Romanticistは答えに悩む。
あーあ、最悪だ。
遅刻をなんとか免れたおれだったけれど、正直にいうと心の中は敗北感でいっぱいだった。
なぜって、長谷部にばっちり見られたから。
教室にギリギリで飛び込んできたおれの間抜けな姿を。しかもおれ、安心したあまり『間に合った……!』なんて口走っちゃうしさ……。あーあ、カッコ悪いことこの上ないよ。
その長谷部の隣が、おれの座席だ。とぼとぼと席に向かって、なるべく静かに椅子を引いて座った。長谷部は何のつもりか分からないけど、顔の横に腕を立てて俺に見えないようにしていたっけ。もしかしたら笑われてたのかもしれない。もしもそうだとしたら、やっぱり、悲しい。
ともあれそんなこんなで、今日も何とか授業には間に合った。
夏休みが近付いてくるってことは、おれたち中学生にとっては期末試験が近付いてくるってことでもあって。
そのためなのか知らないけど、最近、妙に授業の進度が早い。
そんなに焦らなくたっていいのにって、いつも思うんだ。……なぜって、おれがついて行けなくなるから。
今日だってそうだよ。一時間目の英語の単語テスト、分からない問題のオンパレードだったし。二時間目の国語は小難しい古文を読まされて頭がこんぐらがえるし。
そして三時間目の今は、数学だ。おれからしたら地上最強にして最悪の、まさに不倶戴天の敵。だって難しいんだもん。
じっとりと暑くなり始めた教室の空気を吸いながら、おれはシャーペンを握ったまま完全に思考停止していた。
「…………」
目の前には、なんかよく分からない二種類の記号のまぶされた式が縦に二つ並んで書かれた紙。式の種類を答え、与えられた数値からxとyを求めよ──そんなことが書いてある。
まずい。まずいぞ。惚けてくるほど見当が付かない。文字式だか方程式だか、そんなようなコトバを前回習ったような気がするけど、ちっとも思い出せない! しかも何がまずいって、先生がさっきからおれたちの列を前から順に当ててることだ。問題番号から言って、おれ、確実にこの問題に当たる。
じわりと手のひらに汗が滲んだ。
ああ神様、どうか無事に答えが思い浮かびますように。隣の長谷部に頼る必要、なくなりますように……。
おれはちらりと、長谷部の横顔を窺った。長谷部は澄ました顔のまま、もうシャーペンを机の上に置いていた。
劣等感が心をチクッと刺して、おれは慌てて目を背けた。
オレがこんなに長谷部への印象を気にしていること、あいつ自身にだけは、知られたくないな。
だって、正直に口にしてしまったらきっと、あいつは……。
先生の冷酷な声が、暑さに浮かされかけていたオレの頭をぶん殴った。
「次、長岡。四番(1)の答えは?」
「はいっ!?」
突然呼ぶなよ、変な声が出ちゃっただろ! 怒りと焦燥感に背中を押されて、おれは勢いよく立ち上がった。立ち上がったはいいけど、当然、答えが思い付いているはずはなかった。
ああもう、せめて式の名前くらい思い出せよおれ! 二種類の記号が使われた式が二つ並んでるから、二次式? 二元式? どっちだっけ!?
パニックになりかけたその時、横から囁く声がした。
「──二元一次方程式だよ!」
「に、二元一次方程式!」
それが誰の声かも考えないまま、反射的に答えてしまった。しまったと思った時には、先生が頷いていた。
「正解だ、座っていいぞ」
あーあ、あんなの正解じゃないよ……。安堵半分、がっかり半分のつもりで、おれは席についた。それから一応、答えを教えてくれた隣の女子に、小声でお礼を口にした。
「……ありがと、長谷部」
都合よく、学校の頭上を越えていく飛行機の爆音が、おれの声をかき消してくれた。市境の方の横田に降りる軍用機かもしれない。グッジョブ飛行機! おかげでおれの照れた声、聴かれなかった! いつもうるさくて迷惑だけど、たまにはいい仕事するじゃん。
……いい仕事、か。
長谷部はずっとそっぽを向いていて、その横顔に浮かぶ表情はよく伺えなかった。
本当は、どんな教科の勉強だって楽勝にできるようになりたい。もぐら叩きでもするみたいに、片っ端からスラスラ問題を解けるようになりたい。
でも、それは自分のためっていうか、隣のあいつにカッコ悪い姿を見せたくないからで。そんなことで幻滅されたくないからで。
なのに現実には、おれが答えに詰まって長谷部から正答を教えてもらうことばっかりで。
そんなおれの悩みは、長谷部にはきっと伝わってない。少なくともおれは、そう信じてる。だって知らせてないんだもん。
知らないだろうな、あいつ。中学一年で同じクラスになった時から今に至るまで、おれがあいつに片想い……してるなんて。
あー。
せめて数学だけでいいから、あいつよりできるようになりたいな……。




