昔の恋人
その日の夜、王都の宿についている酒場でアーロンは1人カウンターで飲み始めていた。
情報が入れば、カッシュが来てくれるはずの場所だった。
昼から別れたグレイスとキースはまだ戻って来ない。2人で王都を観て回っているのだろう。
こうしていると昔を思い出す。かつてはよく王都で飲んだものだった。仲間と飲んだり、恋人と飲んだり、1人で飲んだりと、酒場は生活の一部だった。
ローランドで住むようになってからは、さっぱり行かなくなったけれど。
目の前にあるお酒も、久し振りのものだった。美味しいとは思うが、大量に欲しいとは思わない。どうせ今酔える気はしないし、酔いたい気分でもないから。
不意に肩を叩かれて、アーロンは顔だけ振り返った。その目が予想外の存在を捉える。そこに居たのは得意気な笑みを浮かべたカッシュだった。
「よぉ!」
虚を突かれ、アーロンは目を丸くした。待ってはいたが、今日はさすがに来ないだろうと思っていた。胸を張るカッシュに「おぉ…」と曖昧な挨拶を返す。
「――アーロン?!」
不意にカッシュの背後から高い声とともにひょいっともう1人顔を覗かせた。その人物を確認した瞬間、アーロンは座っていた椅子から転げ落ちそうになった。
「え、えぇぇ!!」
思わず素っ頓狂な声を上げる。それは紛れも無く大昔の恋人、ミーナだった。
――何故ミーナが居るのか…。
状況が飲み込めないまま、とりあえず話をするためにアーロン達はテーブルへと移動した。アーロンの隣にカッシュが座り、向いにミーナが腰を下ろす。アーロンは居心地の悪さを感じながら「どういうこと?」とカッシュに問いかけた。
「ひさしぶりっ」
カッシュが答える前にミーナが明るく声を掛けてきた。アーロンはとりあえずミーナに視線を戻すと「久し振り…」と返す。
どうやら気まずいのは自分だけらしい。ミーナの大きな瞳は、無遠慮にアーロンを観察した。
「なんか、雰囲気変わったかも」
ミーナは小首を傾げてにっこり笑う。
「オトナになったかな?」
「……それはどうも…」
年下の子に”オトナになった”と評されるとは思わなかった。
アーロンは適当に返すと、またカッシュを見遣る。彼はさも面白そうに質の悪い笑みを浮かべていた。
「殴るぞ」
「――なんでだよぉ!情報持ってきたんだよ、情報を!!」
慌ててそう言ったカッシュにアーロンは「情報?」と眉を上げた。カッシュは鼻を膨らませ、アーロンの目の前に人差し指をびっと立てる。
「なんと!ミーナは今、リンティア王女付きらしい」
言い切ると、カッシュは”どうだ!”とばかりにアーロンを見据える。彼の期待を裏切らず、アーロンは束の間目を見張って固まった。
そして次の瞬間、勢い良くミーナに向き直った。
「――ほんと?!」
「ほんとでぇす」
「おぉぉぉ!!!」
アーロンは信じられない想いで雄叫びを上げた。カッシュが隣で”その気持ち分かるぞ”と言わんばかりにコクコクと頷く。そんな彼はさて置き、アーロンは早速身を乗り出さんばかりに問いかけた。
「じゃぁ、城に戻ってきてることは確かなんだ!!」
「うん。私、本人に会ってるし~」
「ほんとに!!」
ミーナを通じて、リンと繋がった。その実感に、心の奥から喜びが膨れ上がる。
―――リン…お前に近づいた…!!!
