三度目の悪夢
リンの涙が落ち着いた頃、キースはリンの体をそっと離した。
涙で濡れた顔で見つめるリンを、確かめるようにその頬に触れる。
「大きくなったね…」
穏やかに微笑みながら、語りかけた。まだ瞳は潤んだまま、リンの顔も柔らかく綻ぶ。
「15歳に、なったんだよ…」
「…そうか…」
いつの間に、そんな年月が流れていたのか。
あっという間だと思っていた時間の中で、幼い少女だった姪っ子が、こんなに綺麗な女性に成長を遂げている。
「……姉さんかと、思ったんだ」
「ほんと?」
リンが目を丸くして問いかける。
「本当だよ。やっぱりよく似てるよ」
「大人になったでしょ?」
「そうだね…」
「キースは変わらないよ。すぐ、分かったもん」
リンの言葉にキースは笑みを零した。
お互いの目がただお互いだけを映す。離れていた時間を埋めるように。触れ合っていても、傍に居ることが信じられなくて、離れることが出来なかった。
しばらくそうして見詰め合っていたが、やがてキースは我に返った。
会えた嬉しさで、考えるのを忘れていた疑問がふと湧いてくる。
「ゴンドールで…どうやって助かったの?」
キースの問いかけに、リンは一瞬固まった。そして少し迷うように俯いて黙り込んだ。
「助けが来たの…?」
重ねた問いにリンが頷く。そしてまたキースを振り仰ぐ。
「アーロンが、助けてくれたの。たまたま、ゴンドールに来てて…」
「――アーロン??」
その名前に、キースは突然思い出した。自分がローラに”アーロンの妹”に会ってほしいと言われていたことを。
キースは目を見張り、リンに向き直った。
「まさか、アーロンの”妹”って…」
「あ…私なの」
「…え??」
キースは意味が分からないというように顔をしかめた。リンは慌てて説明を付け加える。
「あの、妹ってことにして、今までずっと面倒みてくれてたの」
「…えぇ??!!」
その言葉の意味を理解すると同時に、アーロンの家庭事情が甦る。
アーロンは妹と2人で暮らしていて、そのために”夜は早く帰りたい”と言っていたのではなかっただろうか。
キースは改めて、慎重に問いかけた。
「アーロンと、…2人で暮らしてるの?」
「え…」
リンが一瞬答えに詰まる。そして、少し間をおいて「うん…」と頷いた。
「妹として?」
「うん。あの、学校行かせてもらってるんだよ」
「ただの、妹として?」
「え…?」
キースの真剣な目に射抜かれるように、リンは思わず固まった。
闘技場を出たアーロンは、その周りに沿って歩いていた。
控え室に行くための入り口がその先にある。中からの歓声を聞きながら、アーロンは淡々と歩みを進めた。
もうすぐ着くというところで、ふとアーロンの目はローラとキャリーの姿を捉えた。
試合を観ていると思っていた2人にこんな所で会うとは思わなかった。何をしているのだろうと訝しく思いつつ「ローラ!」と声をかけた。
ローラが弾かれたように振り返る。
「何してるの?リンは?」
アーロンの問いかけにローラは戸惑ったように視線の向きを変えた。つられるようにアーロンの目もそれを追う。
その瞬間、アーロンの顔は硬く強張った。
「アーロン…!」
こちらに気付いたリンが驚きの声を上げた。
彼女の目の前には、何故かキースが立っている。彼も同じようにアーロンを振り返る。その両手はリンの両肩を、しっかりと掴んでいた。
それを見た瞬間、アーロンの頭には一気に血が昇った。
「――なにしてんだよ!!」
とっさに声を上げていた。
驚いたように固まる2人に構わず駆け寄ってリンの腕を掴む。そして奪い取るように、キースの手から引き離した。
リンを背後に隠すように立ち、目の前のキースを睨みつける。
「なにしてんだよ、この野郎!!」
「アーロン!!」
キースに掴みかかろうとしたアーロンを、リンが必死で押し留めた。
「違うよ、アーロン!!」
その声に、我に返った。自分に縋り付くリンと目を合わせる。リンは眉を下げ、訴えるようにアーロンを見詰めていた。
アーロンはしばらくその目を見返していたが、不意にゆっくりとキースに向き直った。彼はいつもの冷静な目で、そこに立っていた。
「ただの妹に、この反応…?」
そう呟いて、キースの目は何故かリンを見た気がした。数秒の気まずい沈黙を破り、アーロンは口を開く。
「な…んだよ…」
