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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
55/88

立場と想い

 フロンス伯爵家に到着すると、アーロンは庭で花に水をやる少女の姿を見つけた。それは昨日例の”秘密”を教えてくれた召使いだった。

 相手も再び訪れた上級兵士の存在に気付いて顔を上げる。そして仕事の手を止めると、アーロン達のもとへ駆け寄ってきた。


「こんにちはっ」


 笑顔でそう言って、すぐにアーロンの隣のキースに目を留める。直後、目を丸くして固まった。


「どうかな、これ」


 アーロンは背後のキースを親指で指し示す。キースはそんな言葉の意味が分からず、自分に向けられた指を怪訝な顔で眺める。


「――すごい!!!」


 少女は顔の前で両手を打ち、歓声を上げた。


「すごいじゃない!バッチリよ!いけるわよ!!」

「…何の話だ」


 キースの問いかけを無視し、アーロンは「執事に取り次いでもらっていい?」と勝手に話を進める。


「はーい、待っててね!」


 軽快な足取りで去っていく召使いの背中を2人で見送り、振り返ると、案の定キースは非常に険しい表情でそこに立っていた。


「…おい、何の話だ」

「お前、行って来て」

「…は?」

「俺、昨日もう話聞いてるから。お前行って、アンジェリーナについて聞き出してきて」

「…なに言ってるんだ、お前」

「説明は後!早く行って来いって!」


 アーロンは文句を言いたげなキースの背中を押すと、無理やり屋敷の方へと向かわせた。



 納得がいかないまま屋敷に入ったキースは、召使いに連れられて応接室へと案内された。そこで座って待つように言われる。高そうな皮の長椅子に座って待っていると、やがて部屋の扉が開いた。男が1人入ってくる。頭の薄い、中年の小男だった。

