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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第四章
82/88

臣下の願い

 城内は騒然としていた。

 アリステア最高権力者である国王命令により、皇太后が投獄された。そして予定されていたリンティア王女の結婚は中止と決定された。

 国王の命令に従う将軍や騎士達に、カーラは狂ったように叫んでいた。


「冗談じゃないわ!!なぜあの子に従うの?!長いこと政務を放り出していたあの子に代わって国を護ってきたのは、この私なのよ!!」


 誰もが重い気持ちを抱えながら動いていた。けれども国王に逆らう道は選べなかった。それが彼等が忠誠を誓ったヨーゼフ王でないとしても…。

 ジークフリードは議会の間から連れ出されていく母親を、ただ冷たい目で見送った。


 カーラは今まで見たことも無い暗く冷たい地下牢へ連れて行かれた。

 自分に起きていることが理解出来ず、悪い夢を見ているような気がする。ただ茫然と、目の前で開く重そうな鉄の扉を眺めていた。

 将軍は極力丁寧に、カーラをその中へと促した。背中を軽く押され、虚脱したカーラの体は容易く前へと進む。


「少しの間、ご辛抱ください」


 牢に入ったカーラの背後から、将軍が声を掛けた。


「陛下は、混乱されておいでです。必ず、罪状は撤回されます。アリステアがカーラ様を失って…成り立つはずはありません」


 カーラがゆっくりと振り返る。その目にはまだ衝撃の色が滲んでいた。


「それなら…」


 カーラは掠れた声で言った。


「それなら何故、私を牢に入れるの…?」


 暗い影が落ちた皇太后の顔が強張っている。その声は震えていた。込み上げる感情を、抑えるように。


「申し訳…ありません」


 将軍は苦しげに顔を歪めた。


「私達に反逆の意志が無いことを示すためです。その上で、お考えを変えていただけるよう陛下にお願い申し上げます。少し落ち着かれたら、きっと撤回して頂けます。どうか…今しばらく、お待ち下さい」


 将軍が深く頭を下げる。その場を退がろうとした彼を、カーラは「待ちなさい」と呼び止めた。


「あの子に貴方達が何を言っても無駄よ。ヨハンに伝えて頂戴。あの子を説得するよう、言って頂戴…」

「かしこまりました」


 将軍は応えながらも、ヨハン王子に希望は持てない気がしていた。

 国王が国費を浪費し続けた時、宰相はヨハン王子にも説得を願い出たが、”関わりたくない”と言って逃げられている。彼は王子でありながら、王家の一員という自覚も責任感も薄い。



 将軍が皇太后を投獄している間、宰相はジークフリードを追いかけていた。


「どうか、お考え直し下さい…!」


 後ろから声をかけられていることに気付いているはずなのに、彼は歩みを止めない。宰相は必死で言葉を続けた。


「陛下、お願いいたします…!!皇太后の処刑は、国民を動揺させます。リンティア様とのご結婚に関しては、カーラ様にもきっとご理解頂けます!!――どうか、今一度カーラ様のお気持ちをご確認頂けませんでしょうか?!」


 ジークフリードが足を止める。そして宰相を振り返った。


「処刑は早い方がいい。明日にでも執行できるよう準備を進めるように」


 彼はそう言っただけだった。再び前を向くと、足早に歩いていく。宰相は目を見開いたまま、その背中を見送ることしか出来なかった。



 第一王子ヨハンの部屋に、宰相が訪れたのはその後すぐのことだった。

 彼等が王子の部屋に現れるのは初めてのことで、ヨハンは明らかに動揺していた。宰相は将軍とともに、王子に事情を説明した。


「公開処刑…」


 呆然とそう呟く王子の前で、宰相と将軍は跪いて国王への説得を願い出た。


―――もうアリステアは、終りだ…。


 意識を手放す直前、ヨハンはぼんやりそんなことを考えていた。


 ◆


 いつものように王女の部屋を掃除しながら、ミーナは上機嫌で鼻歌混じりだった。

 今夜はアーロンがリンティア王女を迎えに来るはず。そう思いながら王女を振り返る。長椅子でお茶を飲む彼女の表情は翳っている。明日望まない結婚を控えているのだから、無理も無かった。

