確かな信頼
翌日、ローランド王城の国王執務室には、朝からグレイスが訪れていた。
昨夜フロンス家の執事から得た情報を伝えると、アルベルトの表情はみるみる険しくなった。
「そういう事だから。また薬が動く時には連絡が来るわ。騎士を動かして、レストン公爵が麻薬の売買を行っている証拠を掴んでください」
「おまえ…」
アルベルトは眉間に深く皺を刻んで言った。
「…何やってたんだ」
「何って?」
「俺に黙って勝手な真似を…。危ないだろ!」
顔をしかめるアルベルトに、グレイスはやれやれというように肩を竦める。
「お父様が調査する必要はないって言ったからアーロンとキースの手を借りて動いたのよ。絶対に裏になにかあると思ったもの」
自分が却下したせいだと言われると何も言えない。アルベルトは額に拳を当て「レストン公爵のやつ…」と唸るように呟いた。
「よく分かった。この件に関しては、あとは俺に任せろ」
「お願いします」
グレイスは一旦引き下がりかけたが、ふと思いついて言った。
「あと、カイル・バーレンのことなんだけど」
アルベルトがぴくっと眉を上げる。
「あの子はその麻薬を晩餐会で飲まされた可能性があるわ。だとしたら、全く彼に非は無いの」
「麻薬を飲まされたぁ?」
アルベルトは苦虫を噛み潰すような顔で「何故そう言える」と問いかける。
「何故って…」
そう聞かれてしまうと、父を相手にどう説明していいのか分からない。薬を盛られたことは間違いないと思えるのだが、その確かな証拠は最早どこにもないのだ。
アルベルトは「薬を盛られたとしたら、それはそれでマヌケな話だな」と嘲笑を浮かべた。
「レストン公爵の罠の可能性に少しも思いが至っていない証拠だ。だいたい変に尻尾を振ってきた時点で、警戒しろって話だろう。まんまと思い通りになりやがって」
「まだ若いもの…仕方ないじゃない…」
グレイスはカイルのため、一応そう反論した。
本音を言うとグレイスだって、今回あっさり罠にはまってしまったのはカイルにも非はあると思っている。若さだけではない、彼の性格ゆえの落ち度だ。それでもそれが、彼らしさであり、いいところだとグレイスには思える。それを父に分かってもらおうとは思わないが。
「結婚にはまだまだ早いってことだ」
アルベルトはうんうんと頷きながら独り言のように言った。
グレイスの結婚話がこういう形で潰れたことは、正直喜ばしいのだろう。王妃も理由が理由だけに納得しているので、そっとしておきたいようだ。
グレイスはそんな父に、こっそり苦笑した。
◆
バーレン公爵家では、例の事件以降重い雰囲気が広がっていた。
今朝もいつもの通り、召使いがカイルの部屋から朝食を載せた盆を手に出てくる。食事は終わったという話だが、かなり残している。あれからほとんど部屋を出ずに、籠りっきりである。いつもバーレン公爵が出かける時には一緒について行くのだが、それも拒否している。
バーレン公爵はそんな息子にどうすることもできずにいた。そして公爵婦人は、感情的に叱ってみたり、なだめすかしたりを繰り返している。
姉のジュリアに至っては自分の婚約が消えそうだという事実を前に、弟を思いやる心の余裕など、どこにも無い状態だった。
その日の午後、バーレン公爵のもとに意外な来客があった。カイルの元婚約者、グレイス姫である。
王女がカイルではなく自分を訪ねて来たという話に驚いたが、慌てて丁寧に迎え入れた。
相変わらず美しく堂々とした王女は、バーレン公爵を前に、以前と変わらぬ穏やかな微笑みを見せた。
自分の部屋のベッドで寝転がった状態で、カイルはぼんやりと天蓋を眺めていた。
何もする気が起きなかった。そこから動く気になれない。自分の機嫌を取ろうとする母親や召使い達が鬱陶しい。ぎゃぁぎゃぁ責めてくる姉にも会いたくない。
ただ1人、何もしない時間をすごして日々を送っていた。
カイルは大きなため息をつくと、目を閉じた。
不意に部屋のドアが叩かれる音が聞こえた。
カイルはそちらに目を向けることもせず、当然応えることもしない。それを分かっているかのように、ドアはやがて勝手に開けられた。
誰かが入って来たようだ。その姿が見えて、カイルはちょっと意外そうに目を見張った。
「ちょっと、いいか?」
入って来たのは父だった。普段自分に仕事以外で関わりを持たない父が、わざわざ部屋にやってくるのは珍しいことだった。
誰が言っても効果が無いから、ついに父が説教に現れたのだろうか。反発心を露わに、カイルは父を睨んだ。
「なんだよ」
バーレン公爵はカイルの寝ているベッドに近寄ると、それに腰をかけた。そしてその目を息子に向ける。
カイルは寝転がったまま、近くに来た父親を見ていた。
「さっきグレイス姫が、いらしたんだ」
カイルの瞳が驚きに揺れる。少しの間をおいて、「なんで…」と呟く。
「私に用があってね」
体を起こしかけたカイルは、その動きを止めた。「あ、そう」と吐き捨てるように言うと、また横になる。
「もう帰ったんだ」
「あぁ、帰られた」
「ふぅん…」
力が抜けたように目を閉じる。もう何もかもどうでもよかった。
「レストン公爵は、麻薬の製造や売買を行っているそうだ」
「…へぇ」
気の無い返事に苦笑しつつ、バーレン公爵は言葉を続けた。
「まだ、確定していないから内密にということだったが、近くそれが明らかになるだろうとおっしゃっていた。その麻薬は催淫性と幻覚作用があるそうだよ」
カイルがゆっくり目を開いた。バーレン公爵はそんな息子に穏やかに語りかける。
「グレイス姫はね、こうおっしゃっていたんだ。お前は間違いなくその麻薬で操作されたんだろうと。それを使えば、誰にでも同じことをさせられる。お前が、悪いんじゃないとね」
カイルは天井に向けていた瞳を父に向けた。そしてゆっくり体を起こし、ベッドに座る父と向き合った。その目は大きく見開かれていた。
「あいつが…そう言ったの?」
「そうだよ」
父は微笑んで頷いた。
「確かな証拠が無くて、証明できないのが悔しいと。けれどもこれでレストン公爵の地位は失墜するから、もう彼等の思い通りにはさせないとおっしゃってくださった。不貞行為の噂など、麻薬の前にはすぐ消えるだろうから、今度のことで名を落としたと思わずに、今後も頑張って欲しいともね」
喉が塞がれたように声を失ったまま、カイルは父を見ていた。やがてその目をゆっくりと伏せる。
「カイル…」
父が呼びかける。そんな穏やかな優しい声は、久し振りに聞いた気がする。
「私はお前を信じてくださったグレイス姫の期待に、精一杯応えていきたいと思うよ。お前も男なら、この部屋を出てやることがあるんじゃないか?あの方の信頼に、恥じない男になるために…」
何も言わない息子の目に光るものを見て、公爵は微笑みながら目を逸らした。カイルの頬を涙が伝って落ちる。
声も出さずに震えながら、彼の目からはいくつもの涙がこぼれた。
部屋に広がる静寂は、温かく父と子を包む。
2人はお互い黙って座ったまま、しばらくそのまま動かなかった。




