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ワケあり姉妹の薬店  作者: 綾月シボ
3/10

第三話 隠されるべき事情

透き通るような青い空の下、朝の陽ざしを浴びながらリーアは買い物客で賑わう通路を縫うように歩いていた。通りを挟んだ左右には、光沢のある赤いリンゴを山のように積んだ店、濃厚な匂いを放つチーズを切り売りする店等、様々な食品を商う露店が並び立っている。ここはラハダスの街で暮らす人々の胃袋を支える市場だ。だが、リーアが求めるのは一般的な食材ではなく、薬の原材料である。

 時には野外に薬草採集に赴く彼女だが、市場で流通している野菜や香辛料の中にも薬効を持った種が存在しており、そうした素材はこの市場で仕入れていた。

「うん、買い忘れはないな」

 リーアは人の流れが穏やかになっている場所で、羊皮紙に書かれたリストの内容を確認すると満足気な笑みを浮かべた。何しろ市場で売られている野菜類の多くは季節物なので、時期を逃がすと丸一年は入手が不可能となる。買いそびれると、同業者から元値とは比べものにならないような額で入手するしかない。しっかり計画を立てて購入する必要があったのだ。

 自身の仕事に満足したリーアは個人的に買ったリンゴの一つを取り出すと、それを齧りながら店を構える〝冒険者通り〟に向かって歩き出した。一仕事を終えた自分へのちょっとしたご褒美だ。


「ただいま姉さん!」

「おかえり、リーア・・・ってあなた、またリンゴを買い食いして来たわね!行儀が悪いからやめなさいって言ったでしょ!」

「そうは言っても、夜明けから市場を歩き回って疲れちゃったから、リンゴの甘味と酸味で身体を癒さないとさ・・・それに姉さんの分も買ってきてあるよ!」

「もう!リンゴを買うのは別に構わないの!外で食べ歩くのが問題なのよ。店の評判に関わるからね!まあ、いいわ・・・買い物はご苦労様。店番はこのまま私が続けるから、あなたはそのまま加工に入ってちょうだい」

 店に戻ったリーアは早々に姉のナーシアに買い食いを窘められる。おそらくは僅かに残っていたリンゴの匂いから察したに違いない。彼女の嗅覚の鋭さは賞賛に値した。

「うん・・・了解したよ!」

 ナーシアの小言と指示にリーアは苦笑を浮かべて頷いた。何かと説教くさい姉であるが、それは自分を愛してくれているからこそだからと知っている。もっとも、彼女には悪いと思いながらもリーアに買い食いを止める気はない。姉は歩きながら食べるリンゴの美味しさを知らないのだ。次こそは、ばれないようにしようと心に思いながら、リーアは奥の作業場に向かった。

 まずは購入した様々な薬材を背負い袋から取り出して、井戸から汲んだ綺麗な水で軽く洗う。この時に傷んだ箇所や虫が付いていないかも確認する。もちろん購入時にもチェックはしているが、どうしても見落としがあるからだ。

 次はまな板と包丁を使って薬材を細かく切り別ける。種類によっては薬効のない部分をこの段階で捨てることもある。例えば、香辛料としても使われるカラシ草は胃腸の働きを整える効果を持っているが、主に薬効が含まれているのは葉の部分であるため茎の部分は排除した。

 程よい大きさに切り揃えられた薬材は、最後の仕上げとして台に乗せて裏庭で天日干しにするのだが、このまま干すと鳥等の食害に晒されるため大きな籠を被せてそれを防ぐ。ちなみに、以前の菓子泥棒の事件で用意した籠は、このための籠だった。天候にもよるが、数日掛けて充分に乾燥させると長期保存の効く薬の完成だ。これらは出番が来るまで保管されることになる。

