果てしない絶望
翌朝のアリステア城では、また1つ事件が起きていた。
昨日卒倒して床に伏せっていたはずのヨハン王子が失踪したという。彼の王子妃、そして小さな娘達も一緒に姿を消していた。
その事実は宰相達を途方に暮れさせた。
侍女の話によると、彼は昨夜”落ち着いて考えたい”と言って彼の妃と子供達を呼び、館の最奥の部屋に篭ってしまったようだった。
その後出てきた姿を見た者はいない。けれども朝食を運んだ部屋の中には、もう誰も居なかった。そしてその部屋の床は、地下へと続く道が口を開けていた。
城の外へと続く、隠し通路だった。
ヨハン王子の失踪は、すぐに牢の中のカーラ皇太后に伝えられた。その話の衝撃は、カーラの顔を蒼白にした。
「まさか、そんな…」
口から出たのは、そんな呟きだった。
「間違いないようでございます。地下に続く通路を通られたようで、その存在を知りませんでしたので、お止めできませんでした。急いで行方を追うよう、手配させますが…」
「……いいわ」
将軍の言葉を遮り、カーラは呟いた。
「…は?」
将軍が驚いたように彼女を見る。カーラの目は生気を失い、もう何も映してはいなかった。
「…もう、いいわ」
そう言ってクッと笑みを漏らす。けれどもその目は少しも笑ってはいなかった。
「見捨てられたようね、私…」
扉に縋り付くようにして立っていたカーラの手がすっと離れる。ゆっくりと将軍に背を向けた。
遠ざかる彼女の背中は、また深い闇に覆われて行った。
◆
闘技場では、朝から公開処刑の準備が進められていた。
それはアリステアでは、近頃よく見られる光景だった。
闘技場内に処刑台が建てられる。その場を囲むようにして、集まった国民は処刑を目の当たりにする。。
そして王都内に建てられた看板には、以前貼られた増税の知らせの上に被せるようにして、今日の公開処刑の知らせが貼り出されていた。
朝から仕事の準備をしている商人がその存在に気付いて近づいた。どうせろくな知らせじゃないと内心うんざりしながら。
「また処刑か…」
商人はそれを確認して、小さく呟いた。そして内容に目を走らせる。やがてその顔には驚愕の色が広がった。
「――皇太后、反逆罪?!?!?!」
声を上げた商人の後ろから、なんだなんだと人々がやって来る。
「何があった?」
ただならぬ様子に、顔も知らない者から問いかけられる。商人は振り返ると「皇太后が今日処刑されるらしい!」と説明した。
「なんだとぉーーー???」
辺りは一気に騒然とした。
王都の別の場所で、同じように看板を見る人影があった。
キースとグレイス、そしてアルベルトだった。
あの後、とりあえず宿を出て朝までに王都に戻っていた。アーロンの噂が聞けるなら王都だと思ってのことだが、予想外の話が舞い込んできている。
キースは貼り紙を見ながら「また反逆罪か…」と眉を顰めた。かつてのリンティアの罪状もそれであった。
隣に居るグレイスが顔をしかめて呟く。
「まさか、皇太后を…」
その後ろで、アルベルトもやれやれとため息をついた。
「アリステア国王は狂ってるな」
その言葉を噛みしめるように、キースはゆっくりと頷いた。そして彼を振り返る。
「彼は国のことに、興味が無いのだと思います」
「そのようだ」
アルベルトは首をひねる。
「しかし何のためだろうな…。実の母親を殺す理由が分からん」
国王は既に常軌を逸している。キースは看板に目を戻すと、小さくため息をついた。
「アーロンがまだ生きているなら、この場に出てくる可能性もあります。…公開処刑を、見に行きます」
◆
寝台の中で朝の光を感じながら、リンはぼんやりと宙を見詰めていた。
一睡もできなかった。
部屋の中で自分を見張る騎士の存在のせいだけではない。誰に聞いても、アーロンがどうなったかが分からない。
はっきり答えをくれないのが怖くて、不安で…。
たまらなく、苦しかった。
