葉月の巻(四)
葉月二十五日 全国の高校に通っている女の子の皆様、お待たせしましたあなた方の以下略
事務助手・倭文野くん、聞いてしまいました。共同研究室に、今日は附属高校の先生がいらしていたのですよ。ご家族が日文で勤めていらっしゃるようで、忘れ物を届けに来られたかなにかで……ああ、時進先生の三男さんではありませんか。こちらこそ、お父様にはお世話されておりますです。
時進先生の三男さん(三男さんに省略させてもらいますね)、出勤されていた安達太良先生と会って話が弾んだようなので、共同研究室で続きを、というところでしょうか。
「お父様には、学生時代に『国語学概論』や『古典文法』を教わりましたわ。教員となり戻ってまいりましたが、今もお身体の調子がよろしくないそうでして。臨時休講が減ったのは、嬉しいことですが」
「虚弱に生まれてきて、十を越すことは厳しいだろう、と医師から告げられていた、と聞いています。還暦を過ぎて、男だらけの子孫に囲まれて、愉快にやっておいて何ですけれどもね。まだまだはばかりますよ、あれは」
「おほほほほ、良き事ではございませんの」
三男さん、やっぱり息子さんだな。背は男性の平均以上ぐらいで、野外スポーツをされているのか日に焼けて、腕の筋肉がそれなりについているけれど、お顔と話し方が、時進誠先生だわ。
「安達太良先生は、二回生の担任をされているそうですね。十九、二十くらいだと、しっかりされているでしょう。私は、三年生のクラスを持っているのですが、まだ子どもと大人の境目で揺れていて、手がかかります」
「いえ、まだ指導がいりますわ。未来に続く道をふさがぬよう、でも、道を外さぬように。ほどほどが、簡単なようでいみじく難儀ですのよ。教育のプロの前で、お恥ずかしい限りですわ」
「プロだなんてそんな。まだ教えて五年です。生徒をひとりひとりみていくこともままならないんですよ。それこそ恥ずかしい話ですけれども、私のクラスに、心配な生徒がいるんです……」
心配、の言葉を耳にすると、僕も気になってしまいます。ちなみに倭文野くん、クラスでは「話しかけやすいしまあまあノリのいい動けるデブキャラ」でしたよ。女子には「暑苦しいヲタクグループのブタ」だったのかもしれないけれど。
「幼稚園からずっと空満だったんですが、病気で休みがちだった時期が、友達の輪を広げていく大事な時と重なってしまったため、同い年の人とどう接すれば良いのか分かりかねている、ようなのです。学期始めの個別面談で『友達とかいらないし』だけ言って、逃げるように出ていったんです。避けられているようで……。不信感を持たれていると思うと、胸が痛みます」
「その生徒には失礼ですが、いじめられてはいませんのね?」
「はい、その生徒に対して仲良くしたいと思っている生徒が何人かいるんです。挨拶は返してくれるようですが、それ以上は関わりたくなさそうだと。クラスの皆は、どちらかといいますと好意を持って迎えているんです」
「その生徒は、長い髪を一本に束ねた女の子、かしら。冬用の体操ジャージをはおった、走りが得意そうな」
三男さんの額から、汗がふき出ていました。
「は……は、はい。ですが、なぜご存知なんですか」
「覚えがあっただけですわ。時進先生」
安達太良先生が、三男さんをまばたき無しで見つめていらっしゃいました。目力、すごいですよね。アイシャドウを塗っただけでは、こんなオーラ出せませんよ。元がお強い目つきなのですよ、おそらく。
「その生徒は……お友達がいて伸びる子ですわ。誰かと親しくなって抱える『苦しみ』を怖がっていますの。関わることは傷つき合うこと、を分かっているお利口な人です」
「独りで何でもできる強さを持っている生徒、彼女もそのひとりではないのか、とも私は考えていました。参考にさせていただきます」
「今後、その生徒をみておきますわ。昔の私みたいで、放っておけませんもの」
「もう一度、追いかけてみます。話をしてみないと、本当のことが分かりませんからね」
三男さんと安達太良先生のような先生、まだ現実にいたんだな。皮肉ではありませんよ、世の中終わっていないんだね、の意味で。進路? 実績? 自分のことしか考えていない先生に当たりまくっていた僕は、ちょっとひねくれていたのかもしれません。先生という仕事、なめてはいけませんよ。世間が大事にしなければならないお仕事ですよ。どこかで「先生つーのは、ウザがられてナンボだ」なんて迷言を雑誌か新聞で読みましたが。いつか思い出すのですよね、先生が何を教えてくれたのか。教科書とか試験対策じゃなくて、授業以外の時間で、それこそなんてことない会話などで、教えてくれた、生きることのいろいろ。
僕は、あの生物の先生が忘れられないのです。余命一年も満たないという大きな病気と闘いながら、僕たちが卒業するまで黒板の前でふんばっていた、あのおじさんが。下ネタはさんでいたけれど、面白かったのです。冗談を言っている裏で、痛みをこらえていたんだと思います。今は、先生が愛していた鯨に生まれ変わっているのかな。大きな太った身体で、食べたい物を、食べたかった物を好きなだけ飲みこんでいるのでしょうか。ありがとう、□□先生。
あとがき(めいたもの)
問:倭文野さんは現役時代、「国語表現」でどんな小説を書きましたか。
答:ボブカットの美女に「赤ちゃんのようにかわいがられる」「逮捕されて共にカツ丼を食べる」「銭湯でなぜか髪を洗われる」「全国野球大会で有名な野球場を貸し切って告白される」の四作品です。うち一作品は、担当の時進誠先生に文書で注意を受けています。だって、同志に「もっとやれ!」と応援されたのだもの! 煩悩は定期的に解放しなければ。
改めまして、八十島そらです。
数名の(頭がそこそこ良くて、身分にこだわり、お給料だけが楽しみの、平和が一番、自分が苦労することは絶対にやりたくない、とにかくいい進路へ無理やりに入らせて卒業すればもう他人、なよくあるタイプの)先生に、面と向かって、指をさされて「おまえは煩わしい生徒だから、おとなしくやっておけ」など一方的に叱られて、信用できなくなった私でしたが、あの先生とだけは、素で話せました。自習の時に描き写したメンデルを「あんた、絵が好きなんか」と褒められてから、私は絵をよく自由帳に描くようになりました。
また、国語表現法の授業では「社会科の先生がテストを作っていると、母が押しかけてきて幼馴染と結婚しなさいと迫られる話」「夕立の中、生きづらさを感じている女学生と、君の未来の婿だよと名乗るアマガエルの着ぐるみ男が出会う話」「高級車を拝借して、なにわのビジネスパークでのし上がろうと頑張るけれど、とりあえず相棒にプロレス技をかけておくかという話」「文房具の文房具による文房具のための星間戦争」をはじめとした、おかしなものを書いていて、最後の課題で褒められて(と思い込んでいる私です)、私はもっとお話を書きたくなりました。
絵が上手な人、文章に光るものがある人は、この世に何千人以上いるのは、事実でありますが、「私は絵を描くのが好きなんだ」「私は何か書くのが好きなんだ」と、自分の好きなことが何かに気づける、気づかせてくれる人がいる、そんな小さな幸せを、ありがたく思っているのです。