「ふう・・・これでよしと・・・」

 薬材の加工を終えたリーアは、空腹を覚えるとそのまま昼食の準備に移る。薬に関しては手際の良さを見せる彼女だが、料理の腕前は微妙だ。指先も器用で食材や香辛料等の知識も豊富なのだが、本格的な料理をしようとする概念がないのだろう。この日も黒パンにチーズとベーコンを乗せただけの簡単な昼食となった。また、同じ物をナーシアのために作り、約束通り今朝買って来たばかりのリンゴも添える。今回に限らずリーアは仕入れから戻る際には、姉に何かかしらのお土産を用意していた。

「下準備は終わったよ、姉さん。それに昼食も用意しといたよ!」

「ええ、ありがとうリーア、それじゃ私も休憩にさせてもらうわ」

 ナーシアと交代で店番に立ったリーアは、客のいない店内のカウンターで薬の調合に勤しむ。秋は深まりつつあったが、最近は気温が安定しているためか〝白百合薬店〟を訪れる客の数は減少気味になっていた。とは言え、本格的な冬がやって来れば再び賑わいを見せるのは必定と思われるので心配はしていない。そのために姉妹は暇な時間を見つけると、解熱剤等の定番の薬を今から作り溜めしているのだ。


 その客が来たのはナーシアも昼食を終えて、二人でトロチの実を磨り潰していた時のことだ。トロチの実は親指の爪程の丸い木の実で、所謂どんぐりの一種だ。薬効として解熱作用と軽い鎮痛作用を持っており、多くの病に対応出来る優れた薬材である。その代わりと言うわけではないだろうが、トロチの木が人の手で栽培された例はなく、入手先は全て自生に頼っている。このトロチの実も全てリーアが街の東にある大森林で採集した物だった。

「いらっしゃいませ!どうされましたか?!」

 ナーシアは素早く石臼を挽く手を止めると、笑顔を見せながら客を出迎える。一瞬の躊躇の後にリーアも客に会釈を行うが、内心では姉の対応の早さに関心を示した。リーアは未だに武装した者を見ると、まずは本能的に実力を量ろうとする癖を直せずにいる。それを克服した姉に尊敬の念を抱いたのだ。

「えっええ、少し相談したいことがあるのですが、良いでしょうか?」

 上等な服を着て腰に剣を帯びた若い男は、僅かに驚いた顔を見せながらも丁寧に受け答える。それを見たリーアは、この男が外見どおりに騎士かそれに準じた地位にある者と睨んだ。服装は簡単に変えられるが、咄嗟に出る受け答えや喋り方はなかなか変えることは出来ない。男から滲み出る洗練された気配と、腰の剣は飾りではなく多少なりに心得があることを読み取ってそのように判断した。

「もちろん、私どもでお答えできることがあれば、なんなりと。どうぞ、そちらにお掛けになって下さい」

「あ、ありがとうございます!」

 ナーシアの薦めを受けて、男は顔を上気させながらカウンターの椅子に腰を降ろす。彼に限らず初めて訪れた客がナーシアの美しい姿に戸惑うのはこの〝白百合薬店〟ではよくあることだった。


「まあ、そのようなことが・・・。さぞかし大変でしたわね。でも、フォルクス様の職務に対する態度はご立派です。私も出来る限り協力させて頂きますわ」

「ええ、感謝します。では、何かお気づきになられたことはありませんか?」

 ナーシアは客の男が自分の身分と名前、そして〝白百合薬店〟を訪れるに至った経緯を語り終えると労うように相槌を打った。店にやって来た当初は軽く緊張していた彼だが、今やナーシアの柔らかい物腰と話術によって、すっかりそれを解かれていた。彼女は見た目の美しさだけでなく、人の心を開く術にも秀でている。男ならばなおさらだ。

「そうですね、やはり・・・フォルクス様が想定した通り、その方が毒殺されたのだとしたら、ワインの瓶ではなく、亡くなった方が使った杯に細工をして毒を塗りつけていたとも考えられますね・・・」

