忍び寄る影
リンが出て行った後、入れ違いでアーロンは城へと辿り着いた。
寄宿舎を気にしながらいつものように訓練場へ向かう。不意にその出口からキースが出てくるのが見え、アーロンは思わず足を止めた。
アーロンに気付いたキースが眉を上げる。
「あぁ、おはよう」
「…おはよう」
キースが側に来たのに合わせ、アーロンはまた歩き出した。なんとなく並んで訓練場に向かう。
「今日外出の予定は?」
キースの問いかけにアーロンは「別に」と返した。
「そうか。俺も一日城に居る」
「ふぅん」
そんな事はどうでもいい。けれどもキースはそれ以上何も言わずに歩き続ける。自分から名前を出すのは癪だったが、アーロンは諦めて口を開いた。
「リンは…、元気?」
ふいにキースが吹き出し笑いをした。そんな反応に、アーロンはムッとして彼を睨み付ける。
「…なんだよ」
「昨日会ったばかりだろ?普通に元気だよ」
「生活が変わったんだから心配するの当たり前だろ?慣れない場所で寝たんだし…」
「心配いらない。よく寝てた」
キースは歩きながら言った。
「夜中まで部屋で話してたから寝不足だと思うけどね。なかなか起きないから困ったよ」
思わず足が止まった。
キースはアーロンを振り返ると、怒気を含んだ目を冷静な青い瞳で受け止める。そして白々しく首を傾げて見せた。
「…何か?」
「わざと言ってるだろ」
「何を?」
どこまでも恍けた問いに、アーロンはぐっと顔をしかめた。
目の前の男にいいようにいたぶられている。怒ったりしたらキースの思う壺なのに、冷静なフリすらできない自分が本気で嫌になる。
何も答えないアーロンに背を向け、キースはまた悠然と歩き出した。
煮えたぎる気持ちを堪えつつ、アーロンも諦めたようにその後に続く。
不意に、前を行くキースがぼそっと呟く声が聞こえた。
「リンティアの結婚相手は、ちゃんとした大人の男がいいな…」
瞬間的に頭に血が昇った。
アーロンは荷物の詰まった皮の袋を振り上げると、前を歩く男をめがけ、力任せに投げつけた。
キースは振り返ることなく体を横へそらしてそれをかわす。放り投げられた荷物は、キースを通り過ぎて虚しく地面へと落ちて終わった。
平然と立ち去るその背中を、歯軋りしつつ睨みつける。
リンと血縁関係がある唯一の人物。この先どうやってもリンと自分の間に立ちはだかるあの障害物は避けられそうもない。
遠ざかる忌々しい障壁を前に、アーロンはひたすら自分の運命を呪っていた。
◆
日が高くなった頃、ローランド大陸の王都に近い港街に船が着いていた。バルジーを乗せた、アリステアの船である。
流れの商人として顔の売れているバルジーとともに、彼の護衛と称した騎士達も下船した。近衛騎士隊長カールと、近衛騎士隊の騎士3人のみである。目立たないように、全員普通の傭兵と変わらない質素な防具を身につけていた。
「では、城に向かおうか」
カールの言葉に、バルジーは「わかったよ…」と呟いた。
とりあえず国に生きて戻ってこれた。その事実を噛みしめる。あとはこの男達から逃げ延びなくてはならない。
バルジーは自分を取り囲むようにして歩く騎士達を探る様に盗み見ながら考えを巡らせていた。
馬車で王都を駆け抜け、やがてバルジー達はローランド王城の側に辿り着いた。
馬車を降りて見送りながら、近衛隊長が「誰でも乗れる馬車が走っているのか…」と感心したように呟いていた。
そしてその目を王城の方へと向ける。
川を渡る橋を越えれば、すぐ荘厳な城壁に備えられたローランド王城の正門に辿り着いた。
「王女と一緒に暮らしているという男を呼び出してもらおうか」
「…分かってる」
バルジーはカールの言葉にそう応えた。そして周りの騎士達をぐるりと見遣る。
「あんまり大勢で行くと警戒される。俺があいつを呼び出す時はいつも1人なんだ。とりあえず呼び出したら連れて来るから、待っててくれよ」
「姿見えるところで待たせてもらう。連れて来る必要は無いから、家の場所を聞き出せ」
カールは威圧的な低い声でそう命じた。バルジーはカールの言葉に怪訝な表情を見せた。
「あいつ自身に用はないのか?」
「…家が分かればいい」
「あ、そう…」
家を知れば、後で改めて身柄を拘束しに行くということだろうか。バルジーはそう解釈すると、納得したように頷いた。
