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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
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久し振りの逢瀬

 フロンス伯爵家の執事と会ってから2ヵ月余りが過ぎたある日、アーロンのもとに一通の手紙が届いた。

 差出人の名は無かったが、それがあの執事から送られたものであることはすぐに分かった。自分に手紙を送ってくる者など他に心当たりが無い。手紙の内容はやはり例の麻薬のことだった。

 レストン家の船で各都市へと運ばれるらしい。その予定の日時が記されている。

 アーロンは仕事場にそれを携えていくと、バッシュ上級兵隊長に渡した。


「以前、グレイス王女から依頼された件に関しての情報です。これを王女の手に渡るようにして欲しんですが」


 バッシュは「まだ続いてたのか」と言いながら、それを受け取った。



 やがて手紙は騎士へと渡り、その後女官の手を通じてグレイスのもとへと届けられた。それを確認したグレイスは早速手紙を手に、父のもとへと急いだ。近衛騎士隊を相手に訓練中だった父を呼び出し、それを渡す。


「なるほど」


 アルベルトは手紙を見ると、不敵な笑みを浮かべた。


「地方に運んで撒いてるわけか。何に使うか知らんが、さぞかしいい金になるんだろうな」

「騎士を動かして。できれば、アーロンとキースの隊も使ってあげて欲しいわ。もとはと言えば、彼等の功績だもの」


 娘の訴えに、アルベルトは「分かった」と短く応えた。疲れの滲む溜息を洩らし、その手紙をくしゃっと丸める。


「俺も出るかな。相手は公爵だからな」



 近衛騎士隊長からの要請は、すぐにアーロンとキースに伝えられた。近衛騎士隊は大抵騎士だけで動くので、その依頼は予想外のもので、バッシュも信じられない様子で2人を交互に指さした。


「お前達をご指名だってよ」


 アーロンとキースは黙って目を合わせた。


「隊員を10人ずつくらい連れて、10日、朝一で前庭に集合とのことだ」

「はい」


 2人の返事を確認すると、バッシュは「頑張れよ」と言って去って行った。


「グレイスかな」


 彼女が自分達を呼ぶようにと、近衛隊長に言ってくれたのかもしれない。

 アーロンの短い呟きの意味を理解し、キースは「たぶんな」とこちらも短く応えた。

 どこか遠い目をするキースの横顔に複雑な心情が映る。アーロンはそれを見ながら、以前聞いたローラの話を思い出していた。


 ”好きな人、居るんだってね”


 彼女はさっぱり笑顔でそう言った。


―――

――――――


「あいつが、そう言ったの?」


 思わず問いかけたアーロンに、ローラは「うん」と応えた。


「前に話があるって言われて2人で話したの」

「…そうか」


 それ以上何も言えなかった。励ますような言葉も、慰めるような言葉も要らない気がする。ただの報告として伝えたくれたのだろうから。


「アーロン、知ってた?」


 ローラは少し躊躇いを見せながら問いかけた。アーロンは一瞬迷ったが、「薄々」とだけ答えた。

 実際キースの口からはっきり聞いたことは一度も無い。それでも何も感じていなかったわけでもない。


「その人、会ったことある…?」

「うん」


 嘘もつけずに頷くと、ローラは一瞬口を閉ざした。そして目を伏せる。


「素敵な人なんだろうね…」


 独り言のように小さく呟いたローラの言葉に、アーロンは何も応えることができなかった。


 ◆


 その頃、リンは学校で休憩時間を友人達と歓談しながら過ごしていた。

 女の子だけで集まって盛り上がるその時間は、学校での楽しみのひとつだ。不意にパティが「10日ってリンの誕生日じゃない?」と話を振った。リンは驚きながら「うん!」と頷く。


「すごい、パティ!覚えててくれたんだ」

「いやぁ、実は…」


 パティは罰が悪そうに笑った。


「ルイが言ってたんだよね。こう言うのもなんだけど」


 リンが一瞬ハッとしたように口を閉ざす。パティは慌てて「あ、でも別に大丈夫だから!」と言った。


「あいつ流石にもう諦めてるし。リンは恋人と仲良くやってるって言ってあるから」


 パティの言葉に周りに居たシーラとキャリーが「えぇ!!」と声を上げた。リンは再び硬直する。パティも自分の迂闊な発言に気付き、手遅れながら固まった。


「リン、恋人居るの?!」

「”好きな人”とうまくいったの??」


 シーラとキャリーに興味津々で詰め寄られ、リンは答えられずに眉を下げる。

 パティは複雑な笑みを浮かべつつ、「あ~…あははは」とわざとらしい笑い方をした。そして困り果てるリンの肩に、ぽんっと手を置くと、吹っ切れたように言う。


「でも、もう良くない?そろそろ話しても!」

「えっ…」


 何を言い出すのだろう。期待を込めてリンを見るシーラとキャリーの視線を感じながら、リンはどうしていいのか分からず固まった。突然話せと言われても、そう簡単に口にできることでもない。

