第一話 光る髑髏
剣と魔法の世界を舞台にした、ゆるい冒険物語です。
街中で起こるちょっとした問題を主人公姉妹が解決します。
別シリーズ「魔女の落とし子」と世界観を共通させています。
その店は積年の利用によって擦り減った石畳が目立つ下町の通りに看板を掲げていた。まだ赤味が残る樫の木で作られた看板には西方語の文字で〝白百合薬店〟と書かれている。石造りの建物は長い間風雨に晒された痕跡を残すものの、要所は白い漆喰で補修されており周辺も綺麗に掃き清められていた。大通りに繋がる辻近くにあるとはいえ、この〝白百合薬店〟が建つ通りは、冒険者と呼ばれる武芸や魔法等の才能を頼りに荒事を引き受ける無頼の者達が集まる通りと知られており、彼らを目当てにした商売の店が連なっている。冒険者に衣食住を提供する宿屋や酒場等、道具屋や鍛冶屋等である。その中にあって小奇麗な佇まいを誇る〝白百合薬店〟はまさしく雑踏に咲く一輪の花のようだった。
広くはない店の間口に喪服を着た婦人が差し掛かる。頭に白いものが目立ち始め、そろそろ初老に達しようかという年頃だが、身を包む黒いドレスは生地も製法も上等である。昼とは言え、このような裕福な婦人が一人でこの通りに現れるのは珍しいことだ。慣れない場所なのだろう、借りてきた猫のようにそわそわしているが、樫の木の看板に書かれた〝白百合薬店〟の文字を読むと安堵の溜息を吐いた。目当ての場所が思っていた以上にきちんとした店構えであったのが嬉しいようだ。もう一度看板に書かれた文字を確認すると、彼女は砂漠を歩く旅人がオアシスを見つけたかのような足取りで店の戸に向かって早足に歩き出した。
このように育ちの良い婦人が一人で歩くにはちょっとした勇気がいる通りではあったが、主な住人である冒険者達が街の鼻つまみ者というわけではなかった。〝白百合薬店〟が存在するラハダスの街はベリゼール王国の第二の人口を誇る街であり、王国は西方こそ王家の分家である友好国に面していたが、北は蛮族が闊歩する山岳地帯、南は〝古龍の狩場〟と呼ばれる草原、東は大陸でも最大と言われる大森林が存在し三方を人の理が通じぬ魔境に囲まれていた。ラハダスの街はベリゼール王国の南東部に位置しており、大森林と草原地帯への玄関口であり堤防でもあった。それらから流れ出る怪物やトラブルを退治あるいは解決するのに彼ら冒険者が一役買っていたのである。
特に東の位置する大森林は、エルフ族と妖魔と呼ばれるかつての神々の大戦で暗黒の神側に加担した種族との戦いが現在でも脈絡と続いていた。エルフ族が妖魔に敗れれば次の矛先がベリゼール王国に向けられるのは必然で、王国は森の半分を支配するエルフ族と正式な同盟関係を結んでおり、増援として冒険者をエルフ族側に斡旋、または王国独自に妖魔討伐に報奨金を掛けていた。つまり冒険者は街の産業でもあり、治安維持の従事者でもあったのだ。それ故に柄の悪さを少なからず疎まれることはあっても、街の住民から一方的に嫌悪されるということはなく、彼らを補助もしくは彼らの懐を目当てにする店が集まり出して通りの一つが冒険者街となった。〝白百合薬店〟もそのような冒険者を主な顧客として開店された店だった。
「いらっしゃいませ!」
意を決めて〝白百合薬店〟の戸を開いた老婦人を鈴の音と若い女性の凛とした声が出迎えた。店の直ぐ入った横には待合用と思われるテーブルと椅子が置かれ、奥はカウンターとなっており、その向こう側に若い女性が軽い微笑を湛えて立っていた。年齢は二十代半ば程で、緩く波を描く金髪を後ろでまとめ、ゆったりした灰色のローブを纏っている。整った顔にはしっかり化粧を施しているが、嫌味になるほどではなかった。アクセサリーの類は身に着けていないが、豊かな金髪とサファイアのような青い瞳がそれを必要としないほど彼女の美しさを際立たせているように見えた。広いとは言えない店内だけに、女性の直ぐ背後には細かな抽斗を揃えた箪笥が置かれて、その一つ一つに異なった薬の材料が保管されていると思われた。また、カウンターの上にも様々な色の液体が入った瓶が置かれており、すり鉢や重さを量る小型の天秤等の仕事道具が並んでいる。僅かだが店内に立ちこめる酸味のある匂いからすると、たった今までなにかの薬を調合していたに違いなかった。