「そうだな。お嬢ちゃんは今どうせ学校だしな」
「…学校?」
バルジーの言葉に反応してカールが問いかける。
「学校に通われているのか」
「そうみたいよ」
曖昧に答えると、「じゃぁ行ってくる」と行ってバルジーは歩き出した。騎士達も当然後をついてくる。
けれども正門の見える位置に来ると、騎士達は自然に足を止めた。バルジーがそれを確認して1人歩き出す。
彼は正門に立つ衛兵のもとへと、ゆっくり歩いて行った。
城門を警備する衛兵は、近づいてくる男の顔を見て眉を上げた。お馴染みの商人である。
彼は何故かいつもの半笑い顔ではなく、珍しく緊張気味だ。彼と目が合うと、衛兵は敬礼して迎えた。
「お疲れ様です」
「――入れてくれ」
バルジーが低く小さく呟く。挨拶もそこそこにいきなりそう言われ、衛兵はとりあえず「はぁ」と応えた。
「国王陛下に謁見される予定でしょうか」
「そうだ。早くしてくれ」
商人の口調には何故か焦りを感じる。一刻も早く中へ入りたい様子である。
「陛下に取り次ぎいたしますので…」
「大丈夫だ!急ぎなんだ。とにかく入れてくれ!」
衛兵の言葉を遮ってバルジーが小声で急かす。
通常国王の謁見のためにはその身分を証明するものが必要だが、目の前の商人はすでにその顔が証明書である。突然現れて”入れてくれ”というのは今に始まったことではない。けれどもこんなに焦った様子の商人を見たのは初めてだった。
「重要な用件なんですか?」
「最重要だ!」
「…かしこまりました」
衛兵はそう言うと、城門の脇にある通用口に向った。
「――ん??」
開けられた入り口から素早く城内へ消えていく商人の姿を見て、アリステアの騎士が声を上げた。
カールも思わず呆然とする。
通用口がまた閉じられ、衛兵がもとの位置に戻るまで、全員呆気にとられてその光景を眺めていた。
「おい、どういう事だ?」
カールが思わず誰とはなしに問いかける。けれども誰も答えられなかった。
「ローランド城はあんな簡単に入れるのか?ただの商人じゃなかったのか?あいつは」
誰もが同じ疑問を抱えていた。
王女の居場所を知っている男を”呼び出す”予定だったはずが、居なくなっている。カールはその意味を考え、やがてふと「逃げたか?」と呟いた。
全員の間に妙な沈黙が流れる。カールの顔はどんどん険しくなっていった。
その後一応商人の後を追うために騎士を城門に向かわせたが、やはり入城は拒否された。
身分を証明するものなど当然持っているわけもなく、王女の居所を知るはずの男の名前も分からない。
まんまと取り逃がしたことを思い知らされ、カールは自分の失態に舌打ちした。
「ただの商人じゃなかったな、あいつ。たぶん城の関係者だろう。城内に棲家があるんだ」
「申し訳ありません。油断しました」
騎士が頭を下げる。
城内に住む者だとすれば、また自分達に身柄を拘束されることを恐れて当分出てこないだろう。
カールはしばらく城門を睨んで考えていたが、その目を騎士に向けた。
「皇太后の命令はリンティア王女を連れ戻すことだけだ。あんな男にこれ以上用は無い」
はっきりとそう言った近衛隊長に、騎士達はためらいつつ「ですが、居場所が…」と呟いた。
「船で待つ騎士も動員して、王女の通われている学校を探す。恐らく城からそれほど離れてない王都内の学校だ」
カールはそう言うと、踵を返してまた王都へ向かう橋を渡って行った。
◆
訓練中であったローランド近衛騎士隊長アルベルトのもとに、やがて女官により、バルジーの来訪が伝えられた。
「先程、バルジー様がいらっしゃいました。今お待ち頂いておりますが、如何いたしましょう?」
「バルジーが?」
アルベルトは不思議そうに聞き返した。バルジーは定期的に訪れて来るが、いつも次回来る日を予告して帰っていく。
今日はその予定の日ではなかった。
「分かった。会おう。広間に通してくれ」
アルベルトの言葉に女官は頭を下げて応えた。
「やぁ、元気か?アルベルト!」
広間に着くと、わざとらしい笑顔で商人が出迎えた。なんだかいつもと様子が違う。
アルベルトは「なんの用だ」と早速用件を促した。
「いや、そんないきなり…。俺とあんたの仲で…」
やっぱりわざとらしいことを言い始める。アルベルトは玉座に腰を落ち着けると、笑みを浮かべるバルジーと無表情で向き合った。
