懐かしい友人
翌日の夜遅くになって、キースとアーロンの借りた船はようやくアリステアに到着した。
松明で照らされる港へと船はゆっくり入ってく。3人は甲板の上から近づくアリステア大陸を眺めていた。
星空を映す海から吹く風は穏やかに暖かく、潮の香りを含んでいる。広い波止場には、その時間のせいか人もまばらだった。
祖国アリステア王国大陸。
二度と戻らないと思っていた場所への、おそよ3年ぶりの帰郷だった。
船を降りて、3人は港町へと向かった。
町はまだ夜の賑わいが続いており、夜も遅いのに、仕事を終えた漁師達が酒場で盛り上がっている声が響く。
道は相変わらず舗装されておらず、踏みしだかれた土が固くなっているだけだった。
グレイスは興味深く辺りに目を配りながら歩いている。隣を歩くキースが苦笑して言った。
「ローランドと比べるとだいぶ違うだろ?王都に行っても、たいして変わらない」
「そうなの?」
グレイスは地面に無造作に転がる瓶に目を向ける。
「豊かさは変わらないと思っていたけど、都市の整備には無頓着なのね」
「そうだね」
「勿体無いわ…」
やがて3人は一軒の宿屋を見つけた。今夜の宿をそこに決め、中に入る。カウンターの主人はよく太った中年の男だった。
「いらっしゃい」
「部屋空いてる?」
アーロンはカウンターに片腕を乗せつつ問いかける。そしてちらりと後ろの2人を見遣った。
「…2部屋」
「空いてますよぉ」
手際よく2部屋ぶんの鍵が渡される。アーロンは料金を支払うと、2つの鍵を手にキースのもとへ戻る。
「どうする、これから」
アーロンの問いかけに、キースはグレイスへ目を向けて言った。
「きみは先に部屋に入って休んでいてくれ。俺達はこの後、城に行って来る」
「――もう?!」
グレイスが驚きの声を上げる。
「いきなり今夜なんて、無茶よ。準備が必要だわ。王女を連れ出したら、追っ手が間違いなく来るのよ?2人とも疲れているのに…」
「大丈夫、大丈夫」
アーロンがグレイスに応えて言った。
「今夜はただの下調べだから。グレイスは慣れない船旅で疲れてるから、とにかく寝ないと」
「私、平気よ」
「――だめだよ」
グレイスの言葉を、キースが穏やかに制した。
「もともと城には2人だけで行くつもりだったからね。きみは待っててくれないと困るんだ」
そう言われると何も言えない。グレイスは困惑しながらも口を閉ざした。
「じゃぁ、はい、鍵。部屋は2階だよ」
アーロンがグレイスに鍵を1つ差し出す。それを受け取りながら、グレイスは2人を交互に見遣る。
「本当に、無茶はしないで…」
「分かってる」
言いながら、キースの手がグレイスの背中に触れた。
「荷物を置いたら、またここで」
キースの言葉にアーロンが「あぁ」と応えた。
キースはグレイスを誘導するように並んで歩き、2階の部屋へと辿り着いた。
入った部屋は暗く、幕の下りた窓がひとつあるだけだった。小さなベッドが2つ並んで幅を取り、部屋の隅には年季を感じさせる古い椅子と小さな机が追いやられるように置かれている。
ごく質素な内装だった。
「鍵をかけるのを、忘れないで」
キースの言葉に「えぇ」と応えながら、グレイスは持っていた荷物を片方のベッドに乗せた。
そして窓へと近寄る。その幕を引いて外を覗くと、商店街が見下ろせた。
アリステアの街並み――。
ふとキースの手が肩に触れたのを感じ、グレイスは振り返った。目が合うと、ごく自然に2人は唇を重ね合った。
優しい口付けを交わして見つめ合う。グレイスはふと哀しげに微笑んだ。
「”準備が必要”なんて、白々しいわね…」
「…え?」
「本当は少しでも先延ばしにしたいのかもしれない…」
グレイスが目を伏せて俯く。長い黒髪が、その横顔を隠した。
王女誘拐が完了したその時、また再び別れが来る――。
忘れようとしても、その現実からは逃れられない。
「ごめんなさい、なにを言っているのかしら。あなた達にとっては、何より大事なことなのに…。応援したいと思っているのに…」
