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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第四章
68/88

失ったはずの幻

「まぁ~!素敵ねぇ~!」


 王族席で、王妃フレデリカは歓声を上げていた。目の前に出てきた上級兵士の姿に思わず見惚れる。自分の夫とは全く違うタイプの、目の覚めるような美青年だった。


「彼がバーレン公爵推薦の兵士よ」


 いつの間にか立ち上がっていたグレイスが背後で説明する。王妃の座る椅子の背もたれに凭れかかるようにして、その目は真っ直ぐ彼を見詰めていた。


「あの子が…」


 王妃と娘の会話が聞こえたかのように、兵士の青い瞳が一瞬王族席へと向けられた。王妃はその視線に「まぁ!」と頬を染める。


「こっち見たわ」

「なに、喜んでるのよ…」

「だって、綺麗な顔なんだもの~!兵士とは思えないわね!」


 グレイスが呆れたようにため息を漏らした。


「…それだけじゃないわよ」


 グレイスの言葉を合図にするように、試合開始の声が響いた。



 通路の階段を駆け下りて、リンは観客席の最前列まで走った。

 闘技場と観客席を隔てる柵から乗り出すようにして、下を覗く。その場所でも闘技場からは高さがあり、距離がある。それでもキースの姿は、先ほどよりずっと近づいた。

 息を弾ませながら、その姿を目を見張って見つめる。リンの視線の先で、”キース隊長”が動いた。

 相手の剣先を冷静に避けながら、間合いを計る。彼の金色の髪がその動きに合わせるようにサラリと揺れた。


 ”最初の攻撃で、相手の力は大体分かるよ”


 遠い昔に聞いた、叔父の言葉が甦った。



 動きは速いけど、技は粗い。

 キースはやたらと剣を振り回す優勝者の攻撃を避けながら相手の力を冷静に判断した。

 自分の剣で剣先を受け止めて弾くと、その力の強さが分かる。当れば効果は高そうだが、当てられる気がしない。恐らく長くかかると、疲れて動きが悪くなるタイプだろう。

 待っていれば、楽に勝てる。

 あいつには使えない戦術だと、キースは内心苦笑した。

 アーロンも技より力で押す方だが、恐ろしく疲れ知らずなところが難点だ。

 

