祖国の為に
騎士の案内で、アリステア近衛騎士隊長カールは王都の学校へと来ていた。
レンガ造りの綺麗な建物で、広い庭が付いている。花と緑に溢れたその環境は、見るものの目を癒してくれる。それらを取り囲む壁についた校門を、登校する生徒達は楽しそうに談笑しながら、1人また1人とくぐって行った。
少し離れた場所でそれを眺めながら、カールはふっと笑みを漏らした。
「…平和だな」
「そうですね」
隣の騎士が同意する。
「アリステアも、今のところ平和だけどな」
近衛隊長の意味深な言葉に、騎士は戸惑ったような表情を浮かべる。
けれども隊長はそれ以上語らず、真っ直ぐ校門へと目を向けたまま押し黙った。
―――そう、”今のところ”だ…。
カールは胸の中で呟いた。
今、アリステア王家は確実に壊れ始めている。国を想い、民を想った国王はもう居ない。
残された国王は政務を離れ、国費を浪費し、皇太后はそれを知りつつ見ない振りをし続ける。
実質、実権を握った皇太后の下、国は姿を変えつつあった。
そんな不安の増す中、皇太后に呼び出されたあの日、カールは彼女の口から驚くべき命令を下された。
”リンティア姫がローランド王国で生きている可能性があります。姫を保護し、大事に連れて戻るように”
―――
――――――
「それは確かな情報なのですか?」
思わず問いかけたカールに、皇太后カーラはふっと笑みを漏らした。
「それを確かめてもらいたいの。けれども私は本当であると、信じているわ」
いつになく穏やかな口調だった。
ゆったりを嬉しそうな笑みを浮かべる彼女の真意が読みきれず、カールは戸惑いながら皇太后の言葉を待った。
「これは現在拘束中の商人からの情報なの。彼を連れてローランドへ向かって頂戴。姫の居場所を知っているはずよ」
なぜ商人がそんな情報を持っているのか。いや、それより本当に王女が生きていたとして…。
「リンティア王女に戻って頂いてよろしいのですか?」
カールはそう問いかけた。
反逆罪という罪状で処刑処分となった王女を再び連れ戻すことが許されるのか。
それが皇太后1人の意思であるとすると、国王はどのように考えておられるのか。
皇太后は笑みを浮かべながら「もちろんだわ」と即答した。
「ジークフリードはアイリス姫が亡くなった後、あの子を処刑処分としたことを、後悔し続けているの。自分を責めて、この数年何も手につかない状態だわ。確かにリンティア王女は国王に刃を向けたけど、まだ幼かったのだし、寛大な処分とするべきだったと悔やんでいたわ。姫が生きて戻ってきてくれたら、あの子も元気を取り戻すでしょうね」
皇太后の意外な言葉に、カールはとっさに何も言えなかった。
国王陛下が自責の念で心を壊しているとは、考えてもみなかった。アイリス姫の死が国王の気力を奪ったきっかけとなったのは、確かなことだと思えたが…。
「リンティア王女に会えたら伝えて頂戴。私も、あの子に謝りたいと思っているのよ。ジークフリードは私に何も伝えず王女を処刑としてしまったから、知るのが遅すぎて、護ってあげられなかった…。私はヨーゼフ王の子であるあの子を、アイリス姫に代わって、大事に育てていくつもりよ。どうか何も心配せずに、戻ってきてと。心から待っているからと…」
そう言ってまた皇太后はまた穏やかな微笑みを浮かべた。
―――
――――――
皇太后の言葉を思い出しながら、カールは国の未来へと思いを馳せていた。
自分達の前に射した小さな希望の光…。
王女の帰還が国をまた変えてくれるかもしれない。リンティア姫が、皇太后を、国王を、変えてくださるかもしれない。
かつてアイリス姫が、ヨーゼフ王の心を癒したように…。
―――アイリス様…。
カールは一瞬遠い面影を目に浮かべた。美しく優しかった姫君――。
「あ…」
騎士が漏らした声で、カールはハッと我に返った。慌てて騎士の視線の先を追う。
校門へ向かう人々の中、彼女はひときわ目をひく存在だった。
朝の光の中、金色の髪が眩い程に輝く。透き通るような白い肌に、すらりと長い手足…。
「あの子です」
「あぁ…」
目を奪われながら、カールは呆然と呟いた。
「…間違いない」
少女の姿に、胸の中の面影が重なる。
遠い記憶の中の、アイリス姫。彼女がまるで、再び戻って来たかのような…。
その幸せそうな笑顔に、カールの胸は鈍い痛みを覚えた。
◆
その頃バルジーはアルベルトから与えられた一室で、運ばれてきた朝食を食べていた。
窓からは朝の光が差し込んでいる。その穏やかな暖かさと平和な朝にしみじみと感謝しつつ、美味しい食事を堪能していた。
数日前は、命を落とす危機に瀕していた。また思い返すと、ぞっとする。
アリステアにまでナイフを持ち込んだのは明らかに失敗だった。
さすがにアルベルトに全てを話すわけにはいかない。
