」
ドデカ鉢ラーメンのハニーマスタード味噌味でした。おお、あまじょっぱいの、僕は大好きですよ。先生は、最初に持っていた極細ちぢれ麺トムヤムクン味でした。
「今日は、オレンジ色の太刀魚かや?」
電気ケトルに水を入れながら、先生が訊きました。はい、正解です! いつも服装のテーマを当ててくださるのですよ。衝動買いしたメタリックオレンジのパーカーは、なかなかの魚感でしょう? これで全部メタリックにしたら、アルミホイルに巻かれたチャーシューなんだよな。他はなんてことない素材にすることで、メタリックオレンジを目立たせるのだ、えっへん。
「わたしもファッションの冒険をしてみたいものですな。しかしネクタイはな、赤の他は認められへんのや」
なぜですか。
「赤は、魔除けの力がはたらいとる。結婚記念の赤ネクタイを締めた日に、担任をしとった学生にかやうな蘊蓄を聞かされたのや。その学生は、強いおまじないをかけよってな。以来、わたしのクローゼットに赤ネクタイが増えとるのや」
おまじないですか。赤いネクタイばかり買ってしまうおまじない? 違うよな。先生が身につけている赤い物に、魔除け効果をぐーんとアップさせたというような?
「さいふ (そういう) こっちゃな」
知らなかったです。先生の赤ネクタイには、学生さんとの思い出が関わっていたのですか。ちょっと濃さにバリエありましたよね。スカーレット、バーミリオン、蘇芳、唐紅、カーマイン……などなど。
「とうに卒業生やが、おまじないの効き目は続いとる。最近は、時間を止める術を防いでくれましたな」
おとぎ話みたいですね。時間を止める術だなんて。あれ、たとえですか? 空気が凍るさむいギャグをかわしてみせた、みたいな。
「御伽話かや。うまいたとえよの」
ケトルが沸いたので、僕がお湯をカップに入れました。調味料と具を先入れか後入れかは仕分け済み。先生とは現役生からのお付き合いですから、これぐらい完璧です!
「して、奥さんの具合はどないや」
え。ああ……睦月の夢のようで夢じゃない出来事の。元気にやっています。お仕事あるあるのイラストブログを手当たり次第読んで、感想を言ってくれますね。ひいおじいさんの約束を守らなければ! とはおくびにも出さなくなりましたね。
「奥さんには、田園の開き方を忘れてもろうた。鍵ちゅう卵は壊した。やが、田園の倭文野との対話は、残しておいたのや」
キッチンタイマーを設定しようとしたら、一分ずれてしまいました。ドジだな、僕は。
「妻に、睦月の記憶が少し残っているんですね」
「わたしが主任に頼んだ。主任は決断が早いよって、奥さんの事件の記憶を徹底的に消し去ろうとしたんや。倭文野の奥さんを本文に見立てて、いらん部分を削る超簡単な作業やさかい、主任はある意味、残酷やった。寸前で止めるのに、苦労しましたぞ」
残して問題ないのですか。妻が、僕に黙って、自分のしたことを悔やんでいるんじゃないか、気がかりです。
「そちの奥さんは、本来、心の軸がしっかりしとる。そちは、奥さんを責めへんかったやろ。もう抱えこむような真似はせえへん。一番分かっとるんは、パートナーのそちやあらへんか」
…………そうでした。
「信念が強ければ強いほど、見失うものが多くなるのや。おおらかな倭文野がそばにおれば、そのうち許容範囲が広くなるやろうな。奥さんは、良い縁に巡り逢えましたな」
褒められているんだよな、倭文野。先生が素直に人を褒めるとは、明日は嵐だ。
あとがき(めいたもの)
問:土御門先生のお昼ご飯は、安達太良先生と食堂、ときどきカップ麺だそうですが、奥様のお弁当の日は無いのですか。
答:僕が代わりに答えていいのかな……。先生の奥さんは、ものすごい味オンチだとうかがっています。味が濃すぎる・薄すぎる、黒こげ・生焼けという失敗レベルとは違うのです。調味料の「さ・し・す・せ・そ」が、海を超えてしまっている認識なのです。僕、一回だけ奥さんのお料理いただいたことありますが、深海が脳内に映されましたよ。食事だけは先生に仕える一家の人達にお願いしているみたいですね。
高校の先生で「偏食マッドサイエンティスト」なるあだ名がついていた人がいました。1回だけ、その先生が担任だったことがありました。新学期最初に教壇で「いうとくけど、俺は仕事で教師やってるだけやから。そこのとこ、頼むで」と仰っていたのを、八十島、心の内で「おいおいおい。『仕事で』を強調している先生に限って、不祥事起こすんですぜ。お手並み拝見ですな」偉そうにしておりました。結論として、その年何事も無く終えたのですが。八十島の高校、小さい女子率が高くてですね、しょっちゅう男性教諭の標的にされていたと思います(八十島調べ)。私は、ミニスカートより、膝下丈のハイソックスちらりにときめきます。




