18 身分が違えばややこしいことはいくらでも出てくる
「すっげ~な……オルーツアとは比べものにならんくらいに栄えてるな。」
まるで都会に初めて来たお上りさんのようにキョロキョロと街並みに目を泳がせるキノ。無理もないだろう。オルーツアのように高くても三階建ての建造物だらけではなく、ゆうに10階建てはあるであろうゴシック調の建物が所狭しと建ち並んでいる。
「だろう? まぁこの辺りは城下町のなかでも様々なギルド関係者や施設管理業務に携わる者らが出入りするのでな。大層ご立派に見えるが、他国からみすぼらしく思われんようにある程度の見栄を張っているようなものじゃ。だが、民達が住まう地区もなかなかのものじゃぞ? せっかくじゃからこの国の生活環境を覗きに行くのはどうじゃ?」
自国を誉められ調子に乗ったのか、ネルは軽くスキップをしながら鼻歌交じりに街道を歩く。城にいるときと違い、深々とテンガロンハットのような帽子を被っており、まるで街行く人々に自然にあわせたようなカジュアルな服装で身を包んでいる。だが、彼女の持つ王家のオーラなのか街の人々にはない気品に溢れている。
「だな。昼はゆっくりこの地の名物みたいな物なんか食べたいし、ネルの育ったこの街を見てまわるのも悪くないな。ちなみに……」
「お前って一応この国のお姫さまなんだろ? 護衛もつけずにうろついて大丈夫なのか? 人さらいとかないくらい安全な町なのかよ?」
まわりに聞こえないよう小声でネルの耳元で囁くキノ。その距離が近すぎるせいか少しどもりながらネルは返事をする。
「そ、それはだな、ワシに楯突こうなどと考える愚か者なんぞこの国にはおらぬぞ。例えいたとしても返り討ちにしてやるわ! キノもワシの強さは十分承知であろう?」
《あ……そうだった……ネルって規格外の強さだったの忘れてたわ……。親父さ……いや国王ですらあんな扱いしてしまうんだしな……》
冷や汗が背中を伝うのを感じながらキノは彼女の所業を思い起こした。初めて出会った時からこれまでのネルの行いは一般的な者からすれば確かに規格外であった。余程の手練れでなければ、もしくは命知らずでなければきっと彼女とは面と向かうことすらないだろう。
「それにな、護衛なんぞ連れておったらわざわざその護衛の心配をしなければならんという面倒事が必ず……あっ……やばい……のじゃ!」
風のいたずらか、ネルの被っていた帽子がふわりと脱げ自身の赤い艶やかな髪がはらりとこぼれる。
次の瞬間、彼女に目がいった街の人々が口々に声を上げだした。
「はっ? もしかして ネ、ネ、ネル王女ぁ!?」
「まさかそんな……って! ええっ! 本当にネル王女様がっ!?」
「マジか!? な、なぜ城下町にお越しになられ……!?」
「うおおおっ! まさかネル王女にお目にかかれるとはっ! もう死んでもいいっ!」
「うわあっ! うわあっ! ネル王女様すっごい綺麗!」
「ち、ちょっ……感動して涙が……」
街の皆の視線がネルに注がれる。そして鳴りやまないネルへの崇敬の念がこめられた感嘆の声。いたたまれなくなったのかネルは下を向きもじもじと体をくねらせている。
まさかここまでネルが人々に愛されているとは思いもよらないキノは、この騒ぎに若干どころか大いに引いていた。
「ネ、ネルって滅茶苦茶人気者だな。っていうか、よく考えたら一国の王女が街をぶらつくなんて普通の人なら考えられんし。にしても……どうすんだよ!? この状況を!」
どこから沸いて来たのか、ネルを一目見ようと人の輪が幾重にもなり二人は先に進もうにも歩む道すらない状態だ。
「ネル王女! どちらに行かれるのですか!? 私めが案内を……」
「いやいや! 案内なら俺が! 腕っぷしには自信ありますんで何かあった時には命に代えても!」
「あんたみたいな筋肉バカが側にいるなんてネル王女の気品が問われるわ! ささ! 最近新しくできた服飾店などはどうですか? きっとお似合いになられるお召し物が……」