 今夜アーロン達が来ることは、堅く口止めされている。

 まだ心を決めかねている彼女を動揺させないためらしい。

 けれどもこの前アーロンの言葉を伝えた時の彼女の様子を思い出すと、秘密にしておくのが勿体無い気もした。

 そろそろと王女に歩み寄る。その気配を感じてか、リンティア王女がミーナを見た。


「あのぉ」


 ミーナが語りかけると「なに?」とぎこちなく微笑みを見せてくれる。

 ミーナが口を開きかけた時、ふと部屋の扉が開く音が聞こえた。王女はビクリと一瞬体を震わせた。


「あ、ちょっとお待ちくださいね」


 誰か来たことを感じ、取次ぎのためミーナは扉の方へ走る。開いた扉から外で見張る衛兵が顔を出していた。


「宰相閣下がお見えです」

「はぁい、お待ち下さい」


 ミーナはそう応えると、また王女の方へと戻って行った。



 突然訪れた人物が国王でなかったことで、リンは一応安堵した。

 けれどもそれが宰相と将軍であると知り、不思議な想いで彼等を迎えた。一体自分に何の用なのだろうか。


「どうぞ、椅子に…」


 そう言って導こうとしたが、彼等は即座にその場に膝をついた。そして深く頭を下げる。

 突然足元に跪かれ、リンは目を見張って固まった。


「リンティア様…どうか、カーラ様をお救いください」


 宰相が絞り出すように言った。


「…え?」


 予想外の言葉に思わず聞きなおす。少し離れた所で、ミーナが怪訝な顔でそんな様子を見守っていた。

 リンは彼等を見下ろしているのが居心地悪くて、自らも屈むと目線を合わせて問うた。


「あの…何か、あったのですか?」


 宰相は顔を伏せたまま「はい…」と重く応えた。


 宰相の話は、リンを凍りつかせた。

 国王が自分の結婚を中止し、自分を妃にすると宣言したこと。それに反対した皇太后がその場で処刑を言い渡されたこと。何もかもが信じられなかった。


「陛下は…リンティア様を妃にと、強く望んでいらっしゃいます。どうか、どうか、姫様…」


 宰相は床に這い蹲るようにして、額をこすりつけた。


「どうか、陛下のお心を、お受けくださいますよう…」


 心臓が、体中の血が、凍りつく。寒くも無いのに全身総毛立ち、リンは眩暈を感じて床に両手をついた。

 髪の毛が、さらりと顔の横に流れる。その髪の先まで、震えが伝わって行った。


―――国王の、妃に…。


 母を死に追いやった人。今でも鮮明に思い出せる。あの日、母に乱暴しようとしていた彼を。

 それを止めようとした自分に手を上げ、剣を抜いた彼を…。

 あの人の妻として生きるくらいなら、昨日まで顔も知らなかった伯爵に嫁ぐ方がよかった。

 ずっと、よかった…。


「お願いいたします…」


 宰相がもう一度懇願する。彼の体もまた、震えていた。


「陛下はカーラ様を、明日処刑するとおっしゃっています。どうか、どうか、リンティア様から陛下を説得して頂けますように…」


 宰相の言葉を聞きながら、リンは目を閉じた。

 国王を説得するために、その身を差し出せと彼等は言っていた。自分から…。

 血が降りていくのを感じる。吐き気がする。

 ――いっそ倒れて、しまいたかった。


 ◆


「お若いのに、王女の方がずっと気丈だ…」


 王女の部屋を出た宰相は苦しげに呟いた。

 自分達の勝手な願いを、王女は”わかりました”と受け入れてくれた。皇太后の命と国の未来を、その小さな肩に背負わされ、それでもそれを受け止めてくれた。

 それがどれ程残酷な申し出であるのか、宰相は嫌というほど知っていた。

 けれども他に道が無かった。

 ヨハン王子は話を聞いただけで卒倒してしまった。国王が交代して以降、国政に何も関与しなかったのは彼とて同じ事である。皇太后が良政を行っていると自信を持って言えるわけではないが、それでも皇太后を失いジークフリード国王のみとなったこの国の未来が、今より確実に早く破滅に向かうのは目に見えていた。

