8 約束は約束なので守りましょう
コロナウイルスのせいでまったりと時間が取れるようになりました。
地面にへたりこんでいるキノを見下ろす真っ赤な髪の持ち主。
初めて出会った時と変わらないラフな冒険者姿と腰に提げた二本の短剣。
そして人間と呼ぶには程遠い赤い瞳とにやりと微笑む口元。
「ところで何故ゆえにこんな所におるのだ? キノよ。」
女は怪訝そうにちょこんと座り込み、赤く腫れ上がったキノの額を落ちていた小枝でつんつんとつつき出した。
「まぁお前がそこそこやりおる男なのは分かっておるが、こんな呑気に眠りこけていてはいくらお主でも魔物に一呑みにされてしまうぞ! この辺りはお主が暮らしている地に比べて魔物の強さは段違いじゃからな。」
女はケラケラと笑いながら額をつつくのをやめない。むしろその手は手加減をするどころか、徐々に強さを増しているようにも見える。
「あたっ! ちょっ! 待て待てっ! って……お前は……ネルじゃねえかよ! お前こそなんでこんな所にいるんだ!?」
そうだ。キノがグラーシュから引き受けたクエストに単身で赴いた先で出会ったあの人外的な存在に溢れたネルが目の前にいるのだ。
「なんでって言われてものぅ……」
少し首を傾げながらネルはポツリと呟いた。
「ここはワシが住む地だからのぅ。散歩ついでに遠出しようと思ったらお主の気配が感じられたのでな。」
「な……マジかよ! じ、じゃ折り入ってお願いがあるんだが助けてくれないか?」
「ふむ。もちろん構わぬが、その条件としてワシの願いも聞いてもらわねばなるまいな。」
ニタリといやらしく微笑むネル。
「あの料理を食わせるのじゃ!」
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「はあぁ~~~~。うまし……うましなのじゃ! おかわり。」
バッグに保存してあった魚をフライにしてネルに差し出すと、彼女はまるで馬車馬のように完食しおかわりを催促する。
「あれからワシが帰路に着き、一体どれだけこの時を待ちわびた事か……おいっ! あの黒と白のソースはないのかっ? 次はあれをつけて食べるのだ!」
「あ~ウスターソースとタルタルソースね……ちょっと待ってろよ。」
再びバッグに手を突っ込みタルタルソースが入った容器とウスターソースを取り出す。ネルはキノの手から奪うように取り、おかわりのフライが隠れるほどに盛り付けると手掴みで食べ始める。
「むふ~! たまらん! たまらんのじゃ!」
口のまわりをソースでベタベタにしながら唸りをあげるネルを横目に、キノは少なからずの安堵を得る。
「前に約束してたからな。また食わせるって。」
「そうだな。そして作り方を教えるとも言っておったよな? おかわり。」
「ってもう食ったのかよ! んじゃ次のおかわりは自分で作ってみるか? 材料は……まだあるな。あっ、ウスターソースは難しいから今は無理だからな。」
「むひー! いいのだいいのだ! ワシが作るのだ! 早く教えろ!」
嬉しさのあまりはしゃぎまわるネルは、しっかりとメモを取りながらキノと一緒にフライとタルタルソースを作るのであった。
「うまかったぞ……もうこの腹には収まらんわ……。ついでにワシの手料理も振る舞えばよかったかの?」
ビール腹のように膨れ上がった腹をさすりながら草むらに寝転ぶネル。幼児体型が災いしているのか、その膨れた腹が非常に可愛らしくも見える。
「いやそれは勘弁してくれ。お前の料理を食った日には、間違いなく寿命が五年は縮まる自信があるぞ。ってか……お前すげえな。よくもまぁそんなちっこい体でそれだけ食ったもんだよ。オルと変わらん食欲だな。」
結局キノのバッグに残された魚はあと三匹しかいない。以前とは比べものにならない食欲に『あの時は猫かぶってたんじゃ?』と疑うほどだ。
「お主と初めて会ったときは少し緊張していたのでな。だからちょっとおしとやかにな……」
少し伏し目がちに視線を落とし、照れながら呟くネル。やはり猫かぶっていたようだ。
「にしては、いきなり襲いかかってきたじゃねえかよ! あの時はマジで死ぬ覚悟をしたぞ。」
「何を言うのじゃ! あれは暇潰しだと何度も言ったではないか。少し頭を小突いただけでひっくり返りおって。情けない男じゃ。」
「ちょっと待て。あれは小突いたって言わねぇよ。下手したら頭に穴が空いてしまう殺人的な威力だわ!」
遠い過去の事ではないが、昔話に盛り上がる二人。
見知らぬ地に流れ着き右も左も分からぬまま彷徨っていたキノにとっては、この再会がどれだけ心が癒されただろうか。
ひとしきり話に華を咲かせ、一呼吸置いて真剣な眼差しでネルに話し出すキノ。
「ネルって海の近くにある町の住人じゃない……よな?」
「この辺りにある海の近くの町? トゴーチの事かの? 何かと便利な町ではあるがあそこはワシの住む町ではないぞ。」
きょとんとしたネルはあまり関心がないような反応を示す。
「そっか。それならいいんだ。気にしないでくれ。」
「なんじゃなんじゃ! そんな事を言われたら気になるではないか! トゴーチには久しく足を運んではおらぬが、その町がどうかしたのかの?」
幾分沈んだ顔色のキノを気遣ってか努めて明るく振る舞おうとしているネルに、少し躊躇いながらもキノは昨夜の出来事をポツリポツリと語りだした。
「……てなわけよ。この地はよそ者には優しくねえってのがよく分かったぜ。期待した俺も馬鹿だったけどな。ところでフーグランって町は遠いのか? そのトゴーチって町に着く前に変な感じの男に会ったんだが、とりあえずそこに来いって……ネル? ネルさん?」
キノの話を聞いていたネルの様子がおかしい。
というか、明らかに彼女の雰囲気が違う。
「キノ。少し席を外すぞ。」
いつもより低い声色で呟くと同時に、ネルの姿は陽炎のようにその場から消え去った。
「お、おい!? どうしたってんだよ!?」
戸惑うキノの声はすでに姿を消したネルには届くはずもない。
残されたのはネルによって食い尽くされた山盛りの魚の骨だけである。
「まったくどういうことなんだよ……」
唾を吐き捨てるように出る言葉を噛み締めながら、すごすごと食事の後片付けをするキノであった。




