すれ違う思惑
気持ちよく晴れた暖かい朝、リンは懐かしい花園に出ていた。
父が母のために作ってくれたというこの花園で、小さい時から母と伴によく花の世話をした。そんな時間が母はとても好きだった。
久し振りだったが、花達は元気に咲き乱れている。自分が部屋を離れ、国を離れた後も、ちゃんと誰かの手によって世話がなされていることが窺えた。
花の香りが鼻腔をくすぐる。懐かしい安らぎを感じながら、リンは花園の真ん中に置いてある白い長椅子に腰掛けた。そしてふぅっと吐息を洩らす。
ミーナからアーロンの言葉を聞いてから、自分でも驚くほど体調は良くなっていた。今ではすっかり回復して、こうして動くこともできる。本当に、単純な体だと思う。
それでもリンはまだアーロン達にそれを伝えられないでいた。
ミーナには会うたび回復を知らせてもいいかと訊ねられるが、もう少し待っていて欲しいと返している。
アーロンとキースに連れ出してもらうということは、国を捨てることになる。今度こそ、自分の意志によって。
”どうか、リンティア様。アリステア王家を…アリステア王国を、お救いくださいますように。――我々アリステアの国民を、お見捨てにならないで下さい…”
頭の中に甦る近衛隊長の言葉がリンを迷わせる。
本音は勿論、アーロンとキースと一緒に逃げ出したい。けれどもそれは、許されることなのだろうか。
どれだけ考えても結論は出ない。自分がこのアリステア王家に存在する意義も、まだ見出せていないのだから。
長く迷ってなどいられない。アーロンもキースも、待っていてくれている。リンのためにローランドを離れ、アリステアまで来てくれている。
会いたくて恋しくてたまらない人達…。
でもどうしたらいいのか分からない。
リンは大輪の花達に囲まれながら、固くその目を閉じて俯いた。
◆
南の館の最上階には、国王の部屋が存在する。
アリステア国王ジークフリードは、窓から差し込む眩しい光に煩そうに顔をしかめた。
部屋に篭る生活が続いているせいで、光はあまり得意でない。ジークフリードは椅子から立ち上がると、窓に幕を引くためにそれに近寄った。
目を細めながら幕に手をかける。そしてふとその目を外に向けた。
ごく自然に庭園を見ていた。庭園の中のアイリスの花園を…。
それはジークフリードの癖のようなものだった。かつてアイリス姫がその花園を歩く姿を、こうしてよく眺めていたから。
その時居た部屋からはもっと近くに見えていたが…。
ふとジークフリードの視線が一点に止まった。
光を嫌うように細めていた目が見開かれる。窓に張り付くようにして、必死で目を凝らした。
しばらくそうして眺めていたが、やがて我に返った。慌てて窓の鍵を外し、それを開け放つ。外の風が、久し振りに部屋に舞い込んできた。
暖かい風が顔や髪を撫でるのを感じながら、ジークフリードは身を乗り出すようにして眼下の景色を眺めた。
広大に広がる花園の真ん中にある長椅子に、誰かの姿が見える。
優しい桜色のドレスが広がり、金色の長い髪が陽光を受けて輝く。
「アイリス…」
ジークフリードは口の中で呟いていた。
次の瞬間、身を翻して駆け出した。部屋の扉を力まかせに押し開ける。外で立っていた衛兵は、久し振りに姿を見せた国王に驚いて固まった。そんな者達の存在も目に入らず、ジークフリードは部屋を飛び出して行った。
「陛下…!」
背後から呼び止められるが、足は止まらない。
裸足のまま必死で階段を下りる。その途中、途中で、衛兵が驚いたように彼を見ていた。
長く篭っているせいで、すぐに息が上がる。苦しくなる胸を抑えながら、ジークフリードは必死で走った。消えていく幻に、追いつこうとするかのように。
時間を忘れて座っていたリンは、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がして顔を上げた。顔を巡らしてあたりの音に気を配る。
「――リンティア!」
今度ははっきりと聞こえた。それに応え、リンは慌てて立ち上がった。
「はい!」
やがて花のアーチの向こうに、リンを呼んでいた当人が現れた。その姿に、リンは戸惑いの表情を浮かべる。
「皇太后様…!」
「ここに居たのね」
カーラはにっこりと微笑みを浮かべた。
「お話があるんだけど、時間いいかしら?」
「あ、はい!すみません!」
わざわざ探しに来てくれたらしい。リンは小走りにカーラのもとへ駆け寄った。
「部屋に戻りましょうね」
カーラはそう言ってリンの背中に手を添えると、そっと部屋の方へと導いた。
「――アイリス!!!」
突然悲鳴のような声が辺りに響いた。
ビクンと体を震わせ、リンの足が止まる。同時にカーラも立ち止まった。
―――”アイリス”…?!