「ちょっと~! 王女様はきっとお忍びで食事をなさりに来られたのよ! 街一番の料理店にご案内を~!」
キノは矢継ぎ早に注がれる誘いの言葉にアワアワとするネルに気づき無意識にネルの肩に手を置き、
「大丈夫か?」
と耳元で囁く。
「す、すまぬ……面倒事になってしもうた……」
蚊の鳴くような声でネルは下を向いたまま返す。
「お、おう……確かに面倒事だが、まぁ気にするな。それより、俺達はここから先に進めるのかよ?」
下手に道を開けるように声をあげると暴動が起きそうなくらいの群衆に終始圧倒されているキノ。ネルはネルで、こうなることを予想していたかのようにほぼ諦めモードの表情である。
そんなどうにも収集がつかない騒ぎになりつつあるなかで、一人の男がふと呟いた。
「王女の横にいる男……何者だ?」
「……おい……あんな無粋な格好してるのを見ると……城の護衛じゃねえよな?」
「半径1メートル以内にいるなんてネル王女に馴れ馴れしいな……」
「ってか……あの男……王女様の肩に手を……」
「お、王女に……ふ、触れ……るだと……?」
「よし! 殺そう。」
「だな。殺そう。」
「殺すしかないね。」
「うむ。では早速……」
「待て待て待て! いきなり殺すとかちょい待て! あんたらは理性ってもんが……」
じりじりと近づいてくる殺気立った屈強な男達に命の危険を肌で感じながら思案を巡らせるキノ。だが、予想だにしていない展開に頭がついていかない。
「理性はあるぜぇ兄ちゃんよ。理性があるからこそ、あんたのその手がどなたを触れてるかってのが気に入らねえなぁ。」
指の関節をボキボキと鳴らしながらこめかみをピクピクさせながら世紀末の覇者のような男が近づいてくる。
「す、すいません! わざとじゃないんです! ネルが少し怯えているように見えたか……」
「ほぅ……ネル王女を呼び捨てに……なるほどなるほど……まったくもってけしからんなぁ! 大丈夫だぁ……ネル王女の手前、兄ちゃんの汚ねぇ血を撒き散らすのはあれだからだからな……首の骨をポキッとな。すぐ終わるし痛いのは一瞬だけだからよぅ。」
「いやあああああっ! 全然大丈夫じゃないっ!」
《やられる! 首ポキッって漫画の世界じゃん!》
心の中で叫んだ瞬間、急な突風がキノをあおった。彼自身その風に体をもっていかれそうになるほどである。それと同時に“ドオーン!”と凄まじい音がキノの耳に入ってきた。
「皆の衆よ。少し落ち着かれてはどうでしょう?」
目の据わったネルが静かに口を開いた。その右手は固く握りこぶしが握られている。
激しい音がした先にはこの後キノの首を折るはずであった世紀末覇者が瓦礫の中に埋もれピクピクと痙攣している。どうやらネルの一撃を食らい吹き飛ばされたようだ。
「皆の気持ちは大変ありがたいものです。しかしながらこちらの男性、キノは私の大事な方。無下に扱われたり暴言を発しようものなら……」
「私自らがその者の首をポキッとなさいますわ。」
にっこりと微笑むネルであるが、目が据わったままゆえにその表情からは身震いするほどに悪寒が走る恐ろしさも兼ね備えている。人が変わったかのような彼女の行状を目にし、群衆は口々に呟き出した。
「ネル王女……パネェ……」
「あのゴミクズを見るような眼差し……美しすぎる……」
「なんてこった! あいつ王女様にぶっ飛ばされるなんてご褒美を味わいやがって!」
「ネル王女のあの細腕で首ポキッ……されたい……」
「も、も、もう! 辛抱たまらん!」
「やっぱさ! キュンキュンな王女もいいけど俺としては荒々しさMAXの王女のほうが……」
ネルの一撃と一声により命が助かったと理解したキノは、嵐のような騒動が落ち着きかけるのを見届けると無意識に呟いていた。
「うわぁ……やばいぜこの国……」