 爆弾を投下した当の本人であるパティは、そんなリンの心中を察したらしく、うんうんと頷いた。


「まぁ、いきなり今日ここでっていうのは、難しいね」


 そしてリンに詰め寄る2人に目を向ける。


「じゃぁ、リンの誕生日はうちに泊まりに来ない??お誕生日会をしながら、夜通しお話しよう!!」


 パティの提案に2人は「楽しそう!!」と歓声を上げた。リンは目の前で勝手に進む話についていけずに、ただ目を丸くしていた。


 ◆


 翌日、リンの学校はお休みだった。そしてアーロンも休暇を取っていた。

 2人の休みが重なることはめったになく、別々に暮らし始めてからは初めてのことだった。

 空は2人の逢瀬を後押しするように晴れている。

 そんな暖かい朝の光に包まれながら、アーロンは公園の長椅子でリンを待っていた。


 やがて遠くから走ってくる少女の姿が目に入った。スタイルのいい綺麗な子が現れたと思って何気なく見ていたら、それがリンだった。アーロンは驚いて、目を凝らした。

 リンはいつもと雰囲気の違う動きやすそうな格好をしている。ベージュ色の丈の長い長袖の服は腰に緩くベルトが巻いてあり、下はズボンで、編み上げのブーツを履いている。長い金色の髪は首の後ろでひとつに束ねられていた。

