長月の巻(二)
1割の不正を働く者たちが9割の善良な民を埋もれさせてゆく
よめっぴいが大ジョッキのウーロンを一気飲みした直後に放った歌です。悪用している人がほんのひとにぎりであることは、承知している。でも、制度を利用している人の一〇〇パーセントが、悪用者に思えてしまう。だーちゃん(僕のこと)は、正しくやっている人とそうじゃない人とを見分けられる? いいや、見分けるじゃなくて、みんな平等に接することができる? どうしても疑ってかかって、態度が攻撃的になってしまう。何のための、誰のための「幸福」なんだろうな。本当に必要な人にも渡っているのかな。嘘がうまければうまいほど、器用に生きていけるだなんて、間違っている。
繁忙期が、ちょっと落ち着いてきたみたいなのですが、よめっぴいはこのように苦しんでおります。8時始業、20時終業が常でした。世の中には、もっと長く、もしかしたら24時間通してお勤めの方もいらっしゃるとか。そうだからって、よめっぴいに、早くあがれているじゃないかとは言いません。空満市のために、身を粉にして(よめっぴいいわく、金粉な。金で回しているようなもんだって)働いているのです。いつもお疲れ様です。日本文学国語学科、略して日文の学生間では、「おつかれ」は単なるあいさつなのですよ。よめっぴいに対しては、ねぎらいの意味を、萌えも付けて注入です。
長月八日 ハイテンションピンクと名付けた責任者を呼べー! なんて良き名前なんだ!
うふふふ、倭文野くん、嫂さまにマニキュアをいただきました。買ってみたら、すでに持っていた色だったので、もし良かったら、と。情熱タイフーン張りに「アはあぁぁぁぁい!」なんて返事しちゃいましたよ。ヒジキカンゲキ! ヒジキカンレキ! ヒジキは林檎入りカレーが好き! 傷まみれのヒジキ! いかん、ヒジキいじりをしすぎた。
手は、事務作業に向いていないので、足に塗ってみました。ハイテンションピンクですって。倭文野くんが求めているピンクそのものでした。蛍光なんだけれど、宇宙人とか近未来感が漂うド派手な明るさではない、でも僕の胸からあふれだす「きゅんきゅん」を表す蛍光ピンクなのです。卒論の調べ物に来ていた学生さんの何人かが気づいてくださって、さらにテンションがぶち上げマキシマムでありまして。マキシマムといえば、僕は、トマト派です。体力はこまめに回復するより、極限まで粘って全回復が楽ちんなのでは、と思うのであります。臓物派は、僕の同級生にいたな。学祭でカバー曲を披露していた彼の、冥府の声は、今でも空満大学で語り継がれているそうな。
学祭の打ち合わせに来ていた、一回生の浦島くんには「めっちゃ似合ってます! キュート度半端ないです」の言葉をいただきました。一緒だった同じく一回生の住吉さんには、デュアルクラクションオレンジもぴったりかもと言われました。帰ったら商品サイトをチェックしてみようかな。デュアルに続くのは、極光の波だった僕の情報が、更新された瞬間でした。極光アーチャー、よめっぴいの愛読書に登場していたな。アニメでは、僕の好きな声優さんが演じていて、繰り返し聞いていましたね。
これ、事務助手ネットワークで仕入れた話なのですが、今年の学祭、化学科の演劇は「元素くんの冒険」するみたいです。しかも「賛歌に燃えよ」編! 準主役の「C王子」役を化学科の学科団は、ある人に頼もうとしているのだとか。原作者とゆかりのある学生が、いらっしゃるそうですよ。日文は仮タイトルですが「王朝文学大合戦」です! 土御門先生が張り切っていらっしゃるのは、監修をされるため? 演劇は日文に票をくださいね! 演劇の他に、灯籠、模擬店、教室展示部門がありますので、ぐるっとまわってもらった上で、日文へ!
あとがき(めいたもの)
問:倭文野さんは、現役時代、学祭頑張っていましたか。
答:学科団の幹部と仲良しだったので、演劇の道具を作る、運ぶことをしていました。教室展示の黒板アートに、ちょろっとだけ絵を描きました。理想の安倍晴明という題です。
改めまして、八十島そらです。夢を見ました。なぜか、空満大学の日文共同研究室にて、お食事恋愛漫画の某先生とお話しているという。先生がOGだったこと、つまり私と同じ学校を卒業されていたことが、ある筋で分かったから、印象が強かったのでしょうか。共同作業できたらいいな、なんて恐ろしい望みを持つ八十島がいます。先生、応援しております。
もうひとつ、小さなお話を。「マジソン」をご存知の方はいらっしゃいますか。音楽用語ぶって「マディソン」というところもあるそうです。「マジそんなのぽっくり逝きますって」の略らしいです。諸説ありです。メトロノームのぜんまいがきれるまで、8拍吹いて4拍休んでを繰り返す吹奏楽の苦行のひとつです。電子版だと、ほぼ無限に吹かされるのだとか。肺活量がいやでも増えそうですよね。マジソンは、これまで受けてきた歴代の部員が、後世の者にも同じ痛みを差しあげるために残している練習方法なのですかね。甘くしていただけないのでしょうか。保護者会からのご指摘が来ないことを、お祈りします。




