変わりゆく国
アリステア王国、王都カーデロイの中心部に位置する白く巨大なアリステア王城は、今日も日の光の中美しくそびえ立っていた。
ジークフリード国王が即位してから3年近い年月が流れている。けれども国民はその長い年月の間、ほとんど国王の姿を見ていない。戴冠式で人々の前に出て以来、正妃を迎えた時にも姿を見せず、ただ結婚の事実が伝えられただけだった。
その後国王の妃達に御子誕生の吉報はまだ無いが、一見いつもと変わらない平和な日々が続いている。
けれども国民の心の奥には、少しずつ不安の種が生まれ始めていた。
「跡継ぎはお生まれになってないのかね…」
「生まれたら国民に知らされないわけないだろ」
「だよねぇ」
「税金が上がるなんて噂もあるしね…」
「あぁ、それね。本当かな。ただの噂じゃないかねぇ。別に増やす理由もないだろうに」
そんな話をしながら人々はまた城を仰ぎ見る。
国の平和の象徴であるアリステア王城は何も変わらず、今日も国民を見下ろしていた。
議会の場に、いつものように国王の姿は無かった。
即位直後から、彼は一度も議会に出ておらず、もちろん政務も執り行っていない。すでに名前だけとなった国王に関して、皇太后カーラはもう何も問うことをしなくなった。
「カーラ様」
実質の王として玉座に座っている皇太后とともに、今日も宰相は議会を始めるべく口火を切った。
「国王陛下に関してなのですが…。先日、ご側室様を1人処刑処分となさいました。その理由に関して、我々は何も伺っておりませんが…」
「いやな話」
カーラは眉を顰め、やれやれとため息をついた。
「私が知るわけないでしょう?何かあの子の気に障ることでもしたんじゃないの?」
宰相は顔を曇らせながら、議会の場を見回した。その場に出ている全員が同じようになんとも言えない暗い顔をしていた。
相変わらず国王と皇太后の距離は開いたままであることが伺える。宰相はまたカーラに目を戻すと、ためらいつつ言葉を続けた。
「処刑されたのは伯爵家の令嬢でした。親である伯爵にはまだ伝えておりません。理由が分からないままでは、どう説明すればいいか分かりません。伯爵も納得されないことでしょう」
「知らないと言っているのよ。処刑したのはあの子なのでしょう?あの子に聞けばいいじゃないの。それができないなら適当な罪状を伝えておきなさい」
取り付く島もない言葉に宰相は、それ以上何も言えず目を伏せた。
国王への信頼の証として我が子を差し出した伯爵の身になると、とても”適当な罪状”など伝えられない。
カーラは「そんなことより」と言って話を変えた。
”そんなこと”として処刑の事実を流されたことに驚きつつも、宰相は何も言えずにカーラの言葉を聞くしかなかった。
「増税の件は、どうなっているの?」
「…その件は」
宰相は言葉を濁した。
カーラの一方的な意見で決まった増税だが、実際はまだ実行されていない。それより国費の浪費を抑えるのが一番の策であると、誰もが感じているからである。
けれども国王に進言できる者はいまや誰も居ない。彼の怒りに触れた者は、容赦なく切り捨てられると分かっているからだ。
だからこそ母親であるカーラに動いて欲しいのだが、彼女にその気は無い。
カーラは困ったように口を閉ざした宰相に、「直ちに国民に伝えなさい。もうすぐ納税の時期よ。間に合わないと困るわ」と、また一方的に指示を出した。
「それから、あの鉱物の正体はわかったの?」
カーラはふと思い出したように、話を変えた。
「鉱物…あぁ…」
宰相は曖昧に応えながら、その目を将軍に向ける。将軍はすっと立ち上がった。
「例の王都で売られているナイフの件でしょうか」
「そうよ。何で作られているのか分からないという話だったわ」
将軍は静かに頷いた。
ナイフというのは、最近アリステア国内、主に王都で売られている不思議なナイフのことだった。
鈍い金色の刃を持つそのナイフは、驚くほどの切れ味だが素材となる鉱物の正体がつかめない。最初にそのナイフの存在を報告したのは騎士の中の1人だった。
やがてカーラの手まで届けられ、”これが何からできているのか調べなさい”という言葉を受け、騎士が動いて調査した結果、現在に至る。
将軍は「騎士隊長の報告によりますと」と前置きをして話を続けた。