 今やもう、国王を動かせるのはあの若い王女しか居ない。


「大丈夫ですよ!!!」


 宰相達が去っても立ち上がれないリンの元に、話を聞いていたミーナが駆け寄った。その傍らに膝をついて語りかける。


「大丈夫です!今夜、アーロンが姫様を迎えに来るんですよ!!」


 俯いたまま、リンは目を見開いた。


「言うなって言われてたんですけど…。でも、もう黙ってられないです!こんなところ逃げ出して、幸せになってくださいっ」


 リンの目がゆっくりとミーナを見る。彼女の黒い瞳は真剣だった。


―――逃げ出して、幸せに…。


 ミーナの言葉を頭の中で繰り返す。

 それは自分が選べる、最後の幸せの道…。

 でもそうしたら、その先アリステアはどうなるのだろう。皇太后は処刑され、アリステアを動かすのはジークフリード国王のみとなる。

 その未来は、全く想像できなかった。

 父が愛した、祖国アリステア――。


「ね、リンティア様!」


 ミーナが必死で語りかける。

 リンはその言葉に応えるように、力なく頷いて見せた。


 ◆


 夜に向け、アーロンとキースは宿屋の部屋で準備を進めていた。側でグレイスも2人を見守っている。

 2人はひととおり武器や道具を確認し終えると、今夜の計画を話し合った。


「じゃぁ、俺は先に見張り塔に向かうってことでいいな」


 キースの言葉に、アーロンは頷いて応えた。


「1時間以内に見張りの兵士を動けなくしておいて」

「物凄く簡単に言うな、お前。何人居るんだ。見張り塔に登るまでに」

「仕方ないだろ。それ以上かかると、逃げるまでに交替の兵士に出くわす」


 アーロンは言いながら、城の見取り図を広げた。


「見張り塔に着いたら火で合図して。俺、このへんで待ってるから」


 アーロンが指差したそこは、南の館の庭園に近い場所だった。


「了解」


 キースが短く応えた。


「王女を連れ出せたら、その後どうするの?」


 グレイスが問いかける。


「一度戻ってくる。でもすぐにここを出るよ。準備しておいてくれ」


 キースの言葉に、グレイスは一瞬戸惑いを見せた。本来なら、奪還が成功した時点でグレイスの旅は終りになる。けれども約束の1ヵ月には、まだ間があった。


「…分かったわ」


 グレイスは目を伏せて、そう応えた。


 ◆


 夜も更けた頃、ミーナは一日の仕事を終えて帰って行った。去り際にリンの手を握り、「お幸せにっ」とまた言ってくれた。


―――お幸せに…。


 その言葉が胸を刺し貫く。

 何も言えなかった。頷くしかなかった。幸せになどなれないのに…。

 まだ子供のような自分に跪いて訴える人達を、血を吐く想いですがる人達を、裏切って逃げることなど、できるはずもない――。



 リンティア王女が訪ねて来たという知らせに、ジークフリードは興奮を覚えた。

 夜更けに、部屋を訪ねて来るという意味が分からない歳ではないはずである。

 邪魔な母親の処刑後にゆっくりと思っていたが、自ら、妃になりに来たということなのだろうか。それに対し、断わる理由はどこにもなかった。

 ジークフリードは即座に女官を退出させ、王女を迎えた。


 女官と入れ替わるように、リンティア王女はゆっくりと部屋に入ってきた。

 夜着の上に絹のガウンを羽織っている。その顔は緊張のためか、強張っていた。それでもやはり、輝くばかりに美しい。

 かすかに覗く胸元まで全て抜けるように白い肌も、柔らかそうな桜色の唇も、上気した頬を飾る金色の髪も。全て、あの人の面影を映した様に…。

 少女とは思えない艶かしさに、ジークフリードの心は自然に昂ぶった。


「リンティア…」


 足早にリンティア王女に歩み寄る。そしてその細い体を抱き寄せた。昼間の時とは違い、彼女はなんの抵抗もなく自分の胸に体を預けた。

 小さく震えるその肩を、抱きしめて金色の髪に顔を埋める。その髪からは、優しい花の香りが漂った。

