薬の真実
視線の先でキースと執事がそれぞれ立ち上がったのを確認し、アーロンは帽子を目深に被りなおした。
執事はキースにすすんで手を貸し、体を支えようとしている。キースはそれを受け、肩を借りるようにして歩いている。
やがて近くを通り過ぎ、去っていく2人を、アーロンは苦笑混じりに見送った。
「…行ったよ」
「行ったわね」
グレイスが応えて席を立つ。アーロンも机の上に置いてあった怪しいグラスを手に取ると、それに続いた。
そしてキース達の消えた階段の方へと向かって行った。
「さぁ、入って」
部屋のドアを開けて、ジャックはキースを連れて入る。そして中に入ると、内側からしっかりと鍵をかけた。
肩を貸すキースの横顔に目をやる。俯いた彼の顔はクセの無い金色の髪が隠していた。ジャックの吐息は、自然と荒くなっていた。
「…横になろうか」
ベッドへと歩き出そうとした時、不意に体が軽くなった。キースの体がすっと離れたのだ。驚いて彼を振り返る。
先ほどまで頼りない足取りだったのに、しっかり立っている。ジャックに預けていた腕を払うように一度叩き、軽く溜息を洩らす。そして改めてこちらに向いた瞳はいやに鋭く、暗い部屋の中で光ったように見えた。
2階に上がって、アーロンとグレイスは足を止めた。部屋がいくつも連なっている。ぱっと見ただけでは、どこへ入ったのか分からなかった。
「どこかしら」
焦燥の滲む声で、グレイスが呟く。
「すぐ分かるって」
アーロンの呑気な答えに、グレイスは「どうやって?」と眉を顰める。その時、連なるドアの中の一つがカチリと音を立てた。2人の目がそのドアに向けられる。一瞬の間の後、ドアは内側からゆっくりと開けられた。
「来た」
アーロンの言葉を合図にするように、部屋からキースが顔を出す。不機嫌そうな顔に向けて片手を挙げ、アーロンはその部屋へと歩いていった。グレイスも後に続く。
2人がドアの前に来ると、キースは「とりあえず寝かしてある」と吐き捨てるように言った。
「ご苦労さん」
アーロンは言いながら部屋に入った。
暗い部屋の真ん中で、ジャックが大の字になって転がっている。その顔を覗き込むと、殴られたらしい頬が腫れている。
アーロンは「気の毒に」と笑いを噛み殺しつつ呟いた。
目を覚まして初めて、ジャックは自分が寝ていたことに気付いた。
冷たい床の感触に、どうやらベッドではない。混乱する頭で、とりあえず瞬きを繰り返す。徐々に記憶がよみがえり、そこが宿屋の部屋だと察した瞬間、暗闇の中で「起きた」と誰かが呟く声が聞こえた。
ハッとしたようにジャックは体を起こした。その瞬間、頬に痛みを覚える。
「っつ…」
顔をしかめつつ片手で頬を覆い、周りを見廻した。自分を見下ろすように3人並んで立っている。その姿にジャックは目を見張った。
1人は先ほどまで一緒に飲んでいたキースだった。もう1人の男はどこかで見たような顔をしている。そしてもう1人は自分に酒をふりかけた、さっきの女…。
「な、なんだお前達はっ…」
ジャックは動揺しつつ声を裏返らせた。
「俺は、先日お伺いした上級兵士ですけど、覚えてますか?」
見たことのあるような顔の男がそう言った。言われて見ればその通りだった。つい先日、屋敷に最初に現れた男だ。
「お前…どういうことだ!」
ジャックは憤慨しつつ、視線をキースに向けた。先ほどまで酔って覚束ない足取りだった彼が、そこに平然と立って自分を見下ろしている。
「騙したんだね…?」
キースは何も答えなかった。代わりに蔑むような笑みを浮かべる。ジャックはカッと頭に血がのぼる感覚を覚えた。
「私を殴ったね…?!こんなことして、ただで済むと思うかね?!後で城に訴えてやるからな!!」
「これ、なんですかね」
ジャックの言葉など無視するように、もう1人の上級兵士が言った。とっさに視線を向け、凍りつく。彼は片手に酒のグラスを持っていた。
「何か、入れましたよね」
畳み掛けるように、男が言う。ジャックは血の気が引いていくのを感じたつつ、首を振った。
「知らない…。なんのことだね…。私は、何も…」
動揺を抑えつつ、必死で平静を装う。男の持っているグラスは確かに薬を入れたグラスと同じだ。けれども先ほどの酒はキースが全部飲んだはずだった。
男はニッと笑みを浮かべた。
「そう言うと思ってました」