背後の声に、2人同時に振り返る。そこに立つ人の姿に、リンは全身の血が凍るような衝撃を受けた。
体に羽織っている夜着が乱れて肌が見えている。頬はこけ、顔色が青い。走ってきたのか息が乱れ、呼吸音に苦しげな雑音が混じっている。すねから下が露になった足は折れそうに細く、落ち窪んだ目はカッと見開かれ、真っ直ぐに自分を見据えていた。
それが誰だか分かっていても、目を疑う。それほどに、彼は変わり果てていた。
―――ジークフリード国王陛下…。
「ア、アイリ…ス…」
目を見開いたまま、その手は胸を抑え、国王は一歩また一歩と近づいて来る。その足は裸足だった。
土を踏む素足に痛みを覚えているはずなのに、何も感じていないかのように迷い無く歩いてくる。
リンは思わず一歩後退した。
「――違うわ、ジーク!」
とっさにカーラが声を上げた。ジークフリードの足が止まる。その目は今初めて存在に気付いたかのように母親に向けられた。
「…違う?」
「リンティアよ。生きていたの。あなたの、妹よ」
”妹”という言葉を強調して、カーラはそう言った。ジークフリードの目がまたリンを見る。
食い入るように見つめる目から逃げるように、リンは目を伏せた。
「行きましょう、リンティア」
カーラはそう言って再びリンの背中に手を添え、促した。リンはそれに従い歩き出す。去っていく二人の姿を、ジークフリードはただ凍りついたように見つめていた。
テラスへ続く大きな窓から、リンとカーラは部屋に戻った。
入ったとたん長椅子に座る大柄な男性が目に入る。リンは驚いて足を止めた。ミーナが彼の目の前のテーブルにお茶を運んでいた。彼女の目が心配そうに一瞬リンの方を窺った。
「リンティア、こちらロイエンタール伯爵よ」
カーラは男性を手の平で指しながら、ゆったりとそう言った。
紹介された伯爵は、さっと立ち上がった。そして足早にリンとカーラの前まで歩いてくる。
金茶色の短いクセ毛に、同じ色の顎髭。体の大きな彼は、獰猛な獣を想像させる。けれどもそんな雰囲気に不似合いな、上品な礼服を身につけていた。
「マルクス・ロイエンタールです」
そう言って、彼はリンの片手を取った。突然手を握られ、リンはビクリと体を震わせた。
それに構うことなくマルクスは片膝をついて座り、その手の甲に口付ける。
「あなたの夫となる人よ」
リンの隣でカーラが言った。
―――夫…。
手に口付けたままマルクスが上目遣いにリンを見る。そして笑みを浮かべた。
反射的に、リンは彼に握られている手を振り払っていた。マルクスの顔から笑みが消える。
「あ…」
リンは自分のしたことに気付き、けれども何も言えずに固まった。マルクスがまた立ち上がる。
カーラは2人のことなど構うことなく話を続けた。
「結婚式は明後日よ。おめでたいことは早いほうがいいものね」
全身の血が降りていくような衝撃に、リンの体は小さく震え始めた。立っていられない。そう感じた瞬間、カーラの手がリンを支えた。
「あら…」
カーラが呟いた。
「まだ無理は禁物だわ。座って頂戴」
カーラはリンの体を長椅子へと導く。リンはされるままに連れていかれながら、激しい眩暈を感じていた。
―――結婚……明後日……。
あまりにも急な話に心がついていかない。そんなリンを、ミーナが不安気に見つめていた。
マルクスも向かい側の長椅子に座りなおす。
椅子に落ち着くと、カーラはまた勝手に話を始めた。
「ジークフリードに子供が居ないのは知っているかしら」
問いかけられながらも、答えられない。リンはただ長椅子に座ったまま、震え続けていた。
「あの子の弟のヨハンの子も王女が2人だけ。将来のため、国のために、私はあなたが王子を産んでくれることを期待しているわ。もちろん、もしそうなったらちゃんと王位継承権を与えたいと思ってるの。ヨハンにはもう子供ができそうにないし」
