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皇紀八三七年刈月二日(聖暦一六三―年十月二日) 九時〇〇分
アキツ諸侯連合帝国新領拓洋特別州拓洋市郊外烽火山 寂峰荘(特務機関本部)
機関長室に集まったのはトガベ少将の他に顔に雪焼けがまだ残る三人。オタケベ・ノ・ライドウ少佐とシスル。そして民間人になった私。
ユイレンさんに選んでもらったあの服は、さすがにこの場に似つかわしくないので空色の夏物の上着と女袴という、まるでどこかの会社の事務員さんみたいな恰好になったけど、軍服はみんな返納したので仕方がない。
少佐は陸軍の濃緑色の軍服を少し着崩して身に着け、シスルは陸軍雇員の制服姿。幼年学校の頃の私を思い出してしまった。
何時もの羊角の美少年当番兵がお盆に乗せて運んできたのは銘酒『薫風』(と、シスルにはリンゴ果汁の炭酸割)
それぞれが盃を捧げ持つと少将閣下が宣言した。
「本日、本時刻をもって『禿鷹挺身隊』はその任務を終了し解散する。皆、ご苦労だった。乾杯」
黙って全員盃を干す。芳醇な香りと酒精の熱さが胃の中に落ちてゆく。
「で、同盟の連中は測量を始める気になったんですかねぇ?」と誰の許しも得ず勝手に一升瓶を傾け自分の盃を満たす少佐。
「ああ、来年の華月に測量隊をオルコワリャリョに差し向ける予定だそうだ。主力はウンハルラント第一山岳猟兵旅団。隊長はアイロイス・フォル・シュタウナウ大佐」
大佐、クビに成らなかったんだ・・・・・・。なぜかほっとする。
「そうそう、同盟の『委員会』からこちらに対し、案内役として初登頂を果たした『禿鷹挺身隊』も参加させろと打診してきたが、無論、丁重にお断りした『禿鷹挺身隊?ハテどこの何者共でしょうかねぇ?当方、全く持ってあずかり知らぬ事でありまして』とな。オタケベ少佐、要らぬことをしたかな?」
聞かれた少佐は千切れんばかりに首を横に振る。
「悔しいな、本当に悔しいな、姉ぇが指まで無くし軍隊をクビに成っても、あの山を最初に登った人間として世間に認められないなんて。悔しい」
杯を割れんばかりに握りしめ、我がことの様にシスルは悔しがってくれる。
ありがとうね。でも、私、クビじゃないから!依願退役だから!
「いいのよ、別に、それにそもそもあの山に最初に登るべきなのはラチャコ君たちイェルオルコの人たちなのよ。そのことが全球中に伝えられただけで私は満足。ま、全く悔しくないかって言えばウソになるけど、ね」
少佐は、また勝手に一升瓶を取り上げ、空になった私の盃に満たしながら。
「なに、もともと登山って言うのはよぉ、全く持って個人的な行為なのさ、そこに世間様のクソ下らねぇ事情がゴチャゴチャ絡んでくるだけの事よ。シィーラ。あの山はお前だけの山でもあるんだ」
お前だけの山、か・・・・・。
黙って頷く。
ふと、気になっていたことがあって、少佐に聞いてみた「ラチャコ君たちは今どうしてます?」
「特務の秘密訓練所で無線機の使い方や爆薬の扱い、語学に政治学、戦闘外傷救護、その他諸々をお勉強中だ」と少佐「吾も時々行って格闘を教えている。約束だからな」とうシスルも答える。
そうか、まだ彼らの戦いは続くんだ。北の人たちの都合で。
「君が全球中に流した言葉だがな、今や南方大陸だけではなく北方大陸の各地に暮らす少数民族たちの間でも相当な話題になっているそうだ。原住民や少数民族の権利を高らかに主張した名言だとな。君は意図せずして彼らの誇りや憤りを代弁して拡散させた。憲兵司令官の杞憂はまんざらでもなかった様だ。これからこれは新しいうねりになるかもしれんな」
そう盃を弄びながら少将閣下は、意味ありげな笑みを浮かべ私を見つめる。
それを私は真っ直ぐに見つめ返す。
寂峰荘の玄関まで少佐やシスル。それになんと少将閣下も私を見送ってくれた。
出て行こうとする私の前に突然シスルが立ち塞がり「姉ぇよ、しゃがんで、しゃがんで!」とまるで幼い子供の様に駄々をこねる。
仕方なく彼女の目の前でしゃがんでやると、不意に手を伸ばしてきて私の二股角を撫でて来た。
お返しに私も彼女のカモシカ角を撫でる。ちょっとごつごつした、先の鋭い黒くてでも綺麗な、この子の様な角だ。
「姉ぇよ、なにか危ない事があったら、遠慮なく吾をよべ。姉ぇは吾のもう一人の姉ぇで命の恩人だ。ライドウの次に大事な人だ」
自然と彼女を抱きしめていた。もじゃもじゃな黒髪のその下の額に自分の額を押し当てて「わかったよ。私の新しい妹」
彼女を放し、あえて振り向かずに寂峰荘を離れる。
背後から少将閣下の声が聞こえた。
「最近、特務と契約した民間企業に君を知っている者が居るそうだ。今日も装備部のクレンサップ中佐と打ち合わせに来ていた。門の外にある車で待っているらしい。乗せてもらいたまえ」
・・・・・・?誰だろう?




