晩餐会の罠
翌日、寄宿舎の食堂でいつものように昼食をとりながら、アーロンは例によってキースと向かい合って話をしていた。
また仕事の話を延々と続ける。最近またお互いに外に出ていたので、顔を合わせるのは久し振りだった。
「キース!」
不意に元気な少女の声に遮られ、2人の会話が止まった。同時に声の方に目を向ける。黒髪に紫色の瞳の少女が、満面の笑みで手を振っていた。
キースは何事もなかったようにまた目を戻す。アーロンは思わず吹き出しつつ「今日も元気だな、デイジーは」と呟いた。
キースに無視されたデイジーは”あれ?”というような顔をしている。けれども他の侍女に急かされ、渋々と厨房に入って行った。
「あの子、グレイスに似てる」
何気なく言ったアーロンの言葉に、キースは即座に「似てない!」と返した。
「…そう?」
そのきっぱりとした口調にちょっと呆気にとられる。
「雰囲気似てるじゃん。目の色も髪の色も同じだし…」
「それだけだろ」
「…それだけだよ?」
はたと目を合わせた2人の間に、奇妙な沈黙が流れる。
「お前さぁ…」
何か言いかけたアーロンの言葉を遮るように、キースが立ち上がった。
「仕事に戻る」
それだけ言うと、さっさと先に去って行く。
アーロンはそんな彼の背中を黙って眺めていたが、やがて立ち上がると食器の載ったお盆を手に、キースの後を追った。
◆
晩餐会の夜、レストン家には大勢の招待客が訪れていた。
大広間に、レストン家と親交の深い貴族達が顔を連ねている。いくつも丸いテーブルが並び、その上には沢山の料理が振舞われている。
その大広間に入ってきたバーレン公爵とその息子の姿に、一瞬会場の歓談が止む。カイルは思わず苦笑した。
「なんで居るんだって顔してんじゃん」
「当然だ」
バーレン公爵は落ち着いた口調でそう返す。
「今まで特につきあいが無かったんだからな。陰では敵対しているとまで言われていた。私としては、そんなつもりは毛頭無かったが」
言いながらバーレン公爵はレストン公爵の姿を探した。
レストン公爵は多くの客に囲まれていたが、すぐにこちらに気付いたようだった。60近い歳の公爵は太い眉毛にぎらぎらとした目の、印象的な濃い顔をしている。
真っ黒な髪には白髪が混じっているが、その黒髪と黒い目が彼の顔をよりいっそう濃くしているようにも見える。
体格のいい体をゆすりながら、公爵はすぐさまバーレン公爵とカイルのもとへやってきた。
「よくぞいらしてくださった」
片手にワイングラスを持っているレストン公爵は、もう片方の手を出して握手を求めた。バーレン公爵はそれに応じて手を握る。
「お招き頂き有難うございます」
レストン公爵はその目をカイルに向けた。
「坊ちゃんは、いつの間にか立派に成長されましたな。この度はご婚約されたと伺っておりますよ。ジュリアお嬢さんと合わせて、誠に喜ばしい話でございますな」
「…どうも有り難うございます」
カイルはとりあえず無難に応答した。
ふとそんなレストン公爵のもとに1人の若い女性が近づいてきた。公爵の隣に寄り添うように立つ。 そんな女性の姿に、カイルは目を丸くした。
どう見ても20代だろう。真っ黒な長い髪に同じ色の瞳、真っ赤に塗られた唇の下にはホクロがある。豊満な肉体と合わせて、かなり妖艶な雰囲気を纏う女性だった。
「あぁ、おまえ…」
レストン公爵はその女性に一度目を遣り、また2人に向き直った。
「これは私の妻のアンジェリーナです。どうぞお見知りおきを」
その言葉にカイルはまたさらに目を見張った。レストン公爵から見れば子供のような年齢の奥方だ。前の奥方といつ離婚して、いつ再婚したんだという疑問が湧く。
その隣でバーレン公爵が「これは、初めまして」と動じることなく挨拶を交わした。
アンジェリーナはカイルと目が合うと、口元にうっすら笑みを浮かべた。全員にワイングラスが配られ、レストン公爵の挨拶の後、乾杯となった。
立食形式で食事が始まる。
歓談が始まったとたん、カイルとバーレン公爵の周りに貴族達が集まってくる。皆王族と縁を結ぶ予定の家に顔を売っておきたいという気持ちだろう。
それを適当に相手しながらお酒を飲む。
