19 他人に薦めたいものは意地でも薦めるに限る
「いや~なかなかの災難じゃったな! あの時恐怖に怯えるキノの表情は傑作じゃったわい!」
「ったく……災難どころの話じゃねえよ……マジで命の危機を感じたわ……」
「くくくっ♪ だから言うたであろう? ワシに護衛なんぞ付いたら面倒なことになるとな?」
「いやいや……俺はお前の護衛でもなんでもないからな。にしても、お前ってお姫様だけあってカリスマありすぎだな。。。街の皆さんのあの眼差しはまるでアイドルだぞ?」
「アイどる? というのはよく分からんが、民に愛されているのは自覚しておるぞ。民らもワシに接する機会なんぞ一年に一度あるかないかだからこのような場で会えるとも思わんじゃろうのぅ。」
「たまにこうやって城下に足を運んでも、ワシの絶妙な変装で今までバレたことは一度もないのじゃ!」
「……いや……あれが変装と言えるかどうかは俺の口からは言えないが……さっき帽子が飛ばされただけで一発でバレたよな?」
「ま、まぁあれは風のいたずらじゃ。しかしとんだ一騒動で足止めしてしまったな。。。ほれあと少しじゃぞ!」
多くのギャラリーを集めたネルのお忍びは、一度城に戻るように見せかけて再び一目を避け、呆れ顔のキノと続けられていた。
余程彼を連れて行きたい場所があるのか、少しばかり軽い足取りのネル。街行く人々は自国の王女が自身の横をすれ違っているのを気づくわけでもなく皆それぞれの道をそれぞれの歩幅で歩んでいる。
「おおぅ……ここは……すげえなぁ……」
城から続いていた煌びやかな街並みが終わり、一回り大きな通りを渡ったその先に開かれた景色にキノの目は爛々と輝いた。決して整った街並みではない。
だが彼の目の前に広がるのはまるでアミューズメントパークのような喧騒な賑わいを見せている。そして人々を惹き付ける無数の店舗。鼻腔をくすぐる様々な料理が並ぶ屋台があれば、決して高価とは言えないと思われるが売り台にきれいに並べられたアクセサリーや骨董品。さらに冒険者が身に纏うような服飾品すら陳列されている。
オルーツアや王都でも目にしたことがない賑やかな空間がそこにはある。まるで街があるのではなく、街が生きているかのように熱気に溢れているのだ。
「キノよ。ぼ~っとしておったらはぐれてしまうぞ! よいか! ワシについてくるのじゃ!」
人波に流されぬよう、人波に逆らわぬようネルは小川のせせらぎで泳ぐ魚のように軽やかに歩んでいる。その後ろ姿を見失わぬようキノは必死に彼女の背中を目で追い、街行く人とぶつかりながら進んでいく。
「ち、ちょい! もう少しゆっくり……ふがっ!」
「おい兄ちゃん! ちゃんと前見て歩け!」
「すいません!」
「あたた……活気ありすぎだなこの街は……ぐほっ……」
「おいおい! こんな所で突っ立ってたら怪我すんぞ!」
「ひぃ! す、すいません!」
この世界に来る前、つまり日本にいた時に幾度となく味わった朝の通勤ラッシュを思い出しながらやっとの思いでネルについていくキノ。
「おいっ! ま、まだかっ……? この人混みはきっつい……」
「これしきのことで情けないのぅ。あそこまでしっかり歩け!」
ネルが指差す先には周りよりも一際賑わいを見せる店が見える。店というよりも、雨をしのぐ大きなテントが備えられた屋外立呑屋に近いものといえるだろうか。
店は満席に近いくらい賑わっているがちょうど二人掛けのテーブルが空いているのを見つけると、滑り込むように席に着くネル。
「ふぃ~腰をおろせてよかったわい! ここはなかなか旨い料理を出す酒場じゃぞ。もちろんキノの料理には敵わぬがな。注文は……ワシが決めてよいか?」
酒場と聞いてこれまでの疲労が吹き飛んだキノはコクコクと首を縦に振る。