「あ、あの・・・」
店主と思われる金髪の女性を前にして老婦人は、絞るようにして辛うじて声を出した。今更、この女性に自分が失った若さや美しさに対して嫉妬したわけではなかったが、あまりにも女として魅力的な店主の姿に驚いたのだ。彼女からすれば薬屋は男性、もしくは自分と同じような落ち着いた年頃の入った女性が営むものと想定していた。
「何かお困りですか?よろしければお話しを伺いますわ。どうぞそちらにお座りになって下さい」
「・・・ええ、・・・そうですね。ありがとうございます」
店主の年齢に薬屋としての腕前に疑問を持った婦人だが、優雅な物腰でカウンター前の椅子を薦められると言われるままに腰を降ろした。思っていた以上に若い店主だが、言葉使いも丁寧で品がある。もともと、腕の良い薬屋としての評判を頼りにこの店まで出向いたのである。このまま手ぶらで帰るのは気が引けたし、何より策も無いまま夜を迎えることになる。もし、法外な値段の薬を売られそうになったら、はっきりと断って店を出れば良いだけである。老婦人はそのように判断すると、自分が抱える悩みとそれを解決する薬を求めていることを語り始めた。
老婦人の名前はモニサ、出身はベリゼール王国の首都テオドル出身で、彼女が18歳の時にこの街の商人の下に嫁いできたという。二人の間に子供は出来なかったが、商売は成功を収めラハデスでもそれなりの地位の商人となった。そして、その夫は半年前に屋敷と生活するのに困らない財産を彼女に残して亡くなっていた。
伴侶を失った悲しみを乗り越えて、これから静かな余生を送るつもりだったモニサだが、その身に一つの問題が持ち上がった。屋敷に夫と思われる幽霊が出現したのだ。最初は使用人達の噂として持ち上がった与太話と思われたが、やがて雇っている女中全員が見たと言い始め、妻に殺された主人が化けて出たと根拠のない中傷に晒されるようになった。そして、中傷には全く覚えのないモニサ自身も宙に浮かびながら光る髑髏の幽霊の姿と声を目撃し、その恐怖を現実として体感した。根拠はともかく幽霊らしき存在が出現したのは間違いのない事実として認める他なかった。そんな状態がしばらく続き、遂には屋敷で働く女中達はその幽霊に怯え、暇を願い出るようになり、モニサは屋敷に一人残された。新たな女中を雇おうにも既に噂が広まってしまい幽霊が出る屋敷で働こうとする者はいなかった。夫が残した屋敷であるので、手放すことも逃げることも出来ずに困っており、それでせめて幽霊の出る夜を早く寝てしまうことでやり過ごそうと、睡眠薬を買いにこの店にやって来たというわけだった。
「幽霊の出る屋敷の話は私も耳に挟んだことがあります。ちょっとした噂だと思っていましたが、当事者である奥様にとっては生活のみならず名誉にも関する問題でしょう。お気持ちをお察し致します。・・・さぞかし心を痛まれましたことでしょうね。ここは他には人の目がありませんし、私も外部にこの話を漏らすことはいたしません。よろしければもう少し詳しくお話し下さい」
薬屋の女主人であるナーシアは老婦人モニサに共感の気持ちを示しながら、新たな情報を引き出そうと水を向ける。ある程度の事情は理解したが、彼女は客が望む睡眠薬を売ることに抵抗を感じていた。経験からしてこの手の薬は徐々に強い効果を求めるようになり、やがては現実から逃げるように依存性の高い麻薬に溺れるようになることが多い。最初に弱めの薬を処方しても原因が解決されなければ、もっと強い薬を求めてエスカレートするだろう。ナーシアはこの店を長く営むつもりでいたので、ただ薬を売れば良いというやり方は好まなかった。だから、薬に逃げるのではなく原因そのものを解決する案を提示するべきだと判断した。それに加えてこの客の話には不自然な点があった。幽霊は激しい感情、主に恨みを残して死んだ者の霊がこの世の法則に逆らって地上世界に留まった霊魂とされている。街中に出現するのは稀であったし、死後しばらくして現れたのも不可解である。ナーシアはかつての商売柄、何らかの陰謀の匂いを感じ取ったのだ。