カーラが苦笑する。そんな笑い声も、どこか遠い世界の音のようにリンの耳に響く。
「結婚といっても、あなたにはずっとこのアリステア王家に居てもらいたいと思っているから。嫁に出すという意味ではないのよ?何も寂しいことはないから、どうか安心してね」
一呼吸置いて、カーラは「…いいわよね?」と続けた。
口を閉ざしたカーラから、より重い圧力を感じる。
リンは操られた人形のように、ただ力なく頷くことしかできなかった。
リンティア王女の部屋を出たロイエンタール伯爵は、カーラの隣で満足そうにほぅっと吐息を漏らした。
「なんと美しい姫でしょう…」
アイリスとよく似た姫に対しての賛辞として、それはカーラに不快感を抱かせた。けれどもそんな個人的な想いは先の野望に比べれば取るに足らない。
「気に入ったなら、よかったわ。結婚したらすぐにでも子供を作って頂戴。期待しているわよ」
伯爵はその言葉に、だらしなく口元を緩ませた。
「大変、名誉な役目だと思っております。必ず、ご期待に応えましょう」
カーラは伯爵から目を背けると、それ以上何も言わずに歩き続けた。
◆
その夜、王都の酒場でいつものようにアーロンはカッシュを待っていた。
キースとグレイスは昨日からここには居ない。ローランドの近衛騎士隊を王都で見かけたことで、一旦王都を離れている。
近衛騎士隊の目的はどう考えてもグレイスだろう。1ヶ月も国を離れるというのは、やはり無理があったのだろうか。
ぼんやりと座っているアーロンの背中が、突然誰かに叩かれた。すっかり遠くへ行っていた意識がその手により引き戻される。アーロンは心臓が止まりそうに驚きながら、慌てて背後を振り返った。
そしてそこに立っている人物を目の当たりにして、再度目を見張った。
「――え?!」
「飲んでる場合じゃないわよ、アーロン!!」
険しい顔で、ミーナは開口一番そう言った。
カッシュとともに現れたミーナの話に、アーロンはただ絶句した。
リンのもとへ婚約者が来たこと。結婚式は明後日だということ。何もかもが、あまりにも突然の出来事だった。
ミーナはまくしてたてるように一気に話し終えると、はぁぁっとため息をついた。
「ほんとはもうすっかり元気だけど口止めされてたの。リンティア様、ずっと迷ってたみたいで…」
「迷って、た…?」
アーロンは戸惑いつつ問いかけた。ミーナがこくりと頷く。
「本当に出て行っていいのかって考えてたみたい。それが今日いきなり結婚とか言われて…。王子を産んで欲しいとか言うんだよ?リンティア様を子作りの道具みたいに言って!!」
ミーナは本気で怒りを感じているようだった。アーロンの中にも同じように、煮えたぎる想いが渦巻く。
―――子作りの道具…。
「知らせてくれて、ありがとう…」
激情を必死で抑えながら、アーロンはそう言った。
「リンティア様には”言わないで”って言われたんだけどね…」
「…そう言うだろうね、あの子は…」
アーロンがそう言うと、ミーナも目を伏せた。カッシュはその隣で何も言わずに座っている。
その場には重い沈黙が流れた。
「明後日か…」
カッシュがぼそっと呟いた。
「ちょっと急すぎるな」
「明日、行くしかない」
アーロンがそれに応えるように言った。
「ほんと?!」
ミーナが嬉しそうに声をあげる横で、カッシュは「明日って!」と慌てたように言った。
「明日は南の見張り塔、ロンディじゃないぜ?」
「仕方ない。大丈夫、なんとかするから」
アーロンの言葉に、カッシュは少し考えると、ためらいつつ口を開いた。
「仲間…殺すなよ…?」
とっさに何も言えなかった。
かつての自分にとっては、確かに同じ兵士仲間だった。5年も居たのだから、ほとんど顔を知っている。彼等が自分に殺されるような理由なんて何処にもない。けれどもそんなことを気を付ける余裕が明日の自分にあるかどうかも分からない。