不意にキースの腕が、グレイスの体を背後からきつく抱きしめた。
暖かい温もりの中に包まれる。グレイスは目を閉じてその胸に身を委ねた。
キースの唇が耳に触れる。やさしく啄ばむように。その感触に、グレイスは小さく吐息を漏らした。
「”離さないで”って、言ってごらん…」
キースの囁きが耳元で聞こえる。
「言えない…」
吐息混じりに小さく洩れたその声は、消え入りそうに小さかった。
キースの手がグレイスの顎に触れ、また振り向かせる。
哀しい言葉もその想いも、全て飲み込むように再び唇を重ねた。
ただお互い求め合いながら――。
唇が離れると、キースはまたグレイスの体を抱きしめた。
「行って来る」
「えぇ…」
名残惜しみながら、その腕が離れる。グレイスは去っていこうとするキースを振り返った。
「キース、待って!」
呼び止められたキースが足を止めて振り返る。グレイスは手にしていた鍵を彼に差し出した。
「持っていって。そうしないと、入れないわ」
キースは差し出された鍵をしばらく見ていたが、不意にその目を上げた。
「…それはつまり、この部屋に帰って来いってこと?」
「え…」
グレイスが固まる。その言葉の意味を理解し、急激に顔が熱くなった。
「あ、そ、そうねっ…。別にここじゃなくても、あなたはアーロンと一緒に…」
慌てて引っ込めようとした手首が、キースに捕まえられた。
そしてその手から、そっと鍵が抜かれる。思わず見上げたキースの顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
「また、後でね」
そう言って、またキースが顔を寄せる。
グレイスは胸の苦しさを感じながら、それに応えるようにゆっくり瞼を下ろした。
再び宿屋の1階で落ち合ったアーロンとキースは、主人に貸し馬を2頭出してもらった。
アリステアではローランドのように馬車が行き交ってはいないので、もっぱら移動は馬か歩きになる。2人は王都に向かって、馬を走らせた。
賑やかな街を離れると、暗闇の支配する林や森の道が続く。夜行性の鳥の声が辺りに響く中、晴れた空に浮かぶ月だけが2人の進む道を照らしていた。
やがて広い丘を越えると、またぽつりぽつりと民家が姿を現した。夜遅いためか、すでに家の灯りは消えている。
そして遠くに見える要塞都市。城を包んで護るように聳え立つ壁が、2人の眼前に広がっていった。
都市の入口は昔から特に見張りなど立ってはいない。ローランドとの停戦後、平和になって以降その辺はだんだんといい加減になっている。なので城に近づくのは至極簡単だった。
もちろん城に入るとなると、たとえ深夜であろうとも城門には衛兵が立っているため簡単にはいかないのだが。
アリステア王城が近づくと、キースは不意に「どこから入れるんだ」と問いかけた。
「こっち」
アーロンが先導して馬を歩かせる。キースは黙ってその後ろから付いて行った。
木々の合間を縫って進んだ先に、やがて城壁が見えてきた。どうも城の裏側に回ってきたらしいことが伺える。密に木が生い茂るその場所で、城壁は木よりも高い。
アーロンは先に馬を降りると、近くの木に手綱を留めた。
「どうするんだ?」
「壁を登る」
作業しながら簡単に答えたアーロンの言葉に、キースは一瞬言葉を失くした。
「――はぁ?!」
「来てみな、こっち。たぶん、まだそのまま残ってると思うんだけど…」
アーロンが先に城壁に向かって歩き出したので、キースも馬を降りた。手早く手綱を留めて後を追う。地面に落ちた枝や葉を踏む音が、静かな夜の闇に響いていた。
城壁を見上げるアーロンの側に着くと、キースも同じように振り仰ぐ。木よりも高いその壁は、容易く越えられるとは思えない。
「あった、あった」
アーロンが言いながら何かに触れた。鉄のこすれる音がする。彼の手の中のものに目をこらすと、それは壁の上から真っ直ぐ垂れ下がった鎖だった。