 そんな香りも、あの人を思い出させる。


 ああ、やっと、戻って来た――。


「俺の妃に、なるんだな…?」


 確認するように、ジークフリードが耳元で問いかけた。


―――もう、後戻りはできない…。


 リンは顔を伏せたまま、小さく頷いた。


「いい子だ…」

「皇太后様を…」


 リンが口を開いた。懸命に抑えようとしても、声が震えてしまうのを止められなかった。


「皇太后様を、お許しください…」


 ジークフリードが口を閉ざす。しばらくの沈黙の後、「分かった」と応えた。そしてリンの顔を両手でそっと包む。

 上を向かされ、ジークフリードの目と出会う。その瞳に、足の先まで凍りつかされる思いだった。


「ほ、本当、ですか…?」


 必死で声を絞り出す。ジークフリードは口元に満足気な笑みを浮かべた。


「もちろんだ。お前が、俺のものになるならば…」


 囁きながら、ジークフリードが顔を寄せた。口付けされると思った瞬間、リンは固く目を閉じた。

 冷たい唇が触れる。その感触に、リンの背筋には悪寒が走った。無意識に固く口を閉じる。彼の侵入を拒むように。


―――嫌だ…。

 

 覚悟を決めたはずなのに。頭と体が別物であることを、嫌という程思い知る。

 アーロンの手じゃない。

 アーロンのキスじゃない。

 アーロンじゃない…。

 閉じた目に、自然と涙が滲んだ。


 ジークフリードの唇が執拗にリンの唇を求める。熱い舌が唇に触れたのを感じて、リンはさらに体を硬くした。入り込めない舌が、唇を濡らす。

 ジークフリードは苦笑すると、一度唇を離した。

 それを感じ、リンは恐る恐る目を開ける。ジークフリードはまだリンの瞳を覗き込んでいた。


「初めてなんだね…力を抜いてごらん…」


 その瞬間、心の奥が悲鳴を上げた。


―――嫌…離して…触らないで…!!!


 突然、ジークフリードがビクンと体を震わせた。

 驚いたように硬直したジークフリードの瞳に、リンも息を呑む。何が起きたのか分からなかった。

 国王は完全に動きを止めたまま動かなくなった。

 声をかけるのもためらわれ、ジークフリードの両手に自分の顔を拘束されたまま、リンは動けずにいた。

 ふと、ジークフリードの手が頬から離れる。

 解放された理由も分からず、けれどもその瞬間リンは反射的に一歩後退した。

 国王は呆然と自分を見ている。やがてぎこちなく、口を動かした。


「…戻りなさい」

「え…」

「――部屋に、戻りなさい」


 リンは目を見開いた。

 自分が嫌がっているのが伝わってしまったのだろうか。けれども、国王が怒っている様子は無い。

 リンはゆっくり2歩後退すると、その場でしばらく国王を見ていた。彼はリンを引き止める気も無いのか、ただ無表情でこちらを見ていた。


「し、失礼いたしました…」


 リンはそう言って踵を返すと、無我夢中で部屋を出て行った。



 逃げるように部屋へ戻ったリンは、そこに入った瞬間しゃがみ込んだ。思い出したようにまた体が震え出す。先ほどの感触が甦り、全身が粟立った。

 唇を重ねるだけで、限界だった。

 初めてだったわけじゃない。でも相手がアーロンでないだけで、こんなにも苦しいなんて。

 こんなにも違うなんて――。

 今日は許してもらえた。けれどもそれは今日だけかもしれない。いつまでも、逃げ続けられない。


「――うっ…」


 抑えきれない嗚咽とともに、涙が溢れた。部屋の絨毯に、雫が落ちる。

 次から、次へと…。

 必死に覚悟を決めたはずなのに、ダメだった。

 いつか、諦められるんだろうか。

 いつか、忘れられるんだろうか。

 あの人の顔も、声も、温もりも…。


 そんな日が来るくらいならいっそ、消えて無くなってしまいたいのに――。

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