誇りに思う
執事を解放すると、3人も酒場を出た。
肩を落として去っていく背中を見送り、グレイスは「ちょっと悪いことしたわね…」と呟く。
「いいんだよ。あいつだって薬を使おうとしたのに、不問にしてやるんだから」
アーロンの言葉にキースも隣で頷いた。
グレイスはふぅっと吐息を洩らすと、2人を振り返った。
「戻りましょうか」
城門の前で、アーロンは2人に別れを告げた。そして城に向かって歩いて行く2人の背中を見送る。
王女と、兵士…。
アーロンは遠ざかる2人を見ながら、不意にリンのことを思い出していた。
しばらく顔を見ていない。
時間はもう遅かった。今からではどう考えても迷惑だった。ローラ達が起きているかどうかも分からない。
けれども今、無性にリンに会いたかった。
一目、見るだけ…。それだけでいい。
アーロンは思い切ったように、歩き出した。
城に入ったキースとグレイスは、寄宿舎の前で足を止めた。もう時間も遅く、人の気配は無い。
そこで別れると分かっていながら、お互いに切り出せず、束の間沈黙した。
「今日は、本当にありがとう…」
ふとグレイスが言った。
「あなたが居なかったら、こんなに早く薬にたどりつけなかったわ」
「…カイル坊やの潔白が分かって、よかったな」
キースの言葉にグレイスはゆっくりと頷き、笑顔を作る。
「それは、知ってたもの。方法が分かっただけよ」
キースは何も言わずに目の前の王女を見つめていた。手を延ばせば触れられる距離に居ながら、それが許されない。
決して自分のものには、ならない人…。
「明日父に話すわ。レストン家が麻薬を売っていたことを確かめてもらう。執事から連絡があったら隊長を通じて報告してね。実際現場を抑える時には、あなたたちにも要請がいくと思うわ」
グレイスは顔を上げるとキースを振り仰いだ。綺麗な紫色の瞳が、暗闇で潤んで見える。
キースはその目を見つめながら、「一つ、聞きたいんだけど」と言った。
「…何?」
「今回、どうして最初に俺を呼ばなかった…?」
キースの問いかけにグレイスは一瞬固まった。とっさに答えることが出来ず、目を伏せる。
「2人も動いてもらうほどのことじゃ、ないと思っていて…」
「それなら、どうして俺じゃなくてアーロンを呼んだ?」
畳み掛けるような問いかけに、グレイスは困惑したように黙り込む。けれどもやがてふるふると首を振った。
「理由なんて、ないわ…」
「そう、言われると思ったよ…」
キースが苦笑する。
俯くグレイスの表情は彼女の帽子に隠されている。キースは不意にそれに手をかけると、頭から取り去った。
グレイスが驚いたようにキースを振り仰ぐ。穏やかな青い瞳が、じっとグレイスを見ていた。
「顔をよく見せて。また、会えなくなるんだろ…?」
グレイスの胸が締め付けられるように苦しくなった。自然と涙が浮かんでくるのを隠すように、また俯く。
キースの手がふとグレイスの頬に触れた。
「グレイス、顔を見せて…」
囁く声が耳に届く。優しい声音に、堪えきれずに涙がこぼれた。それが頬を伝ってこぼれる途中、キースの指に触れる。
とても顔を上げられない。そんな顔を見られたくない。
キースの両手がグレイスの顔を挟むように触れた。そして上を向かせようとする。
「だめ…」
グレイスが囁いた。涙で濡れた顔を隠すようにその手に抗う。けれどもキースの手は離れない。
「離して…」
「グレイス…」
キースの落ち着いた声が降り注ぐ。優しく、暖かく…。
「…愛してる」
グレイスは息を呑んだ。自分の中から込み上げる何かを、振り切るように首を振った。
「言わないで…」
訴える声は震えていた。それでもキースは手を離さず、グレイスの耳に唇を寄せる。
「愛してる…」
「やめて…言わないで…」
「愛してるよ…」
「やめて…」
何度も繰り返し囁く声に、グレイスの目から止め処なく涙が溢れた。
初めて言われた言葉。でも聞きたくはなかった…。聞いてしまえば、こんな風に苦しくなることを知っていたから。どうにもならない。決して応えられない。
未来は、無いと知っているのに――。
「キース…」
どうしようもない胸の苦しみから逃れるように、グレイスはいつしかキースの胸に顔を寄せていた。
