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体内浄土 (完全版)  作者: 朝戸あんり
2/2

後編

 再び携帯電話が鳴った。

 今度はリリ美だろう、と推測したら正解。

『仁くんはどうだった?』

 ぜんぜん元気、と伝えるとリリ美はほっとしたようだった。

『よかった。あのあとみんな勝手に妄想をふくらませて大変だったんだから。殺された、だとか幽霊の仕業だ……とか』

『なんだそりゃ。現実には、輸血して明後日くらいにはケロリと登校してくると思うよ』

『たっくんは疲れてない?』

『大丈夫だよ。体内浄土には参加できるから』

『よかった……』心底、安堵したような声だった。

 くわしく内容を訊くには今しかないと思ってくちにしようとした刹那、それを遮られた。

『いけない、もうこんな時間。迎えに行くから待っていてね。十分くらいで着くから』と電話が切れた。

 仕方がない、風呂にでも入って準備を整えるか、と立ち上がったとき、三度目の電話。

 ちょっとうんざりして出ると、仁からだった。後ろめたい部分があったので切らずに付き合う。

『おう、もう大丈夫なのか仁!』

『心配させたな』などと、被疑者のボクに対してなぜか気をつかう仁。逆に申し訳なく思ってボクは優しく言う。

『悪いのはボクだよ。すまなかった。で、どうしたんだ?』

『お前に黙っていたことがあるんだ』

『なんだよ改まって』

 そこで沈黙。しばらく待っても仁はくちを開こうとしない。ただでさえ精神的落ちつきを失っているのに参ってしまう。鼻を殴りたくなってくる。

(しずく)を知っているか?』と会話が再開されたのはもう少しで二分経過、というときだった。

 ここでいう雫とは液体が滴り落ちる粒ではなくて言語学科に所属する女の名前だとボクは思いついた。

『背の高いハーフの子だろ?』

『そうだ』

『その子がどうかしたのか?』

『実はな……俺と雫、付き合っているんだ』

 衝撃が全身を駆け巡った。硬派を貫いていた、というか女にもてなかった交際歴ゼロの仁に彼女が出来ただと? ウソだろ、と絶句したけどそれが現実なのだ。もしかしたら仁がボクに抱いた感情も同じかもしれない。高嶺の花であったリリ美とちんちくりんな辰男が付き合っただと! そうかもしれない。

 そう解釈すると、仁がボクに警告したこともわかる。

 嫉妬心からの言葉なのだ。鼻パンする前だったらボクも仁にくちうるさく言っていたかもしれない。

『よかったじゃないか。お前には一生彼女なんて出来ないと思っていたよ。しかしなんで黙っていたんだ』

『それなんだけど……』

 こんなに男らしくない仁は初めてだ。

『らしくないな。大丈夫、はっきりしろよ』

『なあ、浄土サークルについてくわしく説明してくれ』

 なぜ、仁のくちからサークルのことが出て来たのか理解に苦しんだ。関連性すらつかめない。彼は運動が好きで一分と同じところにじっとしていられない性質なのだ。それが暗闇で黙とうするようなイメージの浄土サークルとどうつながるのか。そこでボクは、ふと、思いついた。

 彼もまた、ボクと同じなのでは……と。だから訊ねる。

『もしかして、雫も、そのサークルに?』

『そうなんだよ』ビンゴ。『これから、ある重要な活動があるとかで、いっしょに行こうと誘われているんだ。ちょっと、気味が悪くてな。お前ならなにか知っているんじゃないかと思って……』

『体内浄土……だろ?』

『そう、それだ!』

『すまない。リリ美に聞きそびれた』

 電話の向こうでため息が聞こえた。

『そうか、ありがとう。今回は体調不良とか言って辞退するよ』

 仁は冷静で大人だと思った。ボクとは違う。だけど、ボクはボクの考え、感情をそのまま貫こう、リリ美のことを想えば、ボクは危険な道だとわかっていても、一歩を踏み出したい。この先、後悔することになろうとも、だ。

 だけど、とボクは思う。そもそも体内浄土という謎の言葉に反応しすぎなのだ。普通の大学生が普通のサークルで普通に活動しているだけなのだ。

壁を取り払おう。霧をふり払おう。明るく行こう。さあ、仁くん、ともに旅立とう! いっしょにどうだ? と誘おうとしたとき彼がそれを遮った。

『雫が来たみたいだ。じゃあ、また明日。あまり深入りするなよ。冷静さを失わずに物事を見るんだぞ』

 忠告のあと電話は切れた。かけ直すまでもない。彼なりの考えがあるし他人がどうこう言っても仕方がない。こういう場合、この言葉が合う。余計なお世話。

 自分を見つめればわかる。他人の意見なんて届かないくらいのぼせているのだから。

 そうこうしているうちに時間がやってきた。

 心構えを改めたといっても、直前になると、熱が冷めてくる。心臓が暴れ出す。今なら引き返せるぞと弱い自分が警告する。大丈夫か? 大丈夫だよ。肛門が閉まってるぞ。そんなことねえ開いているよ。だまされてないか? リリ美を信じろよ。誓えるか? ボクは、肛門に、誓う!

