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四時間後、なだらかな裾野は終わりを告げ、良いよ峻嶮な急登に入る。
ここでも先頭に立つのは少佐。先に進んで露出した岩や硬い氷に杭を打ち込み、綱を繋いで下から登って来る私たちを登らせる。
これをひたすら繰り返しオリャンタン砦のある山に陽が落ちる前には何とか天幕が張れそうな平地にたどり着いた。
平地と言っても十坪も無い。そこに四人用の天幕を四つ張り潜り込む。
中は人と荷物でそれこそ足の踏み場もないけど、石油こんろを焚けばなんとか一息つける暖かさになってくれる。
私の天幕はいわば司令部天幕的な扱いで、少佐とシスル、それにラチャコ君が使う事になった。体の大きな大人の男の人は少佐だけ。他の三つの天幕に比べれば広々使える。
夕食はあの訓練の時にもお世話になった男性用避妊具に入った食脂。これに干した馬鈴薯と乾酪を入れて煮込んだもの。
疲れすぎて食欲がわかないけど、何とか無理やりにお腹に入れる。他の三人は相変わらず食欲旺盛。もっと食べたそうだったけど少ない食料を食い延ばさなきゃダメな都合上おかわりは禁止だ。
コンロも明かりも消して羽毛の寝袋に潜り込む。明日は日の出と共にまた急登を詰め登りオルコキンジャの頂を踏む。予定。
その夜、私はまたピニタの夢を見た。
私と彼女はなぜか拓洋の街に居て、月桃館の女主人ユイレンさんと一緒に買い物をしているのだ。
服やら装身具やら化粧品やら、色々な物を次から次へと買い込んで、皆愉快に笑いながら迎えに来た辻待ち自動車に乗り込む。
車内で不意にピニタが言い出した。
「お姉ちゃん、これでおめかししてあっちに行けるよ。連れて来てくれてありがとうね」
なんて怖いこと言うの!と、嗜めようとした途端。私は辻待ち自動車の外に居て、ピミタが窓から手を振っている。
走り出した車を追いかけようと駆け出すが、突然肩を掴まれ止められる。
目に痛いほど真っ白な軍服を身にまとったトガベ少将閣下。
閣下は私を見下ろし、冷たく言い放つ。
「生命とは絶対的に不可逆的な物なのだ。追うな。思うな。忘れろ。捨てろ。決して後戻りできないモノに心を捕らわれるな」
目が覚めた。強烈な頭痛にせりあがって来る吐き気。おしっこ用に取って置いてある空き缶に向かって吐き出す。
視線を感じて隣を見ると、シスルが寝袋の中から私を見つめていた。
「姉ぇよ、また妹の夢を見たのか?」そう訊ねる彼女に「うん」とだけ答える。
今度は「吾に何かできことはあるか?」と聞いてくる。優しい子だ。こんな子が一騎当千の強者と言われても、あのラチャコ君を全く寄せ付けない強さを見せ連れられても信じられない。
私はしばらく考えていると、彼女は不意に起き上がり、私の二股角に触ると優しく撫でだした。
「吾の姉ぇが、吾が稽古で怪我したり、試合に負けて泣いて帰って来た時、よくこうして角を撫でてくれた。撫でられたら不思議と気持ちが落ち着いた。姉ぇも落ち着くか?」
確かに、角に感覚器官は無いはずなのにシスルの手のぬくもりが感じられて、不思議と心が穏やかになる。
黙って撫でられるままにしていると、不意に眠気がやって来た。よく眠れそうだ。
「ありがと、落ち着いて来た。ちゃんと眠れそうだよ」と伝えると彼女は嬉しそうに笑い「良かった」
ふと、この子がいつも下げ、何かあるごとに握りしめる首飾りを思い出す。
「ねぇ、何時も首から下げてるあれって、何なの?お守り」
つぶらな瞳で私を見つめつつ、寝袋の下からあの首飾りを出して来た。
よく見ると、彼女に生えてる角とよく似ているが若干長い気がする。
ああ、これは形見だ。
なぜだか直感できた。
「これは、吾の姉ぇの角だ。遠い所で亡くなって、角だけ帰って来た。姉ぇを看取り、角を連れて戻してくれたのがライドウだ」
どういう経緯があるのか?これ以上は聞く気はなかった。
角の事を、自身の姉の事をかたるその口調に、悲しみがにじみ出ている。
シスルは不意に伏せていた視線を私に向けると。
「そうだ、吾の姉ぇにも、シィーラの事を守ってくれるようお願いしよう。吾の姉ぇも、姉ぇと同じように頭が良くて優しい女だったから、喜んで守ってくれる」
と、まじめな顔でそう言う。
「ありがとね、頼もしいなぁ、これで作戦は成功間違いなしだよ」
私がそう答えると、シスルは一度だけ大きくうなづくとまた寝袋に潜り込みさっさと寝息を立て始めた。
私も寝袋を引っ被って目を閉じる。
そうか、この子も大事な人を失っていたんだ。