 立ち上がると同時に、小男はキースに目を向ける。そして突然雷に打たれたかのように硬直した。


「…どうも」


 目を見開いて、おまけに口まで空けて固まっている小男に、キースは戸惑いつつ頭を下げた。


「ローランド上級兵士、キース・クレイドです。お忙しいところ、申し訳ありません」


 そう言って顔を上げても、小男はまだ固まっている。いい加減、怪訝に思って顔をしかめると、小男は我に返って「あぁっ…」とやっと声を出した。


「いや、これは…。どうも、はじめまして、私はこの家の執事をしております、ジャック・バルバロッサと申します」


 言いながら片手を差し出す。握手を求められているらしい。

 キースが「よろしくお願いします」と言いながらその手を握ると、執事はもう片方の手も出して、両手で覆うようにキースの手を握り返した。

 そのまま、目はじっとキースを見詰めている。しばらく待っても離す気配が無い。


「あの…」


 流石にキースが声をかけると、執事は「あぁ…」とまた我に返ったように手を離し、向かいの長椅子に腰を降ろした。

 握られていた手はなんだかじっとりしている。キースはこっそり顔をしかめつつ、自分も長椅子に座った。


「で…ご用件は…?」


 やっと話が始まり、安堵する。


「実は、こちらのご令嬢アンジェリーナさんについてお聞きしたいのですが」

「…きみもかね」


 執事が眉を下げ、さも弱ったという口調で言った。昨日、アーロンが同じことを聞きに来たのだろうから当然の反応だろう。


「何度も、申し訳ありません」

「ん~…、そうかぁ…」


 執事は少しの間思案するように顎を撫でていた。


「いや、協力したいのは山々なんだがねぇ…。あまりここで堂々と話せる話でもなくてねぇ…」


 なにやらもったいぶりはじめている。

 けれども押せば何かを聞き出せそうな様子に、キースは「秘密は守ります。情報の出所も明らかにはしません」と言ってみた。


「それはもちろん、そうなんだろうけど…」


 そう言って腕を組み、いかにも悩んでいる風な様子で執事はしばらく黙っていた。キースも黙って彼の言葉を待つ。

 やがて執事はまたキースの顔をじっと見ながら、「ここじゃ、なんだからなぁ…」と呟いた。


「…はい?」

「この家じゃちょっと、話しにくいことでねぇ」


 場所を変えたいということらしい。キースは納得し「では…何処でなら…」と聞いた。


「明日の夜は、どうかね?」


 突然日時を提案され、キースは一瞬呆気にとられた。けれども一応「大丈夫です」と返す。


「そうかね!」


 執事の顔が明るくなる。


「じゃぁ、王都の方で、酒でも飲みながら…」


 なにやら楽しげな様子で誘ってくる彼に圧倒されつつ、キースは「はぁ」と曖昧に返事を返した。


 ◆


 屋敷から出てくるキースの姿が見え、門で待っていたアーロンは笑みを浮かべつつ片手を上げた。

 キースはそんなアーロンをちらりと見たが、反応はしない。完全な無表情が分かりやすく不機嫌を現していた。


「どうだった?」


 近くに来たキースに問いかけると、キースはまたちらりとアーロンを見る。そしてその横を通り過ぎながら、「なんだあの男」と言った。


「どうだった?どうだった?」


 追いかけながら問いかける。


「最悪だ」


 キースがうざったそうに吐き捨てる。


「なんで俺があの男と酒を飲まないとならないんだ」

「――えぇ?!」

「ここでは話せない話だからって、明日の夜、王都の酒場で落ち合うことになった」


 アーロンは目を丸くして固まる。そして思わず吹き出した。


「なんだよ」

「いや、なんでもない」


 ここまで見事な効果を生むとは思ってなかった。普段はいけ好かないキースの外見に今日は素直に感謝する気持ちが湧く。

 アーロンは咳払いをすると、「それは俺も行くよ」と言った。


 ◆


 その夜、キースは自室のベッドに腰掛け、本を読んでいた。すでに夕食も済ませ、部屋で1人で過ごしている。

 不意に部屋のドアを叩く音で、キースは本から目を上げた。そんな時間に誰かが部屋を訪ねて来るのは珍しいことではない。キースは本を閉じると、ベッドから立ち上がってドアに向かった。「はい」と応えながらドアを開ける。


