過ぎた日の真実
ローランド大陸へ向かう船の上、バルジーは拘束こそされていないものの不自由な状態だった。
船室に閉じ込められ、常に兵士の見張りが付けられている。船室は固いベッドが置いてあるだけの簡素な部屋で、ベッドに座るバルジーから少しは離れた床に兵士は座っている。あまりに寡黙で話し相手にもならないが。
体は回復しているが、気はすっかり滅入っていた。
不意に断わりも無く、船室の扉が開いた。
体の大きな中年の男が顔を出す。その風格からして、それなりの地位にある男だろう。その証拠に、兵士は弾かれたように立ち上がった。
「お疲れ様です!!」
「お疲れ」
男はやはり断わりもなく中に入って来ると、バルジーの目の前に立ちはだかった。見下ろされる形になり、若干緊張を覚える。
「アリステア近衛騎士隊長、カール・バルツェだ」
低い声で名乗った男を見ながら、バルジーは「…あぁ」と応えた。
近衛騎士隊長――。やはり地位の高い男だった。
「リンティア王女の居場所を知っていると聞いているが」
カールがそう言って言葉を切った。バルジーの答えを待つように、黙って見下ろしている。
バルジーは怪訝そうに目を細めた。
「リンティア王女…?」
「そうだ。具体的な場所を聞こうか」
「いや、リンティア王女って??」
近衛騎士隊長が顔をしかめる。
その反応に、バルジーは顔の前で手を振ると、「いや、とぼけてるわけじゃなくて!」と慌てて言った。
「俺はゴンドールで会った子供のところに案内しろって言われてるだけなんだって!それが”リンティア王女”とかいう子なのか??」
バルジーの問いかけにカールの表情は少し落ち着いた。そしてふぅっと吐息を漏らす。
「その可能性があると聞いている」
バルジーは思わず目を見張った。
―――王女…?!
ゴンドールで会った不思議な少女。自分の事は何一つ語ろうとしなかった。あれが、王女…。
「何処に居るんだ」
カールが凄みにある低い声で改めて問いかけた。バルジーはハッとしたように顔を上げた。
「ローランドの王都だ…」
「…もっと具体的に言え」
「悪いけど、家の場所までは知らないんだ。知っているのは俺とちょくちょくゴンドールに一緒に行く男と、今一緒に暮らしてるってことだけだ」
バルジーの説明に、カールが眉をひそめる。
「本当だよ!だからその男のところにとりあえず案内するからさ!」
「家を知らないのに、その男の居場所は分かるのか?」
明らかに怪しんでいる様子でカールが問いかけた。
「分かる。城の兵士として働いてる奴だからな。城に行って呼び出せばいいんだ」
「名前を教えろ」
「…それは、断わる」
バルジーの答えにその場の空気に緊張が走る。
カールの鋭い目がバルジーを睨み据えた。それに負けないよう、バルジーも真っ直ぐ受け止める。
「名前を言えば、こんな海の上で俺はお役御免だ。その後、どうなる?」
「…別に、どうもならない」
バルジーは鼻で笑った。
「嘘つけ。俺を殺そうとしたくせに!言われてんだろ?用が済んだら殺してこいって」
お互いを探るようにお互いの目を見る。しばらくの沈黙の後、カールは「まぁいい」と言った。
「王都に到着したら城に向かう。その男を呼び出してもらおう。…ところで」
カールは少し間をおくと、「その男とリンティア王女はどういう関係だ」と聞いた。バルジーがクッと笑う。
「多分、デキてる」
バルジーの答えに、近衛隊長は何も言わなかった。けれどもその表情は明らかに険しくなった。
◆
武闘大会の後、アーロンとキースは、バッシュから一度城へ戻るようにと言い伝えられた。
国の兵士代表としての面目を保った褒美として、ささやかな報奨金がもらえるらしい。
アーロンはそんなことよりリンと2人で話がしたかったのだが、断わるわけにもいかない。
