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聖暦一六三―年八月十六日(皇紀八三七年華月十六日) 九時三十分
オルコワリャリョ山頂付近
そこは傾斜が有るものの、ちょっとした高原状の地形になっていた。
決して解ける事が無いであろう氷に覆われたその斜面の先には、まるで人工的に置かれた祭壇の様な岩が突風に吹かれ立っている。
あれが標高七四九七.五 米、オルコワリャリョ山頂だ。
岩の上に小さな二つの人影と、大人の上半身ほどの大きさの四角い箱が見えた。
シュタウナウ大佐は自分たちの敗北を確信した。
禿鷹は成し遂げたのだ。
なぜか、悔しさや怒りの感情は湧いてこず、代わりに清々しいあきらめと禿鷹たちへの敬意の念だけを感じる。
双眼鏡を取り出し観察すると、箱の前に立つのはイェルオルコ族、背格好からすると少年であろう。反対側、つまり箱の裏には白い羽毛服を着た小柄な人物。女性か?なら彼女が禿鷹挺身隊隊長シィーラ・ルジャ・シャルマか?
部下たちに全身の一端中止を命じ、五人一組の一列横隊を四隊組織させ、白兵戦の用意をさせる。
火器は一切装備していない。唯一の火器であったデンツァー少佐の拳銃も谷の底だ。
まるで中世のガルマン騎士の様に、氷斧を胸の前に構え整然と整列する部下とデンツァー少佐に向き直りシュタウナウ大佐は命令を下した。
「栄光なる『犬鷲旅団』の将兵諸君、我らに敗北の苦渋を味わせてくれた『禿鷹挺身隊』にせめてもの意趣返しをしようでは無いか、総員、前進!」
足並みをそろえ、鉄カンジキで氷を踏み鳴らし粛々と前進する。
山頂の方から二つの人影がこっちにやはりゆっくりと降りて来た。
一つは百八十 糎はあろうかという偉丈夫。手にした氷斧を肩にひっさげのしのしと近づいてくる。あれがオタケベ・ノ・ライドウ少佐か?自分たちが中世ガルマン騎士ならば、彼はさしずめ古のアキツのサムライと言った所だろう。
もう一人は小柄な少年。手には切っ先が鉤状になった蛮刀、少女の様に美しく整った顔は毛は無くイェルオルコの者では無いだろう。
それにしても、二十人に対して立った二人で立ち向かって来るとは!馬鹿にされているのか?それで十分なほどの戦闘力の持ち主なのか?
デンツァー少佐が大声を張り上げ少年に向かって突進する。
氷斧を大ぶりに振りあげ少年の頭を砕こうと振り下ろされるが、見事に半身で交わされ代わりに蛮刀で膝がしらを切りつけられ、冷たい氷の上に叩きつけられる。
血飛沫が上がらない所をみると嶺打ちを喰らったようだ。少年はご丁寧に哀れなデンツァー少佐の延髄に止めの嶺打ちを叩き込む。
第一大隊長に率いられた四人が一斉に少年に襲い掛かるが、繰り出された氷斧の刃や石突、柄はことごとく空を切り、毎を舞うように繰り出される蛮刀の斬撃に腕を弾かれ、鳩尾を抉られ、延髄を打ち据えられる。そしてこれも皆嶺打ち。死人を出すつもりは無いらしい。
オタケベ少佐はガンヅ特務曹長と格闘している最中だった。
徒手格闘術の教官も務めるガンヅ特務曹長だが、オタケベ少佐も一歩も引かず繰り出されてくる拳や蹴りを手足を巧みに使いすべていなし決定打を撃ち込ませない。
ガンヅ特務曹長が大きく一歩踏み出し、拳をオタケベ少佐の顔面に送り込む。
が、彼はこれを狙っていた。
身をかわしてガンヅ特務曹長の腕を取ると、我が身を翻しつつ相手の革帯を握り、脚を払い横に向かって投げ飛ばす。
まほらま人の伝統的な格闘術『柔』だ。
氷の大地に投げ飛ばされたガンヅ特務曹長は、強かに頭と背骨を打ち気絶してしまった。
その間にも少年が五人の山岳猟兵を倒し戦力は半減。恐ろしく強い子だ。
羽毛服の頭巾がいつの間にか脱げていてその容貌が露になる。黒い短いちじれ毛に短い黒い角が二本。顔立ちをよくよく見ると少女だった。改めて驚かされる。
「あなたが、旅団長のシュタウナウ大佐殿であられますか?」見事な発音のガルマン語で問うてくるオタケベ少佐。
「いかにも、自分が第一山岳猟兵旅団団長のアイロイス・フォル・シュタウナウ大佐だ。君が、オタケベ・ノ・ライドウ少佐だね?」
日焼けと軽度の凍傷でボロボロの顔をほころばせ少佐は応えた。
「左様です、大佐殿。ところでご提案何です、これ以上の戦闘は無意味と思うのですが?どうです?ここで私たちを見逃していただけませんかねぇ」
そう実に面白い事を言う彼の横で、少女はまるで彼の忠実な番犬の様に物凄い気迫がこもった目で大佐を睨みつけている。
その有様も少佐の物言いも実に愉快に思えたシュタウナウ大佐は。
「君たちの健闘と素晴らしい登山技術に敬意を表し、提案を受け入れたいのは山々なんだがね、しかしそうすると私が偉大なる終身大執政閣下に怒られてしまうのだよ。残念だが君たちを不法越境者として逮捕する」
「まったく残念ですね大佐、私も捕虜になんかなっちまうと、怖い怖い女上官に怒られますんでね。それにこっちには可愛い女の子が二人も居るんです。辱めを受けさせるのは忍びない」
「安心したまえオタケベ少佐。我々山岳猟兵はそこで伸びてる民族防衛隊のゴロツキと違って紳士だ。君も含め下へも置かぬ扱いを約束する」
「そうですか、なるほど・・・・・・。でも遠慮させていただきますよ」
いうなり彼は懐に手を入れると、濃緑色いちさな円筒形をこちらに放り投げてきた。
手榴弾!
硬い氷の上に落ちたそれは一度跳ね上がり猟兵たちの頭上で舞う。胸の高さまで落ちて来たところで大佐は反射的に抱き留め覆いかぶさろうとする。部下たちもそれに倣う。ここで炸裂すれば周囲に転がる戦友が無事では済まない。
上に覆いかぶさった部下たちに身動きが取れなくなった大佐は、自分の腹の下にあるブツに違和感を感じた。
「どけ!どきたまえ!」そう叫んで部下たちから解放されると問題のブツを拾い上げる。
・・・・・・魚の缶詰だった。
見上げるとオタケベ少佐も少女もはるか向こうまで逃げている。
大佐はふと彼の異名を思い出した『インチキ隊長』
思わず苦笑いがこぼれた時、爆音があたりの空気を震わせた。
山頂に置かれた箱が吹き飛び炎と黒煙を上げている。