「――よっ」


 そこにはまったく予想外の赤毛の男が立っていた。


「…何してるんだ、お前」

「入ってもいい?」


 その意外な言葉に「いいけど」と応え、キースはドアを大きく開けた。視界が広がった途端、彼の後ろに立つ人物が映る。その姿に、キースの動きが一瞬止まった。

 紫色の綺麗な瞳が見返している。肩や胸に流れる長い黒髪が白いシンプルなシャツに映え、気品を漂わせる。久し振りに見る、王女の姿だった。

 アーロンは「お邪魔します」と言いながらさっさとキースの横を通り過ぎて行った。

 残されたキースは目の前のグレイスと見詰め合う形になる。その視線から逃げるように、不意にグレイスが目を伏せた。


「入っても、いいかしら…」

「…どうぞ」


 グレイスが彼の目の前を通って部屋へと入っていく。キースはそれを見送ると、ゆっくりドアを閉ざした。

 なんとなくキースとアーロンは並んでベッドに座った。そして目の前に立つグレイスと向き合う。

 グレイスは一息つくと、「夜遅くにごめんなさい」とまず謝った。


「アーロンから話は聞いたわ。面倒なことに巻き込んでしまってごめんなさい。明日は、私も行きます」


 グレイスの言葉に、キースは形のいい眉を顰めた。


「きみも…?」

「心配だもの。自分が住んでいる都市を離れてわざわざ王都まで出てくるなんて、なにかよからぬことを企んでる可能性もあるわ」


 その言葉の意味が分からず、キースの目は問うようにアーロンに向けられる。彼は何も言わない。意識的に視線を外しているように見える。

 キースはまたグレイスに目を戻すと「よからぬこと?」と問いかけた。


「あなたに対してよ…」


 キースが怪訝な表情を浮かべる。グレイスはそんな彼の疑問に答えるように「フロンス家の執事は男色家らしいわ」と説明した。

 キースは一瞬呆気にとられたように固まった。そしてその目をまたアーロンに向ける。彼は相変わらず黙ってそこに座っていた。


「そういうことか…」


 突然全て理解できて、キースは思わず呟いた。アーロンが自分1人をわざわざ屋敷に向かわせたのも、あの執事のおかしな態度もそれで納得がいく。


「いいように利用されたわけだ」

「すみません…」


 アーロンはそう言うと、ぺこりと頭を下げた。妙に素直に謝られ、文句を言うのも馬鹿らしくなる。キースはやれやれというようにため息をつくと、またグレイスに向き直った。


「でもまぁ、そういうことなら色々やりようはある。何を聞き出せばいい?」


 アーロンが隣で「さすがっ!」と言うのをよそに、グレイスは心配そうに顔を曇らせた。


「無茶はしないでね。話が聞けなかったら別の手を考えるから…」


 キースは苦笑する。


「余計な心配だよ。俺があの男に組み敷かれるはずないだろ」

「それは…そうだけど…」

「――で?何を聞けばいい?」


 改めて問いかけられ、グレイスは言葉を止めた。気を取り直し「レストン家の奥方のアンジェリーナについて」と答える。


「彼女はフロンス家の養女だそうよ。彼女の出身や、レストン家との結婚のいきさつを知りたいわ」

「レストン家の奥方ね…」


 キースはそう呟くと、「それが例の不貞行為の相手だっけ?」と聞いた。グレイスは束の間逡巡し、頷く。今回の騒ぎについての話は、すでにアーロンから説明されていると理解した。

 グレイスの胸に複雑な想いが湧きあがる。キースを相手にこんな話はしたくなかったという本音が顔をもたげ、下らないと自分で打ち消す。知られなかったからといって、何になるのか。

 僅かな動揺も見せず、キースは質問を続けた。


「レストン家の晩餐会で発覚したらしいけど、どういう状況で?」

「…バーレン公爵とレストン公爵が、一緒に現場を目撃したらしいわ」

「現場って…?」


 その問いかけにグレイスは一瞬言葉に詰まった。けれども思いなおし、何かを振り切るように答えた。


「レストン家の奥方と、私の婚約者がベッドで抱き合っている現場よ」

「それは、間違いなく…?」

「えぇ、間違いないわ。彼の父親がその目で見たんだもの」


 キースは少しの間黙ってグレイスを見ていた。射抜くような青い瞳が真っ直ぐにグレイスを映す。


「で…?」


 不意にキースが口を開いた。


「不貞行為は潔白だって聞いてるけど…どういう理由で?」


 核心を突かれて、グレイスは今度こそ言葉を失った。胸苦しさを覚えながら、逃げるようにその目を伏せる。


「あんま追求するなよ…」


 グレイスの躊躇いを察してか、アーロンが横から口を挟んだ。それに対し、キースは冷静に言葉を返す。


「追求もなにも、理由を聞かないと調べようがない」

「…その通りだわ」


 グレイスは頷いた。何を今更迷う事があるのかと自分を奮い立たせる。カイルの潔白を証明すると決めたのは他ならぬ自分なのだから。


「あの子は、レストン家の奥方と寝ている気なんてなかったの。私を…抱いているつもりだったのよ」


 グレイスの言葉をきっかけに、部屋には静寂が広がった。キースの落ち着いた目が真っ直ぐグレイスを見詰める。その目からは何の感情も読み取れない。

 それでもグレイスの胸の苦しさはよりいっそう強くなった。


「…どうして間違えたのかは分からないわ。私は何かしらの罠だと思ってる。相手が私だと思ったら、あの子が迷い無く手を出して当然なのよ。だって…」


―――前から何度も、そうして抱き合ってきたのだから…。


 言うべき言葉が出てこない。喉が何かに塞がれたように。グレイスは目を伏せたまま、口を閉ざした。


「…なるほど」


 キースが独り言のように呟いた。


「で、罠だと証明できて、不貞行為が消えたら、改めて婚約するのか」

「……そうね」


 頷きながらも、婚約のことも結婚のことも忘れていた自分に気付く。ただカイルを傷つけた公爵が許せなくて、どうしても事件の裏を暴きたくて、けれどもそうすることは、破談になった結婚話を取り戻すことになるのだ。

