祖母の愛と憎しみと、祖父の激怒と
私の祖母はもう10年ほど前に亡くなっているので、ここで彼女のことを書くのは彼女が浮かばれないかとも考えてはみた。しかし、もう既に、一度無になって死んでしまった人間に、浮かばれないなどという非科学的な事柄には私は無関心だし、今の時代はそんなことには付いていけない。ただ、自分の中の自分の祖母像をきれいに洗い流すことが、私の一つの供養になるのではと考えたのだ。私はそれぐらいにはこの「小説家になろう」というサイトの可能性を信じているし、買ってもいるのだ。
私は祖母の悪口だけを書きたいのではない。それはこの作品を最後まで読んで頂ければわかります。私の祖母は私に何かと疑念を持っていた人だった。祖母と祖父の家に我々家族が招待された時、祖母は私にお餅を振る舞ってくれた。しかし、そのお餅の味付けが「きなこ」の味付けだったので、小さい頃の私にはその味が苦手で、味付けを「しょうゆ砂糖」に変えて欲しいと頼んだ。そしたら、私と祖母の生まれた時代の行き違いからか、祖母は不機嫌になった。祖母にはお餅を「しょうゆ砂糖」で食べさすことに、時代の違いを感じて忌避したのだろう。
結局、その私の気持ちを分かってくれたのか、祖父が激怒して、祖母を叱った。祖母は「きなこじゃなくていいの?」と祖父に反論していたが、祖父はカンカンだった。なぜなら、やはり祖母は孫に「しょうゆ砂糖」で私に食べさすべきだった。でないと、少し私が差別されているような気にさえなるのだ。そうだ。やはり、祖母は私が嫌いというか、疑念だったのかも知れない。それはその当時、私が優等生でちょっとした学校の人気者だった為に、それが祖母は気に食わなかったのかも知れない。確証はない。とうとうその真相を祖母に聞くことはできなかった。
「直樹は(歳が)若すぎる」という発言も祖母はちょくちょく口にしていた。
祖母は祖母の息子、つまり、私のお父さんばかり可愛がっていた。
刺身やソーセージなどの子供の好きな食べ物でさえも父に食べさしていた。
小さい頃、何かの用事で祖母とバスに乗った。私などまだバスの乗り方など分からないので、祖母に任せるしかなかった。そのバスは町バスで、うちの地区を大きく一周するバスと、それとたまの時間に少し遠くまで行くルートのバスも1時間に1本単位で走っていた。私たちは車庫を目指していたので、地区回りのバスに乗れば良かったのだが、たまたま時間的に遠くまで行くルートのバス(それは車庫には止まらない)に乗り合わせた。もちろん、私たちは車庫に着くことができず、車庫からはちょっと遠いが仕方のない場所で降りた。そしたら、祖母はそれを私のせいにして、ことあるごとにずっとそれを愚痴言ったのだった。祖母はやはり孫が嫌いだったのかも知れない。私はそれが今でも悔やまれてならない。
しかし。私は思います。そんな祖母がいなかったら、僕という人間も存在していなかったのかも知れません。祖母がいて、祖父がいて、父がいて、母がいる。そのずっと先の誰か一人が欠けていたら、僕は一人の人間として、生を受けて、存在していたか。そう考えると、本当におばあちゃんも尊く思えてきます。たぶん、この見方、考え方がこの場合本当のものなのではないかと思うのです。おばあちゃん一人とっても、大切な役割を果たしてくれている。嬉しいのですね。本当に嬉しいんです。だって、そんな自分の存在自体、命自体を支えてくれている人が、家族以外にいますか。いないですよね。祖母と祖父はもう亡くなってしまったけれど、これからは父と母に親孝行しなきゃいけないなと考えています。この作品、最後で大どんでん返しがありましたが、私はその最後のどんでん返しの部分を言いたくて、この作品を書いたのです。皆さんも、家族を想ってみませんか。DNAで考えると、よく分かりますよ。