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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
エピローグ
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エピローグ

 アリステア王国の政権が交代して、半年があっという間に経過した。

 その間にアリステアとローランドの両方で、キースとアーロンの騎士としての受勲式も終え、2人の若い騎士が無事誕生した。

 アーロンはローランド王国の近衛騎士隊に入隊し、キースはアリステア王国の近衛騎士隊に戻る形となった。

アリステア王国にはかつての活気が戻り、近頃王国主催の祭典も久し振りに催された。

 ローランドとアリステアの国交も開かれ交易も盛んになり、人々がお互いの国に観光に訪れることもある。かつてでは考えられない変化だった。

 それをもたらした金髪と赤毛の剣士の話はあの日処刑場に居た人の口から広く伝えられ、革命家フレデリック・アルベルトの名とともに、国の歴史の1ページに刻まれることとなった。


 ◆


「俺も恋人つくろうかなぁ…」


 いつものように兵士寄宿舎のベッドに座って相部屋のピーターとカードゲームをしながら、カッシュはぼそっと呟いた。

 一時期給料が減って賭け事で遊ぶどころではなかったが、また元に戻ったので気持ちに余裕ができている。


「はい?」

「なんでもない」


 カッシュの言葉にそれ以上突っ込むことはなく、ピーターはカードを睨みながら考え込んでいる。それを待つ間ぼんやりしながら、カッシュはアーロンを見送った日のことを思い出していた。

 初めて間近で見たリンティア王女は、今まで見たことの無いような綺麗な少女だった。アリステア時代の友人として紹介してもらい握手を交わした白い柔らかい手にぼぉっとしてしまった。

 こんな子がアーロンの恋人だなんてとても信じられなかったが、アーロンを見詰めて幸せそうに微笑むその目はどこから見ても恋する少女のものだった。

 喧嘩とカードがやたら強かった赤毛の兵士は、やはり只者ではなかったらしい。


 ”アーロンのくせに”


 ミーナの言葉を思い出し、カッシュは1人笑みを洩らしていた。



 その頃当のミーナは、侍女仲間のアンナと話をしながら歩いていた。

 彼女たちの腕には洗濯物の詰められた洗濯籠が抱えられている。


「グレイス王女、全然部屋に戻ってこないのよ?お掃除する意味あるわけ?あれ」


 アンナは隣で苦笑している。

 アリステアの王が代わってから、ミーナはそのまま王女付きの侍女として働いている。けれども王女はリンティア姫ではなく、新しく国にやってきたグレイス姫となった。

 初めて顔を合わせた時には顎が外れそうに驚いた。彼女はかつてキースの恋人として会ったことのある、あの女性だったのだ。

 かつてリンティア王女が使っていた部屋がそのまま彼女と部屋となっているのだが、ほとんど姿を見せない。

 基本的に寝るのは別の部屋になるからと言われているが、それが何処なのかは聞いていない。

 だいたい予想がつくのが腹立たしいのだが。


「またキース様が戻ってきて、喜ぶと思ったのに」


 アンナがそんなことを言っている。


「キース様なんて、どうでもいいしっ」


 ミーナは口を尖らせてそう言った。


「あらそう~。じゃぁ、アーロンは?キース様と合わせて、すっかり伝説の人みたいになってるけど」


 アンナは笑みを浮かべつつミーナの顔を覗き込む。


「っていうか、私あの日実際見たから。2人とも、かっこよかったのよ~」

「その話、何度も聞いたから、もういい」


 ミーナのぶっきらぼうな言葉に、アンナは楽しそうに笑っていた。



 その頃、アリステア王宮内の国王執務室には閑古鳥が鳴いていた。

 そこに在るべき国王は別の部屋の長椅子にふんぞり返るようにして座っている。彼は鎧に身をつつみ剣を携えた施政者らしからぬ出で立ちだ。彼の側では本来剣を持つべき立場の金髪の騎士が、机につき書類と向き合っていた。


「ったく、近衛騎士隊長ともあろう身分でこの俺に勝てないとはなぁ。やっぱ騎士の訓練には俺が出ないとダメなんだよ。――そうだろ??」

「…そうですか」


 アルベルトの話に適当な相槌を打ちながら、キースは書類を読んでいた。領主から届けられた今年の収穫量と納税予定額の報告書である。キースはそれを手に取ると「これに目を通して下さい」と国王に差し出した。