 改めて問われたナーシアは慎重に言葉を選びながら答える。客の男フォルクスはリーアが睨んだとおり、この街の領主に仕える騎士で街の治安維持を担当する衛士隊の副隊長を務めていた。彼はラハダスの領主から直々に急死した街の役人バルタークの死因調査を命じられ、毒殺された疑いを突き止めると、その手掛かりを求めてこの〝白百合薬店〟へ相談に訪れたのだ。バルタークの死が毒を使った他殺であると深い確信が得られれば、より本格的な調査に移るのだろう。

「ええ、そうなのです。バルターク氏はとある会合に出席した夜に急死されたのですが、その日は夕食を後回しにして書斎に向かったらしいので、毒を摂取したとなると会合で出されたワインとしか考えられないのです。更に一緒に会合で出されたワインを飲んだ他の参加者は無事なので、毒はワインそのものではなく、杯に仕込まれていたのではと睨んでいます。この方法に適した無味無臭の液体状の毒薬をご存じありませんか?」

 自分の考えをナーシアに肯定的に受け止められたフォルクスは、嬉々とした表情で核心とも言える質問に移る。

 その様子をカウンターの端でトロチの実と格闘しながら聞いていたリーアは、崖に向かって馬を駆足で走らせる愚者を見るような思いだった。フォルクス自身は領主からの直々に命令を受けたことで、自分の能力を示す機会として捉えているようだが、実務に乏しく家柄だけでその地位を得たと思われる若い騎士に期待する者はいない。領主が本気で急死した役人の真相を暴くつもりなら、もっと経験豊かな者に命令を下しただろう。

 それに加えて、急死したバルタークは何かと曰くつきの人物だ。普段から街の噂に耳を傾けているリーア達姉妹もその名前には聞き覚えがあった。街の城壁の修復と新設を理由に増税を推奨する役人であり、当然のことながら街の住人には嫌われている。それだけなら、問題を先延ばしにせず、将来の不安に備える役人として評価される面もあるはずなのだが、彼の場合は城壁造りを担当する石工ギルドから多額の賄賂を受け取っているという黒い噂があった。これが事実なら彼は街の安全と防衛を名目に私腹を肥やしていることになる。街の支配者である領主にも、税を払う街の住人にとっても好ましい人物とは言えなかった。

 これらの事実を踏まえてリーアは、フォルクスなる騎士が担当するこの調査は形式的な手続きに過ぎないと判断した。不運な自然死として終わらせるのが最良の結末だ。だが、彼は中途半端に頭が切れるためか、不審点に気付いてしまった。もう少し賢ければ自分に期待されている役割を素直に演じただろうし、やる気と才能が低ければ不審点に気付かずに同じ結果になっただろう。ある意味、最悪な事例と言えた。そして、そのフォルクスがこの店にやって来たことで、リーア達姉妹も運命の渦に巻き込まれつつあった。ちょっとした事件ならば平穏な日常の刺激になって歓迎出来るが、今回に限っては選択を誤ると身の破滅もありえる。リーアは姉に自分達が置かれている危機を報せるために、二人だけに通じる目配せを送った。

「・・・もしくはワインそのものが亡くなった方・・・バルターク様でしょうか?その方にとって毒となった可能性もありますわ。バルターク様は持病をお持ちではございませんでしたの?酒精は血脈を乱す効果を持っていますから、それで急激に病気を悪化させて亡くなる事例も少なくありません」

 まずはフォルクスの意見に肯定を示したナーシアだが、さり気なく役人の死が不幸な事故であったように話を誘導する。リーアが危惧するまでもなく、彼女もこの若く家柄の良い騎士が自分の置かれた状況を理解していないことを理解した。彼は世の中には明らかにすべきでない真実があることを知らないのだ。とは言え、立場上そのような正論を伝えることは不可能だ。正面から反論するのではなく、本人のプライド等を刺激しないよう穏便な結末に誘導するのが正しい対応と思われた。更に彼女はさり気なく髪を掻き上げて右耳を撫でる。これはリーアに対して〝了解〟の意味を持っていた。

「ええ、私もその可能性もあると思って、彼の家族や使用人に聞き込みをしましたが、バルターク氏の健康状態は良好でここ数年は風邪を引いたこともなかったそうです。ですから毒殺を疑っているのです」