「マスターよ! 来たぞ! いつものやつを頼むのじゃ! 二人分じゃ! ソースは多めじゃぞ!」
「おぅ! エルちゃんか! ちょいと待ってな。それから……いつも言ってるが俺はマスターじゃねえぞ。ここではオヤジって呼びな! 下町でマスターなんて呼ばれたら恥ずかしくて買い出しにも行けやしねえぜ!」
慣れた様子で注文するネルに、これまた慣れた様子で返す店主らしきオールバックに顎ひげを蓄えた屈強な男性。
「まったく細かい男じゃのう。見た目からして、かの男はマスターと呼ぶ以外にないと思うが。のうキノよ?」
「……確かにあの人のあの姿はマスターと呼ぶしかないよな。いや呼ばなきゃならない気もするが……で、聞きたいんだが……さっきマスター……じゃない、オヤジさんがお前のことをエルって?」
「うむ。本名を名乗ったりしたら一目を集めかねないし、変に勘ぐられるのもあれだからのぅ。それゆえ……」
「わかった。絶対間違えないようにする。むしろお前の名前は街中じゃ呼ばないほうがいいかもな。」
「頼むぞ。この下町で素性がバレたら人生の半分は失うのと同じじゃ。」
「そんなにか!?」
「嘘ではないぞ。退屈だらけの城や堅苦しい城下町に比べてこの下町はいつも笑顔でいられるからのぅ! 飽きもせずいつ来ても新鮮な気持ちになれるのじゃ。」
屈託のない笑顔を見せながらネルの声は弾む。店にいる客の中では二人が最も年下だろう。様々な料理と酒の匂いが店の中に充満している。それに店内に響き渡る酔いが回った客の会話がバックグラウンドとしてなぜか心地よく耳に入ってくる。
「どうしたのじゃ? 心ここにあらずといった感じに見えるが?」
宙を見るキノに問いかけるネル。ふっと我に返ったキノは軽くため息をつき言葉を紡ぐ。
「なんか……俺が以前、いやこの世界に来る前にはこんな店が至るところにあったんだよ。旨い酒と旨い料理を出す店さ。仕事終わりに一杯やるために日中しこたま働いて、一日の疲れを癒すためにな。」
どことなく寂しげに笑みを浮かべるキノの表情にネルは思うように言葉が出ない。何をどう問いかければよいのか。
この世界に生まれ育ったわけではない目の前の男。
自分やこの世界に住まう人々と違い、魔素すら持ち合わせていない貧弱な男。
この世界に来て全てを一からやり直している不屈の男。
「俺が育った世界はな、魔法や魔術、魔物っていったものは存在してないんだ。俺と同じ特に秀でた能力や力がない人間が普通に暮らしてる。ただそれだけなんだ。」
ネルが言葉を返す間もなくキノが言葉を続ける。
「何かをやりたい、自分の人生の中で目標を持って努力する奴らはたくさんいるが、ほとんどは叶わぬ夢となってただ日々生きてるだけの生活に追われてる。俺だって何が楽しくて生きてるのか分からなくなる時があったからな。」
「まぁこんなことお前に話してもただの愚痴になっちまうけど前の世界は自由が限られてた……いや、ほとんどなかったかな。いつも時間に追われ、いつも時間を気にして……自分がやりたいことが心から薄れていくっていうか……」
自分が場の空気を重くするような話をしているのにはっと我に帰りキノはあたふたと言葉を続ける。
「うおっと! 悪いな! せっかくお前が連れてきてくれた店でこんな話してもしようがないな。そうだ! さっき頼んだのはいつものって言ってたけど、他におすすめ的な料理があれば食べてみたいんだが……」
《変に気を遣わなくてもいいのに》と心の中では思いながらも、ネルはテーブルのメニューをおもむろに開いてキノの前に差し出した。
「お主がいた世界と同じように注文するがよいぞ。ワシにとってはすべてがおすすめじゃがな!」
そして彼女はニヤリといやらしく笑みを浮かべた。