「どうもアリステアに存在しない鉱物である可能性が高いようです。誰もその正体が分かりませんでした。ただそれを売っているのが流れの商人であるということはつきとめましたので、今はその商人を探しております」
「そう」
カーラは短く応えた。
「では、その商人の身柄を拘束したら、私のもとへ連れてきなさい」
「かしこまりました」
将軍は一礼するとまた腰を下ろした。
その頃ジークフリード国王は、自室で1人窓の外を眺めていた。最近はそうして1人になることが多くなっていた。
誰を抱いても結局満たされない。一瞬紛らわせることができるだけだった。
つい最近は、”私をアイリスと呼ばないでください!”と文句を言った女が居て、夢から引き戻された。
気がついたら切り捨てていた。愚かな女だった。
アイリスのような女は、結局どこにも居ない。
彼の目に映る青い空は、最愛の妃を思い起こさせる。
―――俺の、妃…俺の…。
確かに自分のものにした姫。
母がリンティア姫の処刑のことさえ公にしなければ、今も隣にいたはずの人。
妃にするのが、遅かった。アイリスが15歳で城へ来たあの時、妻に迎えたのが父ではなく、自分であれば…。
何度も同じ後悔を繰り返す。
「アイリス…アイリス…」
そして同じ名前を繰り返す。
凍りついたように固まったその瞳は、すでに何も映していなかった。
アリステア近衛騎士隊の隊員達は、いつもと変わりなく城の裏庭で訓練を行っていた。
近衛騎士隊の隊員クレオは、剣の手を止めるとふぅっと吐息を洩らした。相手をしていた騎士サーズも同じように手を止める。
なんとなく自然と休憩に入った。
「やる気が出ないな」
不意にクレオがぼやいた。まだ騎士になりたてのサーズはその言葉に首を傾げた。
「なぜですか?」
「いや、こうも国王が動かない国で近衛騎士隊に所属していても、意味が無い気がしてな。現国王が即位してから、領地視察は一度も行われていない。
かつて王国主催で行われていた建国祭も行われなくなって、ほとんど顔を見る機会が無い。一体国王は何してるんだろうな」
サーズは何も言えずに目を伏せる。
彼が騎士見習いとして入隊したときは、まだヨーゼフ国王が統治していたのだ。彼にしてみても、今の変化は予定外だったことだろう。
サーズのクルクルと巻いた金色の巻き毛を見ながら、クレオはふと遠い昔に去った騎士のことを思い出した。
端正な顔立ちで侍女達を魅了し、剣の腕で騎士達を魅了した。
国を捨て去った男――。今頃、ローランドで何をしているのか…。
クレオは彼の青い瞳を思わせる澄み切った空を、少しの間黙って見上げていた。
◆
その頃、遠い海の向こう、ローランド王国はお祭り騒ぎだった。
ローランド王城でその日、第二王子ユリアンの婚儀が行われ、その祝福のための祭が王都で開かれたためだった。
婚儀は昼に終了し、王城のバルコニーに姿を見せた王子と王子妃に国民はこぞって手を振った。そして王都の中心部では、その後”祝いの宴”として盛大に祭りが開催された。
各商店は屋台を出し、昼から飲んで騒ぐ国民達を相手に食べ物をふるまう。夜になるにつれてその盛り上がりは加速する一方だった。
「こら、この道に馬車を通すなって言っただろ!!」
屋台の並ぶ石畳の道に入ってきた馬車を見て、アーロンは声を上げた。
兵士達が慌てて馬車に駆け寄り、操縦士に迂回を指示する。操縦士は渋々方向転換し、商店街を出て行った。
「すみませんでしたっ!」
兵士がアーロンに頭を下げる。
アーロンはその兵士のもとへ駆け寄りつつ「この先、今誰も立ってないの?」と問いかけた。
「そんなはず、ないんですけど…」
「確認して来て」
「――はいっ」
兵士が慌てて走り去る。アーロンはやれやれとため息をつくと、周りの盛り上がりを見回した。
例によってこういう祭りの時には警備兵が派遣される。今回もそんなつまらない役目をおおせつかっている。
「アーロン!」
背後から声をかけられて、アーロンは振り返った。普段着のローラと、妹のキャリーが並んで立っていた。
「お疲れ様。遊びに来ちゃった」
仕事の後に姉妹で祭に来たらしい。
「いいね、俺は警備だから遊べないよ」
アーロンが疲れた笑みを洩らすと、キャリーがすかさず「うん、リンが言ってた!」と返す。
「…あ、そう」
アーロンはつとめて冷静に応えた。
キャリーは意味深な笑みを浮かべつつアーロンの顔を覗き込んでくる。
「今日も誘ったんだけど、アーロンが仕事してるところで遊んでるの悪いから、家でご飯作って待ってるって言ってたよ!」