わけが分からず、アーロンはリンとキースの交互に目をやった。
視線が合うと、キースの口元に薄い笑みが浮かぶ。
「可愛い子だね。――お前の、妹なんだって?」
落ち着きかけた頭が一気に熱を取り戻し、アーロンはとっさに叫んでいた。
「違う!!俺の、恋人だ!」
「あぁぁぁ!!!」
被せるように、リンが声を上げた。アーロンはその意外な反応に、我に返る。同時にキースの顔から、表情が消えた。その完全な無表情は、分かりやすく彼の怒りを物語っている。
リンは慌てて、アーロンの背中に逃げ隠れた。そこからそっと覗いた顔に、キースの鋭い視線がひたと当たる。
「……リンティア、どういうこと?」
「”リンティア”??」
聞いたこともない名前に、アーロンは間抜けな声を漏らした。
そんな彼の反応をよそに、キースの目はアーロンの背後に向けられている。
「違うよ!ほんとにずっと妹だったんだよ!恋人になったのは、つい最近で…」
何故かリンが必死で弁解を始める。その状況が理解できず、アーロンの目は助けを求めるように、ローラ達に向けられた。
2人とも、アーロンと同じような顔で固まっていた。
「”恋人になった”って、どういうこと?」
「えっ…」
リンが言葉を失くして黙り込む。キースの目は、瞬きを繰り返すアーロンへと戻った。
「子供相手に何したんだ、お前」
「え?」
「――子供じゃないよ!!」
叫んだのはリンだった。
「もう15歳なんだから!」
「15歳は立派な子供だ!!」
「さっき”大人になったね”って言ったくせに!」
「昔に比べればって話だろ!」
「実際大人だよ!お母様だって15歳で結婚したんだから!」
キースが一瞬絶句する。そして呆れたように、深いため息を洩らした。
「…あれは無理やりだ」
「ひどい!お父様はそんなこと…!」
「――話をすり替えるな!!」
キースの怒声に、アーロンの背後のリンがビクッと震えて口を閉ざした。
その場にはまた奇妙な沈黙が流れた。
全く状況が呑み込めない。
「あの…、どういうこと…?」
睨み合う2人の間で、アーロンはやっと口を挟むことに成功した。
キースはすぐには答えなかった。リンに目を向けたまま、やがてすっと人差し指を上げる。
「その子は俺の姪っ子だ」
「――はぁぁぁぁ?!?!?!」
あまりにも予想外の答えにアーロンは素っ頓狂な声を上げた。
そしてとっさにリンを振り返る。
背後に隠れたままのリンは、戸惑いの滲む目でアーロンを見返していた。
「…ほんと?」
アーロンの問いかけに、リンは眉を下げる。けれどもやがて観念したように、こっくりと頷いた。
流石に一瞬、頭の中が真っ白になった。
「えぇぇっ、意味が分かんない!!」
アーロンは両手で頭を抱え、絶叫した。キースに向き直り、動揺露わに問いかける。
「えぇぇ、いつから?!」
「その子が産まれた時から」
アーロンの間抜けな質問に、キースは冷たく吐き捨てた。完全に混乱していた。
本当の肉親がまさかこんな近くに居るなど、想像もできないことだった。
「妹として面倒みてくれたんだってな。それに関しては、まぁ、とりあえず、有難う」
キースの言葉に反応できずに、アーロンは硬直して立ち尽くす。
リンと同じ金色の髪――。
言われてみれば、その整った顔立ちもどこか似ている。なぜ今まで気付かなかったのかと思うほどに…。
「けれども、今後リンティアの事は、俺が引き取らせてもらう」
茫然とするアーロンの後ろから、リンが「えぇぇ!」と声を上げた。
「…何か?」
「どうしてそうなるの?!」
「当たり前だろ!俺は姉さんに代わって、きみを育てる義務がある」
「そんなぁ…」
哀しげな声をあげるリンをよそに、キースはアーロンに確認する。
「それでいいな?」
アーロンは完全に放心していた。
目の前の男が、リンの叔父――。
その信じられない事実を、何度も頭の中で反芻する。
時間をかけ、ようやくそれを受け止めると、アーロンはゆっくりとリンを振り返った。リンは眉を下げ、縋るように自分を見つめている。
アーロンは大きな溜息を洩らして言った。
「…いいよ」
「アーロン!」
抗議の声をあげたリンに、アーロンはたしなめるように声を掛ける。
「いや、だって、それは仕方ないよ…」
どう考えても、保護者の居る未成年の子が結婚もしていない男と同棲を続ける大義名分は無い。