「ええ、そうなのです。夫の死因は外回りの際の事故死ですから私の関与などあるわけありませんし、まして私もあの人もお互いを愛していたのですよ。私に恨みを持って化けて出るなんてありえません!」
ナーシアの共感を得たモニサは涙ながらに訴えた。使用人がいなくなった彼女にとって話を聞いてくれる相手さえも久しぶりのことだった。
「・・・問題が問題だけに、いずれかの神殿の司祭様にご相談はされなかったのですか?」
「ええ、もちろんしました!ユラント神の神殿に充分な寄進をしてお祓いをしてもらいましたが、効果は全くありませんでした!文句を言いに行きましたが、充分に手を尽くしたとの一点張りでまともに取り合ってもらいませんでした。私も商人の妻ですから、お金を返せとは言いませんでしたが、もう二度と寄進なんてするものかと思いましたよ!」
「それは酷いですね。・・・神官達は自分達だけが神に愛されていると思っているのでしょう!ああ、それとお茶もお出ししないで申し訳ありません。遅ればせながらご用意いたしますわ」
先程までは泣いていたモニサだが、今度は怒りを露わに質問に答える。その様子から彼女の精神状態がかなり不安定と見たナーシアは、心を落ち着かせる作用を持つハーブ茶の用意をしてモニサに差し出した。
「では、御主人の遺産は全て奥様が相続されたのですね?」
「ええ、あの人は私を想って生前からしっかりとした遺書を残してくれました。この街には甥の夫婦も住んでいますが、この甥は浪費癖のある者で財産を残しても直ぐ使い果たすと思われましたから、あの人も無駄だと判断したのでしょう。彼には一切残していません。私達には子供が出来ませんでしたから、甥を後継者にする予定もあったのですが、嫁との結婚に反対にしたことで疎遠になったのです。甥が連れて来た嫁というのが酒場で給仕をしていたらしく。あの人は彼に相応しくないと言っていました」
「なるほど、そうような事情がおありでしたか」
ハーブ茶を淹れている間にも話を促していたナーシアは、新たな事実を聞くと改めて相槌を打った。とは言え、心の中ではモニサの亡き夫が少し厳し過ぎるのではないかと思っていた。確かに酒場の給仕娘の中には裏の仕事も持つ者もいたが、全員がそうであるとは限らない。また、この世界では直系でなくとも親族には何かしらの遺産を分け与えるのが慣習とされている。甥夫婦が好かれていなかったとしても、かなり酷い扱いであると言えた。ナーシアには老婦人の抱える問題の真相が見えつつあった。
「奥様が睡眠薬を求める理由は、充分に理解いたしました。・・・ですが、睡眠薬は使い方を誤ると危険な薬ですので安易な使用はお薦めいたしません。その代わりといっては何ですが、今晩、私と私の妹の二人で奥様のお屋敷を調べさせて頂けないでしょうか?もし、それで睡眠薬を使わねばならないと私が判断しましたら、必要な量をお譲りいたしますわ」
「解決する手立てをご存じなのですか?!」
「今の段階で、はっきり申し上げ出来ませんが、私の持つ知識にこの現象を説明出来るものがございます。ですが、それはあくまでも推測に過ぎませんので実際にその幽霊らしき存在を調べることで、はっきりさせたいと思います。私の妹は薬草を取りに街の外に出ておりますが、今日の午後には帰ってきます。あれは妹ながら色々と役に立つ者なので、二人ならば不測の事態にも対処できるはずです。いかがでしょうか?」
「まあ!あの幽霊をなんとか出来るの!・・・いえ・・・ですが、お礼はどれほどお支払すればよろしいのでしょうか?」
落ち着いた頃を見計らってナーシアはモニサに睡眠薬の安易な使用の危険性とその代わりに事件解決への協力を提案する。モニサは一縷の望みを見たように喜色を露わにするが、長年商人の妻でいた彼女は報酬について確認することを疎かにすることはなかった。
「いえ、私共は薬屋ですので、これからもご贔屓して頂ければそれで充分です」