―――逃げ延びていて…。神様、お願いします…。
リンは、祈りながら固く両手を組み合わせた。
公開処刑を命令通り遂行する。
長い議論の末、それが、宰相、将軍、大臣達が揃って出した結論だった。その話し合いの場に当然国王は居なかった。
ヨハン王子は明らかに国を捨てて出て行った。今頃どこに居るのか分からないが、もう王室に戻る気はないだろう。
そしてジークフリード国王は、明らかな狂王である。
「公開処刑を遂行し、皇太后亡き後は、毒物などで、国王を暗殺しよう」
「そして病死として国民に発表する…」
「そうだな。アリステアを、皆の手で生まれ変わらせよう」
全員の意志は1つに固まっていた。
「…玉座には誰が着く?」
誰かが疑問を投げかける。大臣の1人が「リンティア王女だろう」と返した。
残された唯一の王族――。
「お若いのに、女王か…。荷が重いだろうな…」
心配そうに呟く言葉に、誰かが「大丈夫だろう」と応えた。
「宰相殿が居る。私達も、王女を支えて行ける」
話を聞きながら、宰相は複雑な想いだった。最後の王族として玉座に着くのが、古の血ゴンドール遣いの種族…。
それはカーラ皇太后が目指した未来ではあるが、果たして明るい未来へ繋がる道なのだろうか。
湧き上がる不安を誰に話すことも叶わず、宰相は己の胸の内にそれを抑え込むしかなかった。
◆
王都の外れの広野で、アルベルトは土色の玉を手に立っていた。
そして後ろに立つキースとグレイスをちらりと見遣る。彼等の後方には、ローランド近衛騎士隊の騎士達も数人立っていた。
「見てろよ」
アルベルトが手の中のものを放り投げる。それが地面に落ちた瞬間、辺りは激しい煙幕に包まれた。真っ白な煙に、視界が束の間遮られる。
大きく広がったそれは、やがて少しずつ晴れて行った。
「煙玉だ」
アルベルトはそう解説した。そしてキースに向き直ると、彼に同じ煙玉を差し出しながら言った。
「もしアーロンが今日処刑台に引っ張り出されるようなことがあれば、これを処刑台に向かって投げろ。大衆の中からなら誰が投げたか分からないし、あいつならその間に逃げ出せるだろう」
「有難うございます…」
キースは複雑な想いでそれを受け取った。
ローランドの近衛騎士隊が来た目的は間違いなくグレイスを連れ戻すためだと思っていたのだが、彼等は何故かアーロンを救い出すのに協力する姿勢を見せている。
キースのそんな疑問を察してか、アルベルトは苦笑した。
「こんなことは予定外だがな。まぁ乗りかかった船だ。本当に皇太后が処刑されるのかどうかも確認しておきたい。アリステアの未来に大きく関わることだ」
「…そうですね」
そう応えたキースの顔を、アルベルトは覗き込むようにして窺った。
「諦めるか?王女を連れ出すことは」
キースが目を上げる。そしてゆっくりと首を振った。
「諦められません」
「――だろうな」
アルベルトは苦笑とともに肩を竦める。
「喜ぶべきか、悲しむべきか…」
彼の小さな呟きは、流れる風にかき消されていった。
◆
午後に向け、リンには国王の命を受け、外出の準備が施された。
淡い黄色地に白いレースがたっぷり付いた美しいドレスで着飾られ、その髪も結い上げられる。
久し振りに結った髪には、白い花が惜しみなく飾られた。
侍女達は支度を進めながら、ほぉっと感嘆のため息を漏らした。
ミーナは今日は休暇だった。自分がまだ城に居ることを知ったらどれほどショックを受けるだろうと懸念していたので、それを聞いて安堵した。
知られるのが、少し先に延びるだけなのだが。
女官に案内されて出た城の前庭には、馬車が待っていた。手を引かれてそこへ歩く。
馬車の中には、すでに国王が待っていた。その向かいには宰相が座っている。
ジークフリードはリンの姿を舐めるように頭の先から足の先まで眺め、満足気な笑みを浮かべた。
「――美しい…最高だ…」
