話したいこと
レストン公爵家の調査が終わって一息ついた頃、アーロンは休暇の日を迎えた。
けれどもいつものようにのんびりできるわけではない。例によってゴンドールに行くために、いつもよりもよほど早起きをしなくてはならなかった。
夜明け前に家を出て港へ向かう。馬車をつかまえて乗り、揺られながら窓の外を眺めれば、住み慣れたローランドの街並みが広がっている。
ローランドに来て、もう2年以上の月日が流れている。
その間に自分の身に起こったことは、アリステアに居た頃には想像もしなかったことばかりだった。
ただの兵士だったのに、隊長として隊を任される身になった。近衛騎士隊の騎士として遠い存在だった男と一緒に仕事をしている。そしてアリステアに居た頃は顔も知らなかったような”王族”から仕事を依頼されるようにもなった。
なによりも、リンに出会えた。
リンの過去のことは相変わらず何一つ知らない。けれども今となってはそれはどうでもよくなっていた。
今、あの子が居てくれれば、もう他に何もいらない―――。
船の待つ港へ辿り着くと、相変わらずニヤけた顔のバルジーが出迎えた。
「久し振りだな。お嬢ちゃんは元気か?」
バルジーは毎回そう問いかける。アーロンはいつものように「元気だよ」と返した。
「もう食っちまった?」
これも決まった挨拶である。予想ができていても軽くあしらうことが出来ず、アーロンはバルジーを睨みつけた。
「…さっさと行こうぜ」
「おぉ~、反応が変わってきたぞ!」
バルジーが楽しそうに言った。
かつてはバカバカしいと笑えた台詞に、今はいちいち反応してしまう。そして結局この男を喜ばせている。
「あの子、いい女になる素質あったもんなぁ…」
なおも話を続けようとするバルジーを無視して、アーロンは一足先に船へと歩き出した。
久し振りのゴンドールは今日も平和だった。初めてゴンドールに行った時以来、危険な目には遭っていない。最近はもっぱら傭兵というよりも雑用係だ。
いつものようにバルジーはゴンドールの脱け殻を見つけ出し、それの解体を始めた。
今日は脱け殻が2体仲良く並んでいたので、アーロンもナイフを渡され手伝わされることになった。
鈍く金色に光るナイフ。それを手に取って眺めながら、アーロンはふと王都の武器屋でのことを思い出した。
「そういえば、最近これも売ってる?」
バルジーはその言葉に振り返ると、アーロンが示したナイフを見て罰が悪そうに笑った。
「バレたか。残った素材で簡単にたくさん作れるし、しかもけっこう高く売れるから、いい商売なんだよ」
「ふぅん」
アーロンも作業を進める。確かに武器屋が何でも切れると言って薦めていた通り、そのナイフの切れ味は抜群だ。
「…城であんまり言うなよ」
「なんで?」
「一応、武器や防具の商売は城だけでやる約束だからな。でもこれは武器じゃねぇし。生活用品ってことで、文句言われる筋合いはねぇけどさ」
その理屈でいいのだろうかと思いつつ、アーロンは何も言わずに作業を続けた。バルジーが背を向けながらも得意気に話を続ける。
「アリステアでも売れるぜ~。最近は武器より、それを欲しがって俺を待ってる奴も居るし」
どうやら他国でも評判になっているようだ。アーロンは首を傾げつつ、「アリステアで売っちゃいけないんじゃなかったけ?」と聞いた。
「武器はな」
あくまでもナイフは生活用品という定義らしい。
「素材聞かれるだろ?」
「言わねぇもん」
バルジーが得意気に返す。そしてまたこちらを振り返った。
「お前、何度も言うが絶対バラすなよ!武器屋にも何も言わなかっただろうな?!」
「…言ってねぇよ」
秘密のためなら命もとられそうな勢いだ。アーロンはやれやれとため息を一つつくと、また黙々と作業を再開した。
◆
ローランド王城兵士寄宿舎では、身支度を終えたキースが部屋から出てきたところだった。
アーロンとは違い、彼は今日はいつもの通り仕事の一日だった。訓練場へ向かうため、寄宿舎の出口へと足早に歩く。
その途中、「キース!」と後ろから甲高い声に呼び止められ、キースは歩きながら振り返った。
