5 人には親切にしよう
「皆揃っておるか? ふむ。アイオロスがまだのようだが……」
きらびやかな調度品が整然と並べられた部屋に低い声が響く。個人の邸宅としてはいささか大きすぎる邸宅の一室に、さながら上流階級の血筋のみが鎮座できるであろう豪華な椅子に四人の者達が腰かけている。
「あのやろう召集の伝達を無視してやがんのか? こないだも一番遅れて来たはずだよな。 一体どういうつもりなんだ?」
重厚な鎧に身を包んだ金髪の勇ましい男がテーブルの上に足を投げ出し、面倒臭さを隠そうともせず悪態をつく。
「やはり彼をこのカーベラル旅団に入れたのは軽率だったのでは? 組織を軽んじる輩はこの旅団には必要ないと思われますが。」
決め細やかな刺繍が施された藍色のローブを身に纏った青白い顔色の碧眼の女がやれやれといった感じで首を横に振る。
「彼は……もう来てるよ……。トーラスくん、リウムさん。君達には見えてないのかな?」
その場に似つかわしくない容姿、例えるならば町を行き交う一人の若者のようにラフな軽装で椅子に座り、出された紅茶をふーふーと冷ましながらすすっている赤毛の少年。
「!?」
トーラスと呼ばれた鎧の男とリウムと呼ばれた碧眼の女は、少年が指差す先に目を向ける。そこには表情を一切変えずにゆっくりとテーブルに歩み寄る貴族を具現化したような服に身を包んだ一人の男がいた。
「………………ちっ。相変わらず幽霊みたいなやろうだな。」
「マクーノ国の元枢機卿……相変わらず趣味が悪い服装ですわね。」
「どうもお久しぶりですねトーラスさん、それにリウムさん。リュピルさんは……こないだお会いしましたね。」
アイオロスは三人に軽く会釈をし、上座に座る初老の男に頭を下げる。
「お待たせしましたアーセルさん。旅団の幹部クラスが集まるとやはり壮観ですね。」
アーセルと呼ばれた男は一瞬ニヤリと口元を緩め、席につくようアイオロスを促す。
「トーラス、リウム、リュピル、そしてアイオロスよ。此度は皆よく集まってくれた。感謝するぞ。では早速本題に移るとしよう。」
アーセルは深く息を吸い込み、言葉を発した。
「シューラの短剣を手にしている男を探し出すのだ。」
「そして殺せ。」
~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~
キノが見知らぬ地に流れ着いてすでに一週間が過ぎていた。
彼はこの一週間の間、夜に休息を取る以外は常に歩いていた。見渡す限り変わり映えのない草原を。
「くそったれ……どんだけ歩けばここを抜けられるんだよ……。もう食い物は底をついちまったし……野ウサギすら一匹も出てこねぇってどうなってんだ……」
頭上から照りつける陽の光が体力を削り取る。吹き出した汗がキノの肌から地面へと流れ落ちてゆく。一歩一歩足を踏み出すが、体を前に突き動かす力は歩き出した当初に比べて明らかに弱々しくなっている。
「み、水飲まないと……干からびちまう……。塩っ気のあるもの……」
キノは腕から流れ出た汗を舐め、バックの中からなけなしの金で購入した水を口に含む。が、呻きに似た声と逆流する胃液とともに口からすべて吐き出してしまった。
「うえっ……。気持ちわりぃ……はぁはぁ……はぁ。」
ここ数日、自分の心にある不安、恐怖と戦いながら歩を進めてきた。辛さゆえに幾度も涙した。しかし、汗は流れても一滴の涙すら流れてこないのはどうしてなのか。キノはそんなことすら考えるのをやめてしまっていた。
ただこの草原の先に行きたいという執念だけが彼を動かし、意識を途切れさせないよう維持しているのだ。
霞む目を凝らしながら草原と青空の地平線だけを凝視し
《あの先にはきっと……あの先にはきっと……》
発動しない呪文を唱えるかのごとく、吐き気とひどい頭痛に襲われながら彼の口は決して声にならないこの言葉が繰り返されている。
「う……わっ!」
足元の草に足を取られしたたかに顔面を地面に叩きつけ、鼻孔を通して青臭い臭いが肺に満ちていく。
「……こんな苦しむならいっそのこと……」
目の焦点があわない。転がる石のように視界がぐるぐると回り、吐き気が一層強くなる。手先は痺れ、立ち上がろうにも上体を起こす力すら入らずじたばたとあがくしかない。
地を這う芋虫のように体をくねらせて起き上がろうとするが自分の体が他人の体のようにいうことをきかない。
「これは……本気でヤバイ……かな。」
もはや顔をあげることすらままならないなかで吐き捨てるように出た声が風に掻き消されていく。
『ああ。お前、相当ヤバイな。』
空耳なのか幻聴なのか。よく通った声がキノの耳に届く。
「そうか……じゃあもういいな。もうこのまま……」
地面に突っ伏し、開いたままの口元を唾液がどろりと流れ落ちる。
『い~や。もうちっとばかし頑張ってもいいんじゃね?』
励ましではない。むしろ呆れた口調で、言葉はキノの耳に入っていく。
「無茶言うな……この様だぜ……体が動かねえんだ……え??」
幻聴ではない。確かに人の声だ。揺れ動く視界を留めようと声の主を探すよう痙攣する眼をしっかりと見据えると、ぼんやりと目の前に一人の男が座り込んでこちらを伺っている様子が感じられた。
「仕方ねぇな~。ほれ。こいつを口に含みな。」
男は懐から取り出したものをキノの口に押し込み、水筒の水を無理矢理流しこんだ。
「おっと! 吐き出すんじゃねえぞ。しっかり飲み込みな。」
男は水ごと吐き出そうとするキノの口を塞ぎ、胃の中に押し込んだ。口にしたもののあまりの味と幻聴ではなかったこと、そして命を繋ぎ止めれたという安堵感から、キノの意識は深い闇に沈んでいった。