ずっと昔、あの夜のように…。
「言わないで…お願いだから…」
キースの腕がグレイスを抱き締める。暖かい胸に身を委ねて、グレイスはその目を閉じた。キースの唇が髪に、耳に、頬に触れる。
そしてまたグレイスの頬に手を触れると、そっと上向かせた。
もう抗うことはできなかった。ただの女になることを知ってしまった今は…。
振り仰いだグレイスの唇が、自然とキースの唇で塞がれる。
それを受け入れながら、グレイスは彼の背中にしがみついた。
言葉にできない想いを吐き出すように口付けを交わす。何度も唇を重ね、見詰め合った。
その瞳の奥に映るお互いの想いを、確かめ合うように…。
ローラの家に着くと、アーロンはためらいつつ扉を叩いた。一度叩いて返事が無かったら、諦めて帰ろう。そう自分に言い聞かせる。
「はい」
中から返事が聞こえ、アーロンは硬直した。返事があった場合のことは考えていなかった。
なんと言おうと悩む間も無く足音が聞こえ、鍵が外される音が続く。ドアが開き、ローラが顔を出した。
「あぁ…!」
アーロンの姿を認め、ローラは驚いたように目を丸くした。
「ごめん、こんな時間に突然…」
とにかく謝ると、ローラはにっこりと笑顔になる。
「大丈夫よ。リンちゃんに用事?」
「うん…もう寝たかな…」
そう言った時、部屋の中から足音が聞こえた。アーロンが部屋の中に目を向けたと同時に、リンが姿を見せる。会いに来たくせに、姿を見た途端ドクンと心臓が跳ねあがった。
リンも驚いたように目を見張る。もう寝る用意をしていたらしい。リンは寝巻き姿だった。アーロンを認め、リンの表情は花の様に綻んだ。
そんな無垢な笑顔は、幼い頃と何も変わらない。自然とアーロンの心を癒してくれる。
「どうぞ、上がって」
ローラの言葉にアーロンはハッとしたように我に返った。
「いや、もう遅いから…」
流石に上り込むわけにはいかない。そう思いながらも名残惜しくてリンに目を向ける。
「元気だって、分かればいいんだ。最近、会ってなかったから」
リンもじっとアーロンを見詰める。
目が離せず束の間見詰め合い、やがてアーロンの方から目を逸らした。そしてローラに向き直る。
「本当にごめん、夜遅くに。それじゃ、帰るよ…」
「…そう?」
不意にリンが玄関に出てきた。慌てて靴をはくと、「私、そこまで見送る…」と言った。そして部屋を出る。
「すぐ、戻ります」
「えぇ…気をつけて」
ローラは戸惑いつつも、ゆっくりと扉を閉めた。
それがバタンと完全に閉ざされた瞬間、アーロンはリンを抱き寄せた。リンもそれに応えるように彼を抱き返す。
固く抱きしめ合い、お互いの温もりで暖めあった。
「どうしても、顔が見たくて…」
アーロンの言葉に、リンは「私も、会いたかったよ…」と言った。ごく自然に見つめあい、唇を重ねる。触れるだけのキスをして離れると、また見詰め合った。
「アーロン…もっと…」
リンが訴えるように甘く囁く。誘われるがまま、アーロンはまた唇を重ねた。
離れることができずに、口付を続ける。やがて無意識のうちに、アーロンはリンの口の中に入り込んでいた。リンはそれを自然に受け入れてくれた。深く絡み合うような口付けに、頭の奥が熱くなる。
唇が離れ、また再びその体を抱きしめると、アーロンははぁっと息を吐き出した。
「…ここが外で良かった…」
思わずそんな言葉が漏れる。部屋の中に居たら、どう考えても今の衝動は止まらない。
「そんなこと、ないのに…」
リンが耳元で囁き、アーロンの頼りない理性を攻撃する。抱き締める腕に力を込めながらも、アーロンは首を振った。
「いや、ダメだよ…」
「ダメじゃ、ないよ…」
やがてアーロンはリンの体を離すと、その瞳を見つめた。綺麗な翡翠色の瞳が、真っ直ぐアーロンを映している。
「次のお休みは会えないんでしょ…?」
リンの問いかけにアーロンは「うん…」と頷いた。今度の休みはゴンドールに行く予定になっている。
「私も、行こうかな…」
リンの言葉にアーロンは即座に「だめだよ」と言った。
「どうして…?」
「お前学校だろ?」