声の主は思ったとおり、デイジーだった。キースはそれを確認すると、前に向き直り歩き去ろうとした。
「待って、待って!!」
必死で追いすがり、デイジーは「今夜、暇?」と早速問いかける。
「ダメ」
「なんでぇ!!」
「気が乗らない」
一言で切り捨て、キースは足早に去っていく。デイジーはそんな後姿を見送りつつ、不満気に頬を膨らませた。
「キースって、よく分かんない!」
厨房で昼食の準備作業中、ローラの隣で作業するデイジーが呟いた一言で、ローラは手を止めた。
「そう思いません?」
デイジーに顔を覗き込むようにして同意を求められ、曖昧に頷く。
「そう、ね…」
”そんなことない”と言うことが出来ない自分が情けなくて、ローラは小さく嘆息した。
一年以上追いかけているのに、彼について知っていることはほとんど無い。最近外出が多かったこともあって、休憩時間に話をすることもできていない。
デイジーはローラの様子など気にせずにぼやき始めた。
「冷たい感じだけど、前はお部屋に行ったら優しくしてくれてたのに、なんか今日は来ちゃダメとか言うんですよ~?もう何考えてるのか分からない~」
ローラはそんな愚痴になにも言葉を返せなかった。ただ仕事を続けていると、デイジーが「あっ」と言ってローラを見た。
「すみません。ローラさんもキースのこと好きなんでしたね。忘れてました」
「…ううん、いいの」
ローラは俯いたまま答えた。好きだといっても結局は片思いだ。デイジーの行動に文句を言える立場ではない。そう思うとまた胸が塞がる。
「でも大丈夫ですから!私もう流石に恋人になる気ないですから」
不意にデイジーはローラを励ますようにそう言った。意外な言葉に、ローラは顔を上げる。
デイジーは目を丸くするローラに見詰められ、”なに?”と首を傾げて見せた。
「どうして、恋人になる気なくなったの…?」
「えぇ~、だってぇ」
デイジーは苦笑する。
「かっこいいけど、いい加減すぎて手に負えませんから」
「いい加減…?」
「いい加減ですよぉ!来るもの拒まずじゃないですかぁ!」
デイジーはそう言って「今日は拒まれましたけど」とおどけたように付け足す。
ローラは仕事の手を止めると、不意にぽつりとつぶやいた。
「…いい加減じゃ、ないと思うな」
デイジーが虚を突かれたような顔でローラを振り返る。ローラはその視線に応えることは無く、まるで独り言のように淡々と言葉を紡いだ。
「お仕事評判いいし、人望あるし、考え方もしっかりしてて…」
「女の子に対してですよぉ!」
即座にデイジーが口を挟む。
ローラは一瞬言葉を止めたが、「それも、いい加減だとは思わないな」と言い返した。妙に頑なな様子にデイジーは目を丸くする。
「いい加減な気持ちで近寄る人にはそうかもしれないけど、真剣な気持ちを弄ぶような人じゃないもん。キース様は、私のことは誘ったりしないし、私の気持ちに対しては、すごく誠実に対応してくれて…」
”それに、俺は応えられないんだ”
自分で言いながら、ローラの胸には熱い想いが広がって行った。あの時ただ哀しくて仕方が無かったその言葉が、違う響きをもって甦る。
勇気を出して部屋に行って、全く相手にしてもらえなくて、ただひたすら落ち込んだけど…。
でも違うと、今なら分かる。彼はローラの想いを、大事にしてくれた。
―――私は一度も彼に、いい加減に扱われたことが無い…。
「ローラさんって…。ほんとに好きなんですねぇ。キースのこと」
デイジーの言葉に、胸がきゅっと痛んだ。
「うん…」
何度も波のように押し寄せる想いが、ローラを苛む。この気持ちが消える日なんて、きっと一生来ないのだろう。そう思ったら、大好きな彼の面影が脳裏に映った。
「会いたいな…」
思わず呟いた言葉に、デイジーが「会いたいですか!」と反応する。
「いいですよ!お昼、抜けて会ってきちゃってくださいよ!もう、こうなったら応援しちゃいます、私!!」
力強いデイジーの言葉に、ローラは「ありがとう」と顔を綻ばせた。
その日の昼食時、いつものように休憩時間になると兵士や上級兵士達が食堂に集まり始めた。
デイジーは他の上級兵士と話をしていたが、不意に食堂に入ってきたキースの姿を確認すると、急いで厨房に戻って行った。
