ジャックの企み
翌日、日中はいつもの通り、訓練や上級兵士会議に参加して過ごした。
やがて仕事を終えて夜を迎えると、キースとアーロンは着替えをして2人で王都へ向かった。歩きながらキースが「グレイスは?」と問いかける。
「後から直接来るらしい。本当に来れるのかね…」
「さぁな」
「今日行く酒場、二階は宿屋らしい。うっかり連れ込まれるなよ」
「冗談じゃない」
2人は王都の入口に差し掛かると一旦足を止めた。そこで別れて、キースは先に酒場に行くことになった。
アーロンは少し距離を開け、キースの後を追った。
キースが酒場に着くと、すでにフロンス家の執事ジャック・バルバロッサは先に到着していた。
沢山の机が並ぶなか、2人で向き合って座れる小さな机に先に座って既に飲み始めている。にぎやかな酒場の人波をぬって、キースはジャックのもとへと歩いた。
「…こんばんは」
声をかけると、ジャックがぱっと顔を上げた。その顔が一瞬で輝く。
ジャックは勢い良く立ち上がると、「あぁ、よく来たね!座って座って!」と目の前の席を指した。
「失礼します」
キースはそう言ってとりあえず腰を下ろした。ジャックも改めて目の前に座る。そして舐めるように、キースの顔を眺めた。
不躾な視線に耐えながら、キースもその目を見返す。
「今日は制服じゃないんだ…」
ジャックの言葉に「仕事は終わりましたから」と返す。
「そうだね、うん…」
ジャックは口元を緩めると、「どちらも似合ってるよ…」と囁いた。
キースは平静を装い「ありがとうございます」と応えながらも、背筋に悪寒が走るのを感じていた。
少し遅れてアーロンが酒場に入った。
帽子を深くかぶって、目立つ赤毛を隠す。どうせ覚えていないだろうが、一応一度顔を見せているので用心のためである。
キースと執事の姿はすぐに見つかった。
あまり近寄るとばれてしまうし、近寄ったところでこのうるさい酒場の中じゃ話は聞こえないだろう。アーロンは2人に少し距離をとって、キースの顔が見える場所に座った。執事はこちらに背中を向けている。
そのまま少しの間観察していると、不意に目の前に人影がかぶった。
誰かが向かいの席に座る。
その姿を確認し、アーロンは軽く目を見開いた。
「こんばんは」
「おぉっ…」
目の前に現れたのはグレイスだった。
長い黒髪は首の後ろで纏められ、アーロンと同じように帽子を被って顔を隠している。
「よく抜け出して来れたな」
「平気よ。あなた達と手合わせしてることになってるわ」
言いながら振り返る。そしてグレイスは、キースの姿を確認した。
「待っていてくれ。お酒を持って来よう」
ジャックは不意にそう言って立ち上がった。それを「待ってください」と止めと、「その前に、話を聞かせてもらえませんか」と伺った。
ジャックは眉を下げると「飲みながらじゃダメかね」とじれったそうに言った。
「大事な話ですから、ちゃんと聞きたいんです。飲んで、酔いながらじゃ後で記憶が曖昧になってしまいそうなので」
キースの言葉にジャックはちょっと顔を緩めた。
「…お酒は強くないのかな?」
「そうですね。強くないです」
分かりやすい探りに、適当に話を合わせてみる。どうせ酩酊させたいに決まっている。
「でもお酒は好きなので、話が終わったら是非飲みたいんですが」
ジャックは「そうかそうか」と嬉しそうにまた座りなおした。とりあえず話をする気になったようだ。
キースは安堵しつつ、「で、本題ですが」と切り出した。
「アンジェリーナさんは養女だと聞いているのですが、もとのご出身はどちらですか?」
「それねぇ~…」
ジャックはにやにやと笑みを浮かべると、「私から聞いたとは言わないでくれよぉ?」と念を押した。
「大丈夫です」
「頼むよ?あの子はねぇ、あれだよ、娼婦ってやつだ」
その言葉にキースは呆気にとられた。予想外の答えにとっさに反応できない。
娼婦が、伯爵家の養女に?
