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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
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いつの日か

 翌日、アーロンは逃げるように仕事へ出た。リンはいつものように見送ってくれたけど、その顔をまともに見ることができなかった。

 無理をして笑顔をつくるリンを見ているのが辛かった。

 自分で自分が恐ろしくなる。


 リンが怖がっていたのは知っていた。抱きしめたその体が、震えていたのも感じていた。

 それでもリンが嫌だと叫ぶまで、止める事ができなかった。


―――もう、これ以上は無理だ…。


 歩きながら、何も目に映らない。何も耳に聞こえない。ただ体が覚えている道のりを、淡々と辿るだけだった。



 ローランド王城、兵士寄宿舎の外で洗濯物をひとつ干し、ローラはまたぼんやりと物思いに耽った。

 そしてハッと我に返るとまた洗濯物に手をのばす。先ほどから、それの繰り返しだった。我ながら何をしているのかと呆れつつ、ふと気を抜くと心は楽しかった昨夜へと飛んでいく。

 今まで何度もキースと一緒に食事をしたけど、当然ながらそれは寄宿舎の食堂で、一緒に外出したことなど一度も無かった。

 それなのに昨夜は王都に食事に誘ってくれた。

 デイジーから逃げるためだったのかもしれないけれど、信じられないくらい幸せだった。

 2人だけで王都を歩いて、食事をして、少しだけお酒も飲んだ。いつものような他愛も無い話が、昨夜はなんだか特別に感じた。

 火照った体でお店を出ると、夜の風が心地良くて、振り仰いだ空には満点の星が光っていた。


 気がついたらキースも空を見上げていた。そんな横顔を見ていたら、なんだか切なくて、苦しくて…。

 抱きついてしまいたかった。そうできたらいいのにと、思っていた。


―――本当に”危険”だな、私…。


 思わず一人赤くなる。そしてまた思い出したように洗濯物を広げた。



「ローラ」


 不意に後ろから声をかけられ、ローラは手を止めて振り返った。

 そこにはアーロンが立っていた。深刻そうな表情にローラは少し戸惑いつつ、「どうしたの?」と問いかける。

 アーロンは言いにくそうに一度目を伏せたが、思い直して口を開いた。


「…頼みがあるんだ」


 ローラは手にしていた洗濯物を籠に置くと、アーロンに向き直った。


「はい、なぁに?」


 問いかけるローラにアーロンは困ったような顔で「仕事じゃないんだよ…」と言った。

 アーロンから伝わるただならぬ空気に、ローラも自然と表情を引き締める。そして黙ったまま彼の言葉を待った。


「リンを、預かって欲しいんだ…」

「あぁ!」


 アーロンの頼みに、ローラは張りつめた空気を消して破顔した。


「なんだ、そんなこと…もちろんいいわよ。喜んで!」


 その頼みは初めてのことではなかった。

 キャリーをそうしてもらうように、リンがローラの家に泊まりに来ることも今まで何度かあった。

 ローラにとっては少しも難しい頼みではないが、アーロンはそれでもまだ険しい顔を変えようとしない。

 ローラは不思議そうに「…どうしたの?」と問いかけた。


「何日になるか、分からないんだよ。リンが卒業するまで入れる寮を探そうと思ってて…。それが見つかって手続きが終わるまで…」

「…寮?」

 

