1 新生活にはそれなりにお金がかかる
新しい章に入ります。
閉じた瞼を通して伝わる朝日で、朝を迎えたのを感じる。
昨夜の急な来訪者のせいで浅い二度寝から目覚め、いつものように喧騒に溢れる街道を窓から眺める。相変わらずこの町は朝から元気だ。
―腹減ったな。飯食うか?―
ベッドの片隅で丸くなっているオルに声をかけるが、返事がない。そういえば、昨夜のゴタゴタの時も寝ていたな。死んでるようには見えないから放置しとこうか。
まだ寝ぼけ眼ではあるが、おもむろに取り出したタブレットをポチポチして鋭い眼光を光らせる。
この世界で家を建てるか……
一応町の風紀を乱さないよう在来工法はやめておいたほうがいいだろうか。それに、あまりに凝ったものにすると人目を引きすぎて新築依頼がくるのが恐ろしい。
「……これだな。これなら素人でも建て方は分かりやすいだろ。」
俺の手持ちの範囲で買えそうなキットをブックマークしておく。今ここで購入すると、いつものように品が搬入された瞬間エルシュさんの家が破壊されてもおかしくないだろう。
―おい。そろそろ起きろ。今日から忙しくなるぞ!―
―……むお? もう朝か。珍しくやる気だな―
―ふっ。いよいよ家を建てる時がきたんだ。お前にも手伝ってもらうことが……ないかも―
―まあ必要ならばワシを呼ぶのだ。だが、たぶん役には立たぬぞ―
そう言うとオルは背中を向けて再び惰眠をむさぼり始めた。
―だろうな。忙しい時は猫の手も借りたいって言うが、お前の使い道が思い浮かばないわ―
再び起こすのも面倒なのでオルはそのままにして部屋から出る。
その後ニーチェとエルシュさんに挨拶を交わし、朝飯を腹に詰め込んでグラーシュさんの店に向かう。
ニーチェから以前聞いたのだが、この世界ではガス、水道、電気といったものは存在しない。すべては魔術具でまかなっているそうだ。
生活に必要なこの種の魔術具はあらかじめ魔素が込められていて、およそ10年ほどは稼働するとのこと。
まるで家電製品だな。
「おはようございます! グラーシュさんいますか?」
俺の声に反応してグラーシュさんの店の扉が開く。
「おやキノくん。朝早くからどうしたんだい?」
扉の奥から両手にスライムのようなドロドロの物体を付着させたグラーシュさんが出てきた。
「近々家を建てるので、水と火をおこす魔術具、あと照明になる魔術具を買いに来ました。って……どうしたんです? その両手についてるのは……」
「ああこれかい? ちょっと新しい魔術具を作ってたんだけどね。魔素の伝導が悪くて破裂しちゃってさ。ま、とにかく中に入りなよ。」
グラーシュさんに促されて店内に入り店の奥に案内され、使いやすい照明具とかまど?みたいなものを選んでもらう。
「これらはすぐに設置できるけど問題は水なんだよ。キノくんが建てる敷地の地中に穴を開けてまず井戸を作るんだ。それからこの魔術具を設置して完成だよ。」
グラーシュさんが指差した物は手押しポンプのような真鍮製の汲み上げの魔術具だ。話によるとレバーを押すだけで自動で水が汲み上げられる仕組みだと。
「オルーツアは水には恵まれているから、水脈には困っていないんだよ。だけど、水脈に当たるまで掘り進めるのがね。」
渋い顔をしながらため息をつくグラーシュさん。
「どのくらいの深さまで掘ったらいいんですか?」
「ざっと500メートルくらいかな。職人でも半年はかかると思うよ。」
……なんてこったい……
「井戸は俺のほうでなんとかしますからとりあえずこの三つを買わせてもらいますよ。」
「まぁキノくんならなんとかできるだろうね。この三つで96万Gだよ。」
代金を支払いカバンに魔術具を詰め込んでいると、店の外から聞き慣れた声が聞こえた。
「グラさんいる~?」
扉を開けて入ってきたのはネシャとニョロゾだった。
「おろ? キノがグラさんとこにいるとは。どうしたんだい?」
「二人からもらった土地に家を建てることにしたから、必要なものを買いにきたんだ。二人はどうしたんだ?」
「ニョロゾの友人が貿易商してるんだけど、今度こっちに来るからグラさんが欲しいものを聞きに来たんだよ。にしても……また派手に散らかしたね!」
「ははは。気をつけてね。足元にも散乱してるから滑らないようにね。」
うおっ! 全然気づかなかったが足元はあのドロドロの海だ。
「じゃどんな家ができるのか楽しみにしているよ。悪いけどこれから二人と混み入った話をするから席を外すね。」
「分かりました。ありがとうございました!」
三人に挨拶をして店を出る。
必要最低限のものは揃えたが……井戸堀りか。
さてさて。これを解決しないと話が先に進まないな。ボーリング機材があれば地盤が固くなければ数日で掘ることはできるだろうが目立ちすぎる。
かと言ってスコップで掘るわけにもいかない。
どうすれば……
―おい。ワシを置いていくとはどういうことだ。まず何か食わせろ―
ふと足元を見ると家でくつろいでいたオルがいた。
うむ。こいつに任せてみるか。
―オルよ。穴堀りは得意か?―
―……お前はワシをバカにしておるのか? 穴堀りなんぞしたこともないわ。そこらを歩いている野良犬にでも頼むがよい―
―だいたい500メートルくらい掘るんだ。そうしないと新しい家で水が飲めないんだ。いいのか? 水が飲めないんだぞ?―
―むぅ。それは困るな。だが神獣であるこのワシが穴堀りとはな。見返りは何だ?―
―そうだな。肉と魚の解禁と……あとは旨い卵料理だ。どうだ?―
俺に背を向け尻尾の毛を膨らませたオルは一言しか口にしなかった。
―ぐずぐずするな。案内しろ―
……オルさんや……神獣としてのプライドは?
―じゃこの辺りに穴を堀ってくれ―
大体この辺りが台所や風呂、トイレになるであろう位置を示す。
―うむ。すぐに済ませるからな―
そう言うとオルは深く息を吸い込み、地面に向けて声を発せぬ雄叫びをあげた。
ドンッ!!!
周りの家々が揺れるほどの衝撃が広がり、凄まじい土煙が舞い上がる。
「何だ何だ!?」
「魔物の襲来か?」
「空から何か降ってきたんじゃねえのか!?」
あまりの衝撃に近所の方々が集まってきた。
―これでよいか? ほれ水が沸いてきておるぞ―
土煙が晴れたそこには、コポコポと綺麗な湧き水と、自慢げにふんぞり返る茶色になったオルが佇んでいた。
うん。オルに頼んで正解だったな。
やはりオルはすごいです。