「では、もしあの幽霊を二度と出なくしてくれましたら、このハーブ茶をこれからずっと定期購入いたしましょう」
「ええ、お願いいたします」
ナーシアとしても報酬はそれで充分と思えたので、笑顔を浮かべて承諾する。彼女としても今回の事件は丁度良い刺激となるはずだからだ。以前のような危ない橋を渡るような生活に戻る気はなかったが、かといって堅気の生活は単調で刺激に乏しい物だ。妹のリーアも店の経営が安定した現在では、店番よりも薬草採集を口実に街の外に出ることが多くなっている。彼女も刺激に飢えているのに間違いない。理由を説明すれば喜んで手を貸してくれるだろう。
「二階は北東の部屋なら簡単に侵入出来るね。それに一階の厨房側の勝手口も安っぽい鍵だから、簡単に開けて中に入れるだろうね」
ナーシアの妹であるリーアが一通り屋敷を見回った後に姉に報告する。数時間前に街の外から戻ったリーアだったが、姉から事情を説明させると疲れも見せずに二つ返事で幽霊退治に協力を示した。合流した姉妹は夕暮れ前に依頼人とも言えるモニサの屋敷に訪れると早速行動を開始したのだ。
「そうね、おそらくは北東から侵入したと思えるわ。あそこは庭の木で外からの視線も遮られて、外壁の造りも雑で僅かな手掛かりがあったからね」
妹の見立てにナーシアは頷く。リーアは癖のない黒髪を短く切り揃えた若い女性だ。顔付きはまだあどけなさを残しており、そばかすも目立つが、濡れたような艶のある長い睫毛が特徴的だった。金髪碧眼であるナーシアとは似つかず派手さはないが、切れ長の目と長い睫毛に惹かれる男は少なくないと思われた。もっとも当の本人は自分が持つ潜在的な女としての才能に無頓着であり、街の外での活動が多いためか普段から黒色に染めた革鎧を身に纏い、ショートソードと投げナイフで武装していた。その出で立ちは薬師というよりは冒険者である。もっとも、今回は下手をすると荒事になる可能性もあったのでリーアは心強い存在だった。ナーシアも万が一に備えて護身用と捕獲用の得物として革製の鞭を用意していた。
「ああ、やっぱりあったよ、姉さん!」
屋敷の外の見回りを終えた二人が、幽霊が目撃された二階の廊下を調べているとリーアが声を上げた。扉の上部の壁等に打ち付けられている小さな釘を複数見つけ出したのだ。これはこの場を調べる前にナーシアが予言していたことだった。
「ええ、どうやら私が推測した通りだったわね!」
「うん!どうする?モニサさんに報告する?」
「いいえ、まだ早いわ。これは状況証拠でしかない。今報告して彼女を興奮させてしまうと、犯人は白を切るだけでしょう。決定的な証拠である現行犯で捕まえないと意味がないわ」
「なるほど、じゃあ今晩にケリを付けるわけだね!」
姉の説明を受けたリーアは笑みを浮かべると、ショートソードを引き抜いて掌で柄を回し華麗な曲芸を見せる。
「もう、リーア!武器を使うのは最後の手段よ!」
「もちろん、わかっているさ!」
姉に窘められたリーアだが、その言葉とは裏腹に何かを期待した黒く輝く瞳を変えることはなかった。
「・・・それじゃ、夜に備えて段取りを練りましょう」
妹の態度に呆れるナーシアだが、自分もちょっとした冒険に対する期待は捨てきれていないため、妹を責めるのは止めにする。昔の生活に戻るつもりはなかったが、完全なカタギとなるには時間が掛かるようだ。それでも自分達が人助けという陽の当たる場所にいることに満足すると、ナーシアは妹と連れだって一階へと降りていった。今、屋敷の主人であるモニサは姉妹をもてなそうと夕食の準備をしているのだ。
「来た・・・」
美味しい夕食を食べ終えて、客室で待機していたナーシアとリーアは、真夜中の暗闇の中でお互いに顔を見つめながら頷いた。常人ならば、聞き取れない微かな音をその耳に捉えたからだ。注意して聞けば、それは外壁を登る音に違いなかった。外から何者かが北東側から屋敷の内部に侵入しようとしているのは間違いない。だが、二人は密かに微笑むと、もうしばらく侵入者を泳がせることにする。賊が全ての準備を終えてからその現場を抑えるつもりだからだ。やがて存在を誇示するように、人の激しい息づかいのような音が廊下から聞えてくると、姉妹は解決に乗り出すべく部屋を飛び出した。