「元気??あいつ元気なの??どうしてる??」
無我夢中で問いかけた。リンに繋がる細い糸にしがみつくように。その勢いに圧されつつ、切実さは伝わったらしい。ミーナは少し顔をひきしめて言った。
「元気、ではないかな。病気みたい。食事もほとんど食べれなくって…。なんか、疲れてるかんじ」
その言葉に、アーロンの胸が引き千切られるように痛む。
「すごく、悪いの…?」
躊躇いながら問いかけた。
「お医者さんが言うには、ただの疲れらしいけど。食べ易い食事が用意されたり、色々お薬用意されたり、みんな一生懸命だから大丈夫だよ」
「…大事に、されてるんだ」
「うん、それはもう!」
ミーナが自信を持って答えた。アーロンは肩の力を抜き、安堵の吐息を洩らす。
元気とは言えないが、少なくともひどい扱いは受けていないと分かって良かった。キースは命の心配は無いと言っていたが、やはり一度処刑となった身なので不安だったのだ。
「ねぇ、ところでさぁ…」
ミーナはきょろきょろと辺りを見回しながら言った。
「キース様はどこ??」
その問いに、アーロンは思わずぷっと吹き出した。
「なに?」
「いや、ごめん、なるほど」
納得して笑ってしまう。わざわざ来てくれたのには、他に目的があったらしい。
アーロンは酒場の入口を見ながら「もうすぐ戻ってくると思うよ」と答えた。
「ほんとに居るの?!?!」
「うん」
ミーナの顔が輝く。相変わらず分かりやすい反応だった。
「なんで、なんで、なんで????アーロン、キース様とお友達なの??えー!どういうことだか分からない~~~!!」
ミーナがうきうきと問いかける。もう完全に舞い上がっていた。
リンの話をもっと聞きたいのだが、確かにその話はキースが戻ってからにしたほうがいいかもしれない。アーロンはふぅっと一息つくと「じゃ、ちょっと待とうか」と言った。
「待つ、待つ!」
ミーナは上機嫌でそう答えた。
視線を入口に向けて眺めている。彼女の目にはやがて現れるキースのことしか映らないらしい。アーロンはカッシュと目を合わせ、苦笑した。
ふと思い出したようにミーナが「ところで…」とまた顔を戻した。
「アーロンはリンティア様とどういう関係?」
またその質問らしい。アーロンはやれやれと思いつつ「いや、だから恋人で…」と答えた。
「はぁ~~~???」
明らかに”なに言っちゃってんの?”という調子で、ミーナが呆れた声を上げた。だいたい予想通りの反応である。
「無理無理!!」
「無理って…」
「アーロン、それは無理がある!」
「あ、そう。いや、いいよ、どうでも」
「なにその言い方ぁ~!アーロンのくせにぃ!」
「――なんだとぉ?!」
ミーナが楽しそうに声を上げて笑った。
完全におちょくられている。アーロンは虚脱感を覚えつつ、ふとその目を酒場の入口に向けた。そこに見慣れた金髪を見付け、「おっ」と声を上げる。
「――キースだ」
ミーナが目を見張り、弾かれたように立ち上がった。
酒場に入ってきたその姿に、ミーナは一瞬にして目も心も奪われた。
相変わらずのすらりとした長身、軽く顔に降りかかるクセの無い綺麗な金色の髪、澄んだ青い瞳、通った鼻筋、形のいい薄い唇…。
かつてと何も変わらない麗しい姿に感激しつつ、両手を胸の前で組み合わせた。
彼の目がふと自分達を認める。そしてその目を隣の誰かに向け、声を掛けたようだった。
ミーナの目もつられるように隣に居る”誰か”に向かった。
―――ん?
キースと”誰か”が近づいてくる間、ミーナは立ったままだった。キースの隣を歩く人物は、大人っぽい雰囲気の”女性”だった。
―――んん??
ミーナの眉間に皺が寄る。
「――悪い、遅くなった」
3人の座るテーブルに着くや否や、キースはそう言った。その麗しい声は、アーロンに向けられたもののようだった。
「大丈夫」
アーロンはそう応え、その目を呆然と立ち尽くすミーナに向けた。
「キース、ミーナだよ」
紹介されたミーナはぴっと背筋を正した。
キースの青い瞳が初めて自分を見る。目が合うだけで眩暈がしそうだ。隣の女も自分を見ている気がするが、はっきり言って目に入らない。
「…ミーナ?」
「はい!!お久し振りです!!」
ミーナの言葉に、キースは束の間固まった。
目を輝かせて見つめているミーナをしばらく眺め、やがてその目を再びアーロンに向ける。
「――誰?」
「えぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
直後、アーロンの爆笑が店に響いた。とっさにミーナは身を乗り出し、その赤毛の頭を平手で叩きつける。
「あたっ!」
「笑うなぁ!アーロンのくせにぃ!」
