窓際席のStudent。
長岡くんが、まだ来ない。
無意識に首が動いちゃったふりをして、ちらっとわたしはドアの方を見た。
この狭い教室を見渡す限り、まだ登校していないのはわたしの隣の人だけみたいだ。ちなみに朝の会はもう終わっている。一時間目の英語の先生でさえ、とっくに教室に入ってきて黒板に先週の問題を書き始めてる。
「遅いね、アイツ」
前の席の子──栗原さんが、長岡くんの席を見ながらくすくす笑った。
「長岡、今日こそ遅刻するんじゃない? いつも頑張ってるみたいだけど」
「朝、起きるの苦手って言ってたからなぁ……」
長岡くんの席を見つめながら、前に聞いたことを思い出してそう答えた。普段、ここには本物の長岡くんが座っているから、こうやって座面をじっと眺めているのは何だか不思議な気持ちがする。
「早く、来ないかな」
栗原さんには聞こえないくらいの声で、そんな言葉も口に出してみた。
長谷部尚花。十四歳、中学二年生。
一足早く登校したわたしは、予習を終えた英語のノートを机の上に広げながら、隣の人が駆け込んでくるのを待っています。
外はとってもいい天気。梅雨はまだ明けていないけど、澄んだ空気を吸い込むとすごく心地がよくなって、今日一日も頑張れるような気がしてくる。
その澄んだ空気に乗って、遠くを八高線の電車が走る音が聞こえてきた。決まった時間をぜったいに外すことのない電車の音は、まるで耳で感じられる時計だ。
昨日の長岡くんが登校してきたのは、八時十八分の電車が通過するよりもだいぶ早かったな。その前は確か同時で、先週の金曜日は今日みたいに滑り込みで、梅雨まっただ中だった先月は全体的に電車の通過よりも遅れ気味だったっけ。
──よくそんなに覚えてるよね、わたしったら。
無言の問いかけがどこからか聞こえて、急にこめかみのあたりが痒くなったような気がして、わたしは右腕を動かしてこめかみを指先で掻いた。そのついでに──あくまでもついでに、ほんのり紅みの差した頬も隠しておいた。
無遅刻無欠課無欠席を目指すって、四月の頭に宣言してたのに。長岡くん、実際にはギリギリに教室へ飛び込んでくることばっかりだ。
長岡くんが登校して来ないと、心が変にざわざわして落ち着かない。途中で事故にでも遭っていたらどうしようって、怖くなる。無理して頑張らなくたっていいんだよって言いたいけど、長岡くんが決めた目標だもん。わたしにとやかく言う権利なんてないし、その志は応援してあげたい。
だけどやっぱり、心配だよ。長岡くんの席を睨んだ英語の先生が眉間にしわを寄せるのが見えて、不安感を募らせたわたしは焦るようにドアを確認した。
そのドアが、壊れちゃうんじゃないかっていう勢いで、ばたんと開いた。
「間に合った……!」
長岡くんだった。肩で息をしながら、長岡くんは教室に入ってくる。後ろ手に閉められたドアの音に、始業のチャイムの音色が重なった。
欠けていた最後のピースが嵌まったのを、先生も確認したみたいだ。間に合ってないだろってみんなが笑ってる中、席に向かう長岡くんを横目で眺めながら教科書を持って立ち上がった。
朝っぱらから疲労の色を滲ませる長岡くんの顔を見て、わたしが腕で横顔をそっと隠したのは、秘密にしておこう。
だって、安心したんだもん。
自分にもそう言い聞かせることにした。
きっとどこにでもありふれた、だけど少しだけ特別な一日が、
今日もここから始まりました。




