11 お腹が空いているとすべての生き物は荒々しくなる
―おいっ! オルツ聞こえるか!?―
目の前で青白く光る巨大な二枚貝を凝視しながら念話を飛ばすニョロゾ。側にいるだけでもピリピリとその魔素が体に伝わってくる。
―ニョロゾか。どうしたのだ?―
次々と魚を釣り上げるキノを見下ろすようように操舵室で横になっていたオルツが体を起こし始めた。
―見つけたぞ! お目当ての魔輝真珠の貝だ!―
―ふむ。ではキノに伝えよう―
のそりと甲板に降り、ゆっくりとお祭り騒ぎの輪に近づく。
―……風がでてきたか―
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『これっていきなり襲いかかったりしないよな? ただのバカでかい貝だよな?』
ふと口から漏れる呟きをニョロゾ自身も自覚していない。
直径は5メートルはあろうかといういびつなな二枚貝が海底の岩肌に侵食している。
一見すると貝の形をした岩礁にしか見えない。
だが、そこから発する魔素は地上で感じることがないほどのオーラを放っている。
『まずは……岩肌から切り剥がすか。結構疲れるから使いたくないが仕方ねぇな。 ……ふんっ!』
手にした流線形の剣に自分の魔素を注ぎ込み、水圧をものともせずに岩肌に切りつける。次の瞬間、バターのように岩礁に切れ目が入り岩肌から剥ぎ取られた魔輝真珠がゆっくりと砂の上に転がり落ちた。
『ぶはあっ! やっぱ武器に魔素を付与するのはきついな……切れ味が格段に上がるのはいいけど、この一太刀で疲労困憊だ……』
大きく肩で息をしながらワイヤーを絡め固定していく。その手にはワイヤーを通して伝わってくる魔輝真珠の魔素がまるで電気のようにビリビリとニョロゾの両手に刺激を与えている。
―オルツ! ブツを固定したからいつでも引き揚げれるぞ! 俺はちょいと魔素を使いすぎたから一休みさせてもらうからな―
大半の魔素を消費したニョロゾは貝の上に大の字になり目を閉じる。
『あとはあいつらが海上まで引き揚げてくれるはず。お日さん拝めるまでは……休憩だ……』
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―……キノ。ニョロゾが引き揚げろと言っておるぞ―
―分かった分かった! こいつを釣り上げるからネシャに頼むわ! って最後の最後に……なかなかの大物っぽいな!―
額から脂汗を流しながらドラグが悲鳴をあげるリールを巻く。巻いたぶんだけリールから糸が出ている。
「ネシャ! ニョロゾが見つけたらしいからワイヤーを引き揚げてくれ! ただしゆっくりだぞ! あんまり早く引き揚げるとたぶんニョロゾは水圧の変化で死ぬからな! 俺は……手が離せねぇ!」
キノの一声でネシャの目の色が変わる。
「おっけー! 相棒を死なせるようなおっちょこちょいじゃないよ! おいしょっ!」
皮の手袋をしたネシャがじわりじわりとワイヤーを手繰り寄せる。常人ならば数人がかりの作業だが、ネシャにかかれば一人で充分そうだ。
「ほんとにほんとにあの魔輝真珠を見つけたの!? 私って歴史的快挙に立ち会えるんだ!」
徐々に強くなっている海上を流れる風に髪をなびかせながら海面を覗き込むアヤメ。グラーシュも顔を紅潮させてその行く末を見守っている。
30分くらい過ぎただろうか。いまだにニョロゾと魔輝真珠、そしてキノの魚も海面に姿を表さない。
「くっそ~! なんなんだこいつは? 今までのやつと違って暴れ方が尋常じゃないぞ! ネシャは大丈夫か?」
「ふいぃ! なかなかの作業だよ! 半分以上は引き揚げてると思うけどまだ先は長いかなぁ……って? あれ? キノの釣り糸とワイヤーが絡んじゃった?」
「いや絡んではないと思うぞ。どうした?」
「なんか……ワイヤーが動いて……おわわあっ!」