 アルベルトはめんどくさそうに手を振った。


「いいって、いいって。お前に任せてあるんだから。国印も渡しただろ?いい感じに処理しとけ」


 思ったとおりの反応が返ってくる。キースは書類を引っ込めると、溜息混じりに頬杖をついた。


「ただの騎士にここまで深入りさせていいんですか?」

「何言ってんだよ。お前、グレイスと結婚するんだろ?俺の息子じゃねぇか」

「まだ結婚していません」

「じゃぁ、さっさとしろ」


 キースは目を丸くした。


「結婚はしばらく待てという話だったと思いますが…」

「よく言うよ!グレイスがここで寝起きしてんのは知ってんだぞ?!全然、待ってねぇじゃねぇか!」


 顔をしかめるアルベルトに、キースは言葉を失い瞬きを繰り返した。”結婚を待て”というのはそういう意味だったのかと今更ながら理解する。――手遅れだが。

 キースは騎士の館とは別に城内にも部屋をもらえている。それはアルベルトが彼に仕事を振りやすくするためのものだったが、寝台もあるので、いつの間にか毎日ここで寝るようになっていた。グレイスと一緒に。


「…ったく、いい度胸だよ、お前は」


 キースは極まり悪げに目を伏せると、苦笑を洩らした。


「――キース!!」


 不意に部屋に入ってきた女性の声に、キースとアルベルトは同時に目を向けた。アルベルトの妻、王妃フレデリカだった。


「お疲れ様!可哀想に、また仕事させられてるのね?」


 労いながら小走りに寄ってくる。そしてふとその目を長椅子に向けた。


「あら、あなた居たの」

「悪かったな」


 アルベルトは妻のそっけない言葉に、不愉快そうに顔をしかめた。フレデリカはそんな夫に構う事無く、キースに声を掛ける。


「キース、ちょっと時間あるかしら。あなたの結婚式での衣装作らせてるの。合わせてみて欲しいんだけど」

「結婚式の衣装~~??」


 アルベルトが尻上がりな声を上げた。


「なんだ、俺の許しが無くても話は進んでるじゃねぇか」

「衣装を作ってるだけよ」


 王妃は反論した。


「もう、いいよ。さっさと式挙げさせろ」


 アルベルトが吐き捨てるようにそう言うと、王妃は目を見開き両手で頬を覆う。


「まぁ、大変!それじゃぁグレイスの衣装も急いで作らせないとっ…」

「作ってないのかよ!!」

「だって、まだ先だと思って…」

「でもキースの衣装は作らせてるんだろ?」

「だって、楽しいんだもの。何着ても似合っちゃって…」

「着せ替え人形か!」


 夫婦のやりとりをキースは頬杖をついたまま、呆気にとられて眺めていた。フレデリカはひととおり夫と仲良く言い合いを終えると、またキースに向き直った。


「ね、これからどうかしら」

「あ…」


 キースは我に返って頬杖を外した。


「すみません。この後グレイスに付き添って領地視察に出る予定なんです」

「あら残念…」


 フレデリカは哀しそうに眉を下げた。そんな王妃に、キースは「明日の午後ならば、予定はありませんが」と続ける。フレデリカはパッと顔を輝かせた。


「そう?!なら仕立て屋に明日また来てもらうわ」

「有難うございます。楽しみにしています」


 そう言ってキースは優雅に微笑んだ。

 そんな未来の息子の笑顔に、フレデリカは思わず感嘆の吐息を洩らしていた。



 領地視察のために前庭に用意された馬車の側には同行する騎士が待っていた。

 キースも支度を終えてそこに現れると、彼を認めたクレオが「よぉ」と片手を上げた。


「お待たせして申し訳ありません。…グレイス姫は」

「急いで支度してるようだよ。さっきまで俺達と剣の稽古してたんだ。夢中になって視察のこと忘れてたらしい。慌ててたよ」


 キースは思わず苦笑した。

 グレイスは相変わらず近衛騎士隊の騎士を相手に剣を振るう毎日である。当然普段はキースが相手をするが、居ない時は他の隊員を相手に稽古をしているらしい。