キースと男が動く。キースがジャックの腕を掴んで引き上げる。ものすごい力に引きずられるように立たされた。そして両手を後ろ手に拘束される。
「何をするんだ!!!」
声を上げたが聞いている様子は無い。男が目の前に立ち、ジャックの鼻をつまんだ。その痛みに顔をしかめつつ口を開いた瞬間、グラスを口に押し当てられた。
あっという間もなくお酒が流れ込んでくる。ジャックは目を見張り、それに抗おうと口を閉じたが遅かった。苦しくなって、気がついたら飲み下していた。ごふっと喉の奥が鳴る。
「…荒っぽいわね」
女が呟いた声を遠くに聞きながら、ジャックは混乱に陥っていた。何度かに分けて、同じことを繰り返され、気がついたらグラスはほとんど空になっていた。
やっと解放され、激しく咳き込む。ぜぇぜぇと呼吸を繰り返しながら、ジャックは力が抜けていくのを感じていた。
完全に、飲んでしまった。本当にあの薬を入れたお酒なのだろうか。だとしたら…。
ジャックは呼吸を整えながら、その場にへたり込んだ。その目はうつろだった。
「ちくしょう…」
小さく呟いた言葉に力は無い。3人はそんな執事を、ただ黙って見つめていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。やがてジャックには明らかな変化が現れ始めた。床に両手をつき荒い呼吸を繰り返す。
「はぁ…あ…」
だんだん声まで漏れ出した。それを見ている3人はお互いに顔を見合わせる。普通ではないが苦しんでいるという様子でもない。何が起きているのか判然としないうちに、不意にジャックは服を脱ぎ始めた。
上着を脱ぎ捨てると、荒々しくシャツのボタンに手をかける。もどかしそうにそれを取りながら、さらに呼吸は荒くなる。
「…脱いでる」
アーロンが呟くが、すでにジャックの耳には入らない。彼の目はさきほどと違う意味でうつろだった。
恍惚の表情を浮かべつつ、「あぁ…」と繰り返し声を漏らしている。
「催淫性があるんだわ…」
グレイスはくっと眉根を寄せた。
「ただの睡眠薬とかじゃないな…」
キースもそれに応えるように呟く。ジャックはいつしか全裸になり、床にねそべっていた。
「グレイス、あっち向いてていいよ」
「…大丈夫よ」
ジャックはやがて自分の体を触りながら、うわ言の様に呟き始めた。
「あぁ…キースくん…もっと…こっちへ…」
名を呼ばれたキースは思わず顔をしかめる。アーロンはそんな彼を横目に、笑いを噛み殺していた。
「楽しい夢を見てるらしい」
「楽しい夢…」
アーロンの言葉に反応して、グレイスが独り言のように呟く。
”俺、ずっとお前を抱いてると思ってたんだよ…”
彼女の脳裏に、あの日のカイルの言葉が甦った。頭の奥で全て繋がる。グレイスは額に手を当て、溜息を零した。
「…これだわ」
グレイスの言葉に、キースが「あぁ」と応えた。
「…同じものを盛られたんだろうな」
薬の効果はしばらく持続した。
1人でさんざん盛り上がった後、ジャックはやがて魂が抜けたように放心した。
アーロンはベッドから毛布をとってくると、彼の体にかける。その感触で、ジャックはゆっくりと視線を動かした。
彼の傍らにグレイスが膝をついて座る。
そして落ち着いた目で、ジャックを見下ろした。
「気がつかれました…?」
グレイスの言葉をぼんやりと聞きながら、ジャックは何度か瞬いた。グレイスの顔に記憶を呼び起こされたのか、突然我に返って跳ね起きる。
直後裸であることに気付き、毛布を引き上げながら羞恥に顔を赤らめた。
そして何もかも諦めたように、深いため息をついた。
「私は…何を…」
「ご存知でしょう?ご自分で持ってきた薬ですから」
グレイスの言葉にジャックは何も言えずに俯く。
「話してください。あの薬は一体何ですか?」
落ち着いた口調だが、否とは言わせぬ力があった。グレイスの怒りを感じながら、アーロンとキースはただ彼女を見守っていた。
「…きみは、一体…」
ジャックがグレイスを見ながら戸惑ったように呟く。グレイスは真っ直ぐジャックの目を見据えて言った。
「グレイス・フォン・ローランド、この国の第一王女です」
衝撃に、ジャックが目を見張る。凍りついたように固まり、しばらくそのまま動かなかった。
グレイスはそんな彼に追い討ちをかけるように、言葉を続けた。
