葉月の巻(一)
寝言に返事をしてはならない……と分かっていても、うんうん、忙しいんだね、て言いたくなりそうなところをこらえて、嫁サマーの言葉一言一句を、かしこまって聞いております。「つまり、ポイントは全部支給か一部支給か全部停止か」「同居しているフヨウギムシャ(僕、変換ができなかったのです。法律用語かしら)の所得を確認むにゃむにゃ」「2世帯の場合は」「コウキンショウメイの提出をふがふが」うん、僕の嫁サマーは器用だ!
僕は夢をあんまり見ない方だから、眠りながら話すことはまあ無いと思っていました。ですが、今朝「だーちゃん(ダーリンって呼びたいけれど恥ずかしいから、ちゃん付けなのよ。おだまきの『だ』から取ったとも)、夜に熱唱はやめろ。うるさい」と嫁サマーよりお叱りを受けました。何を歌っていたの? おそるおそる聞いてみたら、3姉妹怪盗アニメのテーマですって……。いやだ、見つめないで。秘密の扉が開いちゃうからー! やめてー! 僕にレオタードは、汗じみが逮捕案件になるからやめた方がいいみたいですよ。
葉月四日 だって、おかしいではありませんか。
書庫の整理のため、共同研究室へ出ました。暑くてペースが下がってしまうも、13時過ぎに終わらせることができ、休憩に。自販機で炭酸水を買いに中庭へ行ったのですが……あれ、なんだか変だな。妙に熱気がひどいぞ。真昼は30度を超えるのが普通、とはいえです、湿り気の無い暑さがきたのですよ。何か燃やしている? そーっと熱の波が生まれるところへ、近づいてみたら…………空中で、大きな火の玉が出ていました。それも、濃い緑色。日中ですよ? 誰もいなかったのですよ? 学内は火気使ってはだめなのですよ? おかしくないですか? 倭文野くんは、幻覚でもみえたんじゃないか、それともこれは脱水症状が始まっているのでは? と思い、ふらつく身体を叱って、スポーツドリンクに急遽変えて、急いで冷房きかせた職場へ戻りました。間に合いました。あそこで火の玉を眺め続けていたら、誰にも発見されずに夏のサスペンス第一の被害者になっていたことでしょう。怖い体験は、本当にあるんだな。帰宅する時、えっ? て思ったのですが、宇治先生と真淵先生の研究室、電気ついていました。いつの間にいらっしゃっていたんだろう。発火の件とは関係……ありませんよね?
あとがき(めいたもの)
事務助手から見た、日文の先生 五、宇治紘子先生篇
僕は、3次元でもドジっ娘に癒やしを感じますよ。宇治先生の、普段きりっとしているけれど、たまに教壇を踏み外して「ああああ」となるところなんて、本朝の宝ですよね。さらさらな髪は、どうやってお手入れしているのかな。倭文野ヘアーは、硬くてワックス不要なのが自慢なのですが、憧れてしまいます。最終講義の自由記述アンケートにも何件かそんな質問が来ているようです。「全然、講義と関係がありません!」と憤慨されていました。
前回の安達太良先生は白いスーツなのに対して、宇治先生は黒いスーツです。とても大柄な方で、一部の学生からは「グラマラスボディ」だといわれています。グラマラスなら僕も負けてないわよ! 黒いファッションよりも、あの常時つけていらっしゃる腕章が特徴的です。教員は必ず指定の腕章をしなければならない、という伝統を守られているのですよ。学部ごとに色が違うみたいですね。文学部は臙脂色です。「文学部 日本文学国語学科」と刺繍されている腕章を見ていると、歴史を感じさせられます。
倭文野くん、宇治先生に親近感をおぼえておりまして。お菓子をね、くださるのですよ。しかも手作り! めちゃおいしい! 特に焼き菓子は……もう市販の物では物足りなくなってしまったぐらいに美味です。マドレーヌ最高、失われた時間を即奪還できるうまさです。餌付けされているのではないか? 失礼な。僕が幸せそうに食べているのを目にするたびに、作る意欲がわいてくると仰っていました。見返りを求めない仲なのです!
改めまして、八十島そらです。昔、理科の先生が仰いました。暑い日は、できるだけ動かない方が暑さを感じにくい……と。室内でおとなしくしている八十島は、のどの乾きに悩まされ、水差しへ這っております。先生、今の夏は、何をしたって暑いです。