「なるほど・・・、さすが若くして衛士隊の指揮をされるフォルクス様でいらっしゃいますね。差し出がましい質問でした・・・」

「いえ、そんなことはありませんよ!」

 ナーシアに褒められたフォルクスは嬉しそうに笑みを浮かべるが、二人の会話を聞くリーアにとっては非常にじれったい光景だった。許されるのならば『そこまで頭が回るなら、もっと大事なところに気付けよ!』と問い詰めたい。だが、それでは角を立てずにフォルクスの対応をしている姉の苦労を壊すことになる。事実、ナーシアはフォルクスの中途半端な頭の切れ具合から下手な誘導よりも、褒めることで話を誤魔化す戦術に切り替えていた。

 姉妹としては自分達が今回の毒殺事件を解決する糸口を知っていることを、フォルクスに気付かれることなく帰ってもらうのが最善事項だ。真実はともかくとして、彼の推測のとおり液状の無味無臭の毒薬は存在する。幾つか思い当たるが、これらの毒の調合や使用には専門知識が必要で入手方法も限られてくる。もしバルタークが毒殺されたとするならば、それを実行したのは素人ではないということだ。詳しい毒の存在をフォルクスが知れば、それを足掛かりに彼は調査の手を広げるだろう。そうなれば、調査に協力した彼女達も暗殺を実行した者、あるいは者達に目を付けられるということになる。これは平穏な暮らしを願う姉妹にとっては最優先で避けるべき事態だ。

 また、肝心なところは間抜けているとはいえ、衛士隊の副隊長であるフォルクスに対して表立って調査の協力を拒否することも出来ない。衛士隊の副隊長である彼の機嫌を損ねては、街で商売を続けるのは難しくなるだろう。この状況を切り抜けるためにナーシアは、自分の持つ話術を最大限に活用する必要があった。

 しばらくの間、ナーシアは事件に関する話題を避けながらフォルクスと雑談を続ける。姉妹で薬店を開いた経緯や二人の両親について等の予め用意していた偽の経歴である。これらはナーシアに気を寄せる男達に聞かせる定番の話で、早くに両親を亡くした姉妹は親戚に預けられながらもなんとか一人前の薬師となり、独立して店を構えるためにラハダスの街に流れて来たこと、開店資金は親が残してくれた遺産であること、妹のリーアが成人するまではナーシアは結婚を避けていたこと等をフォルクスに語り聞かせた。

「ですから、今から良縁を探しておりますの・・・」

 ナーシアが決まり文句で話を終える頃には、すっかり陽が傾き掛けていた。彼女の本心としては所帯を持つつもりはなかったが、最後に結婚願望を匂わせることで未婚であることを強調させる。その方が男の受けが良いからだ。

「あなたのような美しい方なら、多くの男性が夢中になるのではありませんか?・・・ああ、すいません、すっかり長居をしてしまいましたね」

「いえ、こちらこそ。フォルクス様のお役に立てずに申し訳ありません。・・・一口に薬師と言いましても私達の得意とする分野は市井の人々の病気や怪我に関することですので、そのような特殊な毒物には疎いのです・・・」

 リーアが店内のランプを灯したことで、時間の経過に気付いたフォルクスは腰を上げる。彼が帰る素振りを見せると、ナーシアは既に告げていた詫びの言葉を繰り返した。

「いえ、こちらこそ。むしろ、あなたのような綺麗なご婦人とお話しが出来て光栄でした!」

「私共もフォルクス様とお近づきになれて光栄ですわ。・・・当店は姉妹と二人で切り盛りしていますから、いざという時はフォルクス様を頼ってもよろしいでしょうか?」

「ええ、何かありましたら相談して下さい!飛んできます!」

「まあ、うれしい!では、お気をつけてお帰り下さいませ」

 ナーシアはカウンターから出ると、貴婦人のようにフォルクスの手を取って彼を店の外まで見送った。男としてのプライドを満たされ、ネーシアの掌の感触に官能的な喜びを得た若い騎士は満更でもない表情を浮かべている。これで彼は何のために〝白百合薬店〟を訪れたのか忘れてしまうだろう。