素早く廊下に躍り出たナーシアの瞳に青白くに光りながら、蝶のように無規則に宙を漂う髑髏が映る。それは確かに不気味で異様な光景ではあった。もし、女中のような街中で一生を終えるような安寧な人生を歩んでいる人間ならば、恐ろしさに震えることもあるだろうと思われた。だが、彼女の胆はその程度で冷えるほど虚弱ではない。それに今回は事前に話を聞いており、この現象について見当を持っている。ナーシアは鼻で笑うと、トリックを仕掛けている人間が隠れていると思われる暗闇に警告を発した。
「もう茶番はおしまいにしなさい。髑髏に光苔を張り付けてワイヤーで吊っているのでしょうけど。そんな手は長くは続かないわよ!」
すると、それまで生きているかのように舞っていた髑髏が細かに震えるような動きに変化する。それは吊るされた振り子が見せる規則的な揺れだった。だが、それも長くは続かずに急に支える力を失った髑髏は廊下の床に向かって落下を始めた。
「リーア!」
それと同時に暗闇の中から黒い影が飛び出して廊下の奥に向かって走り出すと、ナーシアは妹の名を呼んだ。危険を報せるためではない。むしろやり過ぎないように窘める意味を込めていた。ナーシアが先程の警告を発している間にリーアは予め逃走ルートの妨害するよう位置取りをしていた。
「了解!」
姉の声を聞いたリーアは向かって来る黒い影を避けながら、足払いを掛ける。これが実戦であるなら、彼女は既に投げナイフを放っていただろう。彼女は姉の言い付けを忘れていなかった。慌てていた人影はリーアが驚いて避けたと勘違いし、擦り抜けようするが足を引っかけられて前へと転ぶ。さすがに盗賊の心得があるのか、無様に転ぶことはなかったが、受け身を取るのに精一杯であった。その隙にリーアは人影の背中に圧し掛かり、羽交い絞めにしながら用意していた革紐で手足の自由を奪った。
そのリーアの頭上を破裂音が唸り声を上げるように何かが掠める。それはナーシアの鞭であり、奥からリーアに襲い掛かろうとした新たな人影の顔を叩きつけたのだった。顔をしたたかに鞭で打たれた人影は、顔を両手で押さえながら悲鳴を上げて蹲る。すかさず起き上がったリーアが二人目の賊を革紐で縛り上げた。
「リーア!油断しちゃだめよ!」
「姉さんが鞭を使うのが見えたからね、任せたんだ!」
捕縛を終えたリーアが立ち上がると、姉に向かって笑み見せる。廊下は全くの暗闇とも言える世界だったが、ナーシアもそれにつられるように苦笑を浮かべた。
「もう、私がこれを使うのは本当に久しぶりなのよ!あんまり過信しないで!」
「ふふ、もちろんやばいと思ったら避けるつもりだったよ!それよりこれはどうする?」
「もちろん、証拠の品だから丁重に扱って。この二人を下の居間に降ろしたら、モニサさんを起こして事件の真相を伝えましょう!」
ナーシアは床に落ちた光る髑髏を持ち上がたリーアに指示を与える。確かな物質として存在するそれは、光る粉を塗りつけられているため持ち上げたリーアの手も移った粉で光り輝いていた。〝光苔〟その名の通り淡いながらも光を放つ苔である。乾燥すると光を失うが、粉状になっても水分を与えることで再び光を放つ特徴を持っている。特別な薬効は知られていないが、薬師であるナーシア達にとっては特に珍しくもない植物だった。
「それでは、この二人がその髑髏を使って私達を驚かしていたと言うのですね!」
「そうです。どこからか手に入れた髑髏に〝光苔〟の粉末の塗し暗闇の中で光らせ、廊下に打った釘でワイヤーを張り、そこから吊るして飛んでいるようの思わせていたのです。偽物の幽霊ですから、神官のお祓いも効果がなかったのです」
「まさか、そんな子供だましだったなんて!」
屋敷の応接室で真相を告げられたモニサは縛り上げられた甥夫婦を前にして、憤りつつも自分を恥じるように嘆いた。
「おそらくは、女中の何人かは予め買収してあったのでしょう。恐怖心とは周囲に伝播しますから一度幽霊であると認識してしまうと、そこから抜け出すのは難しいと思われます。それに、なかなか迫真の演技ではありました」