 ちょっと新鮮なその恰好は、文句無しに彼女に似合っている。


 リンが自分に気付いたのを確認しアーロンが長椅子から立ち上がると、真っ直ぐ走ってきたリンはいつものように腕の中に飛び込んできた。


「久し振り!!」


 アーロンはその体を抱き締めながら、頬を緩ませた。


「うん」


 腕の中で自分を振り仰いだリンと見詰め合う。その上目遣いが可愛らしすぎて、正視出来ない。

 アーロンは目を逸らすと、リンの服を眺める振りをしてみた。


「…こんな服持ってた?」

「この前のお休みの時、お小遣いで買ったの。今日は馬乗って遠乗り行こうって言ってたでしょ?」

「そっか」

「おかしい?」

「ううん、似合ってる」


 アーロンの言葉にリンはほっとしたように微笑んだ。

 今日の格好はリンの長い手足が強調されて、なんだかいつもより大人びて見える。離れている間に、どんどん成長してしまっているかのような錯覚に陥る。

 たぶん気のせいなんだろうけど…。



 その後馬を2頭借りに行き、1頭をリンに渡した。


「馬、乗れるんだっけ?」


 今更な問いかけをする。思えばローランドに来てから普段は馬が必要ないので、全然乗っていなかった。


「乗れるよぉ」


 リンは心外だというようにそう言うと、馬の首に触れる。そして軽く叩いた。

 馬はぶるるっと鼻を鳴らすと、すっと膝を折ってその場に座った。アーロンは驚きに目を丸くする。まさか馬の方から身を屈めるとは思わなかった。

 馬はリンが背中に乗ったのを確認すると、それを待っていたようにまたすっと立ち上がった。

 呆然と自分を見つめるアーロンの視線に気付き、リンが不思議そうに首を傾げる。


「どうしたの?」

「そういう馬の乗りかた初めて見た」


 アーロンの言葉にリンは一瞬固まり、戸惑ったように目を伏せた。


「そうなんだ…」

「うん、すごいな。借りた馬なのに、もう心開いてる」


 アーロンは感心しつつ自分も馬に跨った。手綱を引き、進行方向へ馬首を向ける。


「湖の方、行ってみようか」


 リンは目を伏せたまま、「うん…」と応えた。



 豊かな緑を眺めながら、風を切って広野を駆け抜ける。

 王都を離れて遠出することはめったになく、アーロンは遮るもののないその景色に心が洗われる気分だった。

 リンの金色の髪が背中で揺れて光っている。陽光を跳ね返し、それは眩しいほどに輝いて彼女を彩っていた。


 やがて広い湖に辿り着き、2人は馬を降りた。馬を木に繋ぎ、湖に向かい並んで腰を下ろす。

 他に誰も居ない2人きりの静かな場所。そんな時間を過ごすのは久し振りだった。


「もうすぐ、誕生日だよな」


 アーロンが湖を眺めながら呟く。リンはアーロンを振り返り「うん」と答えた。


「でも、アーロンお休みじゃないよね…」

「…うん」


 どこか寂しげに呟いたリンに対してそう答えるのは躊躇われた。それでも丁度その日に、どうしても外せない任務がある。


「近衛騎士隊長に呼ばれて仕事に出るんだ。一日がかりになるかもしれない…」

「そっか」


 リンは落胆を隠すように微笑むと「すごいね。近衛騎士隊長に呼ばれるって」と言った。


「ごめんな。次に会った時に、お祝いしような。何が欲しいか、考えておいて」

「お祝いしてもらえるだけで、充分だよ」


 そう言って微笑んだリンの笑顔に、アーロンは思わず目を奪われた。

 日毎綺麗になる少女。会えない時間が、なおさらそれを実感させているのかもしれない。

 髪を束ねているせいで覗く白い首筋が艶めかしく映る。唐突に湧き上がる邪心を浄化すべく、アーロンは慌てて湖に目を戻した。


「アーロン…」


 リンの呼びかけに「なに?」と応える。


「私のこと、気味悪くない?」


 意外な問いかけに驚いてリンを振り向いた。リンは膝を抱えて目を伏せたまま、少し苦しげに呟いた。


「初めて会った馬、思い通りにしたりして…」

「思い通り??」

「…おかしいと、思ったでしょ?」


 リンの言いたいことはなんとなく分かる。リンはここに来るまで手綱は使わず、ただ跨っているだけに見えた。

 まるで馬と直接会話をしながら走っているようで、どこか神秘的な光景だった。


「気味悪いわけないじゃん」


 アーロンは笑って言った。


「俺だって馬を操ってここまで来てるぜ?しかも腹を蹴ってみたり、手綱で顔を無理やり動かしたりして。同じ”操る”にしても、お前に乗られたほうが馬は絶対幸せだね」


 リンは何も言わずにじっとアーロンを見詰めていたが、やがてその肩にことんと頭を寄せて目を閉じた。

 艶やかな金糸に誘われるように、アーロンは肩にもたれ掛るリンの髪に軽く口付ける。リンはそのキスに応えるようにアーロンを振り仰ぐと、そっと瞼を下ろした。

 2人の唇は、ごく自然に重なり合った。

 想いを伝え合うように、深く長い口付けを交わす。角度を変えながら何度も触れ合った唇は、やがて未練を残しながらそっと離れた。そしてアーロンの唇は、誘われるようにリンの白い首筋に移動した。

 なめらかな肌を優しく愛撫すると、耳元でリンが甘い吐息を漏らす。

 おかしくなりそうなほどの衝動が一気に突き上げ、アーロンはリンの肩に顔を埋めると、固く目を閉じた。

 逃げ込んだ暗闇で、懸命に自分を抑え込む。

 そんなアーロンの頭を、リンの手が優しく撫ではじめた。

 まるであやされる子供のようだと思いながら、アーロンはふっと笑みを漏らした。


 余裕が欲しくて離れたはずが、却って余裕を無くしている。会うたびにそれを自覚する。大人の男になる道は、かなり遠い。

 むしろ会うたび大人びてくるリンが、なんだか遠くへ行ってしまう気がして、無性に自分を焦らせていた。


「お前だけは、誰にもやらない…」


 思わずそんな言葉が口をついて出た。髪を撫でるリンの手が一瞬止まる。そしてまたゆっくりと動き出した。


「当たり前だよ…」


 リンが優しく囁いた。


「私は、アーロンだけのものだもん」


 アーロンは少しの間沈黙した。そして思わず苦笑する。


「…どこでそんな言葉覚えたんだ」

「そんな言葉って?」

「いや、なんでもない」


 アーロンはふぅっと嘆息し、顔を上げた。リンの無垢な瞳と再び出会う。

 

「無邪気に誘うなよ…」

「え?」


 きょとんとするリンにアーロンはまた「なんでもない」と言うと、素早くキスをした。それを最後に、煩悩を振り切るように立ち上がる。


「よし、行こう!」


 リンはそんなアーロンを振り仰ぎながら、「うん…」と応えた。

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