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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
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二人の時間

 ある晴れた日の午後、バーレン公爵家は大事な客を迎えていた。次期当主カイルの婚約者であり、ローランド王国第一王女のグレイス姫である。

 2人の婚約が決まって2ヶ月、そろそろ結婚式の日取りを考えようという中、グレイス王女は頻繁にバーレン公爵家を訊ねて来ていた。2人で午後のひとときを過ごして、数時間ほどで帰っていく。

 短い時間でも頻繁に会いに来る王女の行動は誰から見ても不自然だった。

 もう婚約は決まったので、これ以上親交を深める義務があるわけではない。まさかあのカイル坊っちゃんに会いたくて来てるのかと、みんな信じられない思いで囁き合っていた。


 いつものように執事はお茶の用意を整え、グレイス姫をカイルの部屋へと通す。執事が退出した後、部屋には2人だけが残された。

 今日グレイスは王妃が用意した薄紫色の膝丈ドレスを纏っている。娘を少しでも美しく見せようという母の気遣いらしい。それでも髪は結わないでとお願いして、そのまま下ろして来ていた。カイルはそんなグレイスに近寄ると、目の前に立った。相変わらずの不遜な目で見下ろしてくる。


「今日は、お茶だけじゃなくて焼き菓子まで作ったってさ。…どうする?」

「折角だから、後で頂くわ」


 グレイスの言葉にカイルは口角を上げる。


「――後で、ね」


 そして腕を延ばし、その細い腰を抱き寄せた。



 広いベッドの上で、グレイスはいつものようにカイルと抱き合った。

 王妃が用意したドレスは、たいして見られる間もなくどこかへ脱ぎ捨てられている。申し訳ないが、仕方が無い。まさか”すぐ脱ぐからなんでもいい”とも言えないし。

 初めてカイルに抱かれたあの後、また会った時には同じようにベッドへ誘導された。なにもそんなにマメに教えてくれなくてもと最初のうちは思っていたけど、いつしかそんな時間を自分から作るようになっている。

 恋に溺れたとかそんな感覚ではない。ただ何もかも脱ぎ捨てて、王女でもなく、騎士でもない、ただの女になるこの時間が、不思議と心地いいだけで――。


「んっ…」


 カイルに耳の中を愛撫され、グレイスは思わず肩をすくめた。そんな反応にカイルは嬉しそうに「耳、弱いんだ」と囁く。


「弱い…って?」

「なんか分かってきた」

「…そう?」


 不思議そうに問いかけるグレイスに、カイルは「だんだん反応が良くなってるじゃん」と笑った。


「そう…なの…?」


 他にどう言っていいのか分からずそんな間抜けな呟きを返す。カイルは嬉しそうにグレイスの唇にキスを落とした。


「グレイス、可愛い…」


 そして抱きしめる。


「すげぇ、可愛い…」


 その声を聞きながら、グレイスは目を閉じた。

 ”可愛い”と、毎回カイルは口にする。そんな言葉も、なぜか心地いい。父以外の誰にも言われたことが無い言葉…。

 グレイスはカイルの背中に腕を廻すと、いつものように何もかもを忘れ、その温もりに溺れて行った。



 やがて何事もなかったようにまた薄紫色のドレスを身に纏い、グレイスはカイルと向き合ってテーブルに座ると、用意されたお茶と焼き菓子を食べ始めた。


「美味しい…」


 グレイスがそう言う前で、カイルは「いらないっつってんのに」とぼやいている。食べる気はないようで、頬杖をついてグレイスを眺めつつ、ふと口を開いた。


「そういえば、昨日さ。レストン公爵家に招ばれて行ったんだけど、あそこの家の召使い、手癖悪いっつーかなんつぅか…。俺に色目使ってきてさ」


 どこか得意げに話すカイルの言葉に、グレイスは目を上げた。

 レストン公爵は、バーレン公爵家と並ぶ名家である。けれども家同士はさほど親交は無く、むしろ競い合う間柄のはずだった。


「それは気をつけたほうがいいわ。誘いに乗ったりしてないでしょうね」


グレイスの言葉にカイルはからかうような笑みを浮かべる。


「なに、妬いてんの?」

「レストン公爵は、正直バーレン公爵家ばかり王族の結婚相手として選ばれているのに不満を感じているはずよ。あなたが不貞行為をする罠をしかけているとも考えられるわ」


 カイルはその言葉に束の間呆気にとられたような顔になったが、やがて眉間に皺をよせると「なんだそれ」と不機嫌そうに言った。


「お前、服着るととたんに普通の女になるな!もっかい脱がしてやろうか!?」

「…普通の女?」

「可愛くない!」


 吐き捨てるように言ったその言葉に、グレイスは思わず吹き出した。カイルがいつものように「なんだよっ」と文句を言う。

 グレイスはそんな彼を無視して「美味しいわね、これ」と言うと、また焼き菓子を食べ始めた。


 ◆


 ある日の放課後、帰宅準備をする生徒達の中で、リンはいつもよりも急いで荷物をまとめ、誰よりも早く教室を出て行った。

 慌しく去る背中を、ぼんやりとルイが見送る。そんな彼の隣で、パティが「すごい速さよねぇ」と呟いた。ルイはちらりとパティを見遣ったが、何も応えず自分の荷物を片付け始めた。