「――何の用だ」
低いけれどもよく通る声が広間に響いた。
真っ直ぐ睨みすえるダークブラウンの瞳に捕らえられ、バルジーは顔から笑みを消す。広間には妙な緊張感が広がった。
バルジーは突然弾かれたようにその場に膝をつくと、アルベルトに対して土下座した。
「頼む!!しばらく俺を此処に置いてくれ!!」
「――なんだと?」
額を擦り付けんばかりのバルジーに、アルベルトは眉を顰めた。バルジーは顔を下げたまま、必死に懇願する。
「当分身を隠したいんだ。城内なら絶対安全だ。頼むよ、それ相応の礼はするから~~!!」
意味は分からないが切実なのは伝わってくる。アルベルトは今まで見たこともないような彼の情けない姿にクックと笑みを洩らしながら言った。
「訳を話せ」
バルジーが頭を下げたまま少しの間固まる。やがてゆっくりと顔を上げた。それでもすぐには口を開かない。何か必死に考えているような様子だ。
「嘘はつくなよ」
アルベルトが先回りして忠告すると、バルジーの眉がピクリと動いた。射抜くような国王の視線に、怯えるように目を泳がせる。
「例の鎧の素材を知りたいって奴らに追われてるんだ…」
アルベルトがひょいと眉を上げる。玉座の肘掛に頬杖をついて「へぇ」と呟いた。
「鎧は城でしか売らないはずじゃなかったか?」
「いや、鎧っていうか…!あれの素材の残りを使ってナイフを作ってんだ。それを、売ってたんだよ」
「…どこで?」
アルベルトの問いかけにバルジーは少しつまったが、「王都で」と答えた。
「そんな商売の話は聞いてなかったな」
「いやだって、防具じゃないからさ。あれで作った防具は他で売ってないよ。本当に」
慌てて弁解するバルジーを見ながら、アルベルトは無表情のまま黙っていた。そんな国王の威圧的な雰囲気に、バルジーは何も言えずに身を縮こまらせている。
立場が悪くなっているのは自覚しているようだ。
「分かってないな」
アルベルトが呟いた。
「あれを見たら誰だって素材に興味が沸く。それを力づくで聞き出そうっていう輩が現れても不思議じゃない。大人しく俺だけ相手に商売してりゃよかったのに、バカだな、お前」
アルベルトの言葉に、バルジーはしゅんと肩を落としてみせた。
「悪かったよ…」
素直な謝罪に続き、縋りつくような顔で、猫なで声を出す。
「今更ながら、あんたはすごいよアルベルト。国で一番の権力を持っていながら、俺を対等に扱ってくれた。本気で聞き出そうと思えば、拷問でもなんでもできたのにな。
あんたになら、俺の秘密話してもいいって思うよ…」
なにやらゴマをすり始めたと思いながら、アルベルトは「それは有難いが、後にしよう」と言った。
「で、追っているのは誰だ」
バルジーがまた固まる。そしてちょっと首を傾げた。
「よく、分からないんだ…」
「分からない?」
「誰かに雇われてる奴らだと思うんだけどさ。雇い主は、よく分からない。とにかくここまで逃げてきたんだ」
なんという曖昧な話だろう。アルベルトはやれやれとため息をついた。
「その程度の情報じゃ、何もできないな」
「いやいや、どうにかしてくれってわけじゃないんだよ!」
バルジーがまた慌てたように言った。
「とりあえず俺の姿がしばらく見付からなければ、諦めるだろうしさ。今後は気をつける。家も変えるし、もうローランド城以外での商売はしないことにする」
黙ってバルジーを見るアルベルトに向かって、彼は再び深々と頭を下げた。
「どこでもいいんで、置いてください~…」
わざとらしい程に情けない声が出るものだ。とにかく下手に出て乗り切ろうという魂胆らしい。それもこの男の技の一つに違いないのだが、どうも憎めないのは何故だろうか。
アルベルトは苦笑して言った。
「…例の”秘密”と引き換えだ」
◆
その日の夜、仕事を終えたアーロンは家に帰るために城門に向かっていた。上級兵会議が夜まで長引いて遅くなってしまった。あたりはすっかり暗い。
自分が踏みしめる土の音を聞きながら、アーロンは寄宿舎の前に通りかかった。
建物にあるいくつもの窓。それのどこかに、リンが居る。歩きながら眺めていると、ふと寄宿舎の入り口に佇む人の気配に気付いた。
両開きの扉を片方だけ開けて立つ頼りない細い体が、中から漏れる光で浮かび上がっている。
「リン…」