ジャックはキースの反応に楽しそうに笑った。
「驚くよねぇ。ちょいちょい家に来てたんだが、そのうち養女にするって旦那様が言い出してね…」
「何故ですか?」
「何故かなぁ~」
ジャックは曖昧に首をひねる。本当に知らないのかどうか、いまいちつかめない。
「できればその詳しいいきさつが知りたいのですが」
「うん…」
ジャックはもったいぶるような間をおくと、「お酒を飲みながら、がいいなぁ」と呟いた。
「…はい?」
「いや、こう堅苦しいと話しにくいというかね…。一杯でいいから付き合ってくれないかな。一杯飲んでくれれば、なんでも話すよ」
やけにお酒にこだわっている。そんなジャックを不審に思いつつ、キースはとりあえず「分かりました」と応えた。
「そうかね!」
ジャックが顔を輝かせる。
「じゃぁ、待っていてくれ!すぐ持ってくる!」
ジャックは善は急げとばかりに、即座にカウンターへと去っていった。
「――動いたな」
アーロンの呟きに、グレイスは振り返ってジャックを確認した。カウンターへと向かっている。
「お酒を頼むのね」
「そうだね」
グレイスが立ち上がる。驚いて彼女を見上げるアーロンに、「側で見てくるわ」と言った。
「顔見られるよ?」
「大丈夫よ。あの人、私の顔なんて知らないもの」
グレイスはそう言ってにっこり笑うと、背を向けてカウンターへと歩いていった。
アーロンの前に座っていた女性が立ち上がってカウンターに向かったのを、キースは遠くから眺めていた。
それが変装したグレイスであることにも気付いていた。
どうやら本当に来たらしい。王女だというのに、相変わらず無茶をしている。
そんな彼女の姿を目で追いながら、キースは口元に笑みを浮かべていた。
カウンターで受け取ったお酒を持ってキースのもとへ戻ったジャックを見送り、グレイスは足早にアーロンのもとへ戻ってきた。目の前に座るや否や「何か入れたわ!」と小声で報告する。その言葉にアーロンは目を見張った。
「何かって?」
「分からないわ。粉のようなものを…」
とっさにキースの方に目を向けた。ジャックはキースのもとへたどり着いている。彼にお酒の入ったグラスを手渡した。
アーロンは思わず立ち上がった。
アーロンの目に映ったキースは、ちょうどグラスに口をつけたところだった。
お酒を少し口に入れた瞬間、妙な違和感にキースは動きを止めた。目の前のジャックがじっと自分を見ている。
微かに奇妙な味がした。目の前の男の期待を込めた眼差しが、ますます疑惑を募らせた。
「どんどん飲んでくれっ」
ジャックは勧めながら自分もグラスを傾ける。キースは不意にその目を遠くに向けた。
アーロンが立ち上がっているのが目に入った。目を見張って自分を見ている。
何かを訴えるその目を見ながら、キースは一旦グラスから口を離した。
「――よし、気付いた」
アーロンは座りなおすと、そう呟いた。確信めいた言葉に、グレイスは目を丸くする。彼等はまだ目を合わせただけのはずだが。
「本当?」
「うん。俺を見て飲むのを止めた。気付かない振りしてるけど」
アーロンは片目を細めて唸った。
「…どうするかな」
このまま飲まないでいるのも不自然だ。
「取り替えましょう」
とっさにグレイスが言った。アーロンは一瞬固まったが、すぐに「そうしよう」と頷いた。
「――きゃぁ!!」
悲鳴とともに、ジャックは突然背中に冷たさを感じて振り返った。そこにはグラスを片手に、若い女性が立っていた。長い黒髪を首の後ろで纏めている。驚いたように見開いた瞳は紫色だった。
「ごめんなさい…!つまずいてしまって…!」
ジャックはとっさに自分の背中を見た。今の冷たさの正体が分かって、慌てて上着を脱ぐ。その背中は濡れてしまっていた。