 不意に優勝者の足が鈍った。その瞬間キースの口元に浮かんだ笑みを嘲笑ととらえ「このやろうっ…」と唸りを上げる。

 だが立て直す間は与えなかった。

 動きが止まったその瞬間、一歩踏み出したキースの剣先が、彼の首筋を捉える。

 優勝者が目を見張って固まったその一瞬、闘技場は水を打ったように静まった。


「――勝負あった!」


 審判の声に、闘技場には割れんばかりの歓声が湧き起こった。



「――キース!!!」


 歓声の中、振り絞るように叫んだリンの声はかき消されていった。届くはずはない。それでも呼ばずにいられない。


「キース!!キース!!!」


 夢中で呼び続ける。何度も同じ名前を叫びながら、リンの目には涙が浮かんだ。

 間違いない。絶対に間違いない。

 今自分が居るのがローランド王国であることも、アリステアの騎士である彼がこんなところに居るはずないということも、目の前の彼が剣を振った瞬間に、何もかも吹き飛んだ。


「きみ、何をしてるんだ!」


 不意に最前列の柵から乗り出すようにしていたリンの腕が突然誰かに掴まれ、強引に引き剥がされた。

 現実に戻され、リンは目を見開いて固まった。

 リンの腕を掴んでいるのは、ローランドの兵士らしき男性だった。目が合った男は一瞬リンの涙を見て戸惑ったような顔を見せた。それでも気を取り直し注意する。


「ここは貴族席だ。通路でも一般客は立ち入っちゃいけないんだよ。戻りなさい」

「あ…」


 夢中で駆けて来てしまったが、入ってはいけない場所に来ていたらしい。リンは途方に暮れ、再び闘技場を見遣った。


「――リンちゃんっ…!」


 その時突然名前を呼ばれ、リンは弾かれたように振り返った。そこにはローラが立っていた。


「すみません。私の連れなんです」

「あぁ、ローラさん…」


 顔見知りらしく、兵士はローラの登場で空気を和らげた。リンを掴んでいた手が離れる。


「お疲れ様です」

「…どうも」

「リンちゃん、戻ろう?」


 ローラの声は届いているのに、リンの目はキースを求めて再び闘技場へ向いた。キースはゆっくりとその場を去るところだった。


「キース!!」


 叫びながら、また柵にすがりつく。ローラはそんなリンに駆け寄ると、その隣に立って「リンちゃん…」と呼びかけた。


「キース…行っちゃう…キースが…!!!」


 二度と会えないと思っていた人…。折角会えたのに…!

 溢れ出す想いが涙となって、次から次へとこぼれて落ちる。


「リンちゃん…キース様を知ってるの…?」


 その目に驚きの色を浮かべ、ローラは問いかけた。

 キースの姿が入場口へと消えていく。人々の歓声に送り出されるようにして。彼が視界から消えた瞬間、リンはその場に崩れるようにしゃがみこんだ。


「リンちゃん…!」


 その体をローラが支えた。


「リンちゃん、ねぇ、キース様を知ってるの??」


 キースの姿とともに、体中を支配していた激情も波がひくように消えて行く。

 やっとローラの問いを理解し、リンは黙って頷いた。その答えにローラは一瞬言葉を失った。

 ローラは今まで一度だってリンの口からキースの話を聞いた記憶は無かった。けれども今目の前で涙を零す彼女が、嘘をついているとはとても思えない。


「会いに、いく…?」


 ローラの問いかけに、リンは顔を上げた。目を見開いてローラを見詰める。その視線に応え、ローラは穏やかに微笑んだ。


「私、城の関係者だから控え室入れるよ?呼んで、来ようか…?」


 リンはしばらく目を見開いたままローラを見ていた。彼女の言葉を頭の中で反芻する。


「会えるんですか…?」

「会えるよ?ここに居るんだもの」


 言いながらローラは自分の足元を指差す。”ここ”というのは”闘技場”を意味しているようだった。

 その言葉に、リンはローラの両腕を掴んで縋りついた。


「お願いします…!会わせてください…!」



 王族席で去っていくキースの背中を見送りながら、王妃はほぉっとため息を漏らした。


「なにがどうなって勝ったのか分からないけど、あっという間だったわねぇ~…」

「首を切ったのよ」


 背後に立つ娘が説明してくれる。


「首に当たったら致命傷だもの。”勝負あった”になるの」

「首を切ったの?まぁ、いつの間に?」


 母の言葉にグレイスは苦笑した。剣をやっていない母に彼等の動きなど見えなくても仕方ない。


「あの子、後で呼び寄せようかしら。お話してみたいわ」


 王妃が楽しそうにそんなことを言っている。アルフォンス王子が隣から「優勝者が気の毒です。ただでさえ今影が薄くなってしまってますから」と口を挟む。

 グレイスはそんな2人の後ろで、密かに微笑を浮かべていた。



「この演武、やるべきじゃなかったんじゃない?」


 兵士達の席で自分の隊員と一緒に観戦しつつ、アーロンは正直な感想を述べた。

 先ほどまで英雄扱いで胸を張っていた優勝者が肩を落として去っていく姿は、あまりにも気の毒だ。彼の優勝は覆らないとはいえ、本人の気分も周りの印象も完全に覆っている気がする。


