長月の巻(四)
夢の中でも、妻の手は、しっかりつなぐべきだった。
悪い夢は、誰かに話したら現実にならなくなる、といいます。でも、僕は、肝心な時にできなくなる情けないやつだから、言えなかったのです。代わりに日記に書いておくのは、いけませんか?
結婚してから、妻が夢に出ない日はありません。主役、脇役、ちょい役、特別出演など、妻とは起きても寝ても、会えるのです。
今朝、あの夢のせいで、妻に何て声をかけたらいいのか、分からなくなっていたのです。聞いてはいけないこと、ではないか、と。
夢で、妻の祖父母宅にいたのです。僕もお邪魔させてもらっているのですが、思うように身体が動かなくて、いらいらしていました。妻は、寝室にある、かたく閉ざされた扉へ、早歩きで向かいました。僕は、なぜだか、それをやめさせなければ、と思って、妻をつかまえようとするのですが、足がしびれてふらつくのです。
「ひいおじいちゃんとの約束、果たす日が来た」
妻は、財布にしまっていた小石を取り出して、扉の鍵穴に持っていこうとしました。開かずの間だとお義母さんから伺っていたのに、鍵なんてあるのか? 石が鍵になることがあるのだろうか。現実との食い違いが多くて、めまいがしそうでしたが、それでも僕は、妻のやることを止めようとしていました。前に進みづらかったので、せめて呼びかけるだけでも。
「やめよう、そこは開けられない。帰ろう」
「ごめん。旦那のだーちゃんでも、できない相談」
鍵穴に突っ込もうとしていた石を、僕に見せました。石ではなかったのです。鳥の、卵だった。卵にひびが入って、雛が孵りました。全身びっしょりで、毛が半端に生えていて、しわだらけで、ぶさいくでした。そいつは、テケテケ、タカタカと不気味に鳴いて、大人のように飛べました。くちばしを、鍵穴に入れて……。
扉が開かれる寸前に、目が覚めました。卵は、僕が奪い取れば良かったんだ。妻がどれだけ悲しんでも、卵をつぶしてやれば。でも、なぜ僕は止めようと思ったんだ? 夢は夢。開かずの間は、本当に開けられたわけではない。なのに、開いたら、なにかまずいことが、取り返しのつかないことが起こるのではないかと怖くなっていて。妻にこの夢を知らせたら、幸せな暮らしに暗い雲が来そうで、それも怖い。悪夢だった、そうしておきたかった。
妻とひいおじいさんは、漢字は違うけれど、名前の読みは同じだったそうです。昔の役所はアバウトだったからね、と妻は自嘲気味に言っていました。
オサダ ×××
君は、もう田長じゃないんだよ。倭文野×××なんだよ。別の人間に生まれ変わったんだ。田長のひ孫ではなくて、僕の妻になった。義理の家族も好きになりたいけれど、夢での君は、田長であろうとしていて、僕は、ひとりぼっちになった気分がした。僕の世界が、焦土になった。
長月二十二日 開かずの間がオープンしたら、もう「開かず」ではいられなくなる件
……そういうの、レイゾウコデトールを失う、というのですか。哲学に詳しい方、どうか愚かな僕に教えてください。レイズンゲートルでしたか? セゾンは……お買い物カードかな。
あとがき(めいたもの)
問:倭文野さんが元気ない時のサインは何ですか。
答:サインかいな。おやつを抜いとったら、落ち込んどる印ですぞ。王朝文学講読会におった頃と変わっとらん。今日は食堂で白米に白米乗せて、カツ丼の幻を見とったな。
※倭文野さんの代わりに、土御門先生が答えました。
改めまして、八十島そらです。ガーターベルトに、ふふふと笑ってしまいます。さすがにお箸が転げて面白く感じることはありませんが。涼しくなったと思ったら、またジトッとしたいやな暑さな日が来ていて、寝苦しいです。深夜ラジオを聞けば、寝落ちできるのですよ。あの番組、最後まで搭乗していられた回数が少ないです……。