「なにしてるんだ!!」
怒りで声を上げると、女性は恐縮して眉を下げた。
「ごめんなさい!本当にすみません…!」
必死で謝る女性を前に、ジャックは忌々しげに舌打ちした。
ジャックがグレイスの相手をしている隙に、アーロンはキースに近寄った。
キースはその気配を感じて、自分の持っていたグラスをそっと机の端に置く。アーロンは素早くそれを取ると、代わりに同じグラスに入ったお酒を置いた。
キースがそれを手を取る。そして何事も無かったように、また口に運んだ。
やがてグレイスとの話を終えたジャックが濡れた上着を羽織ながらまた目の前に座りなおした。結局少しお金を受け取って解決したらしかった。
ジャックはキースに目を戻すと、また顔を緩ませつつ「参っちゃうなぁ」と言った。
キースはその言葉に、ふっと微笑んで見せた。
「何が入っているのかしら…」
もとの席に戻ったアーロンとグレイスは奪ってきたグラスを眺めながら、話していた。
臭いも色も特に変わらない。何が入っているか分からないので、口にするのはためらわれる。
アーロンはそれを覗き込みながら「睡眠薬かな」と呟いた。
「そうね、毒薬ではないと思うわ」
「そりゃそうだ」
折角の獲物をいきなり殺す気は無いだろう。アーロンは少し間をおくと、「確かめたいな」と呟いた。
「――飲む気?!」
グレイスが驚いたように目を丸くする。アーロンは首を振ると、「あいつに頑張ってもらうか」と腰を上げた。
「…え?」
グレイスはきょとんとしてその姿を振り仰ぐ。
アーロンが立ったことに気付き、キースがちらりと目を上げる。
目が合ったことを確認して、アーロンは人差し指をゆっくりと天井に向けた。そしてにやりと笑みを浮かべる。
キースが一瞬目を見開いた。けれども次の瞬間には何事も無かったようにその目を伏せた。
それを了解の意と捉え、アーロンはまた座り直した。
「…何を言ったの?」
グレイスの問いかけにアーロンはちょっと笑うと、「この上、宿屋なんだ」と言った。
グレイスはアーロンの言葉の意味が分からず、きょとんとしつつ瞬きを繰り返した。
アーロンからの指令が”部屋へ連れ込め”であることを理解し、キースはやれやれと思いながら目の前の小男を見た。
すでに立派な赤ら顔になっている。
なんで男を口説かないとならないんだと思いながらも、キースは諦めたようにグラスを机に置いた。
ジャックは、相変わらず目の前の美しい青年に見惚れていた。初めて会ったときには本当に驚いた。まさか兵士にこんな綺麗な子が居るとは、思いもよらない。
輝くような金色の髪も、空のような青い瞳も、どこまでも似合っている。
なんとか誘い出すことができ、胸の高鳴りは最高潮を迎えていた。
彼の手にあるグラスの中身はもうほとんど無い。もう、”あれ”が効いてくる頃…。
ふと、青年がふぅっと息を吐いた。
片手を額に当て、物憂げに目を伏せる。そんな表情も仕草も、たまらなく艶かしい。
ジャックは興奮を抑えつつ、「どうか、したかね」と問いかけた。
「少し、酔いが回ってきたようで…」
彼の言葉に口元が緩むのを必死で抑えつつ、ジャックは「大丈夫かね?」と聞いた。
「いつもより、回りが早いです。すみません…」
言いながら青年は長い睫毛を伏せる。ジャックは心配そうな顔を作りつつ、「キースくん、無理はいけないよ」と言った。
「よかったら、少し横になるかね?この上は宿屋だからさ…」
用意しておいた言葉を出す。宿屋の部屋は最初に来た時に、すでに取ってあった。
キースがふっと目を上げ、その青い瞳にジャックを映した。
「…そうさせて、頂けますか…?」
青年の放つ堪らない色香に、ジャックの体にはぞくりと快感が走った。