アーロンは複雑な想いで目を伏せた。
◆
翌日の朝、空は灰色の曇り空だった。
アーロンは全て荷物をまとめると、宿代を清算した。もうここへは戻って来ないだろう。
決行は、今夜―――。
キース達の居る都市へ行くための馬を借りなくてはならない。アーロンは宿屋を出ると貸し馬屋を探しに、朝の王都を歩き出した。
遠くからその背中を見送った男が居た。去っていく姿を見ながら、ふぅっと息を吐く。
「どうやら、動き出した。ってことは、今夜か?」
そう言った男は後ろに控えている騎士を振り返った。
「あいつを追って、グレイスの居場所を確認しておけ」
騎士は「はい」と短く応えると、素早くその場を離れた。
王城の窓から見える空は雲が太陽を隠し、朝にも関わらず暗く翳っていた。
それはまるで自分の心を映しているようで、リンは胸の奥に苦しさが募っていくのを感じていた。
明日、結婚する――。
とても信じられない現実が自分を苛む。心が死んでしまったように、涙すら出なかった。
アリステアに戻るということは、こういうことだったんだと今頃気付く。アーロンから離れて、二度と会えなくなって…。
それだけじゃない。彼じゃない誰かと、結婚しなくてはならない。それは当たり前のことだった。
まさかこんなに早くとは、思っていなかったけれど…。
”必ず迎えに行く”
彼がくれた言葉が何度も胸を締め付けた。
早く逃げてしまえばよかった。そんな卑怯な想いも湧いてくる。迷いながらも、ずっと願いはひとつだったのに。
あの優しい腕の中に、帰りたかった――。
リンは窓に額を付け、そっと目を閉じた。
「――リンティア様」
イライザに声をかけられて、リンはゆっくり振り返った。彼女は今朝も張り付いたような無表情だった。
「国王陛下がお見えです」
無機質な声が告げた言葉に、リンは全身を強張らせた。心臓が大きく音を立てる。
―――国王陛下が…。
昨日見た彼の姿が甦る。彼はリンを見てはっきりと言った。”アイリス”と…。
窓を背にして、リンはただ立ち尽くした。そんな王女を前に、イライザはただ指示を待っている。
黙って見詰め合う2人の間に、ただ沈黙が流れた。
「失礼する」
不意に沈黙を破る低い声が響き、リンはびくりと体を震わせた。姿を現したのは、ジークフリード国王だった。
リンの姿を認めて足を止める。そしてしばらくそのまま何も言わずに立っていた。
彼は昨日のような乱れた格好ではなく、黒い立派な服に身を包んでいる。髪も整えられ、別人のように見える。けれどもその細い顔や落ち窪んだ目は、やはり言い知れない恐ろしさを感じさせた。
ジークフリードの視線がリンの体を舐めるように動く。やがてその唇に薄い笑みが浮かんだ。
「…奇跡だ」
リンの背筋に氷のような悪寒が走った。ジークフリードの目がイライザに向けられる。
「退がれ」
イライザは素早く頭を下げると、即座にその命令に従い部屋を出て行った。そんな背中を、リンの目がすがるように追いかける。
けれどもやがて、部屋には2人のみが残された。
ジークフリードが歩み寄る。
リンは後退しようとして、すぐにその背中が窓に当たるのを感じた。ジークフリードは容赦なく足を進め、やがてリンの目の前に立った。
その黒い瞳は、絡みつくようにリンの姿を捕らえて離さない。リンは思わず逃げるように目を閉じた。
「まるで戻ってきたかのようだ…。初めて会った、あの日のままの姿で…」
ジークフリードの手のひらが頬に触れる感触に、リンはビクリとまた体を震わせた。
「アイリス…」
「――違いますっ…」
リンはやっとの想いで口を開いた。頬を撫でるジークフリードの手が動きを止める。リンは必死で訴えた。
「私は、リンティアです…!陛下の、妹です…!」
「どちらでもいい」
抑揚の無い冷たい声が響く。
―――どちらでも、いい…?