 いよいよ変になってきた、と頬をひっぱたいて自分を取り戻す。

 電話が鳴る。リリ美だった。外へ出る。車で迎えに来ている。ひとりだ。助手席に座るとリリ美はお待たせ、と言って車を発進させた。

「どこまで行くの?」

「内緒。楽しみにしていて」

 内緒と言われたらそれ以上聞き出すことは不可能。黙って車に揺られることにする。

 徐々に信号でとまることが少なくなる。

 次第に色とりどりの明かりも消えていく。

 ついには信号がなくなった、が、道が曲がりくねっているのでスピードは出せない。ゆっくりと寂しい道を行く。その間、他の車とすれ違うことはなかった。

 時間が経つにつれ、空気も変化した。異物の混入していない空気本来の味がした。

 世界には、ボクとリリ美のふたりしか存在しないんじゃないか、と錯覚に陥りそうになったとき、彼女が現実に戻してくれた。

「確認したいことがあるんだけど、たっくんの言葉、信じてもいい?」

 どの言葉を指しているのかすぐにはわからなかった。これまでの流れを鑑みると、おそらく意識体の部分だろう、とボクは推測した。

「ウソじゃないよ。ボクは本当に、意識体は海へ行き、そこからまたあらたな生を得ると考えている」

 リリ美は顔を前に戻しながら答えた。

「根本的には同じ考えになるのかな……たっくんのような思想を持った人って、いっぱいいるんだよ。知らなかったでしょ」

 思想とかそんな大それたものではないんだけど……それよりも、彼女にとってボクは特別ではない思考回路を持った人、という枠に(くく)られることが、焦りを呼んだ。

 ボクの気を知らないでリリ美はつづける。

「もう少しで到着するわ」

 山奥でなにをするの? もしかしてお寺? それともやっぱり滝ですか? いろいろ想像していると車がとまった。

 道路と木々とおいしい空気と闇しかない山奥で、とまった。

 道の脇に多数の車が停車している。ガードレールの向こうは闇に包まれていて眼はまったく役に立たない。しかし見えないけれど闇の中に秘密の集会場でもあるのだろうか。そこへこれから行くのだろうか。どうしていいのかわからず、茫然としていると、リリ美が懐中電灯であたりを照らしてくれた。

 ここよ、と言ってリリ美は道をまっすぐ行く。

 おいおい道を行くなら車で移動したほうがいいんじゃない? と不審に思っていると、視界に変化が訪れた。

 少し先は、中央がこんもりと盛り上がった小さな橋だった。そこで、得体のしれない物体がぐにぐにと蠢いているところを、狭い範囲しか照らさない明かりが微かに捉えていた。

 リリ美から懐中電灯を乱暴に奪い取る。

 なんてことはない、大勢の人たちがひと塊に固まっているだけだった。いや、やっぱり異常だ。何故、こんな暗闇の中で、エサに群がる蟻のようなことをしているのか。

 状況を理解しようと必死になっていると、リリ美が静かに囁いた。

「体内浄土へ、ようこそ」

 暗闇の中、水のせせらぎの中、すがすがしい風の中、りりりりり、りりりりり、という虫の鳴き声の中、声もなく人々が集合して密集して密着している。

 なんだこれは!

「おそれないで。幸せなひととき、という言葉を実際に体感したくはない?」

 リリ美の言葉が、なにかの呪文のようにボクの耳に這入りこんでくる。ぞくりと、背中を這うものがあった。でも不思議なことだ、異様な光景を前にしてボクは、微塵も恐怖を感じていない。心の底でリリ美を信じているから怖くないのだろうか。いや、そうか? なんだこれは!

 さあ行きましょう、と促されて、操られたように勝手に足が動く。

 流れる水の音と足音が大きくなり、代わりに虫の鳴き声が消えていく。それから、闇の黒が、ボクの中に浸透して行く。

 ボクは懐中電灯の光を出来るだけ揺らさないように手にちからを込めた。そして、端にいる人物たちをしっかりと光が捉えられるまで近づいたとき、おもわず驚きの声をもらしてしまった。

「ひ、仁……お前……なのか? おい、来ないって言ってたじゃないか」

 ひとりの女性と向き合い、手を取り合っている仁。女性は、雫だった。見知った人との出会いで安堵感を覚えたボクの足は軽くなった。さらに距離を詰め、その手元を照らした。

 なんだこれは、ウソだろ!

「こわがらないで。殻をやぶったときの快楽を、知りたくはない?」

 リリ美がすぐ後ろからつぶやく。

 こわがるな、だって?

 仁の手と雫の手が、つながっている。そう、つながっているのだ! 皮膚と皮膚がくっつき溶けて融合し、相手の皮の中で指らしき形状の物体が、内部を! さすっている。愛撫している!