「アーロンが迎えに来てるんだって」


 聞いてもいないが、パティは説明を始める。


「あ、そう」

「今別々に暮らしてるから、仕事がお休みの日しか2人で会えないんだって」

「ふぅん」

「もう兄妹じゃないんだって」

「ふぅん」

「結局、両想いだったってことよねぇ~」

「――うるさいな!!」


 ルイは怒鳴り声を上げ、パティを睨んだ。


「別に聞いてないだろ!いちいち報告に来るな!!」


 パティは腕を組むと大袈裟にため息を漏らした。


「そうやって怒るようじゃ、まだまだね…」


 ルイはそんなパティを信じられないという顔で見ながら「何様なんだ、お前は…」と呟いた。



 校門に寄りかかるようにして自分を待つアーロンの姿を見つけ、リンは顔を輝かせた。

 足音に気付いた彼が振り返る。陽射しを受け、燃えるような赤毛が輝いていた。


「アーロン!」


 微笑みで出迎えてくれたその胸に、勢いよく飛び込む。アーロンは「うわっ」と声を上げながらも、しっかりその体を抱き止めた。


「こら、ここは学校だぞ」


 笑って言ったアーロンを腕の中で振り仰ぐ。


「大丈夫。パティとルイ以外はみんな、兄妹だと思ってるから」

「なるほど…」


 異常に仲の良い兄妹ということで通るのだろうか。笑いをおさめ、ふと見詰め合う。久し振りに間近で見る彼女は、なんだかまた綺麗になったような気がした。


「…元気?」


 アーロンの問いかけに、リンは「元気だよ」と返す。そして穏やかに微笑んだ。

 リンと離れて暮らすようになって2ヶ月近くが経つ。リンはローラの提案通り、ずっと彼女の家でお世話になっている。

 時折キャリーと2人でアーロンの家に寄ってくれる時もあるが、2人きりで会えるのは休みの日だけになっていた。

 ローラは”いつでも遊びに来て”と言ってくれているが、やはり彼女の家に自分が出入りするのは気が退けて遠慮している。

 最初の頃は、仕事帰りの1人の部屋がひどく冷たく感じた。いつも笑顔で迎えてくれていたリンの存在が、どれだけ自分を癒していたのか思い知らされた。

 時間があっても遊ぶ気にもお酒を飲む気にもならない。1人の部屋に慣れ始めた今も、それは変わらなかった。


「お仕事忙しい?」


 2人で並んで歩きながらリンが問いかけた。


「最近、災害派遣が終わったから一段落だよ」

「大変だったんだ…。おとといキャリーと行ったけど、アーロン帰ってこなかったんだ」

「うん、知ってる。夕食用意してあったし、掃除してあったし。ありがとうな」


 リンが嬉しそうに微笑む。アーロンはそんな彼女の頭に優しく触れた。


「王都歩きに行こうか」

「うん」


 リンはアーロンの腕に縋るように身を寄せる。2人はまた他愛もない話をしながら、王都へと向かった。



 武器屋で剣を手に取って眺めるアーロンの隣で、リンは彼の顔を覗き込んでいた。

 そんな視線に気付いてリンを見る。目が合うと、リンはにっこり微笑んだ。


「剣を持ってるアーロンって、なんだか強そう」

「一応商売道具だからね」

「…かっこいい」


 真っ直ぐな褒め言葉に、アーロンは気恥ずかしそうに剣を置くと、また歩き出した。リンもその隣をついて行く。


「…あれ?」


 ふとリンが商品に目を留め、立ち止まった。アーロンもつられてその視線を追う。リンはケースの中に陳列されたナイフに目を奪われていた。


「どうした?」


 アーロンはリンの隣に行き、同じようにケースを覗いた。

 この店では高価なものはケースの中に入れて売られている。高価なものに興味は無いので普段覗くことはしないのだが、その中にどこかで見たようなナイフが並べてある。

 アーロンは思わず眉を顰めた。


「…ん?」

「これって…」


 リンはアーロンに答えを求めるように目を向ける。ケースの中にあるナイフの刃は、鈍い金色だった。


「バルジーの…」


 アーロンが言いかけたとき、店の主人がケースを覗く2人に気付いた。


「はいはい、いらっしゃい!」


 声をかけられ顔を上げたアーロンの目に、満面の笑みのふくよかな男の顔が映る。アーロンは躊躇いつつ、そのナイフを指差した。


「これ、売ってるの?」

「もちろんですよ!」


 主人は即座に答えると、「これはすごいですよ!なんでも切れます!試しますか?」と勧め始める。


「いや、それはいいんだけど…」


 アーロンは少し考えると、「これ、誰から買った?」と聞いた。店の主人はちょっと呆気にとられたような顔をする。