「そういって頂けると助かります・・・。で、あなた達は・・・私を幽霊で脅かして屋敷から追い出そうとしていたのね!」
ナーシアの慰めを受けたモニサは再び甥夫婦に視線を戻すと、彼らの狙いを指摘した。一時はまんまとその策に乗せられた彼女ではあるが、トリックが判明すれば動機に辿り着くのは容易だった。
「・・・ええ、そうよ!私達を邪険に扱って、財産をほんの少しも残してくれなかったじゃない!正式な取り分を貰おうとしただけよ!」
それまで無言を突きとおしていた二人の賊、甥夫婦の妻の方が反論を口にする。夫の方は観念したように、うな垂れているところからすると、妻の方が主犯のようだ。
「まあ、何が正式ですか!あの人の遺産は遺書の通りに処置したのですから、あなた達が口を挟む権利などありませんよ!衛兵に突き出してやりましょう!」
「奥様、客観的に見ると甥夫婦が親族の家で悪戯をしただけですから、大した罪にはならないでしょう。・・・それに遺産については私から申し上げることはありませんが、慣例からすると甥夫婦に何も残さないというのは、彼らが不満を持つ理由としては充分に理解出来ます。もちろん、このような手段を用いた言い訳にはなりませんが、一度お互いにじっくり話し合うことを提案いたしますわ」
ナーシア達の役目は幽霊の正体を暴くことにあったので、本来の仕事は終えていたが中立的な立場で助言を行う。甥夫婦、特に嫁の方は素人ではなく明らかにある程度の盗賊の技術を取得していたが、彼らが邪悪であったのならばモニサの暗殺を試みたはずであり、まだ改心の余地が残っていると思われた。逆にこのまま彼らの不満を解決せずにいたら、ほとぼりを冷めた頃に今度こそ最後の手段に訴える可能性もあった。それだけにナーシアは暗に和解を薦めたのだ。
「・・・そうですね、一度じっくり話し合う必要があったのかもしれません・・・。あなた達、明日もう一度出直しなさい。今度はきちんと門から来るのですよ!」
モニサが判断を下すと、それまで成り行きを見守っていたリーアが無言で二人の縛めを解いて、部屋と屋敷から追い出した。甥夫婦にしても悪い話ではなかったので、彼らも素直に従がった。
「ああ、店主!本当に感謝します。これで再び安眠できるようになります!」
「ええ、安心こそ最高の睡眠薬でございますわ」
二人きりになり、笑顔で礼を伝えるモニサにナーシアも口角を上げながら頷いた。
「姉さん、新しく出来た店は上手くやっているみたいだよ」
「そうみたいね」
外から戻ったリーアの報告にナーシアは調合の手を止めると頷いた。幽霊事件を看破されたモニサの甥夫婦ではあったが、その後の話し合いの結果モニサからまとまった金を融資として受けるに至り、しばらくして冒険者通りに新しい道具屋を開業させていた。もともと彼らは〝光苔〟や髑髏を手に入れる伝手と行動力を持っており、資金さえあれば成功する可能性は秘めていたのだ。もちろん商売は、予測を立てるのが難しい生業ではあるが、ラハダスに集まる冒険者の数はこれからも増えつつあるように思える。無理をしなければ、これからもやっていけるだろう。実際ナーシアも鉱物系薬品の入手ルートの一つとして彼らと商談を交わしている。供給ルートが増えることは〝白百合薬店〟にとっても僥倖だった。それに加えてモニサも約束通り、ハーブ茶を毎週定期的に購入してくれている。味自体も気に入ってくれたようなので、長い目で見れば大きな利益となるだろう。
「しかし・・・こんなに上手くいくとはね、さすが姉さんだ!」
「まさか、たまたまよ。でも、上手く行って良かったわ!」
「・・・おっと!お客さんだ。小汚いあたしが店先にいるより、接客は綺麗な姉さんの方が適任だから薬草の整理もあるし奥に引っ込むよ!」
姉を褒めながらも、外の気配を嗅ぎつけたリーアは素早く言い残して店の奥に消えて行く。
「リーア、あなたの・・・いらっしゃいませ!」
ナーシアは妹の持つ魅力を説明しようとするが、店にやって来た客への挨拶で中断する。〝白百合薬店〟は客への誠心誠意がモットーなのだ。