睦月の……(四)
帰ろう、皆で現実へ。
「だーちゃん、ますますぞっこんになったんだけど、さ……」
シデノ、どないしたの? 両方の人差し指をつんつん合わせちゃって。もったいぶってないで、スパッと言いなよ、ヘイ。
「……田園を出る方法が、分からん」
なぬー!?
「石に閉じこめた人達を出してやる方法も、知らん。田園を無しにできたらいいんだが、私は扉の開け方しか。だーちゃん、案ある?」
すんません。ノープラン夫で、ほんますんません。出ようぜ! とミュージカルばりに呼びかけたけれど、具体的な脱出の手段までは考えていませんでしたハイ。出ようという意思があれば、どっか壁が割れてパンチして現実世界に戻ってこられるのではないか、と浅はかな想像をしておりました。
「私、殺人鬼に確定じゃねえか。どう落とし前つけてくれんだよ、だーちゃん」
「ぼぼぼーぼぼ、ボキになすりつけます!?」
出られへん ここから一生出られへん
妻がいるので 独り寝しなくてすむけれど
妻の顔が、般若になりました。文学部のくせに、センスない短歌作りやがって、ですか。僕は中古文学が専門でして、和歌ならばうまいことできるかもしれなくないこともないですが、現代短歌はずぶの素人でしてね。
「だーちゃんの伊達巻き、食べたかった」
「もっと暴飲暴食すれば良かった……長期戦になるとは、思ってなかったんだもん」
大の字になって、二人。日記が途中で終わりに……ならなかったのです。
「さっきの心意気は、優をつけてやりますぞ倭文野や」
僕に、恩師の影が重なりました。
「土御門先生、なんで……?」
皆まで言わせる気かえ、と扇をふぁさっと開いて豪快に笑っていらっしゃいました。
「わたしの講義も、あれぐらい奮ってもらわんとな」
起き上がり(妻は腹筋が得意なので、スムーズに立ちました)、土御門先生が扇で指した所を見ました。田園の靄がかかった果てに、風穴が空いていたのです。
「ははは、好かったよ。人妻の安達太良さんと手をつないで一晩いられたのだからね」
いきなりのドスケベ発言をしながら、近松先生が穴を越えられました。続いて、宇治先生がいじらしい怒りを振りまいて来られました。
「ごごごご、語弊があります! 『まじない(漢字をあてるべきか迷い、ひらがなのままにしました:倭文野)』を無効にできる近松先生に触れることで、安達太良先生も『まじない』の効果を免れるため、一時的に手をつなぐことになっただけなのですよ! 安達太良先生はたったひとり、『まじない』にかかった方々を解く術をお持ちなのですから!」
間違いはなかったのね。ほっ。
「土御門さんの占いに、大規模な『まじない』がかけられると出たんだ。『安達太良解法』を使える彼女は、守らねばならなかったのさ」
「解法のおかげで、私も動けるようになり、場所を突き止められたのですよ!」
宇治先生の手には、腕章がありました。輪になっている方を僕達に見えるようにしていました。
「あなたが、倭文野さんの奥様ですね。申し訳ございませんが、規定によりあなたが行使した『まじない』を止めにまいりました!」
田園のでっかい穴の縁に、火がちらついていました。濃い緑色、いつだったか職場で目にしたような。
「お仕事を始めますわ。私は石に囚われた人達を解きます」
安達太良先生だ……。仕事なの? 大学、日文の? 僕は聞いていないんだけれど。
「森先生は、皆の身体に異常がないか診察をお願いしますわね」
「了解した」
森先生、医師免許あるんですか。軍医の家系だとうかがってはいましたが。
「舞姫は病を癒やせるんや。医者やあらへんが、仁の心ちゅうもんですな。倭文野、そちは壁を通って帰りなはれ。奥さんは、居残りや」
一緒に帰らしてはもらえないんですか。
「『まじない』を行使してこの辺を騒がせた者は、取り締まらなあかん。ええ加減な扱いはせえへん。『まじない』に関する記憶を消して、家に帰したる。仕事やさかい、三日は待ってもらいますぞ」
土御門先生の「仕事」に、簡単には説明できなさそうな事情が含まれているように思えた。
「はい…………。気をつけてね、シデノ」
僕と妻の間に、真淵先生が光のように突然現れた。
「田園の門を管理していた方は、代々、神を憎まれていたご様子でしたが、『まじない』を否定してはいなかったようですねえ……。信仰あっての『まじない』ですから。田園の主・死出の田長は彼と彼女達の信仰があって存在していました。田長が裁く世を創る奇跡を『まじない』―扉を開ける行為です、が起こしたのですよ。クス、未遂ですがね。僕達に破れない理由がございません」
「これ、べらべら話すんやないわ。倭文野、はよせい」
振り返りはしなかった。真淵先生に当分は会いたくなかった。妻のやったことを、バカにされたように、無意味なことだと指摘されたように思えて。
「倭文野穏万喜くん、すみません。真淵先生は、出られなくなったあなた達を励まそうとしたんです」
穴の現実側に、時進先生が待っていらっしゃった。また分厚い本を抱えられているな。『死後の世界観事典』、笑えないな……といいつつ、僕の表情がゆるくなっていた。
「この日起こったことは、公にしないでくださいね。次に倭文野シデノさんに会った時は、『おかえり』と声をかけてあげてください」
そうします。田園の夢みたいな夢じゃないような曖昧な出来事を忘れていても、罪がすぽっと抜けていても、僕が忘れないでいるよ。共に、生きていこう。
あとがき(めいたもの)
問:日本文学国語学科の先生方は、いったい何者なのですか。
答:ただの教員です。
改めまして、八十島そらです。寝ぼけて朝ごはんの準備をしていましたら、食パンを水没させてしまいました。食器洗いのたらいの水は、まずいです。さて、食パンの行く末はいかに? 近所の公園で将棋をさしている年配の方でも見に行きますか。