 仁! ライトを顔に向ける。

「ね? 彼らは今、食欲、睡眠欲、性欲を同時に満たしているの。信じられないでしょうけど、これは現実」

 まさかと思いボクは他の人たちも確認する。

 ウソだろ!

「特別なことでもなんでもないの。可能だと、信じるだけ」

 腹部に這入りこむ手、頬の肉をじかに愛する手、身体全体がひとつになってふたり分の塊になっているものまである。みんな、もぞもぞと、もぞもぞもぞと、動いている。

 茫然となり、思考が停止しているとき、肉の塊を避けるようにしてひとりの男性が近づいてきた。肌は浅黒く背が高い。それが汐樹だと気づいたとき、彼はリリ美と口づけを交わした。

 怒りがボクを我に戻してくれた。

「おい、なにやってんだよ!」

 電灯を落としそうになった。手にちからを込めてしっかりと照らし出す。眼をそむけるな、見るんだ! 汐樹とリリ美のくちびるが、溶けあい、融合し、粘土だ!

 にゅも~ん、とくちびるが伸び、ぬぽんと離れた。

「汐樹くん、今ので確認できたでしょ?」

 リリ美が元に戻ったくちびるをボクに向ける。

 リリ美がうっとりした眼をボクに向ける。

 生暖かい息を、ボクに向ける。

「さあ、たっくん、ちゃんと戻れるから」手を伸ばす。「至福、を知りたくは、ない?」

 ボクの手は震えていた。怯えを見られたかと顔を上げる。しかしリリ美は、みんな最初はそうなのよ、と眼で訴えている。

 右手をやっとのことで持ち上げる。暖かい手が、頼りないボクの手をしっかりとつかんでくれた。

 プリンにスプーンを刺すような感触だった。いや、豆腐だ。箸をぷるぷる豆腐につき入れる。いや、ジーマーミ豆腐だ、いや、ぷるんぷるんゼリー、いや、茶碗蒸しだ。いや、いや、ねっちょり合挽き肉だ。いいや、違う違う、水だよ、水だよな?

 ガシャンという音の後にやってくる闇。明かりはもう必要ないので、ボクは眼を閉じた。

 もっと!

 リリ美の手に触れた瞬間、ヘブン! しがらみからの解放とでもいうのだろうか。ボクたちは肉体、重力、決まり事の上で生きている。ヤドカリやカタツムリと同じように肉体という殻に身を宿している。人間は外界から隔離されている個なのだ。

 それがどうだ!

 リリリリリ美の手に触れた瞬間、心の開放感を得た。宇宙、宇宙だ、宇宙へ放り出された感じだ。信じられない開放感感感感!

 リリ美の指の骨をこりこりする。血管を人差し指と中指でつまみ血の硬さ、どくんどくんを楽しむ。あたたかい。伝わる。おいしい! 気持ちいい!


 もっと!


 胃にリリ美が侵入してくる。

 歯茎にリリ美がすり寄ってくる。

 眼球の裏側にリリ美の舌が這う。

 毛髪が絡み合う。

 リリ美が喜んでいる。リリ美が笑っている。

 ボクもうれしい。

 視野を覆う光。電気信号。水の流れる音。激しい、鼓動。


 ももももももっと!


 リリ美の母親が笑っている。リリ美が交通事故に遭って病院への搬送中の泣き顔。絵本を読んでいるときの笑顔。万引きをしたときの泣き顔。ジュニアマイスターの称号をもらったときの泣き笑顔。小学校を、中学校を、高校を卒業したときの泣き笑顔。

 ボクは隣に立っている汐樹に触れた。

 なんてことだ!

 雲の上にみんながいる。

 川を見つめるみんながいる。

 光の中にみんな浮いている。

 ボクたちは、飛んでいるるるるる。

 汐樹の父親が怒っている。汐樹が準優勝を決めたとき泣いている。汐樹が同級生に暴力をふるったとき怒っていて独りになったとき泣いている。

 気づいた。

 汐樹は、他の人たちに触れている。

 広がる。

 清涼な記憶たちが流れ込んでくる。彼らとともにボクも歌う。

 ボクの考えは間違っていなかった!

 頬を伝うものがあった。リリ美も、汐樹も、仁も、雫も……。














 ああ、これが……


 もっと!

もっと!


                         もっと!


   ね?

     食欲、睡眠欲、性欲


                 どど同時にににににに

         ひとつになって


      ようこそ


もっと!

            もっと!

         ウソだろ!         浄土



   苦しくない宇宙だ!






            いいいいいいいい






 仁の言葉を思い出した。

『冷静さを失わずに物事を見るんだぞ』

 いいんだ。恋は盲目呪いにかかっているのだから。


 でもそれは、悪いことでもなんでもない、とボクは気づいた。


 だって、体内浄土って――


                                  了

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