「あ、そう」
しつこくアーロンの反応を窺うキャリーの隣で、ローラはクスクスと笑っていた。
「俺、仕事中なんだから邪魔しないように。遊んできなさい」
アーロンがキャリーに対してそう言うと、ローラも「そうよキャリー」と助け舟を出してくれた。
「ごめんなさい。もう、行くわね」
そう言ったローラの言葉を無視して、キャリーが「キースはどこ?」と聞いた。意外な名前にアーロンは眉を上げる。
「キース?」
「あ、キース様のことなの」
ローラが説明した。
「前に一度だけ会ったことがあるのよね。私が今日、居るかもしれないよ、なんて言ったから。キース様は警備してないの?」
「あいつは城内だよ」
アーロンの答えに、キャリーは「なんだぁ」と残念そうな声を上げた。
「キャリー、ほんとにもう行くわよ」
ローラがキャリーの腕を掴むと、そう言った。そしてアーロンを見るとにっこり微笑んだ。
「それじゃ、頑張って。リンちゃんによろしくね」
「うん」
2人はアーロンに手を振ると、並んで去っていった。
その背中を見送りながら、アーロンはほんの1ヶ月前のことを思い出していた。
ローラの家で預かっていてもらったリンをまた家に戻すために、アーロンはローラに結局全てを話した。
自分達が兄妹ではないこと。リンが学校を出たら、結婚したいと思っていること。それまで離れて暮らそうと思っていたけど、でもやっぱり一緒に暮らしたいと思っていること。
ローラはとても驚いていたけれど、それでも”なんだか納得…!”と言って受け入れてくれた。
そしてその後、リンは家に戻ってきた。
暖かい笑顔で迎えてもらえる毎日が戻ってきた。幸せに満たされた日々…。
”アーロンが仕事してるところで遊んでるの悪いから、家でご飯作って待ってるって言ってたよ”
「早く帰りてぇ~!!」
思わずそう声を上げたアーロンに、1人の男が「隊長さん?」と言いながら近づいてきた。
「…はい?」
「うちの屋台出す場所で、誰か勝手に商売やってんだよ。なんとか言ってやって!」
また仕事が来た。
アーロンはやれやれとため息をつくと、「どこですか」と言いながらその男について歩いた。
王子の結婚の祝宴が開かれる頃、城内には入れ代わり立ち代わり貴族の馬車が入ってきた。
当主達が礼服に身を包んで現れる。そして城に入る前に兵士による身体検査を受け、1人また1人と中へ誘導されて行く。城はにわかに活気付いた。
そんな中、目立って立派な馬車が城内の前庭に入ってきた。バーレン公爵家の馬車である。
結婚相手であるバーレン家から今更やってくる人物は誰だろうかと皆の注目を浴びる中、馬車から若い青年が降りる。その姿を見て、貴族達は”あぁ”と納得したように目を逸らした。
同じように真っ黒な礼服を身につけた彼は、バーレン家公子、カイルだった。
彼が一度グレイス王女と婚約したにも関わらず、王の怒りを買って破談となった事実はすでに貴族達の誰もが知っている。その原因までは、公になってはいないが。
今日の結婚式の親族でありながら、式への参加を許されなかったのだろうか。
”お気の毒に”と思いつつ、関わりを避けるかのように貴族達は彼から距離をとっていた。
自分を盗み見る貴族達の視線に、カイルは苛立っていた。その目が何を語っているのか、容易に想像できる。
本来ならすでに婚儀から参列しているはずの自分が今更現れたのだから仕方ないのかもしれないが、別に国王に「来るな」と言われたわけではなく、父が「婚儀は、遠慮しなさい」と言っただけなのだ。
父はジュリアの婚約が破談にならなかったことで、国王に深く感謝をしていた。
けれどもその気持ちに甘えてはならないということで、カイルを婚儀から遠ざけることで反省の意を示したのだ。
自分をちらちら見つつ、挨拶もせずに逃げるように離れていく貴族達を見ながら、カイルは全員にいちいち説明して周りたい気持ちでいっぱいになった。
カイルは兵士の身体検査を受け、大広間に入った。
祝宴はすでに始まっている。歓談で賑わう中、カイルはその目を広間の一番奥へと向けた。
一段高いその場所には立派な椅子が並べられ、前列はユリアン王子とジュリア、そしてそれを挟むように王と王妃の席がある。
しかし国王の姿は無い。
後列にはグレイス王女とアルフォンス王子、そしてその妃の椅子が並んでいる。