「意外といい腕で、今日は新人の騎士が剣を落とされてた。いや、あの父にしてあの娘ありだな」

「その通りですね」


 クレオはキースの頭を軽く小突くと「いい女捕まえやがって」といって微笑んだ。

 キースはその言葉に、穏やかな笑みを返した。

 やがて本当に慌てた様子のグレイスが姿を現した。のんびり支度ができなかったのだろう。とりあえずドレスを身に纏っているが、黒い髪は下ろされたままだった。


「ごめんなさいっ…」


 グレイスは到着するととりあえず謝った。その目がキースを見る。”やっちゃった”というように眉を下げたグレイスに、キースはこっそり吹き出した。

 グレイス姫が改めて騎士達を見回す。


「行きましょう」

「はい」


 グレイスはキースにその手を導かれ、馬車へと歩いて行った。


 ◆


 その頃、海の向こうローランド王国はいつもの通り平和な午後を迎えていた。

 新国王アルフォンスが即位した後、国はアリステアとの国交を開くことを宣言した。それはローランドの貴族達にとって衝撃的な話だったが、バーレン公爵家はその後逸早く、アリステアへ向かう客船の事業を開始した。そして相変わらず、ローランド王国最高の名家の名を欲しいままにしていた。

 今日も公爵は息子を付き添わせ、領土の視察に出かけている。


「カイル、またお前に結婚の申込みが来たぞ」


 公爵は馬車に揺られながら、隣に座る息子に話しかけた。名家の次期当主であるカイルには多くの貴族から婚姻の申込みが後を絶たない。カイルは不愉快そうに、「まだ早いだろ」と返す。

 16歳の若さで結婚しようとしていた男の言葉とは思えないが、公爵はそれ以上とくに何も言わなかった。

 グレイス姫が前国王とともにアリステアに移り住んだという話を聞いたとき、カイルは明らかに落胆していた。そのあまりの気落ちぶりが可哀想で、さすがに婚約の話までは伝えられなかった。しかも相手がかつてただの傭兵だったキース・クレイドだと知ったらなおさら諦めがつかないだろう。

 それに関しては、いずれ噂が流れてくるのを待つ予定である。


「バーレン家は、アリステアの領地をもらえないの?」


 不意にカイルが父に問いかけた。

 バーレン公爵は苦笑しつつ「必要ないだろう?」と返す。カイルは不満そうに口を閉ざした。

 失って初めて分かることもある。

 グレイス姫の存在は彼が思っていたより大きかったに違いない。けれどもそれを失ったことで、息子は一回り成長したような気がする。

 まだまだ若いのだ。未来は先へと広がっている。苦しい想いもしながら、強くなっていって欲しい。

 バーレン公爵は黙り込んだ息子から目を逸らすと、ふっと笑みを洩らした。



 同じ頃ローランド王城上級兵士寄宿舎ではローラが昼食の片付けに奔走していた。

 その隣ではデイジーが同じように仕事をしている。彼女は今日も楽しそうに話をしていた。


「上級兵士で、オリビエ・マーキンソンって人居るの知ってます?最近兵士から昇進した人」


 彼女の問いかけにローラは手をとめて考えた。

 そういえばつい最近新しく上級兵士になった人として紹介された気がする。顔はよく覚えていないが。


「なんとなく、知ってる…」

「ローラさんのこと、好きみたいですよ!」

「――え?!」


 ローラは驚いて目を見張った。


「でも、全然お話したことないわよ?」

「兵士時代から見てたみたいですよぉ?。キースと恋人同士なのかと勘違いしてて、諦めてたみたいですけど。違うって言ったら、ちょっと喜んでました」


 キースの名前に、ローラは懐かしい想いが沸いてきた。今はもう胸が痛むことも無い。永遠に心の奥に棲む、特別な人…。

 突然アーロンと一緒に姿を消した時には、ほんとうに驚いた。けれどもやがて戻って来たアーロンに聞いたところ、アリステアで暮らすことになったらしい。

 彼の”好きな人”と離れ離れになってしまったのかと思ったけど、アーロンが言うにはむしろ逆だということだった。


 ”やっと一緒になれたんだ”