鎧の素材のことをアリステアに知られたとバレたら、大目玉になりそうだ。
「しかし…王女ねぇ…」
バルジーは思わず呟いた。その点だけは、かなり気になっていた。
ゴンドールに居たあの子が王女なのだと、アリステアの騎士は言っていた。
それは本当なのだろうか。
だったらどうしてゴンドールなんかに居たのだろうか。
幸いアーロンの名前は言わずに奴等の手から逃れられたが、まだ安心はできない。
手がかりを握っている自分が出てくるのを、しばらくは待っているに違いないのだから。
「あぁ~、参ったなぁ」
バルジーは面倒臭そうにため息をもらしつつ、手にしていたパンを口に運んだ。
◆
「――リンティア様」
背後から声をかけた瞬間、少女の細い肩はビクリと震えて見えた。
それと同時に足を止める。
隣を歩いていた少女もつられたようにその場で止まった。
先に振り返ったのは、隣の少女だった。栗色の瞳がカールを認める。顔も知らない自分に対し、少女は明らかに怪訝な表情を浮かべた。
リンティア王女は振り返らない。ただ動きを止めて、そこに立ち尽くしている。
カールは追い打ちをかけるように、再び声をかけた。
「リンティア様…」
なるべく穏やかに優しく呼びかける。その背中に浮かび上がる不安を、取り去ろうとするかのように。
「どちら様ですか?」
隣の少女がカールに問いかける。不審に思っている様子が伝わってくる。
「カール・バルツェと申します」
あえて名前を名乗った瞬間、リンティア王女がぴくりと動いた。ゆっくりとこちらを振り返る。
白い肌、形のいい輪郭、通った鼻筋、全てがゆっくり姿を現す。その目は、大きく見開かれていた。前王と同じ、綺麗な翡翠色の瞳が揺れている。何か言葉を捜すように、桜色の唇が微かに動いた。
幼かった王女が輝くばかりに美しく成長して目の前に居る。
失われたと思っていた命が――。
王女が自分の姿を認めたことを確認し、カールはその場に跪いた。そして深く頭を垂れる。
「やめて…!」
とっさにカールの目の前に王女も膝を着いて座った。目線を同じにして、カールを見る。
「やめてください…立ってください…」
王女は声を落とし、慌てて訴えてきた。
膝をつく自分と王女の姿を、栗色の髪の少女が困惑を滲ませ見つめていた。
カールは顔を上げると、目の前の王女と目を合わせる。そして低く呟いた。
「私を、覚えていて頂けましたか…。有難うございます」
王女は絶句した。必死で動揺を抑えようとするように胸の前で握った両手が、小さく震えている。
「ご無事でなによりです、姫様。お迎えに参りました。国へ、お戻り下さいますよう」
目の前の王女にだけ聞こえるような低い声で語りかける。
王女は何も応えない。ただ、体を震わせるだけだった。
「…リン?」
栗色の髪の少女が、伺うように呼びかけた。その声に、王女が彼女を見上げる。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「キャリー、ごめん…。先に行っててくれる…?」
そう言った声は動揺に震えていた。
キャリーと呼ばれた少女は迷いながら王女とカールを交互に見つめている。
「お願い…」
王女が再度語りかける。その言葉に、少女は諦めたように「うん…」と頷いた。
何度も振り返りながら学校へと入っていく少女の姿を見送りながら、王女はしばらくただ黙って立ち尽くしていた。
突然の再会の驚きと混乱を引きずりながら、その後カールに導かれるままに、リンは学校から少し離れた場所に移動した。
ひと気の無い場所まで来ると、改めて向き合う。
目の前の信じられない存在を直視したリンは、うるさいほどの胸の鼓動を鎮めようと無意識に胸に手を当てていた。
アリステアの近衛騎士隊長――。
久し振りだけれど、何も変わっていない。その顔を見た時には、心臓が止まるかと思った。
なぜ、ここに…。この国に…。
「近衛隊長…ですよね」
リンの問いかけに、カールはゆっくり頷いた。
「はい。ご無沙汰しております。姫様に再びお会いできたこと、なにより嬉しく思います」
「…どうして…ここが…?」
カールの丁寧な挨拶に応える余裕も無い。リンはただ茫然と質問を繰り返した。
「情報が入ったようです。姫様がローランド王国でご健在であると」
抑揚の無い声で、カールが答える。その曖昧な返事は、リンの疑問にまるで答えていなかった。
なぜ生きていると分かったのか。なぜこの場所が分かったのか。
誰の”情報”で…?
「姫様がローランドでお元気にお過ごしだと聞いて、信じられない思いでありました。今こうしてそれが真実だったと確認できた事を、なにより幸せに思います。どうぞ、我々とともにアリステアにお戻り下さい」
先ほどと同じ言葉をカールは再び口にした。
―――アリステアへ、戻る…?