グレイスの姿は前列の椅子の陰になっていてよく見えない。カイルは複雑な想いで、その目を伏せた。
「お父様、戻ってこないわね」
王族席のグレイスは訝しげにそう呟いた。婚儀に出ていたはずのアルベルトは、祝宴には姿を見せていない。
普段あまり人前に顔を出さないが、さすがに今日は出てくる予定だったのだが。
兄であるアルフォンスは苦笑すると、「例の行方不明のレストン公爵夫人の件で、なんか新しい動きがあったみたいだね」と答えた。
「なるほどね…」
グレイスは納得して頷いた。どうやら父は近衛騎士隊長としての仕事に行ってしまったらしい。
「アルフォンス」
ふと前の席から王妃フレデリカが声をかけた。アルフォンスは「はい」と言って立ち上がる。
「あなた、前に座って頂戴。あの人もう戻ってこないから」
グレイスとアルフォンスは思わず目を見合わせて苦笑した。
アルフォンスは「はい」と応えて前の席へ移動する。国王不在の代理となるのはいつものことである。当然、王妃も慣れているので何も言わない。
「グレイス、カイルが来たよ」
不意に前に座っていたユリアンが後ろのグレイスを覗くよう振り返りながら言った。
グレイスはその場ですっと立ち上がった。だいぶ遠いが、確かに入り口付近にカイルの姿がある。
「呼んでくるわ」
王妃が驚いたように顔を上げる。
「わざわざ呼びに行くの?」
招待客は全員自分から挨拶に来ているというのに。グレイスは母の反応に微笑した。
「婚儀を遠慮したんだもの。自分から来づらいでしょ?連れて来るから、快く迎えてあげて」
「……努力するわ」
王妃は険しい表情を浮かべたが、一応そう答えた。
婚約が破談になって、一番悲しんだのは彼女だったに違いない。カイルの不貞行為に裏切られたような気持ちになったことだろう。例の麻薬の件とその事件が絡んでいたことなど、彼女は未だ夫から何も聞いていないのだ。
ユリアンの隣のジュリアが伺うように王妃とグレイスを見ている。
グレイスは苦笑しつつ、ドレスの裾を揺らしながら優雅に広間を歩いていった。
自分に近づいてくるグレイスの姿を認め、カイルは硬直した。
周りの貴族達も王女が動いたことに気付き、慌てて頭を下げたり、話しかけたりしている。
グレイスはそれらを軽くかわしつつ、真っ直ぐカイルのもとへ歩いてきた。
真っ黒な長い髪は、今日は結い上げられ飾り付けられている。胸の空いた美しいドレス。その胸を飾る豪華な首飾り。そんな格好をしている彼女を見たのは、初めてだった。
グレイスはカイルのもとへ辿り着くと、かつてと変わらない穏やかな微笑みを浮かべた。
「お久し振り」
「…どうも」
頭の先から足の先まで、思わずまじまじと見てしまう。そんなカイルの視線にグレイスはちょっと笑った。
「こんな格好してると、ちゃんと王族に見えるでしょ」
冗談混じりに問いかけるグレイスに、カイルは何も言えなかった。ただじっと目の前のグレイスを見つめていた。
「ジュリアはあっちよ。行きましょう」
グレイスの誘いにカイルは「いや、いいよ」ととっさに断る。
「お姉さんにお祝い言ってあげて」
「でも…」
なおもためらうカイルに、グレイスはふっと笑みを浮かべた。
「もう過去のことなんて、皆忘れてるから。今、お父様はレストン家のことで頭いっぱいだし」
カイルは少しの間黙ってグレイスを見ていた。何も言わないカイルに、グレイスが不思議そうに小首を傾げる。
「…ほんとに忘れてんの?」
不意に問いかけたカイルの言葉に、グレイスは「えぇ」と答えた。
「…じゃ、結婚するか」
カイルがぽつりと呟いた。
グレイスが目を丸くする。相変わらず無表情のカイルを少しの間眺めていたが、やがてぷっと吹き出した。
「なんだよ」
「ううん。変わってないわね」
グレイスは嬉しそうにそう言った。
そして「さ、行きましょう」とカイルの背を押して誘導する。カイルはそれに従って歩き出した。
「次の結婚相手…決まってんの?」
「残念ながら、全然。このまま、売れ残るんじゃないかしら」
おどけたようにグレイスが答える。
カイルは無表情のまま、「ふぅん…」と呟いた。
カイルがグレイスに連れられて王族のもとへ行くのを遠くで見ながら、バーレン公爵は穏やかな微笑みを浮かべていた。
周りの貴族達も皆その様子を見ている。
そうして人前でわざわざ呼びに行くことで、”王族の怒りを買った”と言われている息子の汚名を晴らしてくれているのだろう。