アーロンとキースは控え室でそれぞれ荷物を持ち、何の会話も無いまま一緒に闘技場を出た。
そこではローラとキャリーと一緒に、リンが待っていてくれた。
並んで出てきた2人を見て、リンはどちらに声をかけていいのか迷うように交互に目を遣った。そんなリンにキースはふっと笑みを洩らすと、アーロンを置いて、先にリンのもとへと歩み寄った。
そしてその肩にそっと手を乗せる。
「リンティア、荷物を持って城においで。次の休みには寄宿舎を出るけど、それまではそこで暮らすことになるから」
「え…、う、ん…」
そんな2人を見ながら、アーロンはどうしようもない苛立ちを覚えずにはいられなかった。
血が繋がっていると言われていても、キースが当たり前のようにリンに触れるのが腹立たしい。
そんな感情を抱くのが愚かなことなのは、充分知っているけれども――。
「じゃぁ、一度アーロンと家に戻るね…」
「あいつは今から俺と城に行くんだ。隊長に呼び出されてるからね」
リンは不満気に顔をしかめる。そんな分かりやすい反応に、キースは思わず苦笑した。
「じゃぁ、後で」
キースはそう言ってアーロンを振り返った。
「行こうか」
「…あぁ」
歩き出したキースについて、諦めたようにアーロンも動いた。
「アーロン!」
とっさにリンが呼び止める。キースとアーロンは、同時に足を止めて振り返った。
リンの目は、すがるようにアーロンを見詰めていた。
「…すごく、かっこよかったよ」
アーロンの顔に、ゆっくり微笑みが浮かぶ。
「ありがと」
キースはそんな2人から目を逸らすと、やれやれというように苦笑を洩らした。
その夜、リンはローランド王城の兵士寄宿舎に居た。
キースの申請により、ほんの数日ということで空いている1部屋を使わせてもらえることになった。
荷物を置き、キースと一緒に食堂へ行く。突然キースが親戚を連れてきたという話に、寄宿舎の兵士達は皆興味津々だった。
「綺麗だなぁ~…」
向かい合って食事をとる2人を遠巻きに眺めつつ、兵士の1人が呟く。皆、同意するようにコクコクと頷いた。
当然彼等はアーロンの妹としてのリンになど会ったこともなかった。
細い体、真っ白の肌、そして艶やかな金色の長い髪。遠目でも、少女は否応無しに兵士達の視線を釘付けにしていた。
「流石、キース隊長の親戚」
「同じ血だな…」
「ちょっと挨拶してみる?」
「いや、そんな勇気無い」
兵士達は少女を盗み見つつ、小声でそんなことを言い合っていた。
目の前で食事をする姪っ子のお皿を見て、キースはふっと微笑んだ。
「ずいぶん何でも食べれるようになったんだね。昔は好き嫌い言ってたのに」
リンは心外だというように、顔をしかめる。
「だからもう子供じゃないって言ってるのにっ」
「そんなことで大人を主張されてもな…」
思わず笑ってしまう。リンは不満気な顔をしたが、反論は呑みこんだらしい。諦めたように食事に目を戻した。
「アーロンは、好き嫌いなんて許さなかったんだもん。”俺の作ったものは全部食べろ”って」
「…ふぅん」
「私も今は、なんでも作れるんだよ?ちゃんと野菜の皮剥きから自分でやるんだから」
「へぇ…、信じられない」
「すごいでしょ?アーロンに教えてもらったの」
リンは嬉しそうに微笑んだ。
「自分で作れるようになったら、何でも美味しく食べれるようになったよ。頑張って作ったんだから、食べて欲しいっていうアーロンの気持ちも分かるようになったし。料理とか掃除とか昔はやってもらうばっかりだったけど、それがどれだけ有難いことかっていうのも、分かるようになったよ」
熱心に話すリンを見ながら、キースは自然と穏やかな笑みを浮かべていた。
明るくて無邪気な少女。そんな雰囲気は、幼い頃と何も変わらない。