「なんだこれ」
「これを使って登るんだよ」
「なんでこんなものが、ここに?」
「さぁ?」
アーロンは首を傾げつつ、皮の手袋を着け始めた。
「最初に鎖付けたのが誰か知らないけど、ここから寄宿舎に戻れるっていうのは若い兵士の中じゃ有名な話だぜ」
呆れて何も言えない。誰でも城に侵入し放題になってしまう。鎖一本で壁を登りきる体力さえあれば。
アーロンは鎖を手に取ると、壁に片足をかけた。
石を積み上げた城壁の石と石のわずかな隙間を足がかりにする。
そしてキースを振り返った。
「付いて来いよ?」
キースが頷く。アーロンはそれを確認すると、素早く壁を登り始めた。
壁の内側に生える木を伝い、やがてアーロンの後からキースも城内に降り立った。思わず周りを気にする。
「目立ちそうだ」
「大丈夫。誰もここに気を配ってないから。人が入ってきても、兵士だと思ってるから」
「なんだそれは…」
平和な国ならではのたるんだ日常に苦笑するしかない。
「寄宿舎に行こう」
アーロンはそう言うと、また迷い無く歩き出した。
◆
その頃居館の王女の部屋も、夜の静けさに包まれていた。
暗い部屋の中、大きな窓から月明かりに照らされた木の影が延びている。リンは寝台の上でそれを眺めながら、消えていかない意識をもてあましていた。
どうしてもうまく眠れない。
頭が痛いせいかもしれない。相変わらず熱があるからかもしれない。ちゃんと食べれないからかもしれない。
時折夢の中に引き込まれては、またすぐ引き戻される。
大きな部屋で女官も居なくなり、たった1人にされてしまった。けれども誰が居ても、安心して眠れるという気はしなかった。
昔は1人で眠ることに、なんの疑問も無かったのに…。
―――ここは、アリステアなんだよね…。
こうして城の中に居ても、時折信じられない。あまりに突然、戻ってきてしまったから。
夢の中には、いつもアーロンが居る。暖かく自分を抱きとめてくれて、幸せな安堵感を覚える。
”ああ、夢だったんだ…、よかった”
そう思った瞬間、目が覚める。現実を突きつけられて、また叩き落されるような絶望を繰り返す。
この先どれだけの時間過ごさなくてはならないんだろう。こんな苦しみから解放されるまでに…。
薄く開いたリンの目からはまた、涙が一滴流れて落ちていった。
◆
深夜の兵士寄宿舎は静まり返っていた。
仕事に出ている者以外は、当然みんな眠っている。そんな寄宿舎の1室に、今夜も高イビキの男が居た。
黒い巻き毛、太い眉。立派な体格にしつこいほど濃い顔が似合っている。アリステア兵士の1人、カッシュだった。
2人部屋なので、隣のベッドで相部屋のピーターが同じように眠っている。
最初の頃はカッシュのいびきを気にして眠れないという繊細さを見せていたが、今ではどれだけうるさくても眠りたい時に眠れる。
兵士として仕事を続けるうちに誰もが自然に身につける技だった。
暗い部屋の中、規則的なイビキが突然止んだ。
体にのしかかるような息苦しさを覚え、カッシュは唸りつつ目を開けた。ぼんやりとした意識の中、その目に人の顔が映る。
自分の上から顔を覗き込んでいる。どうやら腹の上に乗られているらしい。おまけに口を何かで塞がれている。
全てを認識した瞬間、カッシュの頭の中に稲妻のような衝撃が走った。
――誰かが居る。
「――うぅ!!」
突然意識がはっきり覚醒する。目を見開き、とっさに声を上げた。けれども塞がれた口からはくぐもった音しか出ない。
「しーーー!!!」
自分を覗き込む人影が、慌てたようにそう言った。
「カッシュ、俺だよ!声出すな!」
その声にカッシュは杭で留められたように動きを止めた。
夜の闇に徐々に目が慣れていく。自分を見る男の顔が、浮かび上がる。
クセのある髪、釣り目がちの目。それを認識した瞬間、男はニッと笑みを浮かべた。
「久し振り」
「――んんん!!!」
名前を呼んだつもりだったが当然正しい音にはならなかった。