危うく手にしているワイヤーごと海に引きずりこまれそうになるネシャ。そのネシャをグラーシュが間一髪のところで捕まえ、事なきを得る。
「グラさんありがとう! オルちゃん! ニョロゾは大丈夫なの!?」
―大丈夫と言えば大丈夫なんだが……少しばかり厄介なことになりそうだ……―
キノの横にいるオルツが皆に聞こえるように念話を飛ばす。
―キノが捕らえている魚に寄ってきた魔物がいるようだ。お前達、油断するな―
オルツの声を聞いた瞬間、甲板にいるすべての者の顔から血の気が引いた。海の魔物。海上では向こうに分があるの当然だ。
状況を理解したキノは釣り糸をナイフで切りすぐに剣を手にする。
「くっそ! 俺のせいか……オル! その魔物はこっちに向かってるのか!?」
いつの間にか白い波しぶきにまみれる荒波と皮膚を切るような海風に変わった海上が異様に膨れ上がってくる。
そしてまるで小山のように盛り上がった海面から、キノが釣り損なったであろう魚を咥えた巨大な黒い爬虫類が無機質な眼差しをオルツに向ける。
―どうやら腹を空かしているようだな。先にニョロゾに目がいかなかったの幸いと言うべきか―
向けられた視線から目を背けることなくオルツが呟く。
―もたもたせず早くニョロゾを引き揚げろ。相手としては分が悪すぎる!―
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『んおぉ? だいぶ明るくなってきたな。無事にあいつらのところに戻れそうだ。……おっ! あれはキノが釣ってる魚か。よくもまぁあんな方法で魚を取るもんだ。』
ゆっくりと体を起こし上方で暴れまわっている魚に目を向ける。だが少し様子がおかしい。
『にしてもあんなに暴れるもんなのか? まるで何かから逃げようとしているような……うおっと!? あぶねぇ!』
何かが魔輝真珠をかすめて暴れる魚に一直線に泳いでいった。15メートルは軽く越えるであろう長さを持つ何かが、海の底のように黒い体をくねらせて。
その巨体は牛一頭を丸飲みできそうなくらいの大口を開き、狙いをすまして魚に噛みつく。一瞬にして辺りは鮮血が混じる海水となりニョロゾの鼻にも血の臭いが流れ込んできた。
『なんだよありゃ……』
勝てる気がしない。
少なくとも今の状況では。
いや万全の状態でも。
魔素が尽きかけた体。
海中という一人ぼっちの不馴れな場。
ニョロゾは無意識にオルツに念話を飛ばしていた。
―おい! 今、魔物が魚を追って海面に向かって行った! バカでかい蛇みたいなやつだ!―
―! わかった。ニョロゾよ。お前はそのまま戻れるようにするから下手に手を出すな。いくらお前でも海中にいればあやつの餌にしかならぬからな―
―出さねぇよ! ってか出せねぇよ! どうにかなるのか?―
―まずはお前の命が最優先だ。あやつをこちらに引き付けるからそのまま貝の上でじっとしてろ―
―わかった! 気をつけろよ!―
目の前を遮っていた血の霞が晴れるとすでに魔物の姿は見えなくなっていた。
『みんな無事でいろよ……』
ゆっくりと海面を上がっていくニョロゾにはそう願うしかなかった。
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姿を表した魔物の姿に皆恐怖に捕らわれている。
「何なのよ……あんな魔物見たことないわよ……」
「一匹だけだよね? 複数いるとかないよね?」
「あの頭……文献で見た魔物だとしたら……」
―オル! 何だよあの魔物は!? お前なら勝てるよな!?―
―さて……この場にわしとあやつのみならば対等に戦える可能性があるが、今はやれるだけやってみよう―
―おいぃぃっ! なんでそんなに弱気なんだ! いつものチートっぷりを見せてくれよ!―
―それはそれで構わぬが、お前ら全員わしの雷で感電死するぞ。中途半端な攻撃では倒せぬからな―
―マジかよ……―
―ああ。あやつは荒海を支配する海龍―
―リヴァイアサンだ―