 その言葉に、ローラは自分の恋が本当の意味で終わるのを感じた。

 遠くにいても、二度と会えなくても、幸せに暮らしているということならいいんだと思う。

 むしろ、自分だってそろそろ前を向かないといけないのだから。


「今度紹介してもいいですか?」


 デイジーが楽しそうに聞いた。仲を取り持つ気らしい。

 ローラは僅かな迷いを振り切り「うん、お願い」と言ってにっこり微笑んだ。



 昼食の片付けの後、ローラはバッシュに買い物を頼まれて王都に出ることになった。

 小走りに歩いていくと、城門が目に入る。立派な城門が今まさに開くところだった。

 ローラは足を止めて、それを見ていた。

 開いた門から、馬に乗った騎士が城に戻って来る。中央に走る馬車を護るようにして。その騎士の中に、ローラは見慣れた赤い髪の青年を見つけて眉を上げた。

 彼の茶色い瞳がローラを見つける。そして微笑むと、片手を上げて挨拶してくれた。

 鎧を身に纏い腰に剣を差す、その姿はとても凛々しかった。ローラは手を振って返し、彼の去っていく姿を見送った。


 ローランドに戻って来たアーロンは、何故か騎士になっていた。その話を人づてに聞いたときには、すぐには信じられなかった。でも実際この目で見れば、ただただ立派で圧倒された。

 今はまた王都に住んでいるようだが、かつての貸家ではない。国王から与えられた領土に建つ家に引っ越したとのことだった。そんな話を聞いたときには、なんだか遠くへ行ってしまった気がしたが、その後もキャリーとリンの間柄は続いている。キャリーに言わせると、何も変わってないとのことだった。

 妹ももうすぐ卒業を迎える。そしたら自分と同じように侍女になってお城に行くんだと言っている。

 ぼんやりと遠ざかる騎士達を見ていたローラは、不意に我に返った。そして慌ててまた城門へ向かって走って行った。



 ユリアン王子の護衛の仕事を終えて城に戻って来たアーロンを待っていたのは、招かざる客だった。

 細いつり目で今日も胡散臭い笑みを浮かべている。武器商人バルジーだった。

 アーロンは顔をしかめつつ「なにしてんの」と言った。


「今国王を訪ねてきたところだよぉ。久し振りだし、お前の顔も見てから帰ろうかと思ってさぁ」

「あ、そう。さようなら」

「なんだよぉぉ~!!親友だろぉ~??」


 彼の言葉にアーロンは呆れて言葉も出ない。そもそもリンがアリステアに連れて行かれた原因はこの男にあったのだ。

 それを聞いたときは全て終わった後だったので”なるほどね”で終わったが、当の本人はアーロンより早く過去は忘れ去っているようだった。


「ゴンドール、行こうよ~」


 バルジーは去っていこうとするアーロンの腕を掴んで止め、思ったとおりの言葉を吐いた。


「い、や、だ!」

「そう言うなって!俺のナイフを待つ人達が沢山居るんだよ!売上げの3割はお前にやるからさぁ!」

「俺は騎士になったんだよっ!昔みたいに身軽じゃないの!他の傭兵雇えばいいだろ?!」

「募集しても、お前みたいに引っかかってくる奴いないんだよね」

「悪かったな!引っかかって!!」


 なんだか結局馬鹿にされてる気がする。アーロンは彼の手を振り払うと、歩き去ろうとした。


「分かったよ…」


 バルジーは諦めたように言った。


「お嬢ちゃんにお願いしよう…」


 そう言って背を向ける。アーロンは慌てて振り返ると、バルジーの肩を掴んで止めた。


「なんだとぉ?!」

「お嬢ちゃんは優しいから、きっと俺の頼みを聞いてくれる」

「ふざけんな!!絶対ダメだ!」


 ゴンドール遣いの力について、アーロンはあの後リンから話を聞いていた。リンにとっては二度と使いたくない力である。というか、思い出したくもないはずだ。この何も知らない無神経な男に、ゴンドールへの付き添いを頼ませることすらさせたくない。

 バルジーはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。


「じゃ、お前がつきあって」


 こんな男に関わるんじゃなかった。真剣にそう思う。

 けれどもこの男に関わらなければ、今の自分が無いというのも確か。まったく運命というものは、皮肉なものだ。

 アーロンは諦めたように深いため息をついた。



 その頃、授業を終えたリンはキャリーと一緒に帰途についていた。

 楽しそうに談笑しながら歩く少女達の背中を、少し離れた場所でルイとパティが並んで歩きながら何気なく見送っていた。


「もうすぐ卒業だねぇ~」


 パティが不意にそう言った。ルイが「そうだなぁ」と返す。月日が流れるのは本当に早い。2人はしばし感慨にふけった。


「その後入隊するの?ローランド軍に」

「うん。審査に通れば」

「あ、いちおうあるのね。審査が」

「うん、一応ね。健康診断とか。まぁ、問題ないと思うよ」

「で、その先は騎士をめざすんだっ」


 パティの言葉にルイは思わず苦笑した。


「騎士には家柄と頭脳が必要で、俺にはなれないって言ってたくせに」

「うん、そのはずだったんだけど。頭脳は置いといて、家柄は関係ないみたいだから!リンのアーロンは騎士になれちゃったわけだし」

「それは特別でしょ?」

「そうなの?」

「きっとそうだよ。よく知らないけど…」

「すごぉい。特別だなんてっ」


 パティが目を輝かせている。

 ルイの視界からリンの背中が消える。リンは卒業後、教師を目指すためにまた学校に行くらしい。とても幸せそうな彼女は、なんだかずいぶん遠い人になった気がした。

 卒業とともに、自分も彼女から卒業する。そんな気分だった。


「卒業パーティ、一緒に行こうね」


 不意にパティに言われ、ルイは心臓がドクンと音を立てるのを感じた。

 卒業パーティ…。それに一緒にいく相手には、特別な人を誘うのが暗黙の了解である。

 そして別れ別れになる誰かに、最後に自分の想いを打ち明ける場でもある。


「パティ…」


 ルイは驚いたようにパティを振り返った。パティはじっと自分を見詰めている。


「パティ、それって…」

「いいでしょ?だって他に適当な相手もいないし。ルイだってどうせ居ないんだから」


 一瞬上がった気持ちが、すとんと落ちる音が聞こえた気がした。


「あ、そう!」


 なにやら腹が立って、足を速める。


「は?なに?なに怒ってんの??」


 パティは不思議そうにそんな彼を追いかけて行った。


 ◆


 日暮れ後、アリステア王国のグレイス姫は領地視察を終えて城に戻った。

 キースと並んで歩きながら、グレイスはご立腹だった。


「あの領主許せないわ!報告書と全然話が違ったのよ?」

「来ると思ってなかったんだろうな。しばらく領地視察が無かったから」

「政権交代したことは知ってるはずなのに、馬鹿にしてるわ」

「そうだね」


 キースとグレイスが部屋に辿り着くと、衛兵がすかさず扉を開けた。ただの騎士の部屋だが、王女がそこに居るのを承知しているためにちゃんと衛兵が立っている。

 キースはグレイスの背中に手を添えて部屋に導いた。

 2人の後ろで扉がまたゆっくり閉じられる。


「隣の領土の報告と差が大きすぎたから、おかしいと思っていたよ」


 キースが足を止めて言った。グレイスもつられて足を止める。

 綺麗な紫色の瞳が、キースを映した。昔から変わる事無く、自分を狂わせる美しい姫。


「納税額を減らそうとしたんだわ。今年の収穫は不作だなんて言って。だいたい今日だって…」


 まだ話を続けるグレイスの体を抱き寄せ、キースはその唇を塞いだ。グレイスは驚いたように一瞬目を丸くしたが、やがて目を閉じる。

 彼の口付けが突然なのは、今に始まったことでは無い。


「ん…」


 頭の奥が痺れるような甘い口付けに、怒っていたはずがどうでもよくなってくる。グレイスを抱きしめるキースの手は、やがて彼女の背中の留具を器用に外し始めた。