しょんぼりと俯くリンに、アーロンは慰めるように微笑みかけた。そしてその目をまたキースに戻す。
「ただ…」
一呼吸置き、アーロンは続けた。
「悪いけど、別れることはできない。いい加減な気持ちじゃないんだ。俺を、この子の恋人として、認めて欲しい」
キースは無言でアーロンの目を受け止めた。
そんな彼の後ろで、リンは滲む涙を堪えながら、アーロンの背中に額をつけた。
その場には暫く重い沈黙が流れた。
「――隊長!!」
遠くから兵士の呼ぶ声が聞こえ、アーロンとキースは同時に振り返った。隊長という呼び名にはお互い覚えがあるものの、駆け付けたのはアーロンの隊の兵士だった。
どこか慌てている様子である。
「隊長!!そろそろ演武ですから!!準備してください!!」
「あ、忘れてた…」
完全に意識の外に追いやられていた演武の時間が近づいているらしい。アーロンはため息をつくと、キースを見遣る。
「ごめん。話の続きは、また後で…」
「…分かった」
その言葉を確認して、アーロンはリンを振り返る。
「行ってくる」
「…うん」
未練を残しながら、アーロンはその場を離れ控え室の方へと走って行った。
残された4人は、しばらくその背中を見送っていた。
「…キース様…」
不意にそれまで黙って見ていたローラがキースに声を掛けた。戸惑いつつ、一歩前に出る。
「あの…アーロンはずっと本当に、リンちゃんのこと大事にしてました。私と昔お付き合いしていた時も、一度もリンちゃんを1人にして2人で会ったりするようなことは無くて…」
リンの前で昔のことを持ち出したことを後悔したのか、ローラは言葉を切ると、口を閉ざして俯いた。
キースは苦笑を洩らし、リンに向き直る。
「リンティア、見ておいで。あいつの出番、もうすぐらしいから」
「キース…」
「知ってるよ」
何か言いかけた言葉をキースが遮るように言った。じっと自分を見つめるリンに穏やかに微笑みかける。
「知ってる。あいつがいい男だってことはね」
昔と変わらない叔父の優しい微笑みに、リンの顔にもゆっくりと微笑みが広がる。
「うん…」
「それでも、一緒に暮らすのはまだ早い。――分かった?」
「……はい」
目を伏せたリンの頭に、キースの大きな掌が軽く乗せられた。
「きみを助けたのが、あいつで良かったよ…」
暖かい想いが胸に広がる。リンは涙をこらえながら、再び大好きな叔父の胸へと飛び込んだ。
控え室に着いたアーロンに、兵士が防具を渡してくれた。
「隊長、頑張ってくださいねっ」
明るく激励する彼に対し、アーロンはただ「うん…」と返し、防具を受け取る。そしてそれを持って奥へと入って行った。
暗い表情の隊長を気にして兵士が彼の背中を見送る。隊長は自分の荷物の場所まで行くと、力が抜けたようにそこにしゃがみこんだ。
兵士は思わず彼のもとへ駆け寄った。
「隊長、大丈夫ですか!」
アーロンは何も答えない。頭を垂れた彼の顔は、赤い髪に隠されている。
どこか体の具合でも悪いのかと、兵士はアーロンの隣に膝をついて座った。
「大丈夫ですか…?」
「…ダメ」
アーロンが小さく答える。そして盛大なため息を漏らした。
「――またあの男かよ~~~!!!」
俯いたまま突然声をあげた隊長に、兵士はぎょっとして体を退いた。
「また…?」
言葉の意味が分からず呆然とする兵士の姿を、顔を上げたアーロンが横目で見る。表情の無いその目はなんだか恐ろしくて、兵士は緊張のあまり顔を強張らせる。
「……何でもない。席戻ってていいよ」
隊長の低い声に兵士は「あ、はい!」と答えると慌てて立ち上がる。そして改めて「頑張ってください!」と言うと、そそくさと立ち去って行った。
支度をしながら、アーロンは混乱した頭を整理しようと努力していた。
先ほど知ったあまりに衝撃の事実を、まだうまく呑み込めていない。
とりあえず確かなのは、キースがリンの叔父であるということだけ。
キースはアリステア王国の騎士だった。貴族出身の彼の親戚ということは、リンの家も貴族なのだろう。それについては予想通りだった。
そしてやはりアリステアが祖国なのだ。
リンがゴンドールに居た理由を、キースは知っているのだろうか。彼がローランドに来た理由と、それは何か関係があるのだろうか。
長い間リンと一緒に居て、結局何も知らないということを思い知る。