カッシュが腹を抱えて笑う。そんな光景をキースとその隣の女性が目を丸くして眺めていた。
とりあえずキースとグレイスもテーブルに着き、落ち着いた。
なんとなくお酒を注文して一緒に飲む。グラスを持つグレイスを見て、キースが「飲めるの?」と気遣うように囁いた。
「少しなら」
グレイスの答えに、キースはふっと微笑んだ。そんな様子を目の当たりにし、ミーナの眉間の皺がいっそう深くなる。
そんなミーナは置いといて、アーロンはキースに説明を始めた。
ミーナがリン付きの侍女であることを話す。そして今、リンが体を壊しているらしいことも。思いがけない大収穫に、キースは目を見開いた。
「すごいな…まさかあの子に付いている侍女に辿り着けると思ってなかった」
思わずそう呟いてミーナを見る。
「あの子は今、どこに居る?」
完全に忘れられているという事実を突きつけられても、熱は冷めないらしい。キースに見つめられたミーナは、またかぁっと赤くなった。
「南の館の、一番手前から2番目の部屋で…」
「あぁ…」
その説明で理解したようで、キースは頷いた。
「昔使っていた部屋だ」
そこは母であるアイリスの隣の部屋だった。部屋のすぐ裏にある花園で、2人はよく一緒に花を育てていたはずだ。
「前王が用意した最上級の部屋だ。王女として、充分な扱いは受けているらしい」
「うん…」
「とりあえず、安心した」
キースも、自分と同じ不安をどこかで感じていたらしい。彼の言葉に、心からの安堵が滲んでいた。
「あの部屋なら、裏の庭園から周って近寄れる。そこさえ入れれば、騎士の見張りは避けられそうだ」
キースの言葉にアーロンは「なるほど」と2,3度頷いた。
「兵士の目は全部避けられるかな…。南の館の裏っていうと南の見張り塔から見えるし、館の庭園に入る入口は、夜中も誰か立ってるよな」
カッシュが頷く。
「そうだな。まぁ、塔での見張りは俺が代わってやってもいいけど」
「そんで見逃す?助かるけど、後でお前責任問われるぜ?」
アーロンの言葉は最もで、正直カッシュも心配ではある。彼は少し考えると「そうだ」と言った。
「南の塔の担当が、ロンディの時を狙えば…」
「いいね、それ!」
2人のやりとりにキースが不思議そうな顔をする。そんな彼の疑問に答えるべく、アーロンが説明した。
「ロンディは深夜の見張りの時に寝なかったためしがないんだ。夜中なら見張りは居ないも同じ」
キースは呆れたように苦笑した。
「そうすれば、入口の見張りは無理やり突破ってことで」
「なるほど。なんとかなりそうだ」
キースが頷いた。
「でも、まずはリンティアの体調の回復を待とう。一度連れ出したらしばらく落ち着くことはできない。弱っている間には、無理だ」
「あのぉ~」
不意に黙って話を聞いていたミーナがためらいがちに口を挟んだ。
「さっきから、なんかおかしな話してるようなんだけどぉ…。”連れ出す”ってどういうことでしょう…」
キースを前にして、口調がずいぶん大人しい。とっさに答えられないアーロンに代わって、キースが口を開いた。
「そうだね、きみにも承知しておいてもらいたい。そして、できれば今後リンティアの様子を時々知らせてもらいたいんだ」
真っ直ぐ目を見てそう言われたミーナは、またみるみる赤くなっていった。
キースの口からひととおり話を聞きながら、ミーナはぼぉっとキースの顔を眺めていた。
ちゃんと聞いてるのかと心配になりつつ、アーロンは話が終わるのを待つ。ふとその目をキースの隣に座るグレイスに向けた。彼女はただ黙ってお酒を飲んでいる。その頬はお酒のせいかほんのり桜色になっていた。
「だから、様子さえ知らせてもらえばいい。それ以外迷惑はかけない。そしてこの話は他の誰にもしないでくれ」
そう言ってキースが話を終えると、ミーナはコクリと操られるように頷いた。キースはそれを確認し、またアーロンに向き直る。
「とりあえず先が見えた」
その言葉に、アーロンは黙って頷いた。
キースの目が、ふと隣に居るグレイスに向かう。その視線に気付いてグレイスも顔を上げる。
「…酔ってる?」
「大丈夫よ?」
「でも顔が赤い」
クスッと笑みを漏らしてキースが手を延ばす。手の甲で、そっとグレイスの頬に触れた。
「熱いよ」
「…そう?」
目のやり場に困り、アーロンとカッシュは揃って目を伏せた。本人達に自覚があるのか無いのか、とても見ていられない。
けれどもミーナはその図をしっかり見ながら、やはり分かりやすく顔をしかめていた。
キースがグレイスの耳に唇を寄せて何か囁くと、グレイスが目を丸くする。妙な沈黙が流れる中、キースが意に介さず、すっと立ち上がった。そしてグレイスの腕を軽く引っ張り、立つように促す。グレイスはグラスを置くと、それに従った。