ゆっくり飲みたいのにまったくそんな暇は無かった。
会が始まってしばらく経った頃、ふとカイルは頭がぼぉっとするのを感じた。たいして飲んだ覚えも無いのにお酒がまわったような感覚だった。
片手で頭を押えていると、すぐにバーレン公爵が息子の異変に気がついた。
「どうした?」
問いかけられた声に、カイルは「酔った…」と返す。そんなことを言っている自分の声も遠ざかる気がした。やばいと思った瞬間、体がよろける。父親にもたれかかる格好になり、バーレン公爵は「おいっ」と驚いたような声を上げた。
「飲みすぎだぞ」
「えぇ~…?」
そんなに飲んだっけと思いながらも、父親に肩を借りて立つのがやっとだ。気分は悪くないが、とにかく頭が霞んでいた。
「どうしましたか?」
不意にそんなカイルに給仕をしていた男が声をかけた。
「いや、少し酔ったようで」
バーレン公爵はそう言うと、カイルを連れて壁際に移動した。そこに息子を立たせる。カイルは壁に背をつけ、それを頼るようにしてもたれかかった。
「…なんか、暑い」
カイルは大きく吐息を洩らした。バーレン公爵は「少し休んでろ」と苦笑する。
「珍しいな、お前がこんなに早く酔うなんて。大人しくしてなさい」
バーレン公爵は笑いながら去っていく。残されたカイルはしばらくそこに立っていたが、気がついたらその場に座っていた。
「なんだ、これ…」
体に異常を感じつつも立ち上がることができない。隣から誰かに「大丈夫ですか?」と声をかけられた。
「…大丈夫、じゃない」
そう答えると「あちらのお部屋でお休みください」と返される。カイルはぼんやりする頭で、「うん…」と応えた。
気がついたら、ベッドに横になっていた。暗い部屋の中で、カイルは目を開ける。先ほどまでのぼんやりした感じは消え、代わりにやたら体が熱かった。
ベッドの中で寝返りをうちながら、シャツを脱ぎ始める。
―――どこだ、ここ…。
そんなことを思いながら、暗闇を見回す。体が熱い。頭の中も熱い。自然と息が荒くなる。
カイルは頭を覚ますように勢い良く体を起こした。その目に人影が映る。長い黒髪、すらりとした体。
カイルはその姿をぼんやりと眺めながら「グレイス…」と呟いた。
「カイル…」
人影が自分に手を延ばす。頬に指が触れ、唇に触れ、ゆっくりと首を伝って、はだけた胸へと落ちていく。
「グレイス…」
カイルはその腕を握って引き寄せた。
「来て、こっち…」
彼女は呼ばれるままにベッドに乗った。もどかしい思いに駆られながら、カイルはその体を抱いて体を反転させた。柔らかい体に覆いかぶさる。そして夢中で唇を重ねた。
カイルの髪に、背中に、細い指が這う。その感触に酔いながら、白い肌に吸い付いた。
「あ…あぁ…カイル…」
耳元で吐息混じりに出る声が聞こえる。
―――グレイス、珍しい…声、出してる…。
夢中で抱き合いながら、カイルは頭の奥でそんなことを考えていた。
バーレン公爵は、招待客である貴族と他愛も無い世間話をしながら、ふと息子を気にして壁の方に目を遣った。
そして”あれ?”というように辺りを見廻す。先ほど端で休んでいるように言った息子が居なくなっていた。
酔いが醒めたのだろうか。そう思っているところに、不意にレストン公爵がやってきた。
「公爵、ご子息は如何されましたかな?」
「あ、いや、それが…」
戸惑いながら探していると、男が1人足早にレストン公爵に駆け寄った。なにやら彼に報告をして去っていく。
レストン公爵はハッハと笑うと「どうも、酔いがまわられたようですな。別室でお休み中のようだ」と言った。
「これは…申し訳ない」
部屋まで用意させたということでバーレン公爵は恐縮した。
レストン公爵は「どうぞこちらに」と言って彼を先導する。どうやら案内してくれるらしい。
バーレン公爵はそれについて歩きながら、”わざわざ公爵自ら案内してもらえるのか”と不思議な思いでその背中を見ていた。
「こちらのようだ」
部屋の扉の前で足を止め、レストン公爵はそれを軽く叩いた。中からは何の返事も無い。
「…開けてもよろしいかな」
言いながら、公爵はすでに扉を押していた。真っ暗な部屋の中に外の光が差し込むように入る。