”リンティア”
そう呼んでいた。それが本当の名前なんだろう。
本当の名前すら、自分は知らなかった――。
それでもリンの想いが嘘だったなどとは思わない。思わないけど…。
「血の繋がりには、勝てないじゃん…」
アーロンは小さく呟いた。
また離れるんだと思うと、苦しくなる。
リンの前では精一杯かっこつけて”仕方がない”なんて言ってみたけど、本当は、また1人の部屋に帰る生活に戻ることを考えると辛くてたまらなかった。
離れるのは心じゃない。少し、会う時間が減るだけで。
それは分かってるのに――。
準備を終えたアーロンは控え室の棚に着替えを仕舞った。そして棚の扉を閉める。
―――リン…。
アーロンは小さくため息をつくと、閉じた扉にそっと額をつけた。そこから伝わる冷たさに身を委ね、しばらくそのまま動かなかった。
◆
「本当に親戚なの??」
観客席に戻って来たローラは、座るや否やリンに問いかけた。
まだ驚きを引きずっているという様子で、すでに武闘大会どころではない。
キャリーも同じようにリンの顔を覗き込み、2人に挟まれて真ん中に座ったリンは困ったように眉を下げた。
「えぇと…本当です…」
あまりに動揺して会う事しか考えていなかったけれど、冷静になってみるとずいぶん不自然なことをしてしまった気がする。
けれども今更ごまかせず、リンはとりあえずそう答えた。
「ずっと会ってなかったの?」
ローラの問いかけに、戸惑いつつ頷く。
「どうして?離れ離れになっちゃってたの??」
当然の疑問だが、上手い答え方が分からない。リンは困惑して俯いた。そんな様子にローラは我に返り「あ、ごめん…」と身を退いた。
「なんか詮索したみたいになっちゃって…。ごめんね、忘れて」
慌ててそう言うローラにリンはただ「すみません…」とだけ応えた。
そして視線を闘技場へ向けた。
もうすぐアーロンが出てくる…。
”悪いけど、別れることはできない。いい加減な気持ちじゃないんだ。俺を、この子の恋人として、認めて欲しい”
アーロンの言葉が甦ると、リンの胸はまた熱くなった。
自分に叔父が居ることなんて一言も言ったことなかった。それだけじゃない。過去のことは何一つ話してない。それでも今まで何も聞かずに一緒に居てくれた。
キースと話したいことは沢山ある。また会えるなんて思ってなかったし、本当に本当に嬉しかった。
でも、またアーロンと離れて暮らすことになるのかと思うと、それはやっぱり悲しかった。
―――早くちゃんと大人になりたいな…。
リンは小さくため息をついた。
闘技場では演武を前にして、優勝者が出てきたところだった。
「ここ、いい?」
声をかけられて、観客席の兵士は顔を上げた。そこには演武を終えたキースが立っていた。
先ほどまでアーロンが座っていた席を指差している。
「あ、どうぞ!あの、お疲れ様でした!お見事でした!」
「有難う」
言いながら腰を下ろす。闘技場には優勝者らしき男が待っている。ずいぶん体が大きい。さすが体術の部で優勝するだけはある。
「隊長、勝てますかね…」
兵士がキースに話しかける。
キースは苦笑しつつ、「さぁね」と気の無い返事を返した。恐らく内心、それどころではないに違いない。
―――”恋人”か…。
キースの脳裏に、遠い日のリンティアの笑顔が浮かぶ。記憶の中のリンティアはまだ12歳だった。
今も15歳だと言われても、成長したその姿を見ても、どうしても幼い姪っ子としか思えない。
その子に”恋人”が居るというのは、なんだか不思議な感覚だった。
しかも相手は毎日顔を合わせていた、あの男…。
「やられたな…」
思わず呟いたキースの言葉に、隣で兵士が「はい?」と反応した。
その頃アーロンは選手入場口の手前で待機していた。そろそろ入場となるらしい。
「通常の試合は戦闘不能になるか、制限時間を超えるまで続けられますが、演武ですから、勝負がつかなくてもいいとのことで、有効な打撃と言える攻撃をどちらかが先に3回繰り出したら勝負あったとします」
隣で自分に運営係りの兵士が説明するのを遠くに聞きながら、アーロンは上の空だった。
「――大丈夫ですか?」
聞いているのかいないのか分からない様子のアーロンに兵士が問いかける。
アーロンはとりあえず「うん」と答えた。
「では、どうぞ。入場してください」