 しばらく何の問題もなく受け入れられると思えていた結婚の話が、また思い出したようにグレイスの胸を刺した。その理由は嫌というほど知っていた。

 だからこそ、もう会いたくなかったのに――。


「結婚、したいの?カイル坊やと」


 キースが問いかけた。とてもその目を見ることができない。グレイスは目を伏せたまま、「えぇ…」と答えた。


「優しい子だもの。あの子と過ごす時間が、とても好きだった。あの子となら、結婚できると思えたのよ…」

「結婚、”できる”?」


 言葉尻をとらえてキースが問いかける。グレイスは言葉を詰まらせ、目を閉じた。


「――キース、やめて…!」


 訴えるような声が部屋に響いた。

 声を上げた瞬間、そんな自分に驚いたようにグレイスが目を見張って固まった。キースの瞳はどこまでも静かに、そんなグレイスを映している。


「あ…」

「分かった」


 言葉の出ないグレイスに、キースはそう言った。


「明日、執事からできる限り情報を引き出してみる」


 何も言えずにグレイスは目を逸らした。2人はまたお互いに沈黙した。そんな2人を前に、アーロンはグレイスが自分だけを呼んだ理由を初めて理解していた。

 どうにもならない立場と、想い――。


「どうも、ありがとう…」


 グレイスはそう小さく呟いた。そしてその目をアーロンに向ける。


「そろそろ戻るわ…」

「うん」


 アーロンが頷く。キースは特に何も言わなかった。グレイスを見送ることもせず、ただベッドに座ったまま動かない。グレイスもそれ以上キースに声をかけることなく部屋を出て行った。

 やがて部屋にはキースとアーロンだけが残された。


 なんとなく立ち上がれずに、そのまま暫く2人してベッドに座っていた。

 そうしながら、アーロンは不思議な想いに包まれていた。隣に座る男が、初めて普通の男に見えた。自分と同じ、普通の男に…。


「すごいな…」


 アーロンの呟きに、キースは目を伏せたまま、「なにが」と聞いた。


「お前でも、思い通りにならないことあるんだな」


 いつでも冷静で、何にも動じない。どんな女も彼を求めるのに、どんな女も彼にとっては同じで、意味が無い。そんな風に見えていたのに…。


「別に、何もかも思い通りにしてきたつもりはない」


 キースは自嘲的な笑みを洩らした。


「俺には、お前の方が何の苦もなく誰も彼もを思い通りにできているように見えるけどな…」


 あまりに意外な言葉にアーロンは目を丸くした。


「そうじゃないことは、お前が一番よく知ってるはずだけど」


 そう言ったアーロンにキースがちらりと視線を投げる。


「女なんてどうでもいいだろ」

「…いや、その言葉、今は全く説得力が無い」


 アーロンの反撃に、キースはただ苦笑した。素直に言い負かされている所がらしくない。そう思いつつも初めて見たそんな一面にアーロンは奇妙な親近感を覚えていた。

 もう用事は済んだはずなのに、お互いなんとなく動くことが出来ない。


「気分転換に、飲みにでも行くか」


 不意にアーロンが提案した。そんな風に彼を誘うのは思えば初めての事だった。


「酒なら明日飲む」

「あの執事と気分転換できるのか?」

「…できないな」


 キースはクッと笑い、立ち上がった。そして置いてあった剣を手に取る。


「よし、気分転換しよう。訓練場に行くぞ」

「はぁ?!」


 素っ頓狂な声をあげるアーロンをに、キースはいつもの調子で「早くしろ」と命令する。そして自分はさっさと部屋の出口へ向かった。


「おい、それ気分転換になるのか?」

「俺は酒よりこっちの方がいい」

「あ、そう…」


 キースが部屋を出て行く。アーロンは諦めたように立ち上がると、キースの後を追った。部屋を出ると、訓練場へ向かって並んで歩く。


「最近うちの隊員ばかり相手してたから、つまらなかったんだ」


 キースの言葉にアーロンは「まぁね」と返す。


「上級兵士は手合いを申し込んでも逃げるしなぁ…」

「そうだな。できればもう一度近衛騎士隊長に相手してもらいたい」

「あぁ、そうか、お前手合わせしたんだよな。どうだった?」

「手も足も出なかった」

「へぇー!!さすがグレイスの選んだ男っ」


 若干わざとらしい感嘆に、キースの冷ややかな視線が返って来る。


「…喧嘩売ってるのか?」

「お、喧嘩したい?いいよ、相手してやるよ」


 アーロンの言葉にキースは「お前じゃ、あるまいし」と、楽しそうに笑った。



 仕事を終えて帰ろうとしていたローラの目の前を、キースとアーロンが歩いていった。

 すぐ側に居るけど、話しかけることができない。談笑しながら歩いていく2人を、ただ後ろから黙って見送った。


「……いいな」


 ローラはため息混じりに、小さく呟いた。

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