「カイル坊ちゃん、失礼するよ」
言いながら入っていくレストン公爵の後ろから、バーレン公爵は追うように付いて行った。
◆
夜もすっかり更け、ローランド王城の1室ではグレイスがすでに夜着に着替えて寝る準備をしていた。
侍女もとっくに退がり、部屋で1人広い寝台に入る。そんな彼女の耳に、ふと足音が聞こえた。
横になろうとしていたが、体を起こす。
「グレイス様、お休みのところ、失礼いたします」
目の前の寝台を囲うように下がる幕の向こうから衛兵の声がする。グレイスは「眠っていないわ。どうしたの?」と問いかけた。
「陛下がお呼びでございます。広間の方へお越し下さい」
グレイスはその言葉に顔をしかめた。こんな時間に一体広間で何の用だというのか。
「…今、なの?」
確認するように問いかけた声に「はい」と返される。グレイスは寝台から出ると「すぐに行きます」と応えた。
夜着の上にガウンを羽織った格好で、グレイスは広間へと向かった。そこに入った瞬間、中に居た人々が彼女を振り返る。その顔ぶれに、グレイスは軽く眉を顰めた。
玉座に座る父と、その隣に座る母、そしてその前に立つバーレン公爵、レストン公爵。バーレン公爵の隣には執事のベルトール、そしてレストン公爵の隣にも恐らく執事と思われる男が立っていた。
部屋の中には妙な緊張感が漂っていた。
入口で足を止めていたグレイスは歩みを進め、彼等のそばに歩いた。とっさにバーレン公爵が彼女の前に跪いた。
「グレイス様、申し訳ございません…!」
頭を垂れるようにして謝罪する。そんな姿に、グレイスは目を見張って固まった。
すぐさま父と母の方を見る。2人とも険しい表情だった。
「…何があったのですか?」
誰に対してでもなく問いかける。アルベルトがクッと苦笑した。
「バーレンの息子が、レストン公爵の奥方に手を出したらしいぞ」
吐き捨てるように放ったその言葉に、グレイスは凍りついたように固まった。とっさに目を向けたバーレン公爵は、足元で変わらず項垂れている。
そしてレストン公爵は眉を下げ、やれやれというように軽くため息をついた。その場はまた静寂に包まれた。
「…確か、ですか?」
沈黙を破ってグレイスが聞いた。レストン公爵は何も言わずにバーレン公爵を見下ろす。”おまえが答えろ”とでも言うように。
「この目で…確かに見ました」
苦しげにバーレン公爵が呟く。グレイスは思わず眉を顰めた。
「その、目で…?」
娘の疑問に答えるように、アルベルトが立ち上がった。
「今夜、レストン公爵家で晩餐会が開かれていたらしい。その場で晩餐会の途中に抜け出し、奥方と意気投合して別室へ行き、そこで事に及んだ、とさ」
馬鹿馬鹿しいというように説明する。そして膝を突くバーレン公爵に冷たい視線を投げかけた。
「分かっているだろうが、グレイスとの結婚の話は白紙に戻す。ユリアンのことも、考える必要があるな」
アルベルトの言葉にバーレン公爵は、ただ「はい」と応えただけだった。
冷たくバーレン公爵を見下ろすレストン公爵の目は、勝ち誇っているかのように見えた。
処分は追って決めるとして、バーレン公爵とレストン公爵は城を去った。
カイルは反省の意味を込めて一晩投獄されることになったらしい。
「はめられたのよ」
広間に残ったグレイスは、アルベルトに言った。それ以外、考えられなかった。
「そうだろうな」
グレイスの言葉の意味をすぐに理解し、アルベルトはそう言った。隣で王妃は険しい顔のまま黙っている。
「分かっているのに、なぜ…?」
なぜ、黙ってバーレン公爵に責任を負わせたのか。なぜ、レストン公爵を少しも問い詰めなかったのか。アルベルトは娘の問いかけに苦笑した。
「お前との縁談を破談にもちこんで、加えてバーレン家の名誉を傷つけることもできるいい手だ。けれども何を裁くことができる?誘惑した者を裁くのか?そんなものは罪にならない。酒を飲んでいたからといって、まんまと誘いにのったバーレンの息子が馬鹿なんだ」
父の良く通る声を聞きながら、グレイスは何も言い返すことができなかった。彼の言う事は正しかった。だからこそ、”気をつけて”と釘を刺したのに…。
グレイスはそれ以上何も言えずに、目を伏せた。