「それじゃ、彼女を部屋に送るから」
キースはそう言って、優雅な微笑みを浮かべた。
◆
「なにあれぇぇぇぇ!!!」
キースとグレイスが去ったとたん、ミーナは爆発したように声を上げた。
「見ての通り、恋人だよ」
アーロンがしれっと答える。
「見てるこっちが恥ずかしかったぜ」
カッシュが”勘弁してくれよ”というように酒をあおった。
「やだぁぁ!!」
「やだって言われても…」
「キース様が誰かのものになるのはいやっっ!!遊びならいいけどっ!」
「なんだそれ」
よく分からない心理だ。アーロンは首を傾げつつ、お酒を飲んだ。
「キース様、本気なわけ?!」
ミーナがかみつきそうな勢いで問いかける。
「だから見ての通り」
「やだぁぁぁぁぁ!!!」
アーロンはやれやれとため息をついた。
◆
「いいの…?先に戻ってきたりして…」
部屋に戻ったグレイスが暗闇の中、小さく囁いた。
「聞きたいことは聞けた」
キースが応えながらグレイスの腰を抱き寄せる。どちらからともなく、2人は唇を重ねた。
わりと強いお酒のせいで、グレイスの吐息が熱い。シャツの裾から中へと侵入した手に触れる肌も、熱を持っていた。
「ん…」
重なり合う唇の隙間からグレイスが甘い声を漏らす。やがて唇がそっと離れた。
「あの子…」
首筋にキースの愛撫を受けながら、グレイスが囁いた。キースが「ん…?」と応える。
「あなたが、好きなのね…」
「どうだろうね…」
キースはそう言いながら、片手で器用にグレイスの服のボタンを外していく。
「分かってるくせに」
「興味ないから」
白いシャツがグレイスの肩からすべるように降ろされる。そして彼女の足元にふわっと落ちていった。
キースの腕がグレイスを抱き上げ、ベッドに運ぶ。そして優しく横たえた。
「きみは、どうなの…?」
キースが問いかける。
「え…?」
「俺を、どう思ってる?」
グレイスが虚を突かれたような顔になる。そんな反応を見ながら、キースはクスッと笑った。そしてその唇でグレイスの肌に触れる。
「俺が興味あるのは、それだけだよ」
「んっ…」
彼女の肌には、まだ昨夜自分がつけた赤い痕が残っていた。
「答えて」
「そんな今更…あ…」
グレイスの体は昨夜よりも簡単に、キースの愛撫に応えてくれる。それもお酒のせいかもしれなかった。
「答えてグレイス」
「言ったじゃない…」
「今、聞きたい」
「いや…」
―――また口にしたら、離れられなくなる気がする…。
体の甘い痺れが、胸の痛みをごまかしてくれる。この腕に溺れて何もかも忘れたくなる。
キースの手が、グレイスの衣服を取り去っていく。ただ、一方的に…。
そしてその存在を確かめるように、手と唇で体中に触れていく。
そんな丁寧な愛撫に、グレイスの息は自然に荒くなっていった。
「あ…キース…やめて…」
「またそんな…」
キースは苦笑を洩らした。
「俺はもっと素直な言葉が聞きたいよ…」
キースは体を起こすと、服を脱ぎ捨てた。暗闇の中、彼の形のいい体の線が浮き上がる。
グレイスは手を延ばし、再び覆いかぶさった体を抱きしめた。
「キース…」
「離さないよ、グレイス…」
キースが耳元で囁く。
「もう、離せない…」
その声が体の奥に染みて行く。グレイスは固く目を閉じ、キースにしがみついた。
「――離さないで…」
頭でなく心の奥から言葉が漏れた。
一瞬キースの動きが止まる。ゆっくり顔を上げると、グレイスの瞳を覗き込んだ。そしてふっと笑みを漏らした。
「よくできました」
グレイスの顔にも穏やかな微笑みが浮かぶ。
2人はまた唇を重ねあうと、溶け合うように抱きしめあった――。
◆
キースが戻ってくるかもしれないと淡い期待を抱きつつ少しの間待っていたミーナも、やがて諦めて「帰る」と言い出した。
「今日は本当にありがとう」
アーロンがそう言うと、ミーナは唇を尖らせつつ「別にいいけどぉ」と言った。
「リンティア様のことは次からカッシュに伝えるから」
「…そうしてください」
アーロンは苦笑しつつ応える。そしてミーナに向かって立つと、改まって口を開いた。
「ミーナ、あの…。リン…リンティア姫に……伝えてくれる…?」
アーロンの言葉を、ミーナは黙って聞いている。アーロンは少し間を置き、おもむろに口を開いた。
「必ず、迎えにいくからって。俺は絶対、諦めないからって…」
ミーナは一瞬呆れたような顔になり、やがてぷっと吹き出した。
「アーロンは相変わらず、猪突猛進だね」
からかうようなその言葉に、アーロンは目を見張って赤面した。