リンは悲しげな顔を見せる。そして少し間をおくと、「それなら今度おうちに1人で行ってもいい…?」と聞いた。
「だから、ダメだって…」
即座にそう言ったアーロンに、リンは「アーロン、最近”ダメ”ばっかり…」と文句を言った。
「自分に言ってるんだよ」
苦笑しつつそう言うと、リンは納得いかなそうに眉を下げた。
「ダメじゃないのに…」
「…また、会いに来るよ」
穏やかに微笑んだアーロンの顔を振り仰ぎ、リンはその首に両腕をまわして背伸びをした。そして今度はリンの方から、唇を重ねてくる。
再び抱き合い、夢中で唇を重ねていると、ふと扉の開く音が聞こえた。
2人は弾かれたように、体を離した。
「――あれ?」
扉を開けて顔を出したローラが不思議そうな顔になる。
「…そこに居たの?」
アーロンとリンはそんなローラに、ぎこちない笑みを返した。
◆
夜明けを迎える前、寄宿舎の部屋はまだ暗かった。その中で目覚めたグレイスは、そっとベッドから体を起こした。
見慣れぬ部屋の景色に、昨夜の記憶が甦る。グレイスの体に腕を廻して眠るキースに目を落とし、穏やかに微笑んだ。
彼を起こさないよう、そっとその腕から抜け出すと、ベッドの下に散らばった服に手を延ばす。
ベッドに腰掛けたまま、それを身に付け始めた。
一枚、一枚身に付けながら、グレイスは自分の意識が夢から覚めていくのを感じていた。
―――戻らなきゃ…。
身支度を終えてベッドから立ち上がろうとした時、不意にその腕を掴まれた。振り返ると、半身を起こしたキースと目が合う。
「…行くなよ」
胸が痛い程に締め付けられた。その腕の中に、もう一度戻ることが出来たら…。叶わぬ想いを理性で抑え込み、グレイスは首を振る。
「無理よ…」
キースはグレイスの腕を掴んだまま、体を起こした。そしてグレイスの体をそっと引き寄せる。
ごく自然にまた唇が重なり合った。
それでも昨夜のように、また夢の中に引き込まれることはない。唇が離れると、グレイスは柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。忘れないわ」
「そんな言葉はいらない」
グレイスの別れの言葉を跳ね返し、キースはグレイスの腕を掴む手に力を込める。離すことができない。離したら二度と、つかまえられない気がするから…。
「なにもかも捨てて、俺のもとに来ればいい」
「なにもかも…?」
グレイスは穏やかに問いかけた。
「王族としての立場も、責任も、家族も、私を護ってくれる人々も…?」
何も言葉が出ない。叶わないことなど分かっていた。それでも言わずにいられなかった。
「キース…」
グレイスは真っ直ぐキースの目を見つめて囁いた。
「私、この国の王族として生まれたことを幸せに思ってる。父も母も、兄弟たちも、誇りに思うわ。そして、この国を愛してるの。きっと私は、この国を想う気持ち以上に誰かを想ったり一生できないのよ…」
キースは黙ってグレイスの言葉を聞いていた。その姿をまた瞳に焼き付けようとするように、一時も目を逸らさずに。
「あなたは、あなたを誰よりも想ってくれる誰かと幸せになるべき人なの。私はあなたを幸せにできないけど、でもとても信頼してる。またいざというときには、きっとあなたを呼ぶわ…」
想いを拒絶されながら、その言葉こそ彼女の言葉だと納得している自分に内心で苦笑する。キースはグレイスの腕を解放した。
「…いいよ、いつでも」
美しく、誇り高い王女。だからこそ、こんなにも惹かれる――。
「グレイス…」
キースが囁いた。
「俺もこの国を、とても誇りに思う」
グレイスの瞳が微かに揺れた。その顔にはゆっくりと穏やかな微笑みが広がる。
「キース、その言葉…。”愛してる”より、嬉しいわ」
グレイスはそっと顔を寄せ、キースの唇に自分の唇を重ねた。少しの間をおいて、そっと離れる。
「…またね」
「あぁ…」
”さようなら”ではない。また会うときが必ず来る。男と女として、ではないけれど…。
グレイスはキースから目を逸らすと、立ち上がった。そして一度も振り返らず、ゆっくり部屋を出て行った。
彼女が去ったそのドアを、キースはしばらく身動きもせずに見つめていた。