 目を丸くして聞き返す。


「リンちゃんを家から出すの?どうして??」


 ローラの問いかけにアーロンは口を閉ざした。困ったように俯いたまま言葉が出ない。

 2人の間にはしばらく沈黙が流れた。


「…いいわ」


 不意にローラが口を開いた。

 アーロンが顔を上げて彼女を見る。ローラはにっこりと微笑んでいた。


「分かった。任せておいて」


 ローラの答えに、アーロンがやっと表情を緩める。どこか安堵の滲む笑顔だった。


「ありがとう。なるべく早く、寮を探すから…」

「そんな必要ないわよ。卒業まで、うちに居ればいいもの」


 その言葉にアーロンは一瞬声を失い、直後に慌てて首を振った。


「そういうわけにはいかないよ!」

「どうして?大歓迎よ。キャリーだって喜ぶし、寮に1人で入るよりいいと思わない?」

「いや、それは…でも」

「アーロン」


 困ったように口ごもるアーロンの言葉を遮って、ローラは一歩彼に近づくと、その手を両手で包むように握った。

 そして真っ直ぐ彼の目を見つめる。


「私がそうしたいの。あなたの役に立ちたいの。私、今までどれだけあなたに救われたか分からない。こうやって何か返せる日が来るのを、ずっと待ってたのよ」


 それはローラの切実な願いだった。

 アーロンの目には戸惑いが滲む。背中を押すように、ローラは彼に語りかけた。


「…ね?そうさせて?」


 ローラの真摯な瞳から伝わる想いが、アーロンの胸に広がる。心の奥にまで染み入ってくる。

 自分のためにそうまで言ってくれる誰かが居ることを、この上なく幸せに思った。


「……ありがとう」


 アーロンはその一言に全ての想いを託し、そっと目を閉じた。


 ◆


 その夜、アーロンはリンに”話がある”と言って長椅子に座らせた。その隣に座り、翡翠色の瞳と向き合う。

 リンはどこか不安気にアーロンの言葉を待っている。

 彼の様子から、楽しい話ではないと察しているようだった。

 その目を見ていると、胸が苦しくなる。誰よりも大事で、誰よりも愛しい人―――。


「リン」


 アーロンは躊躇いつつ、口を開いた。


「お前は今日からローラの家に住むことになったから。学校を卒業するまで、そこから通って」


 頭の中で何度も繰り返した言葉を一気に吐き出した。

 リンが目を見開いて固まる。アーロンの言葉に衝撃を受けたのは明らかだった。

 傷ついた瞳に、苦しい程の罪悪感が湧きあがる。それでも己を奮い起こし、アーロンは言葉を続けた。


「今から荷物まとめてローラの家に行くから」


 リンの目が充血し、急速に涙が浮かぶ。胸の痛みを堪えながら、アーロンは無理やりな笑顔を作った。


「…泣くようなことじゃないよ」

「いや…」


 リンはふるふると首を振った。その動きで涙が零れ落ちる。


「追い出さないで…。もう、困らせないから…。キスして欲しいとか、言わないから…」


 必死の訴えに、アーロンの胸は苦しいほどに締め付けられた。他の誰が泣いていても、きっとこれ程辛くはならない。


「追い出すんじゃないよ…。ただ、今は一緒に暮らせないんだ」

「どうして…?」


 リンが震える声で問いかける。


「私のこと、嫌いになった…?」

「違うって…」


 アーロンは乾いた笑いを洩らした。


「そんなこと……有り得ない」


 リンの涙が次から次へと頬を伝って落ちていく。目を逸らすことなく、アーロンは穏やかに語りかけた。


「逆なんだよ、リン。全く逆なんだよ…。もう妹としてなんて見れないんだよ。とっくに見れなくなってたんだ…」


 言葉にならない想いが胸をしめつける。なんて言ったらいいのか分からない。

 ”好きだ”とか”愛してる”とか、そんな言葉では言い表せない。

 この気持ちを、どうやって伝えたらいいのか分からない。


「私もだよ…」


 リンが言った。


「お兄さんだなんて思ってないよ。…同じだよ?……それでも…だめなの?」


 綺麗で真っ直ぐな瞳。

 昨日、あんなことがあったのに。それでもまだ、そう言ってくれるんだ。そう思ったら、また胸が痛くなった。

 もっと大人になれたらいい。こんなに純粋で綺麗な想いに、ちゃんと応えられるような…。


「ずっと離れるわけじゃないんだ」


 アーロンは穏やかに微笑むと、そう言った。


「”兄妹”じゃなくて、”恋人”になるために離れるんだよ。いつか学校を卒業して、仕事について、その時まだリンの気持ちが変わってなかったら…」


 アーロンはふと言葉を切った。


―――もしも、変わっていなかったら…。


 リンは黙ってアーロンの言葉を待っている。その翡翠色の瞳を真っ直ぐ見詰め、アーロンは口を開いた。


「その時は…俺と、結婚して欲しい…」


 用意もしてなかった言葉がこぼれ出た。けれども口にしたら、すんなりと心に落ちて行った。


―――あぁ、そうだ…。


 恋人になりたいんじゃない。それではもう足りない。

 いつかリンが大人になって、それでも自分を選んでくれたら…。

 やっぱり、家族になりたいんだ。


「うん…」


 リンが応える。また涙がこぼれてくる。けれどもその顔には、やっと穏やかな微笑みが広がった。眩しい程に綺麗な笑顔だった。


「絶対、変わらない…」


 その言葉に、アーロンも微笑みを返す。


「いい男になって、待ってるよ」


 リンはふるふると首を横に振った。そして両手を延ばして、アーロンの首に抱きついた。


「そのままでいい…」


 耳元で聞こえた優しい声を、閉じ込めるように目を閉じる。

 変われたらいい。心からそう思った。

 何より大事なその温もりを、全て包み込んで護れるような、そんな男に――。

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