緊張は消えたものの、別の衝撃が頭を支配する。目の前に居るのは、数年前に突然姿を消したかつての兵士仲間だった。
不意に口を塞いでいた何かが外される。どうやらそれは彼の手だったらしい。手袋の感触が離れた瞬間、カッシュは大きく息を吐いた。
「――アーロン?!」
「そうです」
実にあっさりと、目の前の男はそう答えた。
アーロンが腹の上から降りたのと同時に、カッシュが体を起こす。まるで幽霊でも見るような目に、アーロンは思わず苦笑した。
「ごめんな、突然。色々事情があってさ」
とりあえず謝る。どう考えても心臓に悪い起し方をしてしまった。恐らくまだ治まらない動悸を気にしてか、カッシュは自分の胸に手を当てている。目を見開いたまま、荒い呼吸を繰り返していた。
「…誰だ、こいつは」
不意に、部屋の入口付近で立っているキースが問いかけた。
その声に、カッシュがまたビクンと肩を震わせる。暗闇の中のもう1人の存在を認識し、声の方向をまた食い入るように見つめた。
「カッシュっていって、昔この部屋を一緒に使ってたんだ」
アーロンが振り返って説明する。キースは「ふぅん」と言いながらアーロンの隣へと歩いてきた。
窓からの月明かりが近づく影を浮き上がらせる。カッシュの目がその姿をとらえ、また凍りつく。
次の瞬間、キースに対し指を差して叫んだ。
「――キース・クレイド!!!」
「しーーー!!!」
興奮気味のカッシュを抑えるべくアーロンが慌ててまた口元に人差し指を立てる。名前を呼ばれたキースは目を丸くして固まった。
カッシュはハッとしたように我に返った。一瞬、部屋は緊張感に満たされる。けれども、幸い隣のピーターは夢の中から戻ってくる気配はない。
それを確認し、その場はホッと安堵感に包まれた。
カッシュの目が改めてキースを確認する。動揺を滲ませながら、隣のアーロンに問いかけた。
「何が起こった?!」
当然の疑問を口にしたカッシュに対し、アーロンは困ったように苦笑した。
ベッドの上に座るカッシュと3角形をつくるような位置で腰をかけ、アーロンとキースはその場に落ち着いた。
カッシュは壁にもたれるように背を預け、2人の姿を交互に見ている。その目はまだ驚きを引き摺っていた。
「…どういうことだ?」
カッシュがおもむろに口を開いた。
「なんで、お前キース・クレイドと一緒に居るんだよ」
「まぁ、いろいろあって」
到底納得はいかないであろう答えを返すと、カッシュは不満気に顔をしかめた。キースも訝しげに眉を顰める。
「…どうしてこいつが俺の名前を知ってるんだ?」
「お前、有名なんだよ…」
アーロンが答える。
カッシュはそんな2人のやりとりを、顔をしかめながら眺めている。交互に忙しく瞳を動かしているその表情は、冷静に見るとかなり滑稽だった。
けれどもよく考えるとその反応は無理も無い。
自分だってかつては、まさか”キース・クレイド”と話をする仲になるとは思っていなかった。
アーロンは落ち着かないカッシュに構わず、「あのさ」と話を切り出した。
「ちょっとしばらく国を離れてたんだけど、アリステアは今、どうなの?」
とりあえずそんな質問から始めてみる。
カッシュはしばらくアーロンを見ていたが、やがて壁から背中を離して身を乗り出した。
「どこに行ってた?」
「ローランドだよ。流れの傭兵やってた。そこで偶然会ったんだ」
アーロンがキースを顎で指して言う。カッシュはキースに目を向け、信じられないというように大きく息を吐いた。
「すごい偶然だな…」
「ほんとだよ」
素直に賛同する。それに関しては、まったく異論は無かった。
「アリステアは…」
カッシュはそう言って少し間をおくと、くしゃくしゃっと頭を掻いた。
とりあえずアーロンの質問に答える気になってくれたようだった。
「なんかなぁ…つまんなくなったぜ。国王が変わってから王国主催の祭や式典一回も開かれてないからな。仕事の給料減ったし、どうやら次回納税分から国税も上がるらしい。そんな状態だから、都市での祭とかも次々中止になってるよ」