「何を知りたいか、分かるでしょう?あの薬の正体と、出所よ。今話せないなら、国王の前に出てもらうわ。全て話すというなら、あなたの責任は追及しません」
ジャックはしばらく何も言えずに目の前の王女を見ていたが、やがて諦めたようにうなだれた。
ジャックの話によると、使った薬はフロンス家で栽培している花から作られる麻薬だということだった。
初めにその花を使っていたのは娼婦であったアンジェリーナだった。彼女は孤児だった。
大人になって1人になった彼女は、毎日必死に働いてやっと暮らしていた。
彼女がその花を知っていたのは偶然だったらしい。薬草を調合する仕事をしていた親から、危険な毒花として教えられていた。
”死ぬことはないが、幻覚作用がある”
そういう知識のもと、ある日彼女は興味本位でそれを調合し、人に飲ませた。毒花は思った以上に面白い効果があった。
それに味をしめ、彼女は娼婦として街に出るようになった。
当然体は売らなくても、薬を使えば一夜の夢を勝手に見てくれる。それで楽にお金を儲ける術ができた。
もともと美しかった彼女は、やがて高級娼婦へと名を上げて行った。
フロンス伯爵も最初は彼女の犠牲となった男だった。彼女の噂を聞き、興味本位で一夜を買った。
そしてその味の虜となり、アンジェリーナは度々屋敷に連れてこられるようになった。
やがてどういういきさつか、彼等はある契約を結んだ。
アンジェリーナは花の栽培方法、調合方法を教え、伯爵はそのかわりに彼女を養女として迎えた。
そしてその後すぐ、レストン家に嫁いで行った――。
「何故、レストン家に嫁ぐことに…?」
グレイスの問いかけにジャックは俯いたまま、「それも、契約でした」と言った。
「麻薬を武器にレストン家に取り入ろうとしたのです。それは成功し、レストン公爵は薬を得るかわりにフロンス家を一族に加えたのです」
「…それで、結婚…」
「はい。伯爵にお子はいらっしゃらなかったので、アンジェリーナ様が…」
グレイスは納得したように頷いた。その結婚が2年前…。
グレイスはユリアンから聞いた話を思い出しながら「レストン公爵の最初の目的はユリアンだったんだわ」と呟いた。
「ユリアン??」
アーロンが問いかける。グレイスは「私の弟よ」と説明した。
そしてジャックに「そうでしょう?」と確認する。
ジャックは困惑したように首を振った。
「私は、薬の使い道までは知らないのです。本当です…。ただ、その管理を任されているだけで…」
「…そう」
その言葉は嘘ではないだろうと思えた。恐らく今回のカイルの事件も、彼は何も知らないのだろう。
グレイスは小さくため息を洩らした。
「弟が目的って…どういうこと?」
後ろからアーロンが問いかける。グレイスは再び彼を振り返ると、「弟はレストン公爵家でおかしなものを飲まされかけたと言っていたわ」と話した。
アーロンとキースが目を丸くする。
「レストン公爵家は王族に名を連ねたがっていた。けれども、ユリアンはその頃すでにバーレン家のジュリアといずれ婚約するだろうという話が持ち上がっていたわ。レストン公爵も当然自分の娘を、と申し入れただろうけど、聞き入れられなかったのでしょうね。レストン公爵はユリアンにその薬を飲ませて、自分の娘に手を付けさせるつもりだったに違いないわ。既成事実ができれば、王族といえども無視はできないでしょう。レストン家の家柄を考えても、自然と婚約という流れになったと思うわ」
「でも、残念ながら罠にはまらなかったと」
苦笑するアーロンの隣で、キースが頷く。
「気付いたんだろう。俺も、妙な味がすると思った」
「…流石ですね。ほとんど味など感じない量のはずだったんですけど…」
ジャックはすでに騙された怒りなど感じる余裕も無い程憔悴していた。
「麻薬は毒薬と同じよ。作ることも、使うことも罪になるわ。その薬は、売られているの?」
「作っている量から考えて、売られていると思われます。恐らく、レストン公爵の手によって…」
それは都合がいい。グレイスは頷くと、「あなたに協力してもらいたいわ」と切り出した。
「今後、薬が動く時をよく見ていてそれを知らせてください。キースかアーロンのもとに手紙を送ってもらえればいいわ。知らせてもらえさえすれば、あなたからの情報であることは気付かれないよう現場を抑えます」
ジャックは目を伏せると、こくりと力なく頷いた。