「ちょっと、あっけなかったですね。もうちょっと接戦になるかと思ったんですが」


 兵士が隣で言った。アーロンは苦々しい笑みを洩らす。


「動きは一番速かったけどね。あいつ目がいいから速さだけじゃ通用しないよ」

「凄いですねぇ…」


 兵士が惚れ惚れしつつ呟いた。そんな反応に、アーロンは肩を竦める。結局一番いいところを持って行っただけという予想通りの結果で、つまらないことこの上ない。

 次は体術の部が始まるらしい。

 剣術の部と違い、皮製の簡単な防具を身につけた選手達が現れる。そして当然武器は何も持っていない。

 体術の部はその名の通り、身ひとつで闘う決まりである。


「隊長も勝ってくださいね!」


 兵士が無邪気に言った。


「俺、あいつほど容赦無くできないなぁ…」


 アーロンの視線の先で、第1試合目が開始される。それをきっかけに、闘技場はまた熱気に満たされ始めた。



 演武を終えたキースは、控え室で防具を外し、制服に着替えていた。

 同じ部屋で試合を控えた体術の選手達が準備をしている。部屋は男達の生み出す独特の熱気に包まれていた。


「キース隊長!」


 兵士の声に、靴紐を結んでいたキースはその目を上げた。城の兵士がそこに立っている。


「ローラが、隊長に用事があるらしくって呼んでます」

「ローラが?」


 キースは靴紐を結び終えると、立ち上がった。そして兵士に向き直る。


「どこ?」

「あ、そこです。部屋出たところで」

「ありがとう」


 礼を言って彼の横を通り過ぎた。

 控え室の出口に向かいながら、キースは訝しく思っていた。

 仕事中にローラの呼び出しを受けたのは初めてだ。そうしなくてはならない程、急を要する用件なのだろうか。

 控え室を出ると、そのドアのすぐ横にローラが立っていた。キースの姿に「あっ…」と声を上げる。


「…呼んだ?」

「はい!すみません、お忙しいところ…」

「いいよ。役目は終わったから」


 キースの言葉にローラは安堵したようだった。表情を和らげ、用件を切りだす。


「あの、キース様に会いたいって言ってる子がいるんです。少し時間いいですか?」

「俺に…?」


 キースは怪訝な顔で問い返した。ローラは「はい」と頷いて応える。


「アーロンの…えっと、妹さんなんですけど」

「アーロンの??」


 意味が分からずまた問いかける。

 ローラは慌てて「あの、彼女はキース様のこと、知ってるみたいなんですけど…」と付け加えた。


「まさか。会ったこともないのに」

「そう、なんですか…?」


 ローラは困惑して口をつぐんだ。どうしたものか悩んでいるようだった。


「いいよ、会っても。どこに居るの?」


 キースの助け舟に、ローラはパッと顔を上げた。


「よかった!有難うございます!あの、外で待って貰ってるんで…」


 言いながらキースを先導して歩く。キースは導かれるまま、それについて歩いて行った。

 選手控え室に続く闘技場入り口は、兵士達が見張っていた。キースはローラとともにそこを出ながら「お疲れ」と声をかけた。


「お疲れ様です!!」


 上級兵士に対し、兵士達が即座に敬礼する。

 不意に前を行くローラが振り返ると、「あの子です」と言った。キースはその声に釣られ、ローラの視線の先へ目を向けた。

 キースの目に2人の少女の姿が映る。金色の髪の少女と、栗色の髪の少女。

 アーロンの妹ということで勝手に赤毛を想像していたキースは、思わず「どっち」と問いかけた。


「あ、右の子はキャリーで…」


 その瞬間、人の近づく気配に気付いた2人の少女が、同時にこちらを振り返った。

 彼の姿を見つけた金色の髪の少女が、その大きな目を見開いた。

 その瞬間、キースの息が止まった。


―――姉さん…?!