「祭や式典が一度も…」
キースがカッシュの言葉を繰り返す。そして少し間をおくと「それじゃぁ、国王の姿を見る機会は無いのか?」と問いかけた。
「まぁ、ほとんど」
「…ほとんど?」
「公開処刑の時以外はな」
「公開処刑??」
あまり気分の良くない言葉にキースが眉をひそめる。カッシュがそんなキースをまじまじと眺め、その目をアーロンに向けた。
「…この距離で見たのは初めてだな」
「それはもういいから」
先を促すべく、アーロンは彼の話に乗らずに済ませた。
カッシュは諦めたようにため息をつくと、「公開処刑だよ」と繰り返した。
「昔はよっぽど重罪でない限り、やらなかったけどな。最近は、定期的に行われている。今まで祭や大会が開かれていた闘技場でさ。国王は一段高い所からそれを見下ろして楽しんでる感じだよ。ちょっと悪趣味だよな…」
「わざわざ闘技場で?」
かつての公開処刑は城内の前庭で行われていた。それを見るのは城の関係者のみだったのだが。
「そうだよ。誰でも見れる。国民に見せて、脅しをかけたいんじゃないの?自分に逆らうと、こうなるぞ、みたいなさ…」
いかにも暗い話だった。たまに王族が出てくる場所が処刑場だけ。それは異常な事態といえる。
国民も薄々感じてはいるのだろうが…。
そろそろ本題に入ろうか。キースに目配せをすると、小さく頷きを返す。アーロンはそれを確認すると、カッシュに対し、一番聞きたかった事を問いかけた。
「ところでさ。最近、城の方で何か変わったこと無かった…?」
「変わったこと??」
アーロンの曖昧な問いかけにカッシュが顔をしかめる。しばらく首を傾げて考えていたが、やがて結論が出たようでこくりと頷いた。
「特に無いな」
「あ、そう」
予想通りの答えだが、がっかりする。王女帰還の話はまだ公になっていないようだった。
そもそも本当に戻っているのかも怪しい。まずはそれを確かめなくてはならないのだ。
「あのさ」
アーロンはカッシュに身を乗り出した。
「折り入って、頼みがあるんだけど…」
とりあえずアーロンはカッシュに情報の収集を願い出た。
かつて処刑になったアリステアの王女が戻った可能性があることを話し、それの真偽を知りたいことを説明する。
あまりに突然な話に、当然のことながらカッシュは何度も質問を繰り返した。
何も話さずに頼むのは無理であると判断し、アーロンはカッシュにある程度のことは話した。
王女と自分がゴンドールで偶然出会ったこと、そして一緒に暮らしていたこと、その王女がキースの姪っ子であること、自分とキースが、王女を取り戻したいと思っていることなど、ひととおり説明した。
話を聞き終えたカッシュは、2人から逃げるように体を退いてみせた。
「…犯罪じゃねぇか」
「まぁ、そうかな」
アーロンの答えにカッシュの顔が険しくなる。
犯罪の片棒を担がされるという事実に、心が後ろ向きになっているのが伝わってくる。
「事実が確認できれば、とりあえずそれ以上お前を巻き込まない。流石に俺達はもう城の中を自由には歩き回れないからさ。…頼むよ」
全て自分達だけの力でできれば一番なのだが、実際は難しい。こうして城内に入り込むのだって、夜中でなければ無理だろう。
カッシュは何かを考え込んでいるようだった。黙ったまま宙を見つめている。アーロンとキースは、そんな彼の決断を黙って待っていた。
やがてカッシュの目が、またアーロンに向けられた。
「…どういう関係なわけ?」
「なにが?」
「お前と王女は」
その問いかけにアーロンは一瞬口を閉ざした。少しの間をおき、ゆっくりと口を開く。
「…恋人だよ。結婚、するつもりだったんだ」
「――はっはっは!!!」
しんみりした雰囲気をカッシュの大笑いがぶち壊した。
アーロンは思わず目を見張って彼を見る。カッシュは分かりやすく小馬鹿にした笑みを浮かべていた。
