水無月の巻(二)
幼稚園の年長か、小1くらいか、親父と二人でサーカスを見に行ったことがあります。サーカスだからといって、でかでかとしたテントがあちこちに張られているような大規模なものではありませんが。ちょうど僕の地元に巡業に来ていたようでして、役場か町内会かが作ったステージで、ピエロが玉乗りしたり、マッチョなお兄さんが火を吹いたりしていたのです。親父は、ハイレグ(もう今時そういう言い方しませんよね、トホホ)のお姉さんに釘付けでした。「こんな金髪のべっぴんさん、一生に1度しか見られんぞ、穴が空くまでよーう見とけ」翌朝、親父の秘蔵コレクションがゴミ置き場に出され、血の涙を流さんばかりに 回収しに走るあの背中は、僕は大人になっても忘れませんでした。親父、どんまい。いつまでも達者でな(存命です、すぐ会えます)。倭文野ジュニアはですね、親父の金髪好き、兄の童顔好きよりも高尚な、ボブカットの性格美人を愛しているのです。青年向けのコミック雑誌に現れる機会があまりないから、女子高生のファッション雑誌で(僕に買える勇気あるわけないでしょうが! そんなことしたら書店員さんのお笑い種だよ! JKの妹がいる友達に土下座とウサギマークの写真集をお供えしてやっと賜ったの!)どうにもできないぼやぼやした思いをすっきりさせていました。結婚してからは、煩悩を消し去るために家族にばれずに処分いたしましたよ。嫁たん以外の女は、もういらん! 全員かぼちゃだ! でもな、嫁たんには「嫁」なるものが複数人いて・・・・・・最近のお気に入りは、白い大きな帽子と白いマントに包まれた巫女さんなのですって。嫁たんは僕のもの! 嫁たんはあなたのものではありませぬ!
水無月八日 見世物小屋とか言ったら世代ばれるぜ、ゆやゆよよん
義務教育の「国語の時間」は、サーカスがお好きなのでしょうか。小学校では、老いたライオンが1人の小さなお客さんと出会って、心を再び燃やし、奇跡を起こしたお話が、中学校では、誰も成功させたことのない技をどうしてもしたい、人気であり続けたいブランコ乗りが、謎の薬を飲んで、これまた奇跡を起こすお話が教科書に入っているわけなのです。僕の時代もそうでしたが、今は教育方針がどうのこうの、改訂が、などで除かれてしまっているのですかね。
といったことを、近現代文学ご担当の森エリス先生と語っていました。
「サーカスは、異界のイメージを持たれやすい。ゆえに、奇跡が起こるのではないだろうか」
分かる気がします。サーカスは、どこか世間から離れたもの、という感じがありますよね。奇跡、ライオンは小さなお客さんの危機を救うために、火の中を再びくぐれましたし、ブランコ乗りは難しい空中4回転を見事成功させましたし。共通して気になる点は、主役のどちらもその後、姿を消すのですよね。遠くで生きているのか、それとも、もう会えないのか。
「奇跡とは、現実においても、物語においても、何度も成し遂げられない」
好きなように奇跡が起こったら、奇跡とはいえなくなりますからね。だから主役は舞台を降りるのでしょうね。
「主人公の誇り高き生き方は、姿を見失っても、読者と登場人物に焼き付けられるであろう」
あの時の教科書は、親に整理されてもうどこにもないけれど、なぜか頭の片隅に残っていました。それだけ作者が優れている、ということですね。僕は、創作する人間ではないし、小説を読んで解説できるほど深く勉強はできていないし、文学の研究者ではないけれど、物語の持つ良さは理解できます。よく文学部は学んで役に立つのか? と言われますが、役に立つか立たないのかの問題はさておき、読む楽しみが、増えます。考えの幅も広がります。僕は、日本文学国語学科に来て、後悔は無かったですよ。
あとがき(めいたもの)
問:倭文野さんが今度、奥さんと行きたい所はどこですか。
答:大都市・泰盤市の駅ビルです。飲茶バイキングとケーキバイキングの同時開催を、攻略したいとうずうずしています。
改めまして、八十島そらです。季節の変わり目は、体調を崩しやすくてつらくなります。この時期は毎年のどを痛めてしまって、数日間声が出なくなるのです。どれだけ対策をしても、必ずかかってしまいます。緊迫したこの世の中、申し訳ない気持ちでいっぱいです。紛らわしくて、ごめんなさい。