一時遠い昔の暖かい時間を、取り戻せたような気持ちになる。
「学校は楽しい?」
キースの問いかけにリンは「うんっ」と答えた。
「学校も、アーロンが絶対行くべきだって言ってお金出してくれてたの。皆で勉強したらきっと楽しいからって…」
「ふぅん」
「実際、本当に楽しいよ。昔は1人で勉強しててそれが当たり前だったけど…。学校行くようになったら、将来学校の先生になりたいっていう夢もできたの。アーロンもそれを応援してくれてて…」
不意にキースが吹き出した。何が可笑しいのか分からなくて、リンはきょとんと目を丸くする。
「なんで笑うの?」
「いや、だって…」
キースは笑いを堪えつつ言った。
「何度”アーロン”って言えば気が済むのかなと思って」
その言葉にリンは言葉を失くし、みるみる赤くなった。
食事を終えた後、キースはリンを部屋に送って行った。
そして「おやすみ」と声をかける。
リンは少しの間キースを見詰めていたが、不意に彼の袖をつまんだ。そして躊躇いがちに口を開く。
「もう少し、お話しよう…?」
食事をしながら、お互い本当に聞きたいことは何一つ話題にできなかった。
暗い話を避けるかのように。
リンが言っている”お話”がそれであることを察しながら、キースは「いいよ」と応えた。
そしてリンの部屋へと入って行った。
「キースは、どうしてローランドに居るの…?」
ベッドに並んで腰をかけ、リンが最初に問いかけたのはその疑問だった。
部屋の中に少しの間沈黙が流れる。
「…リンティアは、姉さんのことを知ってるんだよね…?」
不意にキースが質問を返した。
あまり触れたくない話題。けれども、それを聞かなくては答えられない。リンはコクリと頷いた。
目を伏せて俯く横顔を見ながら、キースは「どうして知った…?」とまた問いかけた。
少し間をおいて、リンが口を開く。
「ゴンドールで、アーロンから聞いたの…。アリステアの王女とその母親が…処刑されたって…」
―――処刑、された…。
その言葉に、キースは目を伏せた。
真実は伝わっていない。それは、喜ぶべきことなのか悲しむべきことなのか、キースにはよく分からなかった。
「本当、なんだよね…」
リンの小さな問いかけに、キースは何も答えなかった。
それが肯定を示しているのを感じ、リンの胸には改めてどうにもならない痛みが広がった。
「私の、せいで…」
「違うんだ」
キースははっきりと言った。
「逆だよ、リンティア。姉さんはね、きみが居たから生きてこれたんだ」
リンの大きな瞳が揺れながらキースを映す。
キースはそれを感じながら、それでも目を伏せたまま言葉を続けた。
「リンティア…。これを伝えるべきかどうか正直分からない。どちらにしろ、きみを苦しめることに変わりはないんだ。けれども、知っていて欲しい。姉さんは、処刑されたんじゃない。自分で、死を選んだんだよ…」
リンが息を呑んだのが分かった。凍りついたように動かない。
自分の言葉が改めて少女を深く傷つけたことを感じながら、キースは振り絞るように言葉を続けた。
「きみを失ったと思って…。もうそれ以上生きていく希望を無くしたんだ。きみはずっと、姉さんの生きがいだったんだよ…」
キースの言葉に、堰を切ったようにリンが泣き出した。震えながら、ただ嗚咽を洩らす。
身を切るような悲痛な声を聞きながら、キースは固く目を閉じた。
最初から、姉の幸せは脆い地盤の上に築かれていた。
冷たい王室の中で、幾人もの側室の中で、何度辛い想いを繰り返したことだろう。
そのたび彼女を救ったのは、隣で泣く、この少女だったに違いなかった。
この子の曇りのない幸せを、誰より願っていたはずだったのに――。
「俺はね…」
キースは静かに口を開いた。