彼の言葉を頭の中で繰り返す。
意味は分かっているはずなのに、とっさに受け入れることができない。リンは無意識のうちに、ふるふると首を振っていた。
「リンティア様…」
「私は処刑された身です…!」
まるで逃げるように、リンは一歩後ろに退がった。
そんなリンの姿をカールの冷静な目が真っ直ぐ見据える。彼の発する言葉は穏やかで丁寧なはずのに、とても冷たく響く。――胸の奥に、突き刺さるように…。
「ご安心下さい。リンティア様の罪状は撤回されております」
リンが目を見開いて固まった。
「姫がご健在だという情報を聞いて、カーラ様はたいそうお喜びになっていました。もし本当に生きているのなら、是非戻って頂きたいと…」
「――嫌です…!」
思わず声を上げていた。抑えきれない心の声がこぼれ出すように。
カールの眉が一瞬ぴくりと動く。けれども彼は少しも動揺することはなく、「皇太后様のお言葉をお伝えいたします」と先を続ける。
「皇太后様はリンティア様に謝りたいとおっしゃっていました。国王陛下を止めることができず、リンティア姫を護れなかったことを申し訳なく思うと…。国王陛下もアイリス様亡き後、リンティア様への処分を大変悔やんでいらっしゃるとのことです。どうかカーラ様と国王陛下のお気持ちをお受け取り下さいますよう」
流れるように語る近衛隊長の言葉は、まるで自分と関係の無い遠い世界の音のように耳に響く。
―――謝りたいと…。
―――悔やんでいると…。
どんな言葉で応えればいいのだろう。何度忘れようとしても忘れられないのに。
国王が母にしたことも。自分に向けられた殺意も。
ゴンドールに、1人残されたあの日の恐怖も悲しみも――。
自分の意思とは関係なく、リンはただ首を振っていた。その目に急速に涙が浮かぶ。目の前の隊長の姿が霞んでいく。
「リンティア様…」
震えるリンに、近衛隊長は静かに語りかけた。
「ヨーゼフ王が愛されたアリステアを、救っては頂けませんか…?」
その声には、初めて彼の感情が現れていた。
苦しげに眉をひそめ、隊長はまるでリンにすがるように訴える。
「アイリス様亡き後、国王陛下はご自分を責めるあまり心を壊しておいでです。そんな陛下に対して、皇太后様も成す術が無く途方にくれていらっしゃる状態なのです。だからこそ、皇太后様はリンティア様が生きてらっしゃるという話を、誰より喜ばれておいででした。リンティア姫が戻られれば国王陛下もお力を取り戻されるだろうと、そうおっしゃってます。――どうか、リンティア様。アリステア王家を…アリステア王国を、お救いくださいますように…」
凍りついたように、リンはただ固まっていた。
そんな彼女の前で、カールが再びゆっくりと跪く。彼の隣に居た騎士も、それに習うように膝をついた。
「我々アリステアの国民を、お見捨てにならないで下さい…」
頭を下げて声を振り絞る隊長の言葉を聞きながら、リンの目はなにも映してはいなかった。
止められない涙が次から次へと頬を伝う。
―――アリステアの国民を、見捨てる…。
そうなって、しまうのだろうか。今、国へ戻らないという道を、選ぶことは――。
「お願いいたします…どうか、お願いいたします…」
足元で、隊長が繰り返し懇願する。その声を聞きながら、リンはゆっくりその目を閉じた。
忘れかけていたこと。
自分が王族であったこと。
国を捨てたかったわけじゃない。戻れなかっただけ。
自分の戻る場所が、どこにも無かっただけ。
その場所が、今また、できたんだ。
父も母も居ない、あのお城に――。
苦しい想いが繰り返し押し寄せ、頬にはいくつも涙が伝って落ちる。
「隊長…」
リンはふいに、かすれた声で囁いた。
カールが顔を上げてリンを振り仰ぐ。リンは虚空を見つめたまま、ゆっくり口を開いた。
「少し…時間をくれませんか…?」
カールは黙ったままリンを見詰めている。
迷っている様子に、リンは「お願いします…」と重ねて言った。
その声が、震える。
「夜までには戻ります。最後なら…これが最後になるなら…。少しだけ…」
「――はい」
カールがはっきりと応える。
「港で、お待ち申し上げております」
隣の騎士が驚いたようにカールに目を向けた。カールは王女に対し、再び深く頭を下げる。
「ご決断、心より感謝いたします…」
去っていく王女の背中を見送りながら、カールの隣で騎士が不安気に彼を見た。
王女はもう学校へは向かわなかった。
「よろしいのですか…?もし、戻ってらっしゃらなかったら…」
住んでいる場所はつきとめていない。どこへ行くのかも聞いていない。
学校に二度と現れなかったら、後を追うことはできない。
騎士の言葉の意味を理解しながら、カールは哀しげに微笑んだ。
「駄目だなんて、言えるのか…?王女が戻る場所は、”王室”という名の牢獄なのに…」
カールの言葉に、騎士は苦しげに目を伏せただけだった。