 そしてやがて「あぁ」と納得したように声をもらした。


「お客さん、これ知ってるんだ。最近、ちょこちょこ出回ってるからね。もとは流れの武器屋が売ってるものらしいけど」


 その言葉にアーロンは内心”やっぱり”と思った。

 目の前のナイフはかつてバルジーが持っていたゴンドールの脱け殻から作られたものと同じだ。あれも商品として売るようになったらしい。


「お城で売るだけじゃなかったんだね…」

「そうらしい」


 相変わらず、彼の商売は繁盛しているようだ。アーロンは数ヶ月に1度、例の仕事で顔を合わせるが、リンはその後一度も会っていない。

 リンは金色のナイフを見ながら目を細めると「懐かしいな…」と呟いた。


 

 その頃、バーレン公爵家の1室で、グレイスはベッドでうつ伏せに横になり、目を閉じていた。彼女の髪を梳くように、隣に居るカイルが指を通す。

 それを繰り返しながら「そういえばさぁ」と口を開いた。


「またレストン公爵家に招待されたよ。明日の夜…」


 繰り返し髪を通り過ぎる心地よい指の温もりを感じながら、グレイスはそっと目を開けた。


「…どうして?」

「なんか、晩餐会にどうぞって」


 グレイスは少し間をおくと「気をつけてね…」と言った。


「気持ち悪いよなぁ。いままで、そんな交流無かったくせに、結婚決まったとたん…」


 グレイスはそんなカイルの呟きを聞きながら、ぼやけていた頭が覚めて行くのを感じていた。バーレン公爵家と対立していたはずのレストン公爵家。けれども父や母は、レストン公爵よりバーレン公爵を人として気に入っているふしがある。

 そのため王族の結婚話はバーレン公爵家ばかりなのだ。王族との婚姻により力を強めそうなバーレン公爵家と仲良くなろうという事かもしれない。それだけなら特に問題はないけれども…。


「バーレン公爵は…?」


 グレイスの問いかけに、カイルは「一緒に行く」と言った。


「そう…」


 それなら安心という言葉は呑み込んで、グレイスはまた目を閉じる。


「眠る気か?」


 カイルの声に、グレイスは「帰らなきゃ…」と返す。


「泊まって行けば?」

「だめよ…お父様が許さないわ」

「無理やり結婚決めといて…?」


 カイルの言葉にグレイスは目を閉じながらちょっと笑った。確かに、矛盾してるかもしれない。


「なら、起きろよ」

「うん…」


 言いながらも絶えず髪を撫でられる感触に、グレイスの意識はどんどん薄れていく。遠くでカイルが笑いながら、「赤ん坊かよ」と言った声が聞こえた。



 王都で夕食を食べ、夜も更けてきた頃、アーロンは「そろそろ送っていく」と言って店を出た。

 リンは少し寂しそうな顔を見せながらも、「うん…」と言って応じた。並んで歩きながら、リンがアーロンの腕にすがるように寄り添う。アーロンはそんな彼女に穏やかに微笑みかけた。

 一緒に暮らしている間は、もうずっとリンの方からこうして触れてくることは無かった。だからこそ今まで一緒に居られたんだろうと思う。


「次のお休みは、また10日後…?」


 リンの問いかけに、アーロンは「うん…そうなんだけどさ」と言いにくそうに応える。


「例の仕事、また頼まれたんだ…」

「バルジーさん…?」


 リンの問いかけにアーロンは頷いた。リンは目を伏せると「そっか…」と小さく呟いた。

 別れの時が近づくと、言葉が出なくなる。2人はただ黙って歩き続けた。

 そしてやがて人通りの少ない路地に差し掛かったところで、リンがふと足を止めた。アーロンもつられて足を止め、見詰め合う。綺麗な翡翠色の瞳が、すがるように自分を見ていた。

 その目に誘われるように、アーロンはそっと顔を寄せた。2人の唇が軽く触れ合って離れた。


「今度…泊まりに行っちゃだめ…?」


 リンの問いかけにアーロンは苦笑すると「だめだよ」と返した。


「でも、私…」

「だめだって」


 言いながら抱き寄せる。金色の髪に顔をうずめ、目を閉じた。

 まだ全然だめだ。少し触れるだけで、どうしようもなく苦しくなる。部屋で2人きりになったりしたら、また絶対抑えられなくなる。


「それじゃ、離れた意味が無い…」


 アーロンの言葉に、リンは何も言わずに彼の背中にしがみついた。2人は固く抱きしめ合いながら、しばらくそのまま動かなかった。

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