公爵の胸の中には改めて、王女への感謝の気持ちが広がっていた。
◆
城へ入る招待客が落ち着き、前庭はまた静けさを取り戻した。仕事が落ちついた兵士達は、隊長であるキースのもとへ集まっていた。
「若いのはこれで終わりだ。今日はもう帰っていい。祝宴後にまた迎えの馬車が押しかけるだろうから、その誘導のために数人残ってくれ」
年長者の兵士が代表して「はい!」と応える。そして振り返ると、「じゃ、お前等は終わりで…」と指示をし始める。
キースはふと城へ目を向けた。
祝宴は盛り上がっているようだ。楽しそうな音楽が微かに聞こえてくる。
グレイスも、今頃そこに居るのだろう。そんなことを考えながら、ふっと微笑した。
広間など、城の内部の警備は騎士の仕事となっている。自分はこれ以上中に入ることはできない。
こんな時は、嫌でも彼女との距離を実感せざるを得ない。最後に会ったのは、もう3ヶ月以上前だった。
それでもあの日、あの夜、腕に抱いた記憶は全く色褪せることがない。
恐らく、永遠に――。
「キース!」
突然名前を呼ばれてキースは我に返った。声の主を確かめて目を見張る。そこには馬に跨った近衛騎士隊長アルベルトが居た。彼の後ろには、騎士が2人付いている。
「はい」
「ここは隊員に任せて、お前は若いの何人か連れてバスティーの森に来い!どうもアンジェリーナはそこに埋まってるらしい。今から確かめに行くぞ!」
兵士達が思わず顔をしかめる。
「分かりました」
「アーロンはどこだ」
「王都で祭の警備中です」
「連れて来い!」
アルベルトはそれだけ言うと、キースの返事も聞かずに馬を走らせた。
レストン家の事件に関してはあの後近衛騎士隊が動いていたはずだが、最終的にまた自分達に手柄を分けてくれるらしい。
キースは隊長の背中を見送ると、兵士達を振り返った。
「聞いたとおりだ。悪いな、まだ帰してやれないらしい」
突然、警備から連れ出され、夜の森に向かわされ、アーロンとキースの隊員達は、気の毒なことに延々土堀りをやらされた。
アルベルトとアーロンとキースは黙ってそれを眺めている。
「レストン公爵が認めましたか」
キースの質問にアルベルトは「いや、本人からの情報じゃない」と答えた。
「アンジェリーナに関しては、人を雇ったらしい。そいつをつきとめて、吐かせた。レストン家の執事とその男が会っているところを見た者が居るから、
死体が出れば、レストンの罪状がまた増える」
「すげぇ」
アーロンは思わず呟いた。近衛騎士隊の調査の迅速さに舌を巻く。
「俺を甘く見たことを、後悔させてやるさ」
そう呟いて笑みを浮かべた近衛騎士隊長の精悍な顔は、よりいっそう凄みを増して見えた。
予定外の仕事が入ったせいで、アーロンが家に辿りついた時はもう夜中だった。
兵士達の頑張りで無事”目的の物”は見つかった。けれども流石にリンは寝ているだろう。折角”待ってる”と言っていてくれたのに、悪いことをした。
アーロンは音を立てないよう気をつけつつ、部屋に入った。
そして居間のランプにまだ明かりが灯っていることに気付き、目を丸くする。まさかこんな時間まで自分を待っていてくれたのだろうか。
「リン…?」
居間に入りながらリンの姿を探すが見当たらない。
やはり先に寝たかと思いつつ歩き、ふと長椅子に目を向けて足を止めた。そしてそれに近寄り、覗き込む。
アーロンは思わず顔を綻ばせた。
そこにはリンが小さくなって眠っていた。手には本を持っている。待っていたけど、力尽きて眠ってしまったのだろう。
「ごめんな…」
アーロンは眠っているリンに小さな声で語りかけた。無邪気な寝顔をぼんやりと眺める。それだけで、一日の疲れが消えていくような気がする。
「おっと…」
眺めている場合じゃなかったと我に返る。
とりあえずベッドに連れて行こうと、リンの側に行き、その体の下に腕を入れて抱き上げた。
その瞬間、リンが薄っすら目を開けた。
「あ…」
起こしてしまった。アーロンは思わず固まった。
けれどもアーロンを見たリンの目は、またゆっくり閉じられた。そしてアーロンの胸に頭を預け、再び規則的な寝息をたて始める。
腕の中のリンを見ながらアーロンは、はぁっと吐息を漏らした。
「ほんと可愛いね、お前は…」
誰も聞いてない独り言を呟きつつ、アーロンは大事な恋人を寝室へと連れて行った。