「今度こそ、俺だけのものだ」
そう言った瞬間、ジークフリードの腕がリンの体を抱き寄せた。
「やっ…!」
とっさに身をよじって顔を背ける。その耳元に、ジークフリードの囁く声が聞こえる。
「こっちを向きなさい」
「離してください!!」
「こっちを向くんだ」
ジークフリードの手がリンの顎を掴んで振り仰がせる。
「――結婚するんです!!!」
リンの叫ぶような声が、部屋中に響いた。
ジークフリードが動きを止めた。部屋に静寂が戻る。
まだ顎にジークフリードの手を感じながら、リンは恐る恐るその目を開いた。
ジークフリードはその目に驚愕の色を浮かべ、リンを見ていた。
「…結婚だと?」
「そうです!!」
リンの答えにまた言葉を失くす。
そんな国王の胸をそっと押すと、衝撃のためか、その手は容易く離れた。
「明日、結婚、する身なんです…」
一歩身を退いて、リンは改めてそう言った。
その言葉に、ジークフリードはしばらくただ茫然と佇んでいた。けれどもやがて、その顔は怒りに歪んでいった。
「誰と、だ」
押し殺したような低い声に、リンの体にまた震えが走る。
「…ロイエンタール伯爵です」
やっとの思いでそう答えた。
「冗談じゃない…」
ジークフリードが独り言のように呟く。
「冗談じゃない!!今度こそ、誰にも渡すものか!!」
叫ぶようにそう言って、ジークフリードは踵を返した。
足早に、慌てたように去っていく。
乱暴に扉が閉められる音がして、リンは初めて恐怖から解放されたことに気が付いた。
体中に震えがくる。気がついたら、背中は窓に寄りかかっていた。そのまま、ずるずると滑るようにその場に座り込む。
リンはドレスごと自分の膝を抱えると、そこに顔を埋めた。
「…アーロン…」
小さく呟いた声は、震えていた。
1人ぼっちの広い部屋に、しばらくリンの押し殺すような泣き声だけが響いていた。
◆
その日の議会は、いつもの通り国王不在で行われていた。
宰相がその場を取り仕切って話を進めている。それをぼんやり聞きながら、玉座に座るカーラは口元に笑みを浮かべていた。
すべてが思い通りに進んでいる。そう思うと楽しくて仕方が無い。
「…では次の議題を…」
そんな宰相の言葉が聞こえ、カーラはふとその目を上げた。その瞬間、議会の間の扉が激しい音を立てて開いた。
全員の目がそこに集中する。直後、そこに現れた人物に誰もが声を失った。
「ジークフリード…」
カーラが小さく呟いた。
議会の場に国王が現れたのは、まさに3年ぶりだった。
見慣れない光景に誰もが固まる。宰相も、言葉を失くし王の姿を見ていた。
国王は険しい表情で歩いてくる。一歩、一歩、玉座に向かって。やがてカーラの目の前に、ジークフリードは辿り着いた。彼の目は、カーラを冷たく見下ろした。
刺すようなその視線に、カーラの体が強張った。
「…何かしら」
ジークフリードは身を翻してカーラに背を向けると、宰相と大臣達に向き直った。
全員を見廻して口を開く。
「――リンティア王女を、私の妃とする!」
水を打ったような静寂が辺りに広がった。
誰もがただ、目を見開いて固まるしかなかった。
「なにを言うの!!!」
とっさに国王の背後から、皇太后が声を上げる。そして玉座から立ち上がった。
「だめよ!何を馬鹿なことを…!実の兄妹じゃない!!」
「構わない」
「構うわ!!!」
カーラの声は悲鳴のようだった。
「近親婚なんて…絶対だめよ!!あの子の血が…!」
そこまで言って、ハッとしたように口を閉じる。大臣達が不思議そうにカーラを見ていた。
ゴンドール遣いの力のことは、宰相以外には言っていない。カーラは自分を落ち着かせるように息を吐くと、息子に歩み寄った。
ジークフリードは迎え撃つように母親を振り返った。
「ジーク…」
カーラは極力穏やかに息子に語りかけた。
「ねぇ、落ち着いて。あの子はね。もう結婚相手が決まっているのよ。明日、結婚する予定なの」
過去の歴史は証明していた。ゴンドール遣いの血は近親婚を繰り返したことで、消滅した。
そんな過ちを繰り返すわけにはいかない。なんとしても息子を諦めさせなくてはならない。
カーラは必死だった。
「その結婚は中止だ」
ジークフリードが叩き返すように言う。そしてまた大臣達を振り返った。
「リンティア王女の明日の結婚は中止する!!これは国王命令だ!」
「いいえ、だめよ!!」
カーラが声を上げた。そしてジークフリードの腕を掴む。
「馬鹿なことを言わないで、ジーク!結婚を中止になんてさせないわ!!あの子には、すぐにでも子供を産ませたいのよ!!」
「俺の子供を産ませる」
「それでは意味がないのよ!!!」
「――うるさい!!!」
ジークフリードはカーラの手を振り払った。
その拍子にカーラの体が投げ出される。小さな悲鳴を上げて、カーラは床に手をついた。
目を見張って振り仰ぐ。息子の目はどこまでも冷たく、自分を見下ろしていた。
「貴方はまた、俺から奪おうというのか…。アイリスだけでなく、リンティアまで…」
「奪ってなんか…」
「――将軍!!」
「は、はい!!」
ジークフリードに突然呼ばれ、将軍は弾かれたように立ち上がった。
ジークフリードの指がすっと動く。
そして真っ直ぐカーラを指差した。
「皇太后を投獄しろ。反逆罪だ。―――近く、公開処刑とする」
低くはっきり響いたその声に、カーラの瞳は凍りついたように固まった。