促されるまま、アーロンは闘技場へと進み出て行った。
「アーロンだ!」
キャリーが楽しそうに歓声を上げる。そしてリンの肩をぱんぱんと叩く。
「リン、ほら、出てきたよ!」
「うん…」
アーロンの赤毛が日の光を浴びて燃えるように光って見える。優勝者に比べると、彼の体は一回り小さい。
「大丈夫かしら…」
ローラは眉を顰め、不安気に呟いた。
体術の部の優勝者スクラフィーは、演武の相手として出てきた兵士を見て笑みを浮かべた。
自分より小さくて、強そうには見えない。しかも緊張しているのか、表情が硬い。
目を伏せたまま、淡々と歩いてくる。
折角優勝したのだから、当然演武にだって負けたくは無い。
―――本気で行かせてもらうぜ…。
赤毛の兵士が目の前で足を止めた。審判が2人の間に立って、「いいですか?」と問いかける。
赤毛の兵士が黙って頷く。スクラフィーも「おうっ」と応えた。
それを確認した審判が、後退しつつ2人から距離を取る。そしてさっと片手を挙げた。
「――開始!」
審判の大きな声が辺りに響くと同時に笛が鳴る。それを合図に、兵士が顔を上げて自分を見る。
スクラフィーは拳を固め、一気に飛びかかった。
その瞬間、兵士の茶色い目がカッと見開かれた。
雄叫びとともに優勝者の振った右手の拳を、アーロンは体を逸らして避けた。顔のすぐ隣を拳が通り過ぎる。その瞬間、一歩懐に入り込み、喉元を手刀で打った。
「うぐっ…」
男が声にならない声を漏らす。一瞬喉が塞がれ、息が止まる。動きが止まった男の足のスネに、間髪入れず強烈な蹴りが入った。
「うあっ…」
その小さい男から繰り出されたとは思えない程重い打撃だった。激しい痛みにスクラフィーは少し体を屈めた。それに追い討ちをかけるように、体の横から脇腹に、叩きつけるような蹴りが入る。
「…ぐっ…」
また息が止まる。身を庇うように、自然と体が前屈みになる。3発目の有効打撃を確認し、審判がまたさっと手を挙げた。
「――勝負あった!」
同時に、アーロンは低い位置に来たスクラフィーのこめかみ目掛けて蹴りを放っていた。
審判の勝利宣言の瞬間、優勝者の体は吹き飛ばされていた。
巨体が土煙を上げて闘技場に倒れる。それを見ながら、審判は目を丸くして固まった。
その目がアーロンに向けられる。
「―――え?」
審判の表情に、アーロンは思わず間抜けな声を上げた。
それに続き、闘技場はまた大歓声に包まれた。
「すっごぉーーーい!!!」
キャリーが拍手をしながら興奮気味に叫んだ。そして隣のリンを振り返る。
「すごい、すごい、すごい!!アーロン、すごいね!」
キャリーにそう言われて、リンは闘技場を見つめたまま「うん」と応えた。その顔には嬉しそうな微笑みが広がる。
そんなリンの表情に、キャリーは意外そうに「驚かないんだ」と言った。
「アーロン、負ける心配全然してなかったもん」
「ふぅ~ん」
キャリーがからかうような笑みを浮かべる。
「かっこよかったねっ」
「うん」
リンはにっこりと微笑んで頷いた。
「…驚いた…」
不意にリンの隣でローラが独り言のように呟いた。その目は大きく見開かれている。
「別人みたい…。ほんとに今のアーロン…?」
ローラの言葉にクスッと笑みをこぼし、リンはまたその目を闘技場へと向けた。
「3発決まったら終りって聞いてませんでした?」
歓声の中審判に問いかけられ、アーロンは罰が悪そうに頭を掻いた。
「いや、聞いたかもしれないけど…すみません」
「トドメささなくても…」
「はい…すみません」
審判は闘技場の真ん中で伸びている男に目をやると、やれやれというように肩をすくめた。
そしてふっと笑みを漏らす。
「気持ち良かったですけどね。鮮やかでした。流石ですね」
審判の賛辞に、アーロンは照れ臭そうに沈黙した。
「充分、容赦ないですよ…!」
隣で独り言のように呟く兵士に、キースは苦笑で応じた。兵士が興奮気味にキースを振り返る。
「物凄い早業でしたね」
「そうだな」
「なんかいつもより凄味を増してました」
その言葉に、キースはおどけて「誰か殴りたい奴でも居るのかな」と言った。
兵士が楽しそうに笑った。
そんな彼から目を逸らし、キースの目は遠くの赤毛の男に向けられた。
「…殴りたいのは俺の方だ」
キースが口の中で呟いた声は小さくて、隣の兵士の耳には届かなかった。