 ドレスの中に入り込んだキースの手を感じて、グレイスはピクンと体を震わせた。


「今日だって、何…?」


 キースの声が耳元で聞こえる。グレイスは思わず「え…?」と問いかけた。


「話の続き」

「あ…」


 グレイスは我に返ると「あの、今日ね…」と言葉を続けた。


「うん…」


 キースの唇が首筋を這う。ドレスが肩からすべり降ろされる。その白い肩にもキースの口付けが落とされた。触れられた所が、熱をもってくるような気がする。


「領主に領地を案内してって、言ったら…」


 ドレスが足元に落ちていく。キースの手は背中を伝って降り、グレイスの絹の下着の裾から中に入り込んだ。その手が胸へとのぼっていく。


「あっ…」


 ぞっとするような快感が走り、グレイスは思わず声を漏らした。体の奥が痺れる。夜毎自分に触れるその指は、何もかも知り尽くしているかのように迷い無く動く。


「言ったら…?」

「…え?」


 キースが自分を見ている。目が合うと、ふっと意地の悪い笑みを浮かべた。グレイスはそんな彼の余裕の笑みに、思わず顔をしかめた。


「集中させて」

「…どっちに?」


 そんな言葉に、グレイスはかぁっと赤くなった。


「話に決まってるじゃないっ!」


 キースが思わず吹き出す。そしてグレイスの唇になぞるように触れると、またそれに口付けた。

 理性なんか保てない。結局グレイスの腕も、彼の体を抱き返した。抱きしめ合って深く長いキスを交わす。やがて吐息が触れ合う距離で2人はまた見詰め合った。


「…嘘」

「ん?」


 グレイスが小さく囁いた。


「話は、後にさせて…」


 キースはふっと微笑むと「いいよ」と返す。

 そしてグレイスの体を軽く抱き上げると、いつものように寝台へと歩き出した。


 ◆


 ローランド王国も、いつもの夜を迎えていた。

 王都にあるアーロンとリンの新しい家は、貴族としてはむしろ小さい方だった。それでもアーロンにとってはいまだかつて住んだことのない豪邸だった。

 部屋が6つもあり、充分な広さの庭も付いている。とても面倒を見切れないので、庭師を雇って綺麗にしてもらっている。

 そして家の中にも1人女中を雇っていた。

 アルフォード家の女中ダリアは中年の気のいいおばさんである。

 もう成長した子供が3人ほど居るらしい。手際がよく、掃除だけでなく料理もやってくれる。

 そんな風に人にやってもらう生活は慣れていないので、最初は戸惑ったものだった。


 ダリアは今夜も夕食後の片付けひととおり終え、辺りを見回した。だいたい仕事は完了したので帰ろうと前掛けを取る。

 アルフォード家の2人は仲良く一緒に湯殿に行っていた。

 何をするのもいつも一緒で見ていて微笑ましい。まだ結婚はしていないようだが「旦那様」と「奥様」と呼ばせてもらっていた。

 ダリアは湯殿に続く脱衣間に入ると、幕の向こうの湯殿に声をかけた。


「旦那様、すみません。後なにかすることありますか?なければ失礼いたしますけどぉ」

「あ、えっとね!」


 湯殿から”旦那様”の声が聞こえた。


「俺自分の体を拭くもの用意し忘れちゃって…。それだけ置いといてくれる?それで終りでいいんで。すみませんっ」


 ダリアは思わず笑みをこぼした。

 いつまでも腰が低い旦那様は、こんな簡単な用事ひとつ頼むのもいちいち謝ってくる。それがなんだか微笑ましい。


「かしこまりましたぁ」


 ダリアはそう言うと湯殿を出て、体を拭く布を取りに行った。



 広い湯殿で、アーロンとリンはお湯に入っていた。

 白く広い床が広がる湯殿は床がくりぬかれるような形で半円状の湯船が造られている。壁に接した面には絶えずお湯が溢れてくる出口がある。そのお湯は地下から引き上げられているそうだ。こんな贅沢なお風呂が家にあるというだけで、アーロンにとっては大豪邸だった。

 今リンはアーロンに背を向け、その小さな滝の側で溢れてくるお湯に片手を差し伸べている。濡れた金色の髪はまとめて頭の後ろで留められている。その体は湯煙と泡に包まれていた。リンの手元からは白い泡が次々と生まれ、湯船を満たし続けていた。