「・・・お疲れ様、姉さん。なんとか上手く誤魔化せたね!」

「ええ、そっちも店を任せきりにして悪かったわね。・・・でも、私達ってこういうことから完全に抜け出せないのかしら?」

 お互いを労わりながら姉妹は今日の商いを終える片付けを始める。ナーシアがフォルクスと会話をしている間に三人ほどの客がこの店を訪れており、彼らの対応は全てリーアが受け持っていた。

「・・・昔の癖で、堅気の人間じゃ気付けないことにも勘付いてしまうからね」

「なるほど・・・そういうことか・・・」

「・・・手口からすると、アーキュレかな?」

 人間社会の闇の部分に精通した自分達に悲観的になりつつも、リーアは自身の見解を姉に伝える。深入りするつもりはないが、好奇心を湧きたてられる出来事には違いなかった。

「彼の話が全て正しいとするなら、そんなところかしら。アーキュレは効果時間をある程度指定出来るから、夕食を食べていればバルタークの使用人が疑われていたでしょうね」

 アーキュレとは多年草の毒草だ。水の綺麗な川や沢の近くでしか生えないため確保するのが難しいが、抽出された毒は無味無臭で濃度によって効果発症時間を調節出来る特徴を持っている。今回の事例に最も一致した毒だった。

「それで計画が狂ったってことか・・・」

「ええ、それに領主の対応からすると、バルタークは私達の知らない悪事にも加担していたか、領主の弱みでも握っていたというところじゃないかしら?失脚させるだけでは安心出来ないってことだからね。後、あなたも気付いていたと思うけど、二番目にやって来た人の良さそうな中年の女性、素人じゃなかったわ。あれはあの騎士様と私達の対応を探りに来たんでしょうね」

「うん、あたしも直ぐに歩き方で気付いたよ。わざと音を鳴らしているようだったしね。だから、こちらの手の内を見せないようにして上手く対応したつもりだよ。そう言えば、姉さんとは逆に年齢を上げるような化粧をしていたけど、そっちの腕もあまり・・・いや、うそ!今のなしで!」

 リーアは自分の失言に気付くと、慌てて口を塞いで発言を誤魔化そうとするが、ナーシアは不自然に顔の表情を消すと口元を痙攣させる。大概のことはちょっとした小言で許してくれる姉だが、年齢の話題だけはご法度だった。世間にはリーアの五歳上の二十三歳で通しているナーシアだが、その実はリーアの十二歳上である。薬の効果と化粧で外見上は若いように見えるが、このように本来の年齢を指摘されると途端に機嫌が悪くなるのだ。

「い、いやーさっきの男も姉さんの魅力にメロメロだったなー!!あたしも姉さんの半分でもいいから色気が欲しいなー!!」

「ふふふ、冗談よ!本気で怒っているわけじゃないわよ!それよりもあなた・・・ハミルとはどうなの?」

「・・・いや、ハミルとは何でもないよ。あいつも姉さんの虜の一人だし。そもそも、あたしが男の惚れるとしたら、最低でもあたしより強くないと駄目だね。そんな男はラハダスには滅多にいないからね、仕方ないね!」

 なんとか姉の機嫌を宥めたリーアだが、急に振られた質問に慌てて答える。ハミルは通りを挟んだはす向かいで営業する宿屋〝羊の枕亭〟の跡取り息子だ。年齢も近く毎日顔を合わす仲だが、リーアが彼を男として特に意識したことはない。

「あなたの趣味に口を出すつもりはないけど、それはちょっと高望みじゃないかしら?」

「まあ、あたしは姉さんとこうして一緒に暮らせるだけで幸せだしね!さてと、片付けも終わったしご飯を食べに行こうよ!ハミルはともかくレンエイには会いたいし!」

「・・・そうね、行きましょうか!」

 リーアの返答に一旦は複雑な表情を見せたナーシアだが、再び笑みを取り戻すと子気味良く頷いた。彼女も最近〝羊の枕亭〟に住み着いた妖精レンエイのことは愛らしく思っている。彼の屈託のない笑顔を見ると自分も穏やかな気分になれるのだ。