「来ました!」
飛びつくようにローラのもとへ走り、デイジーが告げる。その大きな声に、ローラだけでなく周りの皆も目を丸くして振り返った。そんなことは意に介さず、デイジーは「キース、来ましたよ!」と改めて言った。
ローラは思わず赤くなる。周りの皆が「あぁ~」と納得の声を上げた。
「また強い味方ができたねぇ、ローラ」
「いいよ、行ってきたら?」
みんな暖かい言葉をかけてくれる。
ローラはそんな皆の顔を見廻すと「じゃ…じゃぁ、ちょっとだけ…すみません…」と頭を下げた。
厨房を出て食堂に入ると、すぐにキースの後ろ姿を見つけた。
どこに居ても、特別目立って見える。それは自分の気持ちのせいなのか、それとも彼がそういう人なのか、どちらなのかは分からない。
傍にアーロンは居ないようで、今日は1人で昼食をとっていた。
いつまでたっても彼のもとへ行くときには緊張してしまう。ローラは胸が高鳴るのを感じながら歩いて行った。
「こんにちは…」
隣に立って声をかけると、キースが顔を上げた。ローラの姿を見て、「あぁ…」と声を漏らす。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
ローラはペコリと頭を下げると、キースの隣の椅子に手をかけた。少し躊躇い、問いかける。
「あの…座ってもいいですか?」
早まる鼓動を持て余すローラに、キースは軽く「いいよ」と言ってくれた。そんな反応にほっとしながら、隣に座る。
ふぅっと一息つくと同時に、キースに問いかけられた。
「食事は?」
思わず硬直する。ローラは自分が手ぶらなのに気がついた。
「あ、いえ、お昼はまた後で…。今は、ちょっとだけ休憩です…」
「そう…」
何をしに来たんだろうと思われてしまっただろうか。お茶でも持ってくればよかったと後悔する。
ローラは特に自分を気にすることなく食事を続けるキースの横顔を盗み見た。
彼に会うのはとても久し振りな気がした。
―――綺麗だなぁ…。
うっかり見惚れてしまう。
初めて会った時から整った顔立ちだと思ってはいたが、今はとても綺麗だと思う。そんな想いも彼への気持ち故なのかもしれないけど…。
視線に気付いたのか、不意にキースの青い瞳がローラを映した。
ローラは慌てて視線を逸らしつつ、「今日は、アーロンは居ないんですね…」と話題を振ってみた。
「あいつは休暇だよ」
「そ、そうなんですか。寂しいですね」
「寂しい?明日は居ると思うけど」
ローラは何やら誤解を招いた気がして、慌てて顔の前で手を振った。
「いえ、あの、私が寂しいっていうんじゃなくて!――キース様が!」
キースはその言葉に呆れたような笑みを洩らす。
「なんであいつが居ないからって俺が寂しがるんだ」
「え、だって、とっても仲良しだし…」
「普通だよ」
「普通じゃないですよ!」
ローラは思わず力説した。
「私、アーロンがとっても羨ましいです!」
一瞬呆気にとられたキースと視線がかち合い、ローラはみるみる赤くなった。
自分の言葉の意味に気付くと、猛烈に恥ずかしくなる。
「な、なんでもないです…」
少しの間、2人の間には沈黙が流れた。
気まずくなってしまった。何か違う話をしなくてはと思考を巡らしながら、ローラはふと目を上げる。
キースは食事の手を止め、ローラを見ていた。穏やかな瞳に真っ直ぐ見詰められ、ローラは戸惑い硬直する。
「ローラ」
キースが自分の名前を呼ぶ。それだけで胸が苦しくなるのを感じながら、ローラは「はい」と応えた。
「仕事の後、時間ある?」
あまりに意外な言葉に、ローラはとっさに反応できなかった。
キースは少し間をおくと、「少しでいい。話がしたいんだ」と続けた。
―――話が…。
「あの、大丈夫です。いつでも…」
ローラはとっさにそう答えた。
キャリーはリンと一緒だから、少し遅くなっても大丈夫だろう。なによりそんな風に誘われたのは初めてで、どうしても断ることなどできそうになかった。
「それじゃ、今日…」
「はいっ」
キースはローラの返事を確認するとまた黙って食事を続けた。