 アーロンはそんなリンを遠巻きに眺めていた。自分の体の周りにも、泡が届き始めている。


「…だいぶ、増えてきたね」


 アーロンはリンの華奢な背中に語りかけた。リンが笑顔で振り返った。


「すごいでしょ?こうやって流水に当てると泡になる石鹸なの。このお風呂全部泡でいっぱいになったら、楽しいでしょ?」


 その言葉に笑みを洩らす。リンはまた片手に持っている瓶から手の平に液体を流し、それをお湯の下にかざした。


「なかなか終りが見えないな」


 アーロンは自分の周りを眺めながら呟いた。


「どんどん消えちゃうんだもん…」


 リンはそう言いながら、泡を生産し続けている。

 そんな姿は微笑ましいのだが、結果的にずっと放っておかれている。アーロンは不満気に「あのさぁ」と言った。


「なぁに??」


 リンが笑顔で振り返る。そういう顔をされると何も言えない。

 アーロンは横を向き、「いや、いい…」と返した。

 リンがきょとんとする。


「え、なぁに、なぁに??」


 不意にリンはその場を離れ、石鹸の瓶を片手に膝で歩きながらアーロンのもとへやってきた。リンの動きで湯船のお湯が波立ってアーロンにも伝わる。


「なぁに…?」


 すぐ側に来たリンが改めて問いかける。アーロンはそんなリンを振り仰いだ。

 翡翠色の瞳が自分を見ている。お湯のせいで上気した頬に纏め切れない金色の髪が少し張り付いて、白い頬を飾る。

 その頬に手を延ばし髪をつまんで取ると、優しく掌で包んだ。


「なんでもない」


 耳の下に手を入れ軽く引き寄せると、それに合わせるようにリンが目を閉じた。

 暖かい唇が触れ合う。リンの片手は掴まるようにアーロンの肩に置かれた。

 唇が離れると、見詰め合う。潤んだ瞳は、よりいっそう魅惑的だった。


 ゴンドールの大陸で見つけた、俺の天使――。


 アーロンはリンの腰を引き寄せると、桜色に染まった肌に唇で触れた。自然に目の前にあった形のいい胸の膨らみを手で包む。リンの肌を這う唇は、やがてその頂きに辿り着いた。


「あっ…ん…」


 優しい愛撫にリンが甘い声を漏らす。


「こら。ダリアさんが居るかもしれないから声出しちゃだめだよ」

「え…」

「さっき、体を拭くもの頼んだんだ」

「えぇ~…」


 リンは困ったように眉を下げた。


「…じゃぁ、そういうことしないで…」


 最もである。アーロンは一瞬動きを止めたが、それは本当に一瞬だった。


「やっぱりいいよ。声出しても…」

「え…あっ…」


 止まらない愛撫にリンは戸惑いを見せたが、すぐにまた引き込まれる。

 やがて持っていた石鹸の瓶を湯船の外に置くと、アーロンの赤い髪を抱きしめた。


「アーロン…」

「なに…?」

「ちゃんと、ベッド行こうよ…」

「……なんか、もう手遅れかも…」

「こ、ここで…?」

「うん…」

「えぇ~…?」


 初めての要求に、リンはまた戸惑ったような声を漏らした。困惑しつつも「どうやるの…?」と問いかける。アーロンは思わず吹き出した。


「――いい質問だね」


 そして2人は改めて見詰め合うと、またどちらからともなく唇を重ねあった。



 <完>

ここまで読んで頂いた方、最後までお付き合い頂き有難うございました!

新参者にも関わらず、このお話を見付けてくださった方々、お気に入り登録して下さった方々、感想を下さった方々、とても励みになりました!本当に有難うございました。

エピローグが妙に長くなってしまって申し訳ありません。最後にみんな出てきて欲しい!+イチャイチャもして欲しい!と欲張っているうちに一万字を超えてしまいました。…満足です^^

物語はこれで完結ですが、この後アーロンとリンの短い番外編を追加しようと思います。その他、長編の番外編(スピンオフ?)が2本あるので、順次転載いたします。

ひとつはリンの両親、ヨーゼフ王とアイリスの超歳の差カップルの恋物語、そしてもうひとつはキースに失恋したローラのその後のお話です。

ヨーゼフ王にもローラにも興味ないんですが!という方が多いかもしれませんが、もしよろしければ是非…(笑)5歳のキースが出てきますので!w


ではでは、本当に有難うございました!

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