 そこには、姉が立っていた。

 目を疑うその姿に、足が硬直する。それは幼い頃の遠い記憶と寸分違わぬ鮮明な幻だった。


「――キース…!!!」


 記憶のままの声で、少女が自分の名を呼ぶ。そして駆け寄って来る。

 クセの無い金色の長い髪。透き通るような白い肌。そして…。


 翡翠の色――。


 その瞬間、キースの頭に何かが弾けた。霞がかった幻は、突如はっきりと像を結ぶ。涙混じりの声とともに。


「キース!!」


 確かな温もりが胸に飛び込んできた。

 その体を抱きとめながらも、キースの青い瞳は凍りついたままだった。胸に頬を寄せ、少女が自分に縋る。


「キース…ほんとに、ほんとに、キースだ…。もう会えないと思ってた…。一生会えないと思ってたよ…」


 その姿をキースはしばらくただ見つめていた。時が止まったかのように。

 そしてやがて、目を見開いたまま、ゆっくりと口を開く。


「…リン…ティア…?」


 信じられない想いでその名を呟いた。遠い昔に失ったと思っていた、少女の名前を。

 少女が顔を上げた。その顔が記憶の中の幼かった姪っ子の面影と重なる。

 記憶の中の少女よりも、背が高い。ずっと大人びて、かつてのあどけなさはどこにも無い。

 けれども、その綺麗な瞳の色は、記憶のまま何も変わらない。


「リンティア…?」


 キースは再び、問いかけた。腕の中の少女がこくりと頷いた。


「うん…」


 少し離れた所で、ローラとキャリーが呆然と2人を見ている。全くの他人だと思っていた2人が抱き合っている。信じられない光景に、言葉も出なかった。


「何故…だってきみは…」


 キースは動揺を露わに、たどたどしく問いかけた。頭が混乱し、自分でも何を言っているのか分からない。

 処刑されたはずだった。

 あの日。姉が命を断った、あの日に――。

 何故、生きているのか。

 何故、ここに居るのか。

 キースは目を見開いたまま、リンの顔を見つめていた。


「ゴンドールに、連れて行かれたの…」


 リンが小さく囁いた。


「…ゴンドール…?」


 リンが頷く。その目からまた涙が零れる。


「国王陛下を怒らせて、私…。私のせいで、お母様が…」


 リンの言葉を遮るように、キースはとっさに彼女を腕の中に抱き込んだ。リンが震えながら嗚咽を漏らす。


「ごめんなさい、キース…ごめんなさい…」

「謝らなくていい…。リンティアは何もしてない。ちゃんと、知ってるよ」


 その言葉で堰を切ったように、リンは声をあげて泣いた。

 忘れかけていた怒りがまた体中を支配する。処刑されたという事実しか聞いていなかった。その方法など知りたくもなかった。


 ”ゴンドールに、連れて行かれたの”


 その言葉の意味を理解して、キースの胸にはどうしようもない苦しさが渦巻いた。

 アリステア国王は12歳の少女を1人ゴンドールに置き去りにしたということなのか。

 どれだけ怖かっただろう。たった1人で…。

 それを知った姉は、どれだけ苦しんで――。

 胸の痛みを振り切るように、キースは再びリンをきつく抱きしめた。


―――生きていたよ、姉さん…。


―――生きていてくれた…。


 知らせたかった。知っていて欲しかった。


「良かった、リンティア…」


 金色の髪を撫でながら、キースは囁いた。


「本当に良かった…」


 ◆


 闘技場で試合を見ながら、アーロンはふと周りを見回した。そして隣の兵士に目を止める。


「キース、戻ってこないな」

「…そうですね」


 兵士は首を傾げると「帰られたかな?」と呟く。


「嘘っ!そんなの、ありなの?!」


 目を丸くするアーロンに、兵士は「いや、流石にそれはないですよね」と慌てて言った。

 あいつなら役目は終わったと言って本当に帰りそうだ。そんなことを思いつつ、アーロンは立ち上がった。


「控え室行って来る。俺もそろそろ準備しないとな」

「はい。頑張って下さい」


 アーロンは席を離れると、選手控え室へ向かうため、闘技場の出口へと歩き始めた。

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