Worrierは声もかけられない。
西の空が赤に輝く夕方になると、おれたちの練習はようやく終わる。……別に待ち望んでるわけじゃないから、『ようやく』っていうのとは少し、違うけど。
ヒーローではなくなったような気分に浸りながら顧問の先生にあいさつをして、それから更衣室で汗に濡れたシャツを着替えて、荷物をまとめて。
長い学校の一日も、ようやく終わりだ。
「──それにしても今日のお前、怖いくらい気合い入ってたことない?」
「え、そうだったっけ。おれはいつも通りのつもりだったけど」
「ぜったい入ってたって! パスの勢いもだいぶ強かったぞ」
自転車を押しながら、狭い歩道を縦に並んで歩く帰り道。こうやって駄弁る時間も、おれの好きな瞬間の一つだったりする。
学校の前を東西に通る道、名前は岩蔵街道。ありふれた片側一車線の普通の道だけど、おれたちの中学に通学してる人の大半が通過する大事な道だ。夕陽を背中に浴びながら山並みの見える東へ、途中で青梅街道と合流しながら東京環状や八高線を越えていくと、町役場の近くにおれの家はある。
その同じ方向へ帰るのが、部活仲間の藤橋と、それから高根だ。同じ幼稚園と小学校を出てる、言うなれば幼馴染みってやつ。
「来週はもう期末試験かー……」
その高根がぼやいた。バスケ部での成績は中の下くらいの高根だけど、頭はすごくいい。期末試験期間になるとおれ、毎度こいつに頼ってばっかりだ。
憂鬱な顔をしたおれを見て、学業成績まで完璧な藤橋が笑う。
「晴樹、どうせ今回も高根頼みなんだろ?」
「そろそろ僕も教えるの、億劫になってきたんだけど」
「つれないこと言うなよ……。おれ、今の授業についていくのすらやっとだってのに」
わざとらしく情けない声を上げながら、おれは自転車のハンドルを握る手に力を込めた。うるさいよ、頼らずに済むならおれだって頼らないのに。
いくらそれが実力相応でも、大人しく赤点に甘んじるのだけは嫌だ。だってそんなことをしたら、勉強できないのを隣のあいつに余計に示すことになる……。ってか、藤橋も高根もいったいいつ勉強してるって言うんだ? おれと同じ時間、こいつらだって部活に励んでるのに!
「また顧問の先生に怒られそうだよね、長谷部。『部活も大事だが学業はもっと大事にしなさい!』──って」
「晴樹ったら、定期テストの後は必ず職員室送りになるもんなぁ」
うるさいうるさいうるさい。前を歩く二人の談笑から耳を背けるつもりで、おれは遠くへ視線を移した。
六道山や狭山湖の稜線が、西の空へ消えていく太陽の光に照らし出されてオレンジに輝いてる。見上げた高い空を、鳥たちの黒いシルエットが飛んでいく。その遥か上を飛び越すように、輸送機の真っ黒な影が空をくり抜いていった。
足元からは虫の鳴き声が、道の先からは電車の走る音が聞こえてくる。賑やかで、忙しなくて、でもどこかのんびりとした夏の夕方の景色が、広がってる。
賑やかさの中に、ふっと寂しさを覚える瞬間がある。
バカ話ばっかりじゃなくて、胸に浮かんだこの感動を一緒に分かち合えるような相手がほしいなって思うのは、おれだけなのかなって。
おれなんて頭も良くないただの中学生だけど、それでも綺麗な景色を見れば心が揺れ動くし、『綺麗な音だったね』って誰かに語りかけたくなる。そのくらいの風情を解する心、おれにだってあるよ。でも、そういうことを友達にするのは恥ずかしいし。どうせするんなら、気心の知れた深い関係の人とがいい。
……なぁ、長谷部。
これってやっぱり、おれだけなのかな。
背後から聞き覚えのある女子の声がした。
「こら男子ども、ちんたら走らないでよ!」
げ、栗原だ──。藤橋が露骨に嫌そうな顔をする。
後ろから追い付いてきたのは女子バレー部の一団だった。おれたちと違って、みんな自転車に乗ってる。藤橋が言い返した。
「うるせぇ栗原、お前らの指図なんて受けるか!」
「通行の邪魔だって言ってんの! ほらみんな、通ろう通ろう」
いがみ合う藤橋と栗原、けっこう楽しそう。
おれは無言であいつの姿を探した。いた、長谷部。列の最後尾で、隣のクラスの女子と何かを話してる。
……あれじゃ、話しかけられないや。
がっかりする気持ちと、なんだかほっとする気持ちと、二つの反する感情を上手く両手で扱えないまま、おれはぼんやりと長谷部の姿を目で追った。
長谷部のことは、好きだけど。
その上、いつも隣の席に座ってるのに。
こういう時、おれはいつも、自分からなかなか話しかけられない。
なんでだろうな。クラスの他の女子とは気軽に話せるのにな。だいたい長谷部本人とだって、昔は話せたんだ。いつからか芽生えた抵抗感が、今ではとても誤魔化せないほどに大きくなって。
バレー部とバスケ部の終わる時間は近いから、夕方にこうやって出会うことも少なくない。だけど距離が近ければ近いほど、おれと長谷部の間の距離は離れていくように感じてしまって。
……そんなことに思いを馳せていたら、長谷部と思いっきり目が合った。
「あ」
気付いたらどちらかとなくそう言っていた。おれが急に居たたまれなくなったのは、言うまでもない。
「あ」って何だよ、「あ」って! もっとましなあいさつくらい思い付けよこのバカ! せっかく、その、思い浮かべてた人に会ったのに!
……そうは言っても、その瞬間にはおれはもうがっちがっちに緊張していて、せいぜい視線を外さないようにするのがやっとだった。
「長岡くんじゃん、部活お疲れー」
隣の女子が笑って言って、そこでようやくおれの緊張は少しほぐれた。うん、とおれも返す。
「お前ら、おれたちの方にあんまりボール飛ばしてくるなよな」
「それ、うちらのセリフでもあるからね」
お決まりのやり取りを交わすと、んじゃねー、と言い残して彼女はペダルをぐいと漕いだ。慌てて後を追うように、長谷部も足で地面を蹴った。長谷部、ずっと俯いていたような気がする。丸まった背中に陽が差して、なんだかすごく柔らかそうで。
それっきり、長谷部がおれのことを見てくれることはなかった。
元のように穏やかで賑やかな、夕方の景色が戻ってきた。藤橋と高根の声が、なんだか遠く聞こえた。
「あいつら、去年の西多摩大会で偶然ちょっと好成績残したからって、最近上から目線すぎねぇ?」
「でも何だかんだ言って藤橋くん、栗原さんと仲いいよね」
「そんなわけあるかよ! ああいう偉そうに指示出すヤツ、俺、嫌いだ」
そうだよなぁ、って思う。
結局、好き嫌いなんて見た目や言動でしか判断してもらえないんだもんな。
おれはどうなんだろう。好いてもらえるほどいいかっこ、長谷部の前で見せられてるんだろうか。さっきの無言にも近い時間が、その答えを自ずと教えてくれてる──なんてこと、ないのか。
聞いてみたいよ。
本当の気持ち。
まともにあいさつもできないのに、そんな勇気、出るわけないけど……。
前を行く二人の会話にそれからも混じりながら、おれは時々、足元を闊歩する自分の影を眺めてみた。
長く伸びた影は、おれがどんなに頑張って背筋をぴんとさせてみても、どこか寂しげなままだった。