 勝手口から表の通りに出た頃には、姉妹の頭の中からフォルクスと彼が持ち込んだ事件への興味は殆ど消えていた。今の二人にとっては、〝羊の枕亭〟で時折姿を見せるレンエイの姿を見守りながら、麦酒と美味しい料理で今日一日の疲れを癒し明日への英気を養うことこそが最大の関心だった。


「まあ、大森林へ派遣される増援部隊の指揮官に抜擢されましたの!」

「ええ、そうなのです。ですから、以前は私に頼って下さいとお伝えしながらも、その約束を果たせることが出来なくなり、こうしてお詫びに出向いたわけです」

「まあそんな!栄転ではございませんか。おめでとうございます。それに街を守るお仕事に私達姉妹が口を挟むことではありませんわ。そのお気持ちだけで充分でございます!」

「そういって頂けると助かります。それと今回こちらに出向いたのはそれだけではなく、胃腸薬の買い付けでもあるのです。砦では新任の騎士や兵士達は決まってお腹を壊すようなので、予め準備しようと思いましてね」

「それは・・・大変ですわね・・・かしこまりました。直ぐにご用意いたしますわ!」

 フォルクスが再び〝白百合薬店〟を訪れたのは最初の来店より二週間が経過した後のことだった。この間に何があったかは伺いしれないが、彼は大森林に築かれている砦の新たな幹部に任命されたようだ。ナーシアは栄転と言ってはいるが、タイミングを考えると例の事件で対応を誤ったために左遷されたと見るのが妥当だろう。

「ご用意したしましたわ。お腹の調子が悪くなりましたら、食後に包に入った粉薬を水と一緒に飲んでくださいませ」

「ありがとうございます。・・・出来れば、あなたとはもっとお話ししたいのですが、他にも挨拶に回る場所がありますので、これで失礼いたします」

「ええ、ご武運を!」

 名残惜しそうな顔を見せるフォルクスをナーシアは前回と同じく外まで見送った

「これからの砦務めはきつそうだ・・・」

 店に戻った姉にリーアが苦笑を浮かべて語り掛ける。彼女自身も大森林に出向くことがあるため、冬の森の厳しさを知っている。街での生活に慣れたファルクスには大変な試練になるだろう。

「うん、根は悪い人じゃないから気の毒だけど、・・・逆にそれで済んで良かったとも言えるわね」

「まあ、確かにそれはあるね。・・・次、森に行く時には胃腸薬を差し入れに持って行ってやるかな」

 ナーシアの言葉にリーアは頷く。口にこそ出さないが二人は、急死した役人バルタークはこの街の領主、もしくはそれに近い立場の者の命令によって消されたと仮定している。ファルクスがこの程度の左遷で済んだのは、むしろ僥倖と思えたのだ。

「あら、リーア!あなたが他人を思いやるなんてどんな風の吹き回しかしら?」

「あたしだって、たまにはそんなこともしたくなるさ。あの人、頭は中途半端に足りないけど、なんとなく憎めない奴だったからね。そんなわけで姉さん!あたし、冬の採集に備えて新しい毛皮のマントがほしいなあ!」

「もう!上手くおねだりの理由を見つけたわね!・・・まあ、今年の冬は厳しいらしいし、あなたに寒い思いをさせたくないし・・・仕方ないわね、良いわよ!」

「やった、ありがとう!エルマの店にある黒貂のフードが付いているのを狙っていたんだ!」

「ちょっと!そんな高そうなのは無理よ!」

「大丈夫、エルマには貸しがあるから上手く値切るさ!」

 リーアはここ最近なんとなく持っていた心の憂いが晴れたことを感じると、ナーシアの心配をよそに鼻歌を歌いながら薬の調合を再開させるのだった。


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