口の中で名前を呟くと同時に、リンの目がアーロンを見つけた。その顔がぱっと輝いたのを見て、アーロンは慌てて寄宿舎へと駆け寄った。
アーロンが側に来ると、リンは勢いよくその胸に飛び込んで来た。
「アーロン!」
「あ、待った」
アーロンは慌ててリンの両肩を掴んで自分から引き離すと、その目を一瞬遠くへ向けた。
リンが不思議そうにアーロンを窺う。アーロンはリンに視線を戻すと苦笑して言った。
「いや、あいつもうすぐ戻ってくるんだよ…」
先ほど一緒に会議に出ていたが、終わってからキースだけバッシュ隊長に呼び止められて何やら話をしていた。
それを置いて帰ってきたので、ほどなくここへ戻ってくる。
アーロンの言う”あいつ”をすぐに察し、リンは慌ててアーロンから離れた。距離が開き目が合うと、二人してクスッと笑う。ふと見詰め合い、アーロンは束の間その姿に見惚れた。
翡翠色の瞳の綺麗な少女が自分を見ている。一晩離れただけですでに懐かしい。彼女の瞳と同じ色のワンピース。裾からのぞく白く細い足。ここで住む兵士達はリンをどんな目で見ているんだろう。そんなことを考えたら、なんともいえない不快感が胸に渦巻いた。
「こんなところに1人で居たら、ダメだって」
思わずそんなことを言ってしまう。リンが哀しげに眉を下げた。
「アーロンが通るかなって思って…」
「いつから待ってたの?」
「…少し前だよ?」
なんだか胸が熱くなる。
いつも自分が帰る時間より遅くなってしまったのだから、きっとずいぶん待ったはずだった。
いつ来るかも分からない自分を、こんな所で立ったまま――。
「ありがと…」
アーロンの言葉に、リンが嬉しそうに微笑む。けれどもふとその顔から笑みを消すと、視線を落として言った。
「…ごめんね」
アーロンは眉を上げると、「なにが?」と問いかけた。
リンがそっと目を伏せる。
「キースのこと、何も言ってなかったから。私も、まさかこんな所で会うと思ってなかったんだけど…」
「あぁ…」
アーロンは小さく呟くと、微笑んだ。
「驚いたけど、でも会えて良かったよな。いつかあいつが俺の親戚になるのかなと思うと、ちょっと怖いけどね」
おどけて肩を竦めると、リンが楽しそうに笑う。無邪気な笑顔に顔を綻ばせ、アーロンはふと思いついたように問いかけた。
「あいつは…リンの親の兄弟ってこと?」
リンが頷く。
「お母様の、弟で…」
「へぇ…」
リンの親について聞いたのは初めてだった。キースに姉が居たということも今まで知らなかった。
「叔父様というよりも、お兄さんみたいな存在だったの。寂しい時に話し相手になってもらったり、剣を教えてもらったり…。小さい頃から可愛がってくれてたから、今もキースにとっては私は小さい子供のままみたい」
「そうかぁ…」
リンを恋人だと言った自分を睨んだキースの目を思い出し、アーロンは軽くため息をついた。それほど可愛がっていたなら、無理もない反応なのかもしれない。
アーロンはまた遠くに目を向けた。キースの姿はまだ無い。
「明日も帰りは遅いの?」
不意にリンに問いかけられ、アーロンはリンに目を戻した。
「明日と明後日は、また地方都市に出るんだ」
「その次は…?」
「3日後なら、たぶん早く帰れるかな」
アーロンの言葉にリンは微笑むと「それじゃ、その日は家で待ってる」と言った。
「…大丈夫?」
「大丈夫だよ。キースにはお友達とご飯食べるって言うから」
まるでうるさい親扱いだ。アーロンは思わず苦笑する。
2人は一瞬見つめあい、同時にその目を遠くに向けた。まだ”うるさい親”の姿は無い。改めて目を合わせると、二人して笑った。どうやら考えていることは同じだったらしい。
そしてどちかからともなく一歩近寄ると、そっと顔を寄せ合った。
◆
その頃、ローランド王城のグレイス姫の部屋に父であるアルベルトが訪れていた。
向き合って腰掛け、お茶を飲みつつ話をする。話題はもちろん昼間の出来事だった。
「ゴンドールの…」
アルベルトから聞いたバルジーの”秘密”に、グレイスは驚いたように目を見開いた。
ややあって、深く頷きながら呟く。
「なるほどね…。あの人、本当にお金になることには知恵が働くのね」
本気で感心してしまう。
「ちょくちょくゴンドールに行ってるらしい。アーロンはその護衛役なんだそうだ」
「へぇ…」