彼はゆっくりとリンに片手を差し出した。
リンは体が震えそうになるのを必死で抑えながら、差し出された手に自分の手を乗せた。手の甲に触れる口付けの感触に、背筋を悪寒が走り抜ける。それを堪えて唇を噛み、馬車へと乗り込んだ。
狭い馬車の中、リンはジークフリードの隣に座らされた。準備が整ったことを確認し、馬車はゆっくり走り出した。
ジークフリードは、リンの肩に腕を廻して抱き寄せようとする。
「もっと近くへ…」
耳元で囁く声に体が硬くなる。
宰相はそんな様子から目を背けるように俯いていた。苦しいほどの恐怖と不快感を堪えながら、リンは国王の胸に身を預けた。
「あの…」
リンが小さく声を洩らすと、ジークフリードは「ん?」と言って応えた。
「昨夜の…人は…」
問いかけて、言葉に詰まる。確かめるのが怖い。ジークフリードは少し間をおくと、「さぁな」と吐き捨てた。
曖昧な返事をどう捉えていいのか分からない。
リンは押し寄せる不安に胸苦しさを覚え、ぎゅっと目を閉じた。
―――大丈夫…アーロンだもん…。
―――絶対、大丈夫…。
必死で自分に言い聞かせることしか出来なかった。
「何処へ行くか、聞いているのか?」
不意にジークフリードに問いかけられ、リンは首を振った。
国王に付き添う”という事以外、何も聞かされていない。ジークフリードはクスッと笑うと、冷たく言い放った。
「――公開処刑場だ」
「え…!!」
リンは目を見開いた。狼狽しながら体を離し、国王に向き直る。
「でも…でも、処刑は…中止してくださるって…」
蒼くなるリンに、ジークフリードは冷笑で応えた。
「”私の妃になったら”という約束だったからね」
「そ、んな…!!」
愕然として、リンは悲鳴に似た声を上げた。
そんな話って…。
そんな話って…。
部屋に戻りなさいと言ったのは、確かに国王自身だったのに…。
声を失うリンに、国王は低い声で告げる。
「…逃げたりするからだ」
「逃げたんじゃありません!!」
リンは思わず声を上げていた。
「陛下が、部屋に戻れって…!!」
「それでも、戻ってはいけなかった」
リンは絶句して凍りついた。
試されていたということだろうか。昨夜、自分は――。
そう思ったら、また体中の血が凍っていくようで、指先まで冷たくなる。
―――ひどい…。
リンの目に、抑えきれない涙が滲んだ。
悔しさや悲しさが一度に押し寄せ、感情が決壊する。もう何の涙か分からない。
もう、分からない…。
何のために、アーロンの手を振り切ったのだろう。
どれほど抱きしめて欲しかったか。どれほどその胸に飛び込みたかったか。
身を切る想いで、諦めたのに――。
”他に、好きな人がいるの”
あんな嘘までついて…、彼を傷つけて…。
国王の手が再びリンを抱き寄せようとする。
「――嫌!!」
リンはとっさに叫ぶと、彼を突き飛ばした。ジークフリードに背を向けて馬車の壁にすがると、体を震わせて泣き出した。
「そんなことを言っていいのかい…?」
ジークフリードの手がリンの肩にかかる。背後から両肩を掴むようにして、唇を耳に寄せる。
「今からでも、遅くない。皇太后の処刑を中止して欲しいんだろ…?」
リンが息を呑むとともに嗚咽も止まる。まるで呼吸が止まったかのように。
「よく分かった。では、中止にしよう。皇太后の、処刑はな…」
目の前に座る宰相が目を見開いた。信じられないというように国王を見ている。
そんな視線を気にすることなく、ジークフリードは俯くリンのうなじに唇を這わせた。
「けれども、きみ次第だよ。…今夜はもう、逃げないと誓いなさい。そして生涯私の側を離れないと…、」
低い声が耳に届く。体中に絡みついて縛り上げ、全ての自由を奪い去る。
「いいね…?」
宰相は、顔を歪めて目を背けた。
―――生涯、離れないと…。
リンは声も出せず、ただ力無く頷いて答えた。
胸の中に広がる想いは、ただ果てしない絶望だった。