◆
冷たい地下牢の石の壁を見つめながら、カイルは1人ぼんやりと座っていた。ずいぶん静かだった。
まさかこんな景色を見る日が来るとは夢にも思わなかった。バーレン公爵家の次期当主である自分が…。
地下牢の扉は窓に格子がはまっている。それ以外に外と通じる窓の無い、息の詰まりそうな空間だった。
不意に足音のようなものが聞こえ、カイルはゆっくり扉の方に目を向けた。格子付きの窓から誰かが覗く。その姿を見て、カイルは目を見張った。
「…グレイス」
窓に手をかけてこちらを見ている。カイルの姿を確認し、「こんばんは」と言った。
「なんだよ、文句言いに来たのか」
顔をしかめるカイルの言葉に、グレイスが吹き出す。
「なんだよっ」
「元気そうで、なによりだわ」
「元気じゃねぇよ」
投げやりな言葉を投げつつため息を漏らし、また壁に寄りかかる。少しの間をおいて、「何があったの?」と問いかける声が聞こえた。
とっさに答えられず、沈黙する。そしてその目をグレイスに向けた。
「…聞いてないのか?」
「聞いたけど…」
グレイスはそう答えると「あなたの口から聞きたいの」と言った。
カイルはまたしばらく黙ってグレイスを見ていた。落ち着いた紫色の瞳がじっと自分を見詰めている。その目には怒りも動揺も見えない。彼の言葉をただ静かに待っていた。
「酔って寝に行った部屋で、いつの間にかレストン家の奥方を抱いてた」
吐き捨てるように言ったその言葉に、グレイスがまた吹き出した。
「だから、なんだよっ」
「だって…その説明じゃ救いようがないじゃない」
「いいよ、別に、事実だし」
すっかり全てを諦めた様子のカイルに、グレイスは困ったような笑みを漏らした。
言い訳しようのないほど完全にはめられたということなのだろう。
「お酒のせいなの?」
グレイスの問いかけにカイルは「たぶん」と答える。2人の間には、しばらく沈黙が流れた。
「…破談になったんだろ?」
カイルが小さく呟く。
「そうね」
グレイスが応えた。カイルは苦笑すると、「よかったじゃん」と言った。
「政略結婚だもんな。元々」
「そうね」
「お前にとっては、都合良く好きな時に寝れる相手が居なくなるだけだし」
グレイスは苦笑すると「あなたも、王族の可愛くない女を征服する喜びを味わえなくなっちゃうわね」と返す。
「ほんとだよ」
カイルはそう言うとまたグレイスから目を逸らした。石の壁に目を戻す。冷たい壁に囲まれた部屋では、心の奥まで冷えていきそうに思えた。
「…行くわね」
グレイスが静かに呟く。カイルは何も応えない。
グレイスは諦めたように、その場を離れた。そして自分を見張るように立つ衛兵達に「行きましょう」と言った。
「――グレイス!」
一歩、歩き出した時、カイルの声で足を止めた。振り返ってまた扉に戻る。
カイルは扉の前まで来ていた。窓の向こうからグレイスを見ている。
「信じないと思うけど…」
カイルはそう言って少し間を置いた。苦しげに次の言葉を絞り出す。
「俺、ずっとお前を抱いてると思ってたんだよ…」
見た事のないようなカイルの表情に、グレイスの胸は苦しくなった。
その言葉は、誰が聞いても無理があるだろうと思えた。お酒を飲んでいたとしても、意識ある状態で、ずっと人違いをしたまま肌を重ねていたという事になる。
そんな事は普通有り得ない。それでも…。
「信じるわ…」
グレイスはごく自然にそう答えていた。その無理のある話が、何故か真実に思えてならなかった。
カイルはまだ何かを言いたげにグレイスをしばらく見詰めていた。けれどもやがて、目を逸らした。
「じゃぁな」
「…えぇ。元気でね」
短い別れの言葉を交わし、グレイスはその場を離れた。
激しい恋をしたわけではない。愛があったかどうかも分からない。親の決めた結婚が、また親によって消されただけのこと。
けれども何もかもを忘れて2人だけで過ごした時間は、グレイスに確かな安らぎを与えてくれていた。
そんな時間を教えてくれたのは、紛れもなく5歳も年下のあの坊やだった。
―――許せない…。
グレイスの紫色の瞳に鋭い光が宿る。その目の向こうには、レストン公爵の不遜な表情が映し出されていた。