「逃げ出したんだよ。きみも姉さんも護れなかった事実から…」
リンが震えながら泣き続ける。キースの手が、そっとその頭に触れ、優しくゆっくりと撫でた。
「生きていてくれて、有難う…」
2人きりの部屋に、しばらくリンの泣き声だけが哀しく響いた。
キースの手が絶え間なく彼女を撫でる。
そんな優しい温もりに、少しずつ、リンの涙も落ち着いていく。
”生きていてくれて、有難う…”
こんなにも沢山の人に、愛されて育った。今更ながら、それを痛いほどに実感した。
リンが落ち着きを取り戻した頃、キースはまた静かに口を開いた。
「あの後すぐに国を出て、ローランドに来た。どこでも良かったんだ。アリステアじゃなければ。縁あってローランドの兵士になれたけど、それも生きていくための仕事としか思ってなかった」
キースの目が遠くを見る。過ぎた昔を思い起こすように。
「でも…今は違うよ、リンティア。俺は、ここに来れてよかったと思ってる。この国に仕える身になれたことを幸せに思ってる」
そう言ってキースは目を閉じた。
「失ったものばかりじゃ、なかった…」
リンは黙ってキースの言葉を聞いている。2人の間には、沈黙が流れた。
「リンティア…」
不意にキースが呼びかける。リンは顔を上げてキースを見た。
「…聞いてもいい?あの日、何があったのか…」
◆
1人の部屋でアーロンは長椅子に寝転がり、ぼんやりと空を眺めていた。
以前1人の生活に戻った時より、さらに無気力になっている。
アーロンは深いため息を洩らした。
「情けない…」
思わずそんな言葉が漏れる。
振られたわけでもないのに、離れて暮らすだけでこんな状態になる自分が嫌になる。
リンはもう、自分の一部なのだ。
もしもリンに去られたら、自分はどうなるのだろうか。恋人に去られたことなどいくらでもあるのに、想像もつかない。
もしも、リンを失ったら――。
「死ぬかも…」
アーロンはぽつりと独り言を呟くと、そっとその目を閉じた。
◆
翌朝、リンは少し寝不足気味で城を出た。
昨夜はキースと夜通し話をしていた。お互い仕事と学校で明日も早いのに、話を止めることができなかった。
リンはアリステアで投獄されたあの日の出来事をキースに全て話した。
ジークフリード国王が母にしたこと。それを止めようとして、諍いになったこと。
けれども自分がジークフリード国王を操ったかもしれないなどとは口に出せず、はずみで王を刺してしまったと話した。
それから牢に入れられ、しばらくしてゴンドールへ連れて行かれたこと。
そこにたまたま現れたアーロンと出会い、アリステアに戻ることができないと話したら、何も聞かずに”一緒にローランドに行こう”と言ってくれたこと。
キースはアーロンがゴンドールに居た事を不思議に思っていたようだったけど、その理由は分からないということにしておいた。
一応、バルジーとの秘密を守るために。
それで話は終わらず、リンはこの3年の間あったことを一つ一つキースに話し始めた。
アーロンと一緒に暮らした日々のことを。
剣を教えてもらったこと。誕生日を祝ってもらったこと。
キャリーのこと、ローラのこと。
そして、アーロンに恋したこと――。
想いが通じ合って、いつか結婚しようと話したこと。そのために一度離れて暮らしたこと。
でも結局我慢できなくなって、また一緒に暮らし始めたこと。
キースはそれをただ黙って聞いてくれた。
話しながら何度も涙が出た。キースはそのたび、優しく頭を撫でてくれた。昔と変わらない子供扱いだったけど、やっぱり嬉しかった。
”お父様とお母様が、引き合わせてくれたんだよね”
リンの言葉に、キースは穏やかに微笑んでいた。
リンは自然と顔を綻ばせ、朝の風の中、学校へと向かって行った。