2人は言葉を切ると、同時にお茶を飲んだ。お互い何かを考え込むように黙り込む。ふとアルベルトがその目を上げて娘を見た。
「どう思う?」
「なんかすっきりしない話ね…」
「…だな、やっぱ」
グレイスはお茶をテーブルに置くと、改めて父に目を向けた。
「バルジーが王室のお抱え武器屋だということは有名な話だと思ってたわ。王族の後ろ盾がある彼に対して、そういう無茶をする人が居るなんて…。誰かに襲われたっていうのは、アーロンも知ってる話なの?」
「知らないようだ。アーロンとはゴンドールに行くとき以外に接点が無いらしい」
父の言葉にグレイスは不思議そうに首を傾げた。
「その程度の間柄?上級兵士として推薦しておいて?アーロンはやっぱりゴンドールの脱け殻の事を知っているのかしら」
「知っていると言っていた。それを知っているのはアーロンと自分だけだと」
「…なぜアーロンなの?」
グレイスの問いかけに、アルベルトはちょっと顔をしかめた。
「たまたま雇った傭兵が、あいつだったらしい」
「たまたま…?」
グレイスはちょっと笑った。
「必死で秘密を守ってたわりに、護衛の選択は適当なのね。秘密を共有することになるのに」
「そうだよな…」
2人はまた少しの間沈黙した。
何か釈然としないところがあるのだが、それを解決する手は無さそうだ。2人は黙って考え込みつつ、また静かにお茶を飲んだ。
◆
アリステア近衛騎士隊長カールのもとに騎士の報告があったのは、調査を開始してから3日目のことだった。
この数日騎士を動員し、王都の学校を周りながら登校して来る少女を見張ってきた。その結果、王都のある学校で、リンティア王女らしき少女が見付かったとの話だった。
「間違いないか?」
問いかけたカールに、騎士は少し迷いつつ「恐らく…」と答えた。
「私自身、王女に直接お会いしたことは無いのですが、その少女は、アイリス様によく似ていらっしゃいました。金色の髪も翡翠色の瞳も、同じでした」
「…分かった」
カールは頷いた。
「明日、俺が直接行って確かめる」
やがてアーロンと会う約束の日の朝がきた。
リンはキースと朝食をとりながら、目の前に座る叔父の顔をちらちらと見ていた。
”今日はお友達とご飯を食べるから”と言わなくてはならない。自然なタイミングを見計らいつつ、リンは1人緊張していた。
リンの視線に気付いてキースが目を上げる。
「どうかした?」
「え!」
リンはビッと背筋を伸ばし、ぶんぶんと首を振る。
「別に、どうもしないよ?!」
キースは不思議そうに「ふぅん」と呟いた。そして食事を続ける。
「あ、あのね、キース」
リンに声をかけられて、キースがまた手を止めた。その青い瞳がリンを映す。否応なしに緊張感が煽られ、リンの鼓動は速まって行った。
「今日ね、えっと、学校のお友達とね、一緒にご飯を食べてから帰るから…」
キースがじっと自分を見ている。
リンは耐え切れずに目を伏せると「ちょっとだけ、遅くなるかもしれないけど…」とたどたどしく言葉を続けた。
「ふぅん」
キースが呟く。
「…いい?」
おそるおそる、伺うように問いかける。
「いいよ」
キースが応える。その言葉に、リンはホッとして全身の力を抜いた。
「――でも、泊まりはダメ」
目を伏せたまま言ったキースの言葉に、リンは凍りついたように固まった。
◆
その後、リンは朝の風を感じながら学校へと向かった。
今日はアーロンに会える。それだけで、晴れた青空がいっそう綺麗に見えてしまう。
出る間際にキースに”帰りはちゃんと送ってもらいな”と言われてしまった事を思い出して、顔を赤くする。それでも”行っちゃダメ”とは言われなかった。キースは、自分とアーロンのことをちゃんと認めてくれている。それは、素直に嬉しかった。
キースがローランドに来てからの話は、結局あんまり聞けなかった。
アーロンと同じ時期から上級兵士として働いていること。恋人は今も、居ないこと。分かったのはそれだけ。
それでも彼が住んで間もないローランド王国に愛着を感じている事は伝わってきたし、”生涯住み続けたいと思っている”と言ってくれてとても嬉しかった。
自分もこの国で一生を送るのだろうから――。
いつもの待ち合わせ場所で、今朝もキャリーが待っている。リンの姿に気付いて、笑顔になった。
リンは笑顔を返しながら、小走りにキャリーのもとへと急いだ。




