3 先が見えない世界もある
「う~む。うまい……んだけど、やっぱ酒がないとな……。にしてもこれからどうすりゃいいんだよ……」
捌きたての刺身を口にしながらこれからのことを考えて悲嘆するキノ。海辺から少し内陸に入ったところにあった小高い岩場から眼下を見下ろす。目の前に広がる草原には柔らかな風が吹いているのか、背丈の低い草がなびいている。
「とりあえずは人気のあるところまで行きたいけど、どっちに向かえばいいんだろ……よし。」
キノはカバンからタブレットを取り出してお目当てのものをクリックする。いつものように目の前にはおもむろに注文したものが表れた。
「海岸線を進むか……いや、まずは北に行ってみるか。うん。視界を遮るものがないから危険は少ないかな。」
キノが手にしている先程購入したコンパスは、北の方角を目の前に広がる草原の彼方を指している。その草原の先にはらくだのこぶのような丘が連なっており、一体どれだけその丘が続いているのかそれ以上先は目視できない。
「んじゃ行ってみるか。」
大きく息をひとつつくと満腹になった腹をさすりながら、ゆっくりとキノは歩みを進めていった。
まったくといっていいほど変わることのない景色をぼんやりと眺めながら三時間くらいは歩いただろうか。ただ草木だけが風に揺れている。本当にそれだけである。いくら目を凝らしても、人が歩いた跡がなければ人によって築かれた建造物すらない。
「ここは間違いなくルーシキとは違うな。見たことない植物だらけだ……それに獣の姿がまったく見えない……。」
キノの中に何とも言い難い不安が生まれる。
普通なら、このような草原には獣の糞尿や独特の獣臭が少なからず漂っているはずなのに鼻に流れ込んでくるのは青草の澄んだ匂いだけだ。時折姿を見せる木々の元に行ってはみるが、野ウサギなどの小動物の気配どころか虫の羽音すらない。
草原を揺らす風以外のものを感じ取ろうと五感を研ぎ澄ませながら草原を歩く。程よく柔らかい草がクッションとなり足に疲れを感じさせない。だが、疲労がたまらない身体と反するように、心にはもやがかかってくる。
目に入るのはだだっ広い草原。
そしてただ風の音しか聞こえない。
キノの中に生まれた不安という種が芽吹く。
《この草原はどこまで続くんだ?》
《あの先にある丘の向こうは人の気配があるのか?》
《獣がいないってことは、手持ちの魚を食いつくしたら……》
《そもそも……俺は生きてるのか?》
呼吸が浅くなる。この世界に転移したときは命があるという保証が女神によって確証できたが、今の自分と今の状況は生きているのも疑問に感じてしまう。
これは現実なのかと。
「くっそ! こんなところで折れんなよ!」
自身を叱咤するかのように声を張り上げる。
だがそんな叫びも、キノの存在自体をも否定するかのように風にかき消されていった。
「あの丘の先には何かあるはずだ! あの丘の先には……」
現実を味わうためにキノは草原をただひたすら歩くしかなかった。
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「よう! リンちゃん元気か? さっき団体さんが依頼書をかっぱらって行っただろ?」
カウンターにいた女性にぶっきらぼうに声をかけるナオキにやんわりとした表情で答えるリンと呼ばれた女性。
「はい。それはもうすごい勢いで駆け込んできてまるで奪い合いのように剥ぎ取って行かれましたよ。何かあったのですか?」
「ギルマスが街中で雷落としてな。そりゃすごかったぜ!」
やれやれといった表情で首を横に振るリンだが、ナオキの背後にある殺意とも呼べる気配にはっと我に帰り、澄ました顔に戻る。
「リンちゃんにも見せたかったぜ。オラニスがまるで小石のように吹っ飛ばされ……ふぐぉ!」
ケラケラと笑っていたナオキが文字通り小石のように吹き飛び床に転がる。
「グダグダくっちゃべってんじゃないよ。さっさと上に上がんな。」
床に転がるナオキを一瞥し、ハナタはさっさと二階に上がってしまった。
「あの……ナオキさん大丈夫ですか?」
心配そうにカウンター越しに彼を覗きこむリンに対し、ナオキは右手をあげて生きているのを伝えるとゆっくりとたちあがり服に付いた埃を払う。
「あたた……まったく手加減知らねえのかよギルマスは……」
「さっさと上がってこんか!」
階段を揺らさんばかりの怒号が階上から響き渡る。
「はいいぃ! ただ今参ります!」
その声に弾かれるようにナオキは階段を駆け上がるのであった。
「んで、何だってんだ? 姫さんの依頼ってやつは?」
ソファーにどかっと座り、出された水に口をつけるナオキ。
「ある人物を探してこいとのことだよ。国王直轄の暗殺部隊よりも先にな。詳しいことはこれに記してある。」
彼に向かいあうようにソファーに座り一枚の羊皮紙を差し出す。
「おいおい。人探しくらい自分の配下の者にやらせときゃいいじゃね? それに人探しならそっち専門のやつらがいるじゃねえか。」
そう言いながら出された羊皮紙に手を伸ばす。何気なく目を通していくにつれ、徐々に彼の目つきが変わっていく。
「そう興奮するな。瞳孔が開きかけとるぞ。いいか。この依頼はお前が適任、いやお前しかできぬだろうから口外するんじゃないよ。必ず生きて連れてくるんだ。国王にばれぬよう、そして国王よりも先に見つけだすんだ。」
そう言い終わると同時にナオキが手にしていた羊皮紙は一瞬の炎によって灰になりテーブルの上に舞い落ちた。
「いいじゃんいいじゃん! あの姫さんがねぇ! こりゃ退屈しのぎにちょうどいいな! 引き受けるぜこの依頼。報酬はたんまりもらうがな。」
ニヤリと笑いソファーから立ち上がったナオキは扉を壊さんばかりに部屋から出ていった。その後ろ姿を見送ったハナタは深くため息をつき一言呟いた。
「さてさて……無事に帰ってこれるか……。」