「嘘くせぇ~」
「なんだとぉ!」
人が正直に話しているのに、なんという失礼な態度だろう。ムッとするアーロンに、カッシュは畳みかけるように言った。
「お前、いつも”恋人”とか言いつつ、結局独りよがりだったからなぁ~」
「お前に言われたくねぇよ!」
アーロンも負けじと反論する。
「お前なんか女が居たことすらねぇだろ!」
「俺は別に女なんかどうでもいいし」
「よく言うよ、諦めてただけのくせに!」
クスッという笑い声で、2人の言い合いが中断した。
その声の主に2人同時に目を向ける。キースが2人を傍観しつつ、微笑を浮かべていた。作り物のような綺麗な顔が月明かりに微かに照らされている。
なにやら急激に闘争本能が殺がれ、カッシュとアーロンはお互いに目を逸らして座りなおした。
「…まぁ、情報仕入れるだけなら…」
カッシュがぽつりと呟いた。
「ほんとか!」
アーロンがまた勢い良く、カッシュを振り返る。
カッシュは苦い顔をしつつ、曖昧に頷いて応えた。
また忍び込むのは手間なので、情報が手に入った時点で知らせに来て貰うことにしてアーロンとキースは寄宿舎を出た。
次に落ち合う場所は王都内の宿屋を指定した。
明日以降は今泊まっている港町を離れ、そこに移動することになる。
少しの間はあてもなく情報を待つことになるが、とりあえずの収穫を得ることができた。
アーロンとキースは再び城壁を超えて城を出ると、暗闇の中、再び港町へ向けて馬を走らせて行った。
宿屋に戻った2人は、「また明日の朝」と言って別れた。
部屋に戻ったキースはベッドで眠るグレイスの姿を確認し、穏やかに微笑んだ。目を離しているうちに消えているんじゃないかと思ったが、ちゃんとそこに居る。
安らかな寝顔は、普段の王女の顔とはまるで違って見えた。
キースはしばらく彼女を見詰めていたが、やがてその場を離れると着替えを始めた。
寝る準備を整えて、使われていないほうのベッドに向かう。
「…キース」
不意に呼びかけられ、キースは振り返った。
いつの間にかグレイスが目を開けている。ベッドに横になったまま、じっと自分を見詰めていた。
「ごめん、起こしたね」
キースの言葉にグレイスはふるふると首を振った。
「自然に目が覚めたの」
キースは毛布から手を離すとグレイスの側に行った。そして彼女の寝るベッドに腰を降ろす。
自分を見下ろすキースの目を見ながら、グレイスは「どうだった…?」と問いかけた。
「ん…」
キースは少し間をおくと、「これから、かな」と答えた。
「とりあえず、情報をもらうあてはできた」
「…そう」
グレイスが穏やかに微笑みを浮かべる。
「良かった…」
キースも自然と微笑みを返した。
「よく眠れた?」
「えぇ、とっても」
「良かった」
言いながら、キースはそっと手を延ばした。
グレイスの髪に触れ、頬に触れ、やさしく撫でる。そしてその親指で唇をなぞった。グレイスはされるままに、触れられながら、じっとキースの目を見つめていた。
「寝るのを…邪魔していいかな」
キースの囁きに、グレイスの胸がトクンと音を立てた。
キースの手が頬を離れ、下に下りる。やがてその指は首筋に触れ、そこから滑らせるように下りていく。その動きにグレイスの体はぴくんと震えた。
キースの手が彼女の体を覆う毛布にたどり着き、それをそっと剥がした。そしてその手をグレイスの夜着の胸元へと運ぶ。編み上げて結われている細い紐の端を指に絡めると、一呼吸置いて軽く引っ張った。
抵抗もなく、するりと紐が解ける。夜着がはだけ、白い胸元が露になった。
キースは抗うことなくされるままになっているグレイスに、再び囁くように問いかけた。
「…いい?」
グレイスの形のいい唇がそっと開かれる。
「…だめ」
キースは声を立てずに笑い、グレイスの上に優しく覆いかぶさった。
「手遅れだよ」
2人の唇が重なり合う。グレイスはその手をキースの背中へと回し、彼をきつく抱きしめた。




