4 孤独しかない世界もある
あれから数時間は歩いただろうか。ほぼ丸1日は歩いたであろう彼の足は、いくら柔らかい草原を歩いていたとはいえさすがに疲れが隠せない。視界に入っていた丘がこんなにも遠かったとはキノ自身思いもよらなかったが、ようやく目指していた小高い丘の頂に近づいた。
陽も傾き始め青々とした草原は夕陽に照らされ燃えるような赤色に染まりはじめている。
「はぁ……ようやくここまで来たぞ。きっとこの向こうには何かがあるはずなんだ……何か……」
キノの足が止まる。
キノの目が目指していた丘のその向こうに向けられる。
キノの頬を伝う涙が目からこぼれ落ちる。
キノの口から一言だけ絶望に潰された声が吐き出される。
「何なんだよ……」
彼の目に飛び込んできたのは今まで歩いてきたのと同じ草原の景色。
代わり映えのない風に揺れる草原。いや、赤色から漆黒の闇に姿を変えつつあるただの草原だった。風によって互いが擦れあう草の音がキノを包む。
「マジかよ……結構歩いたつもりだったんだけどよ……何でなにもねえんだよおおぉ!!!」
がっくりと膝をつきもう一歩も歩けないとばかりに青草に身を投げ出し大の字になる。いつからか抱いていた不安が更に心を支配する。
「何もないじゃねえか。何も……」
自身の意思に反して涙が溢れ続ける。強がってはいたが自分が今置かれている状況、そして自分がこれからどうなるのか想像もつかない恐怖が彼の鼓動を早める。
「俺って……このまま死ぬのか……」
すでに陽は沈み、うっすらと夜空には星が灯り始める。澄んだ空気のせいなのか、まるで地面に降り注ぐような多くの星の光が草原を青白く輝かせている様子は日本では目にすることができなかったものだ。
キノはただ夜空を見上げる。
変わることのない草原に体を横たえて。
変わることのない夜空を見上げる。
いつしかキノの意識は草原と夜空の深い闇に落ちていった。
「へっ……ぶしゅん!!」
肌を刺すような寒さで体が冷えたのか、自分のくしゃみでキノは目覚めた。
「寒いな……って霜が降りてきてるじゃ!」
この地は寒暖の差が激しいのか、辺り一面が霜に覆われている。朝日が顔を出し始め、空に残っている星の灯りがほのかにその霜を照らし、幻想的な空間を生み出して視覚的にも寒さを意識させているようだ。
「何か防寒着……ってそんなもんないよな。ないなら買うしか……」
タブレットを開き冬物の衣類をクリックする。
「防寒なら登山用の……高っ! でも買っとかないとマジで死んでしまうわ。」
背に腹は代えられぬとばかりに登山用の防寒着を購入しすぐに着込む。手持ちの金はもう一万もないのは見て見ぬふりをした。
「食べ物は……魚しかないか……この量だと4,5日はもちそうだな。それまでにこの状況を打破しないと……」
一日歩き通して体は疲れている。
我慢できないほどの寒さが体に突き刺さる。
食べ物を口にしたいという欲求が腹を鳴らす。
間違いなく自分は生きているのだとキノは認識する。
「……上等だ。この草っ原の終わりまで行ってやろうじゃねえか!」
自身を奮い立たせるように声をあげると、唇を噛み締めながらまだ夜が明け切っていない薄暗い草原を再び歩き始めた。
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「んじゃな~。」
ナオキはハナタに軽く挨拶をし階段を颯爽と降りると、受付のリンが声をかけてきた。
「あら! もうハナタさんとのお話は終わったのですか? って……何なんです? そのだらしないにやけ顔は……」
「ああ話は終わったぜ。あ、しばらくこの町には戻らないだろうから、面倒事は他のやつらに頼んでくれよ。じゃあな!」
「ち、ちょっ! またハナタさんに厄介な依頼押しつけられたんですか? まったくもぅ!」
ナオキは膨れっ面のリンを軽くあしらい、にやけそうな口元を緩めまいとギルドにいる顔見知りとは一切言葉を交わさず、一直線に自宅に戻った。
「なるほどね~。あの姫さんがねぇ~。どういったいきさつかは知らねえけど……この大陸にいるってんなら、善は急げだな!」
遠足にいく前日の子供のように、これから起こるであろう事柄に心を躍らせながら旅の依頼のための準備を整えていく。
「まずは……聞き込みからやるしかねぇよな。となれば……」
まとめあげた荷をマジックバックに押し込みテラスに出ると、耳をつんざくような口笛を吹いて翼竜を呼び寄せる。どこで待機していたのか、三分と経たずに翼竜がゆっくりとテラスに降りてきた。
「いいかトルー。ちょっと難儀な依頼だがお前を頼りにしてるからな。俺一人じゃ無理だからしっかり飛んでくれよ!」
トルーと呼ばれた翼竜は力強く一声鳴くと、任せろと言わんばかりに翼を大きく広げ主人の言葉に応えた。
「よし。じゃまずは隣町から行くぞ。っとぉ! 忘れるとこだったぜ。」
トルーに乗りかけたナオキは大事な忘れ物に気づき、再び部屋に戻るとゆっくりとベッドをずらし、床板をめくり始めた。そしてそこから取り出した一枚の布切れに包まれた物を手にし感慨深げに呟いた。
「探し人がこいつを知ってるか……知ってるなら話が早いが……」




